5
目が合ったから、ワタシ驚いて飛び出しました。
気になったのは、あの曲は、だって――
ザ・クラッシュの『ロンドン・コーリング』。昔、パパがLPで持っていました。ロックかジャズがやりたい時期があった……パパはそう言ってました。そのときの憧れ。クラッシュとか、ジャムとか……ロンドンの音楽。
だからワタシは覚えてました。これはビートルズじゃない。ワタシ、気になった。でも、いざ目があったら、怖くなった。
教室には、三人の人がいました。ギターを弾く女の子と、ベースを弾く女の子と、ドラムを叩く男の子。三人です。そのなかの、ギターの子と目が合いました。
ワタシ、どうしたらいいかわからなくって。日本語、とにかく「すみませんでした」って言えばいいって教わった。だから「スミマセンデシタ!」って叫んで、すぐに走った。
音楽室、三階にあります。ワタシ、すぐに近くの階段を下りました。一階まで、ジャンプするみたいに。
気づいたら下駄箱を通って外にいました。カバンを背負って、すぐに校門を通りました。心臓がバクバク。はじけそうでした。
怖いもの見たさ……この表現は合ってますか? いまのワタシの思いというのは、そういうものだったと思いました。気になった……でも、怖い……だって、パパのルーツについてのことです。ワタシ、ふつうじゃない。その理由の一つです。ロンドン、パパ、音楽……。
ワタシはそのまま家に帰ることにしました。振り向くと、ギターの彼女はいませんでした。
*
走り去っていった少女の後を、アタシは呆然と見てた。二階の階段の踊り場に立ち尽くして。
黒い肌。癖っ毛。カタコトの日本語。日本人離れした背格好。あの感じ、完全にアタシが妄想してたフロントマンだった。真哉はアタシに「ビジュアルで決めろ」と言った。だったらアタシはこう答えてやる。「じゃあ、彼女でどう?」って。もちろん、彼女のことはぜんぜん知らないけれど。でも、それは一目惚れに近いもの。アタシがニルヴァーナを初めて聴いたときと同じ。会うべくして会ったんだって、そういう運命めいたものを感じてた。
アタシは、階段の踊り場に立っている。彼女を追いかけずに。開いた窓からは野球部の絶叫が聞こえた。
しばらくして、ドタドタと階段を下りてくる音が聞こえた。真哉とクリスだった。
「おい、どうした南。なにやってんだ」
「これ」
アタシが立ち止まった理由。
それは階段に落ちた一冊の本だった。彼女の鞄から落ちたものだ。
黒い表紙。闇の中に浮かぶ一人の男。死を予感させる、真っ黒い影のような装丁。それは単行本で、しかも詩集だった。アタシも一度だけ借りたことがあったから、何の本かひと目見ただけでわかった。読書嫌いのアタシがなんで借りたかって? 決まってる。それがルー・リードの詩集だったからだ。
「彼女の落とし物。ルー・リードの詩集」
「ハァ? んなもんウチの図書館にあったのかよ」
「アンタの兄貴が入れさせたんじゃないの? たぶんこれ復刻版だと思うけど。……あの子、この本落としてった。……見たでしょ、あの子?」
「あァ? あーっと、たぶんアイツは――」
「……ホワイトさん、だと思う」クリスが真哉に続けて言った。「一年の廊下でよく見かけるの……。彼女、背高くて目立つから……。あの、クラス発表のとき一人だけカタカナの苗字の人がいたの。ホワイトって。だから、たぶん……彼女が……」
「ホワイトか。となると同じ一年で、しかも外人かハーフだな。んで、そのうえ借りてたのがルー・リードの詩集と来た。冗談みてえだが、これは運命を感じずにはいられねえな」
「だよね。アンタもそう思うよね」
アタシは口にして、自分の思いを確かめた。
――この本を届けに行こう。彼女に会いに行こう。アタシたちには、四人目のメンバーが必要なんだ。
それからアタシたちは、すぐに楽器を片づけて図書館に向かった。図書カードさえ分かれば、そのホワイトって子について詳しくわかると思ったからだ。
ギグバックを背負ったアタシとクリス。そしてカバンからスティックのはみ出た真哉。三人そろって図書館に入ると、図書委員の先輩が出迎えてくれた。でも、彼女はいかにも不満そうな態度だった。
カウンター前でため息をつく先輩に、わたしは問題の詩集を差し出した。
「すみません、さっきこの本を拾って」
アタシがそう言ったとき、メガネの先輩の顔色がとたんに変わった。背筋も伸びて、声色がどことなく怒りに満ちていった。
「あなた、これ……。まったく。あなたたちって、さっきまでそこで練習してた軽音部でしょ? これ借りてた子はね、あなたたちの爆音で気が散って、読書ができなくて。それで注意しに行ったの。自主練はかまわないけど、図書館で本読んでる人だっているんだから、気をつけてくれる?」
「あの、彼女ってホワイトさんですよね?」
アタシは言った。
図書委員の先輩は、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔になった。
「そうだけど……。なに、あなたたち恵憐の友達なの?」
「まあ、そんなところです……。彼女に本を返したいんですけど。彼女、何組でしたっけ?」
「……友達なのに、クラスも分からないわけ?」
ギクリ。
冷や汗が額からしたたり落ちた。そうだ、友達なんかじゃない。ついさっき、一瞬だけ目を合わせただけだ。しかも彼女は目を合わせるなり、一目散に逃げていった。言葉を交わしてすらいない。
「その本なら、私が責任を持って返しておくから。あなたたちは、もう少しボリュームを落として練習してくれる?」
「は、はい……すみません」
「わかったら、本は私が預かるから」
結局、彼女が何者なのかはわからずじまい。本は図書委員の先輩が預かっちゃったし。彼女へのヒントは、ホワイト恵憐っていう名前と、同じ一年生だろうっていうことだけだった。
だけどアタシには一つ確信があった。それはアタシの一目惚れが見せた幻想かもしれないけれど、でもアタシは信じたかった。
――彼女は読書に集中できなくて、アタシたちへ注意しに来た?
――違う、だったらあんな態度取るはずがない。アタシは断言する。彼女は、アタシたちのバンドが気になったから、やってきたんだ。
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