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給食と、帰りの学活のときだけみんなと一緒です。なぜならそれだけは別々にできません。だから一緒です。でも、ミゾはあります。深く。
担任の下田先生は静かに言います。彼は、やさしい人です。ワタシのためにクラスだよりに英語の注釈を付けてくれます。下田先生は、英語の先生だから。やさしい人。でも、そのやさしさが苦しい。ワタシはみんなと違うから……。
学活が終わると、ワタシは決まって図書館に行きます。勉強するため。そして暇をたおすためです。
図書館は静かです。それに、人も少ないから。ミゾが少なくなる。ワタシはそう思ってます。
ワタシがいつも座るのは、図書館のすみの席。ノベルスがおいてある隣です。ティーンエイジャー向けの楽しい本とか、いろいろ。文字も大きくて、ストーリーも面白いです。だから辞書を持って、勉強がてらに読んでいます。
図書館にはいつも先客……? 一人だけいます。図書委員、先輩。一人きり。ワタシ、彼女とは少しだけ仲良くなった。本の趣味、教えてもらってます。カンタンな本、読みやすい本、ワタシが好きそうな本……。ティーンエージャー向けのノベルスとか、
その日も先輩がいました。カウンターに座って、ノベルスを読んでました。彼女、いつもそうです。ワタシが来るとメガネを直して、軽くあいさつしてくれます。あいさつしてくれるの、いま先輩だけ……。
「やあ、恵憐。こないだ借りた本は読んだ? 面白かった?」
ワタシはうなずきます。
「それは良かった。アレが気に入ったなら、同じシリーズ借りてみなよ。読みやすかったでしょ? ああ。あと、詩集はどうだった? 読めた?」
うなずきます。本当は「はい」って答えたかった。
ワタシはカバンから借りていた本を取り出します。単行本。黒いカバーに男の人の写真。詩集でした。
「はいよ。返却カードには私が書いておくから。恵憐は借りたい本見つけてきな。あ、ちなみに詩集なら奥のコーナーに集まってると思うよ。誰かがグチャグチャにしてなきゃね」
「……アリガト、ゴザイマス……」
「うん」
先輩、笑ってくれる。
その笑い方は、昼にトイレにいた人たちとは違います。ウケる……? じゃない。笑ってくれる。
返却カードに書き込む先輩。ワタシは、本を探して棚に向かいました。
先輩がいるのは、月曜日と土曜日の放課後です。先輩は、文芸部に入っています。月曜日と土曜日は、部活がない。だから、その日だけ図書館にいるんです。
ワタシも月曜日と土曜日は好きです。部活がないから。ほかの日だと、うるさいんです。吹奏楽部、すぐ隣の廊下で練習しています。トランペットが耳障りです。それに……パパのこと思い出すから、大嫌いです。
だからワタシは、静かに本の読める日が好きです。月曜日と土曜日。図書館に来ることにしてます。先輩に本教えてもらえると、本読んでいると、悩みごと消える気がしますから。
でも、その日は珍しかった。
図書館は、ワタシと先輩の二人だけ。静かな空間。でも、そうはならなかった。
聞こえて来たんです。カミナリのような音。爆発みたいな音。ワタシ、目をしどろもどろさせました。……この表現正しいです?
「あーあ、また始まったわ」
先輩がカウンターで呆れたように言いました。
「……なにが、ですか……?」
「軽音部だよ。知らない? バンド演奏。えーっと、恵憐ってイギリス出身だっけ?」
「……シティ・オブ・ロンドン、です」
「ロンドンってことは、そうだよね。ほら、イギリスって音楽で有名でしょ。えーっと、ビートルズだっけ。ああいうの演奏してるのよ」
ワタシは、耳を傾けます。
耳障りな音。はじめはそう思いました。でも聴いているうち、ワタシは不思議に思った。
「……先輩、これはビートルズですか?」
「そうじゃないの? あそこの顧問の馬場先生って、そういうマニアなの。私ね、去年は馬場先生の英語のクラスだったの。あの人、授業プリントで『ヘルプ!』の歌詞刷ってきたの。自分が好きだからよ。だから、これもきっとそう。自主連なんてご苦労なことだよね」
先輩はそう言ってる。
でも、ワタシは気づいてました。
これはビートルズじゃない。これは……。
*
――ロンドンより
その狭苦しい食器棚から出てくるんだ、少年少女たちよ。
頭の中では、将来のボーカルが歌ってた。アタシの妄想。流暢に英語で歌って、でも舌足らずで。ちょっと日本人離れした風貌。真哉曰く「華はあるけど、カッコはつかない」アタシたちにカッコをつけてくれる存在……。
でも、もちろんそれはアタシの頭のなかの出来事。実際響いてるのは、アタシのギターと真哉のドラム。それからクリスのベースだけ。弾いてるときはこの上なく楽しいんだけど、ちょっと俯瞰して見てみるととんでもなくダサいってことがわかった。
今日のアタシは、ボーカル目線で演奏することを目標にしてた。って、つまるところ万が一のときギターボーカルができるようにって準備してたってことだけどさ。ほら、ジャムとかはスリーピースじゃん。
でもあいにく、アタシたちの『ロンドン・コーリング』にはそんな余裕なかった。アタシはコード弾いてるので精一杯。クリスもリズムを刻むのであっぷあっぷだし、真哉に至っては自分のことしか考えてない。アイツは、自分さえ気分良ければバンドなんてどうでもいいってヤツだから。
Emだったかな。アタシが最後にかき鳴らしたと、残響だけが教室に轟いた。ボーカルはいない。いるのは、アタシたちの頭のなかだけ。英語ができて、あっちの軽音部には行く気がない。でもこっちに来る気はある。そんな都合のいいメンバー。もちろんそんなヤツいるはずがない。
アタシが全弦をミュートすると、アンプは空気の微細な振動だけをあたりに伝えた。その音は些細なもの。小さなノイズでしかない。
「ダメだな」と真哉。「やっぱカッコつかねえ」
彼はドラムセットから這い出ると、真っ先に窓を開けた。汗だくだったし、仕方ない。
「じゃあどうすんの?」
「知るか」
「……アンタね……」
アタシは真哉に悪態ついた。でも、それもしょせん八つ当たりだって、アタシにもわかってた。アイツが言ってることは事実。アタシたち第二軽音部に絶対的に欠けているもの。それは四人目の部員と、ボーカルなんだから。
と、そんなときだった。
ガラガラッ! と大きな音を立てて、教室の引き戸が開いたのだ。
アタシは一瞬、マズいと思った。二人もそう思ったに違いない。とうとう先生にバレたか? って、そう思った。でも、違った。
扉の向こうにいたのは、アタシたちと同じセーラー服を着た少女だった。でも、その背格好はアタシとは似ても似つかなかった。黒い肌、癖っ毛の髪、ふっくらとした顔に、日本人離れした背丈。きっと真哉ぐらいはある。どっからどう見ても、彼女は外国人だった。
そのとき、アタシと彼女の目があった。浅黒いまぶたに縁取られた白い眼。大きな黒目がアタシを見てる。アタシには、まばたきする余裕すらなかった。
「……あっ、アノ……!」
彼女が声を上げる。
そして――
「す、すす……スミマセンデシタ!」
扉が閉じられた。思い切り、力業で。引き戸のキャスターはオーバーランして、結局扉は開いた。
「あ、ちょっと待って!」
アタシはすぐにギターをおろした。大事なアタシのレスポールだけど、このときは気にしてられなかった。床においたら、アタシは一目散に教室を飛び出した。
理由は決まってる。
アタシの頭の中にいたボーカル。妄想上のボーカルが、現実に目の前に現れたんだ!
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