第三章 ”ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート”

1

 飛行機を見たのは何回目ですか?

 もう覚えていません。

 廊下で空を見ながら、ワタシはぼんやりと考えていました。廊下、チャイムが鳴る前。ワタシは辞書を片手にもって、立っています。どうして? ワタシは、みんなと一緒に授業を受けられないからです。言葉、読めないから……。

 窓ガラスに映っているのは、ワタシの顔と青い空です。雲のない、青い。その中に一つ、白い線のように流れる雲。飛行機が飛んでいく。それは何度目に見た飛行機ですか?

 ワタシにはわからない。

 もう何度目?

 ワタシは、まだここにいるの?

 思っている間にチャイムが鳴って、教室の中がうるさくなりました。ワタシはドアを開けて、そのなかに入ります。でも、誰もあいさつしてくれません。

 だって――

 ワタシは、黒人ニグロだから。


 教室のドアを開けると、いつも一斉にみんなが振り返ります。でも、それしかないです。みんなすこしワタシのほうを見て、それで終わりです。

 給食の前でした。教室では、今週の給食当番が準備しています。白い帽子、それから服を着ています。

 ほかのみんなは、机を並べていました。班ごと向かい合わせるんです。ワタシは四班。真ん中の列の、後ろの班。ワタシの席は一番後ろです。

 四班の席は、もうできあがっていました。……ワタシの机以外は。ちゃんと向かい合わさってました。ワタシの以外。

 それを見て、一人の人がワタシの机を運ぼうとしました。でも、すぐにワタシがやってきたのを見て、手を止めました。

 ワタシは彼女に「大丈夫ですよ」って言おうとしました。でも、彼女その前にどこかに行ってしまった。教室のスミへ。そしてほかのお友だちととコショコショ。ナイショ話。でも、ちゃんと聞こえるぐらいの声。

『あれ、ホワイトの席じゃん。やっちゃったよ』

『あらら、まったく善意の無駄遣いね』

『ちょっと拭かせてよ』

『あ、人のワイシャツで拭くな』

 ――知ってます。ワタシ、みんなと違うから。ワタシ、ガイジンだから。

 ナイショ話聞きながら、ワタシは自分の机を動かしました。でも、みんなの机とはピッタリ合わせられない。そこにはミゾがあるんです。空白スペースがあるんです。

 ワタシは、みんなと違うから。みんなに受け入れてもらえないんです。

 ワタシ、みんなと違うから。


     *


 月曜の放課後は練習の日。ふだん静かな第二音楽室に、アタシたちの爆音が轟く。最高の瞬間。

 その日、アタシたちが弾いていたのはニューオーダーの『セレモニー』だった。ギター、ベース、ドラムと揃ったおかげでずいぶん演奏にもカッコがついた。森真哉アイツを説得するには時間がかかったけど、それでも、それだけかかった甲斐はあったと思えた。

 練習が一段落すると、もう六時過ぎ。防音の為に締め切った部屋は、熱気で蒸し暑かった。全身汗だく。汗のにおいが充満してる。アタシはクタクタで、そのまま教室に倒れた。

 汗だくの真哉が窓を開け放った。とたんに涼しい風が入ってきた。本当はぜんぜん涼しいはずもないんだけど、熱気の中で熱中症寸前だったアタシたちにしてみれば、まるでクーラーのようだった。

「よくはなってるが、問題はボーカルだな」

 真哉が窓のサッシに背をもたれて、言った。

「前も言ったけど、パンクでインストはねえよ。ニューオーダーはシンセサイザーを入れてどうにかしてたけどさ、オレたちはたった三人だ。だろ?」

「じゃあ、アタシがギターボーカル。バーナード・サムナーもそうしてるし」

「あれは弾きながら歌えてねえだろうが。……根本はどうだ?」

 真哉が寝そべるアタシから、クリスに視線を移した。

 クリスはいつもの調子。「わっ、わたしにはぁ……む、むり……」と後ずさり。ベースはうまくなってたけど、引っ込み思案っぷりは相変わらずだ。

「じゃあ、どうする?」とアタシ。

「オレは歌わねえぞ。第一、オレは勉強できないからな。英語の歌詞なんて、ロクに発音できねえ」

「そっか。英語で歌わなきゃいけないのか……すっかり忘れてた……」

「てめえはオレ以下のアホかよ。洋楽やるなら、まずそこだろうが。……とりあえず、オレたちはボーカルを捜す必要がある。オレたちにとってのイアン・カーティスをさ」

「候補はいるわけ?」

 真哉は両手をあげて小首を傾げる。お手上げとでも言うみたいに。

「ま、別に歌のうまいヤツを連れてくる必要はないさ。やる気のあるヤツを連れてくりゃいい。それに、四人になれば正式に部活申請できるしな」

「そっか。部活に認められれば……」

「公式に文化祭に出られる。オレの兄貴みたいにな」

「ってことは、ライブができる!」

 アタシは、自分の顔がぱっと明るくなったのがわかった。

 そう、いまのアタシたちには四人目のメンバーが必要。それもボーカルだ。誰か捜さないと。


 練習が終わってからの帰り道。

 小学生の時までは、いつも最後までクリスと一緒だった。でも、中学に入ってからは違う。むしろクリスより、真哉のほうが道が重なってる。だから学校前の交差点でクリスと分かれると、アタシと真哉の二人きりになる。

 アイツは、いつも自分の調子だ。

 七月になって、衣替えにもすっかりなれてしまった。裾の出たワイシャツに、尖った髪。口笛をテキトーに吹きながら、アイツはアタシの前をトボトボ歩いてる。

 男子と二人きりで下校。

 でも、不思議とコイツとはロマンチックな気分にならなかった。なんていうか、クリスとかと一緒。一緒に音楽をやる悪友ダチって感じで、ぜんぜん男子女子って感じがしない。アイツも気にしてないふうだし。まあ、女子として見られてないってのはどうかと思うけど。でも、ギタリストとして見てくれてるなら、なんかちょっと嬉しいかなって。

「ああ、そうだ。お前さ」

 しばらく歩いててところで、アイツが口を開いた。

「おまえこそボーカルに誰か心当たりはあんのか?」

「いたらもう提案してるってば」

「だろうな」

 言って、アイツはまた口笛を吹き始める。ザ・クラッシュの『トミーガン』だった。両手は口笛に合わせて動いている。ドラムを叩くみたいに。

「そういうアンタはどうなの。本当に誰も心当たりないわけ?」

「そうだな……」

 クラッシュが止まる。代わりに沈黙が流れる。

「さっきも言ったけど、別に歌のうまいヤツを連れてくる必要性はないと思うんだ。やる気さえありゃ誰でもいい。パンクって、そんなもんだろ。合唱部のヤツなんか、むしろ使えないぐらいだ」

「じゃあ、何を基準にメンバーを決めるの? ってか、決められるような身分にないけどさ、アタシたち」

「英語の歌が歌えること。あとは……そうだな、ビジュアルで決めるしかないだろ」

「ビジュアルって言うと?」

「かっこよさに決まってる。今んとこ、オレたちは女二人に男はオレ一人きり。まあ、華はあるかもしれねえけど。でも、カッコつかねえだろ」

「それってどういうこと?」

「てめえみたいな華奢な女がギターをギャンギャン鳴らしても、かわいらしいガールズバンドにしか見えねえってことだ」

「それ、性差別だと思うんだけど」

「だったらその差別に抗え。それこそパンクさ」

 アイツはそういって、また『トミーガン』を吹き始めた。両手は虚空のドラムを叩く。きっとアイツの頭の中では、ドラムにギター、ベース、それからまだ名前も知らない未来のボーカリストの声が響いてるんだって。アタシは思った。

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