8

 朝学活はざわめきとともに始まった。無理もない、担任の椎名が出欠をとったとき、いないはずのヤツがいたんだから。きっといつもなら「森君は……今日もお休みですね」みたいなやりとりがされてたはずなんだ。なのに今日は違った。

「森君は……」

「はい」

 オレは、堂々と答えてやった。一斉にクラスメートの視線がこっちを向いたさ。「おまえが森か!?」って目だったな。笑えたよ。

 それからすぐに一時間目が始まった。早速のボス戦、谷本とオレのデスマッチさ。


 真っ先に仕掛けてきたのは、谷本のヤツだった。

 ふつう出欠ってのは朝に一度とったら、そのまんまだ。休みのやつがいたら、日直が先公に伝える。だから、先公が改めて出欠をとることはない。谷本の授業をのぞいて。

 谷本はまず校庭に生徒をまとめてから、一列に並べて体育座りにさせる。名簿順にな。それで、ヤツは出欠をとる。片っ端に名前あげて、礼儀正しくデカい声で返事をしたら合格。出欠扱いだ。失敗すりゃ、ヤツの「ああ?」って間抜けな声が帰ってくる。「よし」って声が出るまでやり直しをさせられるんだ。ちなみに三回でアウト、呼び出しを食らう。バカみてえだが、それがヤツの教育方針ってやつだ。

 オレは森だから、名簿順なら後ろから数えたほうが早い。順番が回ってくるまでは、ギロチンが落ちてくるのを待つような気分だった。

 そして、ヤツがついにオレの名を呼んだ。幸いだったのは、まだヤツが「森真哉という生徒が三組にいる」と認識していたことだろう。まあ、呼びもしなかったらさらにキレる材料が増えたってとこなんだが。

「次は森。森真哉」

「はい!」

「……は?」

 おもしろかったぜ。ヤツが間抜け面したの。

 どうせ何の返答もないとばかり思ってたのさ。なのに、威勢のいい返事が返ってきたんだからさ。それも、オレ史上もっとも元気ある「はい」だったと思う。だからヤツは何とも言えず、次の生徒の名を呼んだ。

 そのときから、クラスには妙な雰囲気がたちこめ始めていた。


 そのあとオレはすぐに呼び出された。谷本はほかの生徒には「ランニングしてろ」なんてテキトーなこと言いつけて、オレにはちょっと付き合えと言いやがった。ちゃんとついてったさ。文句も言わず、ヤツの言いなりになってやった。

 谷本は校庭の端っこにある木陰にやってきて、ようやく歩を止めた。校舎裏の木陰の下で二人きりなんて、正直反吐が出そうだった。

「なんで来た」

 ヤツめ、真っ先にそんなバカなことを聞いた。

「なにか問題でも?」

「森、おまえは不登校だろう」

「不登校は授業に来ちゃいけないんですか? ……先生、オレはもう生まれ変わりました。ですから、今後はしっかりと学校にも来る予定です。模範的な生徒としてね」

「生憎だがな、森。俺はおまえがやった悪行を忘れてないからな。今度また何かやったら――」

「お言葉ですけど、先生」

 俺は、たっぷりオベッカを使ってやった。口からクソ垂れるぐらい、たっぷり。まるでゲボさ。

「オレもアンタのやったことは覚えてます。アンタは、生徒のことを第一に考えている。そうでしょう? 生徒が清く正しく育つことを」

「当たり前だ。だからおまえのようなヤツは――」

「お言葉ですが。じゃあ、なぜ不登校になったオレを助けようとしなかったんです? 清く正しく育つよう、指導してくれなかったんです? あんだけ熱心だったくせに。椎名先生は何度もオレに連絡を取ろうとしてた。いつも時間割の端っこにメッセージを書いてた。でも、アンタは? アンタは怒るきりで何もしていない。……そうだ、アンタは叱ってんじゃねえ。怒ってるだけさ! いいか、よく聞けクソ教師。てめえは、その権力を使って生徒を黙らせて、悦に浸ってるだけのファック野郎だ。自分のことしか考えちゃいねえ。そんなヤツが他人の生き方に指図するんじゃねえ。……オレは確かにクソ野郎だ。不良だ。でも、それをバカにして悦に浸ってるてめえは、それ以下の最低最悪のマンコ野郎だ。わかったな、マザーファッカー!」


 ――なんて言えたら、どんなに清々しかっただろうな。

 結局、オレは何一つ口にしなかった。谷本がオレを呼び出してから、説教垂れて、帰すまで。うんとも言わなかった。相づち一つ打たなかった。黙って、ヤツの岩みてえな顔を仰ぎ見て、我慢してた。手が動き出すのを。

「いいか、森。俺はお前を許すが、いざお前が社会に出たら、俺のように許してくれるようなヤツばかりじゃあない。仏の顔は三度までと言うが、俺はそれを守ってる。お前が更正したって言うなら、俺はそれを受け止めるつもりだ。だがな、森。世の中の大人は、そんな善人ばかりじゃない。一度の失敗だけで、永遠にお前を罰し続けるようなやつもいる。だから、今後は自分のことをよく省みろ。いいな?」

 それがヤツのお説教だった。

 オレはその口にツバを吐きかけたくなる衝動をこらえて、ぐっと聞き入った。黙ってただ顔を見ていると、ヤツもさすがに観念した。

「もういい、行け。次はないからな」

 オレはヤツに一礼して、校庭に戻った。オレに出来たのは、結局その程度の反抗だったんだ。笑えるだろ?

 ……なあ、南。オレは腰抜けか? オレは面と向かって谷本に何も言えなかったよ。結局、ワイドショーに愚痴ってるババアと一緒かもしれねえ。

 でも、ちょっとは勇気出せてただろ?

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