3
化粧室で顔を洗ってから、アタシは風に当たりたくなって外に出た。
北校舎と南校舎を隔てる中庭。渡り廊下が見下ろす中で、緑の葉が陰を落としている。アタシはその木陰の下、古ぼけたベンチに腰を下ろした。
目を閉じて、頭の中でいろいろと考えた。アタシって、何がやりたかったの? ニルヴァーナになりたかった?
――違う。
じゃあ、ジョイ・ディヴィジョン?
――違う。
じゃあ、キンクス? ジャム? スミス? ストーン・ローゼズ?
――どれも違う。
じゃあ、何になりたかったのよ?
「……少なくとも、ああいうんじゃない」
言葉に出すと、ようやく考えがまとまってきた。
部活として、先生の言うこと聞きながら、小綺麗な格好して、まるでお勉強でもしてるみたいに……そんなのって、アタシのやりたかった軽音部じゃない。バンドじゃない。それだったら……入らないほうがマシだ。
アタシはカバンを開いて、その中から入部希望用紙を取り出した。今日のオリエンテーションで配られたもので、これに名前を書いて部活の顧問の先生に提出するのだと言う。もし軽音部に入るのなら、馬場って先生に出すことになる。
希望用紙は真っ白だった。ほんとはボールペンですぐにでも「軽音部」って書くつもりだったのに、いまはそんな気持ちは湧いてこない。やる気も起きてこない。
用紙を片手に、アタシはダルそうに空を仰ぎ見た。日の暮れつつある薄暗い空を。
と、思ったら、誰かがその光景をさえぎった。
「よう、さっき隣にいたろ」
アタシをのぞき込む顔。それが視界に飛び込んできて、語りかけた。
アタシはすぐさま振り返った。そいつは、さっき隣に座ってたヤンチャな男子だった。上着のボタンは開いてて、シャツも襟が飛び出してて。髪の毛はワックスでも付けてるのか軽くトガっている。ちょっと不良っぽい感じだった。
「えっと、アンタは……」
「三組の森真哉。さっきのクソッタレ軽音部の見学で隣だったろ」
「ああ……うん、そうだったけど」
「おまえ、名前は?」
「えっと、
「南サンね。なるほど」
彼はそう言うと、なんだか訳知り顔で中庭を歩き始めた。アタシの前を行ったり来たり。
――なんなのコイツ、まさかナンパ?
自意識過剰にもそう思いながら、アタシは突然現れた森真哉をにらみつけていた。
そうしていると彼は空を見上げて、アタシに聞いたのだ。
「おまえ、さっきの演奏見てどう思った。あの見学会に行ってみて、入ろうと思ったか?」
「……それを聞いてどうするの」
「どうもしないけど。ただ率直な意見を聞きたいだけさ。……ああ、初めに俺の意見を言っておくと、あいつらはどうしようもないクソッタレだよ。ロックンロールは、ビートルズが解散したときに死んだなんて言うけどさ。やつらが演奏してるのを見ると、なんていうか、ロックっていう死体に蹴りを入れてるようにさえ見えてくるよ。……おまえはどう思う?」
「アタシは……」
口ごもった。
唇をかたく結んで、アタシは黙ってた。両手を握り拳にして、スカートの上に載せて。
「まあ、言わずともわかるさ。あの見学に出てるなかで、拍手をしなかったのはおまえだけなんだから。それもあの態度は、感動しすぎて拍手すらできなかった、って感じでもない。違うか?」
「……」
「黙ってるってことは、イエスってことにするぜ。あの軽音部な、実は俺の兄貴が作ったんだ。もう四年か五年ぐらい前の話だけど。ストーン・ローゼズってバンドは知ってるか?」
アタシが小さくうなずくと、彼は話を続けた。
「兄貴はそいつらに憧れて、バンドを組んだ。そして学祭でバンド演奏するために部活にして、無理矢理ステージに上がった。当時はかなりモメたらしい。中学生がバンド演奏なんて、教育上よろしくないとかなんとかってな。でも理解のある先公がいたらしくって、そのおかげもあって部活として認められた。
でも、それがマズかったんだ。先公どもに認められて、部活ってモンになったとたん、ロックの魂は吸い取られてったんだ。おかげで今じゃ、ラッパをギターに持ち替えた吹奏楽部になっちまってる。まったくお笑い草だよな。この中学は、『ロックンロールの誕生と死』をたかだか数年の出来事で教えてくれたんだ。学校が社会の縮図ってのは、まさに的を射てたんだって俺は思ったよ」
彼――森君は、自嘲気味に笑ってアタシを見つめた。それはほかでもない、同意を求める目だった。
「……どうしてそんなことアタシに教えるの」
「特に意味はねえよ。ただ、おまえは他の連中と違って音楽が分かってそうだったから。そんなヤツがあのファッキン軽音部に入るのは見てらんなかった。それだけのことさ。忠告だよ」
「……そう」
「で、軽音部に入るか?」
「わかんない。……アンタは?」
「俺は残念ながら兄貴と約束してるから、入らざるを得ないんだ。義理ってやつだね。不本意だけど。……だから俺は、こうして俺みたいな被害者を増やさないために忠告にきたわけだ。そういうことだ、よく考えろよ。えーっと……」
「奏純。南奏純」
「そうだった。一組の南サン」
彼はそう言うと、軽やかな足取りで中庭の塀を乗り越え、校庭へ続く裏道に出て行った。
アタシはその姿を目で追いながら、黙っていた。アタシは、どうすればいいの……?
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