2
翌朝、一時間目の時間から校内オリエンテーションが始まった。アタシたち一年生は全体で四クラスあって、まあ少なくとも一五〇人以上はいるらしいんだけど、その全員が体育館に集まった。冷たい床に体育座りして。
学年主任だっていうウチのクラスの担任――もう名前を忘れた。宮本だっけ? まあ、どうせ先生としか呼ばないだろうし――が出てきて、マイク片手に説明開始。パソコンで作ったスライドショーが壁に映されて、小学校と中学の違いだとか、教室の位置だとか、いろいろ話し始めた。アタシは、ろくに聞いてなかった。それよりこのあとの部活見学のことで頭がいっぱいだった。
一時間かけて説明が終わると、それからはクラスごとに校内を見て回った。職員室だとか、給食室だとか、理科室だとか、音楽室だとか。移動教室の位置を一通り教えられた。あと図書館の使い方とか。
アタシが唯一楽しかったのは、音楽室の紹介だった。正確には、音楽室の隣にある第二音楽室。そこが軽音部の部室なのだ。入学案内にもそう書いてあった。だからアタシは、みんなが音楽室について聞いているあいだ、第二音楽室にばかり目がいってた。
――はやくここに入りたいな。
そう思いながら、先生の説明を聞き流していた。アタシは少しでも早く近づきたいと思って、第二音楽室の壁に足をぶつけたり、背中を寄りかからせたり。とにかく第一から離れて、第二にすり寄ってた。
すると、教室の壁の下ある小さな扉――たぶん換気用の通気口かなんかだと思うんだけど――が開いた。まさか鍵がかかってないなんて思ってなかったから、アタシは焦った。
ガラガラッ! と扉がスライドしたもんだから、一瞬だけクラスメートの視線を集めた。アタシは恥ずかしくなって、上の空のふりをしていた。
それから席替えがあったり、クラス係決めがあったり、給食当番の班を決めたり。とにかく決めるものには事欠かなかった。
アタシは八班。席は左の真ん中で窓際。アタシの右前の席にはクリスが当たった。アタシはどうとも思わなかったけど、クリスは極度の人見知りだから、アタシと同じ班で安心していたと思う。
班での顔合わせはすぐに終わって、そのまま給食、休み時間、部活のオリエンテーションと流れるように進んだ。というより、アタシが退屈でろくに聞いてなかっただけだと思うんだけど。
授業終わり、クラスメートが各々見たい部活に向けて分かれていく中で、アタシとクリスだけは教室に残った。ちょっと遅れていこうって話になったのだ。
クリスは、学校案内のパンフをまじまじと見つめていた。アタシはもう軽音部一択だから問題ないんだけど、クリスはちょっと悩んでるみたいだった。
「クリスもアタシと同じ軽音部に入りなさいよ」
アタシは自分の机に腰をおろして、天井を見上げながら言った。蛍光灯が切れかけている。いかにも田舎のボロ中学って感じだ。
「……えっと、でも私、茶道部とか文芸部とかも気になってて……あと、合唱部とかも……」
「いかにも文化部って感じのラインナップね。合唱も音楽なんだし、だったら軽音にしようよ」
「でも……私、ロックとかパンクって、なんか怖いかな……なんて」
「こないだアタシにギター聴きたいってせがんだうえに、アタシより詳しかったヤツが何言ってんのよ。……あ、そういえばクリス、ベースは手に入れたの?」
「え!?」
突然、彼女はすっとんきょうな声を上げて飛び上がった。
「なに、まさか買ってない?」
「いや、そうじゃなくってね……」
「そうじゃないなら、何よ?」
「あの……お父さんの知り合いから、譲ってもらったの。その……ベース。リッケンバッカーっていうの……」
「何よ、じゃあ驚くことなんかないじゃない。このまま軽音部行こうよ。アタシとクリスで、あとはドラムとボーカルがいれば済む話。幸先いいじゃん」
「えっ、でも私、合唱部……」
「歌いたいならコーラスすればいいんじゃないの?」
アタシは投げやりに言うと、腰を上げ、それからクリスの手を取った。
向かうべき場所はただ一つ。第二音楽室だ。
*
軽音部の部室こと第二音楽室は、北校舎三階にある。第一音楽室の隣で、アタシたちの教室がある南校舎からなら、あいだにある図書館を突っ切っていくと早い。
アタシたちは図書委員が目を光らせる館内を通り抜けて、踊り場を曲がった先にある第二音楽室へ。すでに教室の前は騒がしかった。
「これから新入生説明会をします。見学希望の人はぜひ見ていってください」
廊下で先輩とおぼしき人が叫んでいる。そして彼のあとを追って新入生たちがぞろぞろ教室に入って行った。きっちり学ランを着こなす上級生を、ブカブカの制服を着た一年生が追っていく。まるでアヒルの赤ちゃんみたいに。
アタシたちもその群れにまぎれて教室の中に入った。
念願の第二音楽室は、思ったよりスッキリしていた。アンプとドラムセット、それからグランドピアノがあるきりで、あとはふつうの教室と一緒。いや、机やイスが無いぶんほかの教室よりこざっぱりして見えた。
案内されると、アタシたち新入生は列になって体育座り。そのまましばらく待っていると、さっきの上級生が教室に戻ってきた。それが説明会の合図だった。
四人の男子生徒が新入生の前に出てきた。彼らのうち三人はギターとベースをそれぞれ肩に提げていて、一人はドラムスティックを携えていた。
一人、サンバーストカラーのセミアコを持った上級生が口を開いた。
「こんにちは、新入生のみなさん」
「こんにちは」と、新入生の群から連帯感のない返事。
「初めまして、僕はこの軽音部の部長をしています、
礼儀正しく部長はお辞儀して、アタシたちもそれに返した。まるで卒業式の送辞とか答辞みたいに。
正直、アタシはこのときからこの軽音部を疑い始めていた。錦織という部長をはじめ、新入生の前に立った代表四人。彼らの手には確かに楽器が握られていた。でも、なんだかアタシの想像してた軽音部とは違ったのだ。服装はきっちりとした詰め襟姿で、髪の毛もイジってないし、むしろ文芸部って言ったほうがしっくりくるようなルックスだ。
彼らがいくら部活について話しても、アタシは服装や態度が気になって仕方なかった。まるで合唱部にギターを持たせてみました、みたいな風貌なのだから。
そのときアタシは、ふと横目に隣に座っていた男子を目にした。アタシの左隣にはクリス。そして右隣には新入生の男子生徒が座ってた。彼は黒髪に詰め襟だったけれど、でもその学ランは第一ボタンがはずれてて、髪の毛もトンガっているように見えた。それこそ、アタシが想像していた
――彼と上級生の姿が真逆だったらよかったのに。
アタシはそんなことを思いながら、話を聞いていた。実際、五割も聞いてなかった。疑いがアタシを支配しはじめていた。
「それでは、最後に一曲だけ演奏したいと思います」
錦織部長がそう言って、ようやく軽音部らしい空気がしてきた。アンプの電源が入って、ピックアップがノイズを拾いあげる。空気のふるえる音がスピーカーを通して響いた。
「曲はビートルズで、「レット・イット・ビー」です」
――は?
アタシは一瞬、呆気にとられた自分がいたことに気づいた。
「この曲は、音楽の教科書にも載っている曲です。みなさんも一度は聞いたことがあるはずです。歌詞はすべて英語ですが、 僕たちの顧問で英語の先生でもある馬場先生に教わりながら練習しました」
――何を言ってるんだ、彼らは?
アタシのなかで、何か違和感が大きくなっていた。
錦織部長がギターを構え、ベーシストの先輩がその隣へ。グランドピアノに一人腰掛けて、そしてドラマーが最後に位置に着いた。最後にマイクの電源が入って、静けさが増幅された。
グランドピアノが入る。誰でも知ってるあの曲。教科書にも載ってるあの曲。それが、演奏される。
「ウェナイファインドマイセルフ、インタイムズオブトラヴル……」
レット・イット・ビーの演奏が終わったとき、教室には拍手が轟いていた。クリスは心の底から拍手してるようだったし、右隣のヤンチャそうな彼も一応拍手していた。呆然としていたのは、アタシだけだった。
――なにこれ。これが軽音部だって言うの?
違う。
これは、合唱部にギターとベースとドラムを持たせただけだ。こんなのバンドじゃない。見事なまでに学校に飼い慣らされている。ロックなんて言葉微塵もない……。
見学が一通り終わっても、アタシの絶望は晴れなかった。アタシは、こういうことがしたかったの……? 教科書に載ってる曲を、先生に教わりながら、生徒の前で発表する。これがバンドだって言うの……?
教室を出たとき、アタシの足取りは重たかった。
「……奏純ちゃん、大丈夫……? 顔色……悪いけど……?」
きっとアタシは、何十キロも痩せたみたいにゲッソリしてたんだろう。クリスが心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫。ちょっと気分悪いだけ。悪いけどクリス、先帰っててくれる? アタシちょっと、トイレに寄ってくからさ」
「う、うん……お大事にね」
「心配しないでって。なんともないから」
口ではそう言いながら、顔は笑いながら。アタシは手を振ってトイレのほうへ向かった。クリスと分かれて、軽音部と分かれて。ともかく今は一人になりたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます