第一章 ”ビート・サレンダー”
1
月をまたいで、四月。風はまだ冷たくて、桜は満開とは言えなかった。中学校の校門前には小さな並木道があるのだけど、そこにある桜も心なしかしぼんでいるように見えた。
アタシはクリスと一緒に初めて中学に登校した。お母さんはカメラを用意するとか言ってバタバタ。結局アタシたちが先に家を出た。
入学式は退屈というよりほかになかった。ジェットヒーターがまったく意味をなしてない極寒の体育館で、顔も知らない上級生に迎えられ、そしてどこの誰かもわからない”市なんちゃら委員様”だとか”教育なんちゃら長様”の長ったらしいお祝いの言葉を聞かなくちゃいけないのだ。やってらんないったらありゃしない。でも、卒業式よりはまだ退屈しなかったと思う。少なくとも、担任の紹介とかは楽しかった。
アタシは一組だった。クリスも一組。名簿順で並んでたから、南と根本でだいぶ離れちゃったけど、でも同じクラスってことに変わりない。アタシたちの担任は、いかにも先生って感じのメガネのおじさんだった。なんでも数学担当らしい。ひょろっとしてて、実にそれっぽいって感じだった。
入学式が終わると、それぞれの教室に戻って顔合わせ。三十人ちょっとの生徒が並ぶなかに、さらに父兄が奥に入ってギュウギュウ詰めの状態。そんな人混みのなかで、うれしはずかしの自己紹介だ。
まずは先生が手本を見せるように自己紹介した。教師らしくチョークを持つと、名前を大きく黒板に書いた。
宮下伸一って、それが先生の名前らしい。趣味はサッカーで、双子の弟がいて、弟も教師をやってるとか。そういうどうでもいい話をした。アタシは窓際の席で、中庭の植木をずっと見ていた。
先生の紹介が終わると、流れるように生徒の自己紹介へ。名前と趣味、特技なんかを言って、みんなに一言……だそうだ。
アタシはもちろん聞いてなかった。代わりに頭の中では、昨日ずっと練習してた「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」が流れてた。指も自然に動くようになってきて、ようやくギターを弾いてる感じがしてきていた。
そう、アタシの頭のなかは相変わらず音楽でいっぱいだったのだ。はやく部活の見学にいきたい。軽音部に行って、アタシもバンドを組むんだ! ……そのことばかりに気が行ってて、他人の自己紹介なんて気にしてられなかった。
ただクリスの自己紹介はしっかり聞いてた。
彼女はイスから立ち上がろうとすると、あやまって膝を机にぶつけてクラスじゅうの笑いを誘った。でも、クリスのことだから「笑われてる」とネガティヴにとっただろう。アタシは横目に見ながらそう思っていた。
「……えっと、その……えっと……ね、根本です。根本……久莉栖です。趣味は、その……読書と、ピアノと……よろしくお願いします……」
蚊鳴くような声で、逃げ帰るみたいに早口で言って、クリスは席に着いた。
それと同時、アタシは目線を中庭に戻した。
前の席の男子が呼ばれたせいで、頭の中のコンポは急停止した。アタシのギターに合わせてカート・コバーンが歌ってたっていうのに、肝心要のところでお預けを食らってしまった。
「それじゃあ次は、南さんお願いします」
担任がそう言うので、アタシは渋々立ち上がった。
「はじめまして。えっと……南奏純です。演奏の奏に純粋の純って書いてカスミです。趣味は、えっと、音楽。ギターです。軽音部に入ろうかなんて思ってます。よろしくお願いします」
クラスメートの顔色をうかがう。
アタシは、これでも緊張を殺しながら頑張って言ったのだ。趣味はギターで、軽音部に入りたいって。もしアタシと同じ趣味の人がいたら、ぜったい反応してくれると思って。
だけど教室はしんとしていた。先生の「ありがとうございました。じゃあ次は――」という声が聞こえるだけ。
アタシはなんかやるせなくなって、また中庭に目を戻した。
それから春休みの課題を提出して、登校初日は幕を閉じた。クラスもまだギコチナイ雰囲気があって、休み時間もしんみりしたまま。結局アタシも、中庭をぼーっと眺めているうちに終わっていた。
初めての帰り道。小学校のとき、アタシとクリスはほとんど通学路が重なっていた。でも、中学はわりと初めの方で分かれてしまう。校門を出て、学校前ののどかな田舎道を歩いて、そしたらすぐに二手に分かれてしまう。
「じゃ、また明日」
アタシは手を振りながら大急ぎで横断歩道を渡った。クリスはその向こう側で、小さく手を揺らしていた。
家に帰ってまずすることは、手洗いうがい。それから宿題――ではなく、ギターだ。アタシはケースからレスポールを引っ張り出すと、ベッドに腰掛けて構えた。
このあいだ、アンプにつなげてジャカジャカ弾いてたら、隣のオジサンに怒られた。だから今日は生音で練習。入学式のあいだずっと頭の中で流れてた曲、「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のメインリフを練習する。
じゃじゃん、じゃじゃん、じゃじゃじゃじゃーじゃじゃん。
テンポよくピックを振りながら、アタシは期待に胸を躍らせていた。なんたって、明日は校内オリエンテーション。そして放課後には、部活の見学会がある。念願の軽音部、アタシのやりたいことはきっとそこにある。
期待に胸膨らませながら、アタシはスメルズのリフを弾き続けた。まだ、ここしか弾けないんだけどさ。
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