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夏休み帳とか冬休み帳とか、あと春休み帳とか。ああいうのは、休みの最後の日にならないと手が付けられないようになっているんだと思う。実際、去年の夏休みもそうだった。最終日にならないと危機感がつのらないよう呪いでもかかってるんだと思う。
その点、今年のアタシは学校が始まる三日前に気づいたから優秀だった。三日前になって、もう中学生になるんだぁ……なんて考えてたら、ふと気が付いた。
――アレ、アタシ宿題やったっけ?
答えは、「やってない」。
三日で休み帳一冊を自力で終わらせるなんて、とんでもない。アタシはすぐに対策を立てた。
まず、お母さんのPTA用クリアファイルを探した。そして、そこから小学校の連絡網を引っ張り出して、書いてある番号に電話をかけた。
コール音が二、三回ほどしてからつながった。
「はい、根本です」
「南です」アタシは焦り気味に答えた。「
「ああ、奏純ちゃんね。すぐ代わりますね」
ドタドタと廊下を歩く音。それから「久莉栖! 奏純ちゃんから電話よ」という声。そしてまたドタドタ。今度は階段を歩く音。
まもなく、問題の彼女が出た。
「……もしもし。奏純ちゃん?」
触れたらガラスのように崩れてしまいそうなか細い声。しゃべる前に一拍置くようにして黙り込むのが彼女のクセだ。
彼女は、根本久莉栖。アタシとは小学校一年のときからの友達で、中学も同じ。たしかクラスも同じだったはず。親友の一人とも言える存在だ。とはいえ、アタシとクリスとはぜんぜん性格が違うんだけど。クリスはアタシと違って勉強もできるし、よく言えばおしとやか。悪く言えば臆病で人見知り。だからお母さんに、「あんたたちよく仲良くできるわね」なんて言われたこともあるぐらいだ。
「ねえクリス、勉強会しない?」
「勉強会って……何するの?」
「課題帳を終わらせるのよ」
「ええ……私、もう終わったんだけど……」
「ならなおさら好都合よ。アタシは終わってないから、答え見せて」
「ええー!? だめだよ、ズルなんかしちゃ……」
「ダメってなによ。参考にするだけだってば。ほんっとアンタ、頭良いくせに知恵は働かないわね。とにかく、課題帳持ってアタシの家まで来てね。いい?」
「いや、そんなこと言われても、私……」
「いいわね?」
そう言って、アタシは電話を切った。クリスの返答なんか気にせずに。どうせクリスは来るに決まってるんだから。
電話をかけ終えると、リビングからお母さんが顔を出した。そしてアタシが連絡網の紙を持ってるのに気づいた。
「奏純、アンタ連絡網なんて持ち出してどうするの?」
「クリスに電話してたの。これからアタシの部屋で勉強会だから。いいでしょ?」
「勉強会? 珍しいこと言うわね」
「なに? アタシがまじめに勉強してたらおかしい?」
アタシは思いっきり唇を尖らせて、お母さんにガンを飛ばした。
やっぱりクリスはちゃんと来た。一時間後、課題帳を片手に。
アタシは彼女を家に招き入れると、自慢の部屋に招待してやった。て言っても、アタシの部屋よりクリスの部屋のほうがスゴいから、彼女はそんなに驚いてなかったけど。
クリスのお父さんは医者だ。町で一番大きな病院に勤めてて、もちろんお金持ち。家も団地暮らしのアタシとは比べものにならないぐらいデカい。何回かクリスの部屋に行ったけど、部屋の中にオルガンなんかがあったりしてひっくり返りそうになった。……そう考えると、アタシの部屋は実に貧相だ。
アタシはクリスから解答……もとい参考にする答案をもらうと、勉強机に向かった。そしてその内容を写し……もとい参考にし始めた。
ここ最近、アタシは勉強するときも本を読むときも、何にしても音楽を流していた。もちろんこのときもそうだった。流れていたのは、ジョイ・ディヴィジョンの「ディスオーダー」だった。
クリスはその曲を興味深そうに聴いていた。
「奏純ちゃん、音楽好きだったっけ?」
「ここ最近で覚醒した」と、アタシはペンを走らせながら。
「へえー……あ、もしかしてそこにあるギターって奏純ちゃんの?」
「まあ、そうだけど」
「すごいなぁ。何か弾ける?」
――ぎくり。
額に妙な汗が流れた。冷たい汗。よもや一時間で指が痛くなって弾くのを止めたなんて言えるだろうか。お母さんにだってまだ言えてないのに。
「ま、まあ……」
「へぇ、ほんとすごいなぁ」
クリスはうっとり、ギターを眺めている。初めてギターを手にしたときのアタシみたいに。
結局、気が散りに散って課題帳を埋めるのに一時間近くかかってしまった。
いっぽうでクリスは、珍しくギターに釘付け。臆病な彼女は、ふつうなら「ギターなんて乱暴な楽器!」 とか何とか言うような性格なのに。アタシが持ってるとわかった瞬間これだ。
そうして課題帳を埋め終えたとき、彼女はアタシに言った。
「ギター、聴きたいな……なんて……?」
――何が「なんて……?」だ。なにが「なんて……?」だ!
彼女は目を輝かしてアタシを見ていた。そんな瞳で見つめられたら、アタシだって断りようがない。クリスを呼んだのは、ある意味間違いだったかもしれない。アタシはそう思いながら、渋々レスポールを手に取った。赤いボディをふとももに置いて、黒いピックを右手で構えて。
「じゃあ、えーっと……これ」
Cの押さえ方。昨日より指は痛くなかった。
でも、音はうまく出なかった。何度ピックをおろしても、ペチッ! ペチッ! ってマヌケな音が鳴るだけ。昨日と何も変わっちゃいない。
アタシは深くため息をついた。
「弾けないのよ。はじめたばっかで、なーんにもできないの。教本通りに始めようとしたけど、コードがどうこうって、なんか面倒臭くて。つまんなくなってさ」
アタシは告白するみたいに心臓をバクバクさせながら言った。
でもそんなアタシの緊張に反して、クリスはキョトンとしていた。
「コード……?」
「そう、コード。教本様は、真っ先に必須コードを覚えろって言うのよ。『おまえに曲を弾くのは早い!』とでも言いたいのよ」
「えっと……あの、奏純ちゃん、ちょっといい?」
「なによ?」
苛立たしげに言うと、クリスは何やらトートバックのなかをあさり始めた。
彼女のバックから出てきたのは、黒い板だった。それも彼女が指で触れると、途端に電気がついて映像が映し出された。
「わっ、なにそれ!?」
「えっと……タブレット。お父さんが、入学祝いに買ってくれたの」
――チクショウ、アタシのコンポよりよっぽど大人じゃないか。
アタシはそんな思いを噛み殺しながら、クリスの話に耳を傾けた。
「あのね、さっき奏純ちゃんが流してた曲、そういうコードとかあんまり使ってないと思うんだ……」
「どういうこと?」
「たぶんね、えっと……さっきの、なんて曲?」
「ジョイ・ディヴィジョンの「ディスオーダー」だけど」
「ディスオーダー……ちょっと待ってね」
黒い板をなで回すクリス。それから彼女は、アタシにその画面を見せた。
それは、六本の横棒に数字を組み合わせた楽譜。いわゆるTAB譜ってやつだった。
「見て、奏純ちゃん。この曲、基本的に十種類以下の音だけで曲になってる。しかも……その、一本の弦でとか、二本だけどか、そういうのばかり……たぶん、コードがわからなくても、弦の押さえ方さえわかれば弾けると思うよ」
「ウソでしょ!?」アタシは思わず声がうわずった。「なんでわかったのよ?」
「その……私、ピアノやってたから、ちょっとは音楽わかるというか……ギターもお父さんが弾いてたから少しは……」
「ウソでしょ?」
アタシはもう一度そう言って、クリスからタブレットをひったくった。そしてそれを楽譜代わりにして、ギターを構えたのだ。
――まずは、四弦の八フレット。
試しに音を出してみる。
アンプを介して響く、増幅されたクリーントーン。アタシはそれを聴いて驚いた。まさにコンポのスピーカーから鳴り響いていたのと同じ音が聞こえてきたからだ。
アタシはすぐに夢中になって、かじり付くように弾き始めた。メインリフは、たったの三音。それを交互に弾くだけ。それだけなのに、曲になってる。スピーカーの向こう側、CDに刻まれたのと同じ曲に。
――これだ、アタシがやりたかった音楽って。
コードがどうとか、音楽理論がどうとかじゃない。アタシは、ただこういうふうに音楽がやりたかった。CDの向こう側と少しでも近づきたかった。そしていま、それが叶っている。
たしかにアタシのギターの腕はヘタクソだった。でも、曲になってた。音楽になってた。それだけで十分だった。
「すごい! ねえクリス、いまのスゴいバンドっぽくなかった?」
「えっと……ギターだけじゃバンドじゃないと思うけど……でも、曲っぽく聞こえたよ」
「だよねだよね!? やっぱりアタシ中学行ったら軽音部に入る。ぜったいそうする。クリスもそうしようよ!」
「わっ、私は、その……ロックとか、そういう音楽は苦手だから……」
「そう言って、さっき曲をすぐに調べてみせたくせに。ピアノやってたんだし、才能あるならやらなきゃ損でしょ。じゃ、アタシはギターだから、クリスはベースね。わかった?」
「私まだなにも答えてないんだけど……!」
クリスはそう言いながらも、顔は微笑んでいた。
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