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 昔からアタシは、性格だけは完全に母親似だと言われた。目元は父親に似て釣り目で、唇は母親に似てふっくら。頬は父と同じで左にだけえくぼができる。でも、性格だけは完全に母親譲り。言い出したら聞かない、浪費家で向こう見ず、ともかく目の前のことしか頭がない。一度熱中したら、しばらくそのことしか考えられなくなるタイプ……それがアタシ。

 だから中学入学を控えた三月、アタシの頭の中は中学生活への期待よりも、音楽のことでいっぱいだった。

 アタシはお兄ちゃんが残したCDを漁りに漁った。部屋はずっと音楽が流れていて、机には図書館から借りてきたたくさんの本。どれも音楽のことばかり。一週間のうちにアタシは人一倍音楽を聴いたし、それについて勉強もした。本を読むのがだいキライで、朝読書の時間なんてなくなってしまえばいい! ……そんなふうに考えていたアタシがだ。

 やっぱりアタシは、お母さんと一緒で熱中すると前が見えなくなる性格なんだって思った。

 でもそのせいで、怒られたりもした。


 金曜日の夕方。パートの仕事が終わって帰ってきたお母さんが、アタシの部屋に来た。アタシは相変わらずコンポから音楽を流してたから、お母さんが「ただいま」って言ったのにまったく気づいてなかった。

 お母さんは部屋に入ってくるなり、まっさきにコンポの電源を切った。

「いつまで遊んでるのよ。もう中学生になるんでしょ? 入学式もすぐなんだから、はやく準備しなさい」

「えー、準備って?」

「宿題出てるんでしょ? ちゃんとやらないと、中学校の勉強についていけないわよ。小学校と違って、中学には『留年』ってものがあるんだから」

「留年って?」

「成績が悪いと、二年生や三年生になれないってこと。だから、それがイヤなら勉強しなさい。いい?」

「はーい」

 アタシはそんな上っ面だけの返事をすると、中学から送られてきた冊子を手に取った。さすがに音楽を流しながら読んだら怒られると思ったので、コンポには手は出さなかった。

 冊子には、中学校の紹介。それから小学校のおさらいとして春休み帳みたいなのが付いてきていた。正直なところ、まだ二ページしかやってなかった。お母さんが言うのももっともだ。

 仕方なくアタシは宿題に手をつけた。でも、三十分としないうちに飽きてしまった。一ページと半分終わったら、なんだかもう気が散ってしまって。でもコンポはつけられないから、代わりに中学の案内を読み始めた。

 なかでもアタシの興味をひいたのは、部活動紹介のページだった。クソだるい授業の紹介なんかと違って、ここだけは楽しそうだった。いかにも中学って感じで。小学校にもクラブ活動はあったけれど、あんなの子供のお遊戯会みたいなものだった。アタシはテニスクラブだったけど、ハエ叩きみたいな網でひたすらゴム鞠を殴りつける子供だましだった。

 ――中学になれば、部活が始まる。

 それはアタシにとって、コンポと同じくらい大人なもの。中学生って感じなもの。

 そして、ある部活がアタシの心を鷲掴みにした。


 軽音部。


 これだ、とすぐにわかった。

 いまのアタシがやりたいのって、これだ。アタシ、軽音部に入りたい。何が何でも、今すぐにでも。

 そう思ったとき、アタシのなかにもう一つの思いがこみ上げてきていた。


 ――ギターがほしい。どうしようもなくギターがほしい。いますぐほしい。


 それは、ちょうどジョイ・ディヴィジョンがセックス・ピストルズのライブを見て触発されたようなもの。ストーン・ローゼズやザ・スミスにギャラガー兄弟が触発されたようなもの。

 アタシの胸のうちには、CDに刻まれたミュージシャンたちと同じになりたいという気持ちがあふれていた。

 ――ギターがほしい。ぜったいにほしい!


 ある土曜の夜。お兄ちゃんが家からいなくなって一週間と少しが経ったころ、アタシはその思いをぶちまけた。

 それは夕食のときだった。テーブルには揚がったばかりの唐揚げと漬け物、それからサラダがあった。茶碗に盛られたご飯は、お父さんのぶんだけ。アタシのは盛られている最中だった。

 お父さんは、すでにビールを片手に唐揚げに手を出していた。熱々の鶏肉を頬張っては、冷えたビールで喉をうるおす。お酒が入ると、お父さんはいつも気前がよくなる。だから、今日はチャンスだと思った。

「あの、お父さん――」

 言いかけたとき、お母さんがテーブルに茶碗を置いた。中には白い湯気をあげる白米。アタシはちゃんと手を合わせて「いただきます」と言ってから、箸に手をつけた。

「なんだ、奏純。早くしないと唐揚げなくなっちまうぞ」

 ひょいっと箸で唐揚げを持ち上げ、お父さんはまた肉、ビールの順で食べる。お米は気が向いたときにちょっとずつ。

「あのさ、中学の入学祝いってさ、まだ使って無かったよね。ほら、おじいちゃんがくれたやつ」

「えーっと、どうだったっけ?」

「使ってないわよ」と、お母さんが流しで手を洗いながら答えた。

「使ってないってさ。なんだ、買いたいものでもあるのか?」

「うん。アタシさ、ギターがほしいの。エレキギター」

「ギターだって? ギターって、あのギャーン! とか、ギューン! とか鳴らす、楽器のあれか?」

「そう。ギャイーン! とかギュギーン! とかって鳴るやつ」

「はあ、ギターか。そうだなあ……」

 そう言ってお父さんは、ヒゲをポリポリとかきながら、またビールに手をつけた。

「奏純、あんたピアニカもろくすっぽ弾けなかったのに、ギターなんて弾けるわけ? どうせ三日で飽きて邪魔になるだけよ」とお母さん。

「飽きないって。練習するからさ、買ってよ!」

「そう言って、前に縁日で金魚釣り行ったときも駄々こねて、『ぜったい最後まで面倒見るから! 飽きたりしないから!』って言ったくせに、結局はお母さんがぜんぶ面倒見たじゃないの」

「金魚とギターは関係ないじゃん。ねえ、ぜったい飽きないからさ。買ってよ」

「あのね、奏純。入学祝いっていうのは教科書を買ったり、制服を買ったりするためのお金なのよ。中学の準備のためのお金なの。だから――」

「大丈夫。アタシ、軽音部に入るつもりだから。それなら中学の準備になるでしょ?」

「まだどの部活に入るかなんて決まってないでしょ。決まってからにしなさい」

「じゃあ、ただ単純にギターがほしいの」

「だから――」

 お母さんは頭に血がのぼったみたいで、手のふき方が心なしか乱暴だった。

「いいじゃないか。買ってやればいい」

「お父さん!」

「奏純がやりたいって言ってるんだ。買ってやればいいだろ。なんなら、俺が明日買いに行ってやるよ」

「そんな安請け合いして。私が言ってたこと、聞いてたの?」

「聞いてたさ」

 お父さんはそう言うと、太く大きな手でアタシの頭に触れた。そして酒臭い息を吐きながら言った。

「奏純がやりたいって言うんだ。やらしてやりゃいい。子供のやりたいようにさせるのが、親ってもんだろ」

「でも――」

「いいっていいって。俺が責任持つから」

 お父さんは、アタシの髪をワシャワシャをなで回した。お酒の入ったお父さんは面倒くさい。ほんと面倒くさい。一度頭をなで始めると、少なくとも十分間は離さない。でも、気前が良い。

 アタシの計画は大成功だった。そのせいか、珍しくお父さんに頭をなでられても笑っていた。

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