第十四章 Pray (2)
***
そして特にこれといったことがないまま迎えた、十二月二十三日土曜日。
レンタカーを借りたふたりは、目的のペンションへ向けて出発した。天気は快晴。浩は機嫌がよさそうに「走りやすい天気で助かった」と呟きつつ軽やかにハンドルを切っている。
相変わらずカーステも何もつけない車内だったが、比較的元気だったイリヤがずっと話をしていたので静かではなかった。
「今日はよく喋るね、イリヤ」
イリヤの声にじっと耳を傾けていたが、とうとう呆れた様子で浩が口を開く。それを耳にしたイリヤは瞬時に「む」と口を尖らせた。
「君が眠くならないようにと思っていたのに」
「ああ、なるほど。ありがとう」
とはいえ、昨夜は自分でも驚くほど早くに就寝したので、それほど眠くはないのである。
それはイリヤも同様だった。浩が帰宅した頃には既に布団の中にいたイリヤは、いつも通りの死んだような寝姿で四肢を放り出していた。浩は苦笑しながら乱れた布団をかけ直してやると、この日は自室で眠りにつくことにしたのである。
そんな訳で何にも邪魔をされることなく爆睡した結果、早朝から今に至るまで目が冴えて仕方がないのだ。
イリヤが気遣ってずっと口を動かしてくれているのは嬉しいが、今から体力を使いすぎて夜まで持たないとなったらまるで話にならない。浩はふっと口元を緩ませると、
「君は子供みたいに興奮していつまでも眠れないものだと思っていたよ」
とため息混じりに言った。
俺は君よりも大人なんですけど、とイリヤは不満を漏らしつつ、ペットボトルの水を口に含んだ。
途中スーパーに寄り食料品などの買い物を済ませると、それらを後部座席に詰め込む。二泊三日分の荷物であれば大した量にはならないだろうと踏んだのだが、結局いろいろと無駄なものを購入した結果予想外に荷物が増えてしまった。
少し目を離した隙にイリヤがいなくなったと思ったら、
「ヒロ」
と背後から声をかけられた。
イリヤはいつの間に買ったのだろう、タピオカの入ったミルクティーを浩へ差し出すと、
「ちょっと運転代わろうか」
と言い出した。
浩はきょとんとして、
「俺はそういう理由で死にたくないんだけど」
と真顔でコメントしてしまった。
「失礼な。そりゃあ、いつも君にハンドルを任せているけどさぁ」
一応国際免許は持っているし、日本でまったく運転したことがない訳ではない。そう知っていても、慣れない道を運転させるのはいかがなものだろう。
浩が疑いの眼を向けた瞬間、イリヤは堪えきれず数回咳き込んでしまった。
「……、やっぱりだめ。俺が運転するから、イリヤは隣で休んでいて」
浩は「預かって」と今渡された飲み物をもう一度イリヤに持たせる。ええ、とイリヤが悲しそうな顔をしたので、浩はその双肩に手をかけ、じっとその目に力を込めた。
「これからイリヤには重要な仕事を任せようと思う。頼むから助手席で楽しくしていて。大人しく、じゃないよ」
「それ、一体なにが重要なんだい」
「もれなく俺が楽しく運転できる」
「……オーケー。承知した」
そこまで言うと、ようやくイリヤが折れてくれた。
改めて車に乗り込み、イリヤがシートベルトを締めようと脇に目を向けている。
――別に、ご機嫌取りをするつもりではないのだが。
浩はふむ、と思いながら、イリヤの腕をぐいと掴む。イリヤが驚き運転席側へ首を回そうとするも、それは叶わなかった。浩が彼の耳の裏にひとつキスを落としたのだ。唇を離した刹那、微かに甘いすずらんの香りが鼻孔をつく。
「いい子」
「君ったら、もう。他に見えるだろ」
イリヤは思わず苦笑する。
「見せているんだよ」
「俺だってそこそこ有名人なのに。どうするの、スキャンダルにでもなったら」
「もうなっただろ、数年前に」
そういえばそうだった。イリヤは呟くと、ばつが悪そうに首筋に手をやる。あれは自分の不注意から成る出来事だった。対処が少し面倒だったことも同時に思い返し、それから絞り出すような声色で返す。
「その節は、本当にすみませんでした」
「いや、相手は俺だし。何も困ってないし」
まさかあの年齢で女性と間違われるとは思っていなかったけど、と浩はぼやきながら車にエンジンをかけた。
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