第十二章 Conclusion(3) 交渉
さて、そうしているうちに目的の場所に到着した。
ヒロはドア横のインターフォンを押し、用件を手短に伝える。するとすぐに自動ドアが開いた。
姿を現したのは背の高い日本人女性である。背が高いと感じたのはヒロを比較対象にしたからで、どう考えてもヒロより目線の位置が高かった――そもそもヒロの身長が成人男性の平均を下回るということもあるが、それについては追及しないでおく――。彼女は肩までの黒髪を耳にかけつつ、快活そうな眼差しをふたりへと向けた。
「お久しぶりです、松籟さん」
「お久しぶりです。すみません、突然押しかけてしまって」
申し訳なさそうにヒロが言う。すると彼女は笑いながら顔の前で右手を振って見せた。
「いいんですよ。それにちょうどよかった。たまたま『あの人』が来日しているんですから、松籟さんにとってもこの機会を逃す訳にはいかないでしょう」
そこまで言うと、「ええと」と彼女はヒロの後ろでぼんやりとしていたイリヤへと目を向ける。
「あなたがイリヤ・チャイカ? はじめまして、
「ハジメマシテ」
右手を差し出し挨拶すると、彼女はにっこりと微笑み握手を交わした。
「『胡蝶の夢』、拝見しました。素敵な形にしていただき本当にありがとうございます。私たちにとってあれは一番実現したかった夢のようなものでした。叶えてくれて、私はとても嬉しい」
イリヤは瞠目する。
その様子に、ヒロはいつもの抑揚のない調子で淡々と説明した。
「『胡蝶の夢』に使った原石は彼女が生成したものだ。というか、この会社で製造する合成宝石の大半は彼女が育てたものと言っても過言でない」
すごいでしょ、とヒロは問いかける。「ここは世界有数の合成宝石メーカー。その売り上げが彼女の手腕にかかっているんだから」
なるほど。イリヤは思う。
例の『胡蝶の夢』複製に関しては、ヒロがその記憶を頼りに原石を見繕ったのである。当時彼は「理想の原石を調達した」と嬉しそうに声を弾ませていた覚えがあるが、それを一体どこから入手したのかは確認していなかった。
あれは確かに、腕利きの鑑定士でも判定が難しいほど繊細な造りをしていた合成物だった。あれほど本物に限りなく近い結晶など未だかつて見たことがない。それほどまでに、イリヤの中で『胡蝶の夢』の原石は印象の強いものだった。
まさかこんなところから取り寄せていたとは。
「こちらこそ。素敵な素材をありがとうございました」
イリヤがそう言うと、それを耳にしたヒロが簡単に通訳する。水橋は嬉しそうに微笑むと、二人を中へ招き入れた。
パーティションで区切られた職員の業務スペースを横目に、彼らは奥の応接室に足を運ぶ。
刹那、ヒロとイリヤは思わず息を呑んだ。
そこには既にひとりの男がおり、皮張りのソファでゆったりと茶を口に含んでいる。彼はふたりの姿を見るなり「おや」と声を洩らした。
「思ったより早かったじゃないか。久しぶり、ミスタ・ショーライ、ミスタ・チャイカ」
セシルである。
ちょっと待て、とイリヤが口を挟もうとしたのをヒロが止めた。
「いいんだよ、イリヤ。彼が今日ここに来ることは知っていたから。というか、」
ヒロはちらりと黒の双眸をイリヤへ向ける。「久しぶりに彼と話をしようかと思ってね」
水橋も応接室に入り、部屋の戸を閉めた。立ちっぱなしになっていた二人をソファに座るよう促し、彼女もまた同じように腰掛ける。
すると、間髪入れずセシルが口を開いた。
「今受けている案件のことだろ、ミスタ・ショーライ。どうしてほしい」
「……うん、そうだな」
ヒロはそう言うと、一瞬、ほんの一瞬だけイリヤへ目を向ける。む、とイリヤが眼球を動かし視線がかち合うと、彼はそっと唇を動かした。
「
「ヒロ?」
「セシル。この会社に出資して」
それくらい安い話だろ、とヒロは淡々とした口調で言い、右手でその前髪を掻き上げた。途端に露わになる黒曜石を連想する黒いまなざし。それがセシルの碧眼を射抜くと、微かに睫毛が震える。
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