第二章 Normophilia(2017/4/29)
第二章 Normophilia(1)※ 2017/2/27 AM5:00
浩が目を覚ますと、東の空はまだ暗いままだった。
冬の朝独特の凛とした寒さに目を細めつつ、ゆっくりとサイドボードに手を伸ばす。しばらく虚空をさまよった掌にようやく時計がぶちあたり、浩の眼前まで手繰り寄せられた。
時刻は朝五時。日が昇るのはまだだいぶ先のことだった。
甘い腰の痛みを感じつつゆっくりと上体を起こす。こわばった背骨が軋んだが、その状態のまま大きく伸びをしたらすぐによくなった。
左隣には身体を横たえたままぴくりとも動かない『かみさま』がいる。微かに胸のあたりが上下するのを見て、それでようやく眠っているのだと理解するくらいには穏やかな眠りである。
浩はしばらくそれを眺めていたが、ややあって滑るようにしてベッドから降りた。途端に襲うのは独特の頭痛と倦怠感。いずれも睡眠薬を飲んだ後の副作用だった。
転ばないように壁伝いに歩き服を着たまま浴室に入ると、浩は躊躇いなくシャワーの口を捻る。外気ほどの温度だった水が、次第に温くなってゆく。適温になった頃には、彼が唯一着ていた白い色のシャツは水を吸ってすっかり重たくなっていた。
浴室の明かりは落としたまま。すりガラスから差し込む街灯の光だけが、青白くぼうっと立ち上っていた。
浩は焦点の合わない目を持ち上げ、湯気で曇りゆく鏡を見た。
生気の感じられない己の顔が、目が、唇が、そこにはあった。
まるでそういう種類の人形のようだった。今はじっとりと湿った服の下に隠れているけれど、四肢は糸で吊られ、関節は全て球体でできているのではないか。表情はまったく変わらないけれど、きっと化粧ひとつで見え方が変わることだろう。そうだ、これは実寸大の倒錯的な出で立ちをした人形。そんな妄想に囚われつつ、浩はひたすらに頭から湯を被った。
頰に張り付く黒髪。滴り落ちる水滴。呼気はすっかり凍り付いていた。
シャツから淡く透ける肌に色はない。
その時、ふと首筋に虫刺されのような痕ができていることに気がついて、浩は思わず苦笑した。やられた、とでも言わんばかりに左手でそれを擦ると、彼はようやく目が覚めてきたのだった。
服を脱いで普通に風呂に入り――どうでもいい話だが、あれは毎回後処理を考慮して時間計算しているのが心底素晴らしいと思う――、濡れた服は洗濯機に放り込んだ。嗅ぎ慣れたせっけんの香りを纏いながら寝室に戻ると、先ほどと変わらずに『かみさま』がベッドにその身を沈めている。
彼は浩の寝姿を「死体のようだ」と表現するが、逆に浩は彼の寝姿を「人形のようだ」と思っていた。実際にこれほどまでに精度の高い人形があったなら、命を投げ打ってでも手に入れようとしただろう。自らの手で製作した『イリユーシャ』はアトリエに存在するけれど、所詮はまがい物。本物の精巧さには到底及ばない代物だった。
ああ。
浩は思う。
彼の左胸の鼓動が愛しく憎らしい。
どうして『神様』とやらはこの身体に生というものを与えたのだろうか。どうせなら壊れぬよう頑丈な箱にでもしまっておけばいいものを。
浩は音を立てぬよう引き出しから服を取り出し着替えを済ませると、ベッドの端に腰掛けた。結構な物音を立てたつもりだったが、それでも布団の中の彼は一向に起きる気配を見せなかった。
白磁とも紛う白い頰にかかる砂色の髪をそっと梳いてやり、浩は囁いた。
「
そして呼吸を妨げるように、深い接吻をした。
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