第一章 Oculophilia (6)※ 死んだ君が一番うつくしい
***
それから数日後の出来事である。
いつものように朝食を用意したところで、浩はとあるニュースが報道されていることに気が付いた。
某県の山中にある洋館にて、おびただしい量の死体と共に暮らしていた女性が逮捕されたというものである。洋館の地下に部屋がふたつ存在し、そのうちのひとつに『眼球が抉られ頭皮ごと髪が持ち去られた状態の死体』が綺麗に並べられていたのだと言う。そしてもうひとつの部屋は隣室からは想像もできないほど豪華な飾り付けが施されており、部屋の中央に一体のビスクドールが飾られていた。しかし奇妙なことに、そちらの部屋の扉には「内側から開かれた」形跡が残っており、何者かが本件について関与していたのではないか、とのことである。
猟奇殺人と大々的に報道する朝のニュース番組。浩は思わず食い入るようにして眺めてしまった。
そうしているうちに、奥の寝室からイリヤがのろのろと起き出してきた。
「なんで君のほうが起きるのが早いんだい……? 君の負担のほうが大きいだろうに」
そう愚痴るので、浩は肩を竦めながら顎でテレビを見るように指し示す。寝ぼけ眼のままイリヤがテレビへ目を向け、それからひとつ大あくびをした。
「ああ、うん。君が『いずれ分かる』と言った理由を今ようやく理解した」
「エレホンがいい感じにうやむやにしてくれたから、今回は正直助かったかな」
いつ気が付いたの? と問うイリヤに対し、浩はさも当たり前といった風に口を開く。
「初めからものすごい死臭がしていたじゃないか、あの部屋」
普通に生きているとあまりその類の臭いは嗅がないんだよ、とイリヤは言う。
浩は苦笑しつつイリヤへコーヒーの入ったカップを差し出す。しかし、イリヤはそれを受け取らなかった。
画面には延々と『あの日』目の当たりにした光景が映し出されている。姿かたちは映らずとも、彼らの脳裏にはあの『星詠みの少女』の姿がはっきりと浮かび上がっていた。
浩の脳裏には、一体の美しいビスクドールとして。
イリヤの脳裏には、一体の美しい死体として。
きっと互いの認識は大きくずれているのだろうと、ふたりは漠然と考えた。
イリヤはじっとテレビへ目を向け、ぽつりと呟く。
「……それにしても、あの人形の正体が『美作夫人』だなんてね」
そう。この件に関して、浩とイリヤは――否、エレホンすらも把握していなかったことがあった。
美作由衛という人物は、実は二人組だったのだ。
正確に言うと、『星詠みの少女』以前に発表された人形に関しては美作由衛・美作夫人の共同制作。ある時――『星詠みの少女』製作時期とほぼ同じ頃、何らかの理由で美作夫人が死亡。その亡骸を使用して作成したのが『星詠みの少女』なのだという。
そして当の美作は亡き夫人の顔かたちへ整形し、以降は美作夫人として生きていた――。
おおよそこのような供述をしているのだと、浩はエレホンから聞いていた。
「そういう前提だと分かると、ちょっと納得できるんだよね」
浩が言った。「イリヤ、あの日『眼球が左右で異なる』と言ったろう。あの右目は美作本人のものだよ」
互いの身体がひとつのものに合わさり、それでようやくあの美少女は完成する。浩は中途半端だと言ったが、あの作品はあれで完成形なのだった。
報道番組に逮捕された女性の顔が一瞬映った。画面に映る右目は、――あの美少女の持つものと非常によく似ていた。
ふたつで、ひとつ。
互いに同じものを持つという特別感が、彼らの行く末を仄暗く指し示していたのかもしれない。それがたとえ常人には理解できないものだとしても。
すると突然、イリヤがテレビの電源を落とした。
怪訝に思った浩が「イリヤ?」とその名を呼びながら振り返ると、そこにはひとりの怪物が立っていた。
彼は生気のないまなざしをじっと暗いモニタへ向けたかと思えば、――ややあってその青みがかった灰色の瞳を浩へ移す。その目に微かに宿るは、妙な熱っぽさだ。
浩は力なく微笑んで見せ、イリヤの胸板に手を置く。
「……もう一度、したいの?」
そう言いながら、浩は己の前髪を掻き上げた。「いいよ。好きにして」
イリヤが無言のまま浩の身体を軽々と抱き上げる。そのまま向かった先はいつもの寝室――ではなく、その隣にある浩の私室だった。乱暴に扉を開け放つと、イリヤは浩の身体を部屋の中央にある小さなベッドへ降ろす。
「いつ見ても異様な部屋だ」
イリヤはぽつりと呟いた。「たくさんの目が、こちらをみている」
ほんの六畳ほどの部屋に、四方を固めるようにしておびただしい量の「人形」が並べられていた。手のひらサイズのものから、『星詠みの少女』ほどの大きさのものまで。少女の形をするものもあれば成人男性の形をするものまで。キャストでできたものから塩ビ製のもの、陶器のもの、果てには木でできたものすらあった。ありとあらゆる人形が、中央に備え付けられるベッドを見下ろしている。部屋の隅には、宅配便で届いたばかりの人形服が山のように積み上げられていた。
ベッドに降ろされた浩は小さく鼻で笑うと、サイドボードから小さな錠剤をいくつか取り出す。
「二時間くらいで起きられるくらいの量にするからね。それまでに事は済ませてほしい」
「うん。いつも悪いね……こればかりは、どうにも」
「はは、ちょっと興奮するね。俺の子供たちに見られながらするというのも。……ニュースを見てあの子のことを思い出しちゃったんだね、ごめん」
浩は錠剤――睡眠薬を飲み込むと、ベッドに身体を横たえる。
「さて、と。死んだ俺を、大事に、愛してね」
そう言うと、すうっと浩は瞼を閉じる。数分後には四肢が完全に動かなくなる。微かに胸のあたりが上下しているのを見て、それでやっと彼が生きているのだと理解できるほど。それほどまでに彼は深い深い眠りに落ちて行った。
――イリヤはそんな彼を見下ろしながら、ぽつりと呟く。
「うん、やっぱり、死んだ君が一番うつくしい」
着ていた服を乱暴に脱ぎ捨てると、彼は生きた死体にそっと口づけた。
松籟浩。
あらゆるものを見通す特別な目を持つ美術品鑑定士。
そして、――
イリヤ・レナートヴィチ・チャイカ。
神様と称されるほどの腕を持つ贋作師。
そして、――
ふたりの関係は、逸脱した愛の上に成り立っている。
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