第一章 Oculophilia (5) 眼球

 死体。


 その単語に反応し、イリヤは胸の内から沸き上がる妙な感情を自覚した。それを霧散させるべく、一度己の頬を叩く。

 浩は横目でその様子を眺めていたが、さほど興味が湧かなかったのだろう。すぐに眼前の美少女へと視線を戻した。


「ボディは陶器だ、間違いない。作られたのは三年くらい前かな。このボディだけでも相当な価値がある。これだけの腕を持つ技師はそうそういない。俺が知る技師の中にこういうものを作れる人物は君以外にいないから、作成したのは美作本人で間違いないだろう。ああ、毛髪はウイッグではないね。植毛――否、『人間の頭皮をそのまま使っている』のか。グリセリンと酢酸カリウム、このあたりの薬剤を用いて防腐処理を行っている。瞳もまた同様だろう。片方の目は同一人物のものだ。一度死体からくり抜いて同様の処置を施したのち、樹脂で固めている。水晶体が濁らずにそのままの形を留めているのは、なんというか、奇跡のように感じるけれど……」


 浩はイリヤにいくつかの角度から写真を撮るように指示し、それから絹でできた薄手のワンピースにそっと手を這わせた。まるで人間に対してそうするかのように優しく袖を降ろしてやると、まずは露わになった胴体の球体部分へ目を向ける。


「人骨を丸く削っているね。他のパーツの作成時期から考えると、おそらく同一人物のものだろう」

 すごいねこれ、と浩は淡々と言う。「昨日の『彼女』より明らかに処理が丁寧。たぶんひとりの仕事ではないね。おそらく、ふたりの人物が作業に関わっている。独特の手癖がふたつ見受けられる」


 そこまで言うと、彼は白っぽい球体部分に指を滑らせる。陶器と紛うほど艶やかに磨かれたそれは、この世のものとは思えないほどの出来栄えだ。浩はうっとりとしたまなざしを彼女へ向け、「とてもいい」とだけ呟いた。


 イリヤはそんな浩の姿を横目に見て、すぐに手元のカメラに目線を落とした。再び彼女に対しシャッターを切ると、ややあって電源ボタンを押下する。


 ヒロ、と彼はその名を呼んだ。


「ひとつ気になることがある」


 なんだい、と浩が答える。



 イリヤはたった一言、しかしながらはっきりと口にした。その単語を耳にした浩はしばらく口を閉ざしていたが、のちにゆっくりと首を縦に動かす。


「うん。君も相当目がいいほうだと、俺は思うよ」

 そして彼は力なく答えた。「右目だけ彼女のものではない。他人のものが仕込まれている」


 それがよく分からないんだ、と浩が言う。


 人形の魂は目に宿る。故にアイの造形にこだわるオーナーはかなり多い。もちろん表現のひとつとして意図的に左右別のアイを入れる場合もあるが、彼女に関して言えばそれはただの違和感でしかなかった。


「敢えて不完全な状態にしているのかもね」

 イリヤが口を開いた。「『不完全なものほど美しい』という考え方は、この業界では決して珍しくない」

「そうする意味――か。まあ、分からなくはないけれど」


 それも撮っておいて、と浩はイリヤへ指示し、脱がせたワンピースを再び彼女へ着せてやった。


 さて、見ておきたいところはひとしきり確認できた。浩は彼女の右手をそっと取り、まるで人間に対してそうするように別れの挨拶を済ませると、二人揃って天蓋から出た。


 イリヤからデジカメを受け取った浩は簡単に中身を確認すると、すぐに電源を落とし鞄の中に放り込む。続いて鞄の中からもうひとつ手袋を取り出すと、それをイリヤへ向けて放った。


「イリヤ。この部屋に入ってからなにか素手で触ったところはあるかい」

「そこのドアノブくらいかな」

「分かった。念入りに拭いておいてくれる」


 その手袋を使っていい、と浩は真顔で言うものだから、イリヤは思わず苦笑してしまった。


「まるで俺たちが悪いことをしているみたいだね」

「変なことに巻き込まれたくないでしょ。それと、……ああ、これはいいや。言わないでおこう」


 そう言われると気になるのが人間の性である。イリヤは浩に問いただすも、彼ははぐらかすばかりでなかなか口を割ろうとしない。ようやく口を開いたかと思えば、


「いずれ分かるよ。それまでのお楽しみということで」


 というなんとも絶妙に微妙なことを言ってきた。イリヤは諦めて、渡された手袋を両手にはめる。


 浩が荷物をまとめている間、イリヤは改めて扉の前に立ち、じっとその状態を観察した。古い洋館ではあるけれど、建物の作りは非常にしっかりとしている。この扉も決して例外ではなく、少し無茶をするくらいでは開きそうにない。


 しばらく扉全体に目を向けていたイリヤは、ベルトに着けていた小型ポーチからペンライトを取り出した。それをドアノブ脇の装飾へ向けると、

「……なるほど」

 とだけ呟いた。


 なにか分かった? と浩が背後から声をかけると、イリヤは浩へ向けてこのように伝える。


「ヒロ。俺の作ったあのスケルトンキー、まだ持ってる?」


 突然脈絡のないことを言われたものだから浩は思わず呆けてしまった。それからすぐに「ああ、あれね」とさも当たり前のように返答する。


「あるよ」


 ぴたりと、核心に触れる。

 イリヤがそう言った意図はすぐに理解した。浩はじっと逡巡し、扉のノブへそっと触れる。


「……そうか、よく気づいたね。この扉は『あれ』とほぼ同時期に作られた年代物だ」

「たぶん似たような仕掛けがあるんじゃないかな。例えばこのあたりに、」


 イリヤはさらに小型ポーチから精密機器用のドライバーを出した。それを扉の浮き彫りになっている箇所にひっかける。少しだけ力を込めると、ずるりと音を立てて装飾部分が回転し、中から小さな鍵穴が姿を現した。


 イリヤはペンライトで鍵穴を照らし、簡単に測量すると、「多分大丈夫。あの鍵で開けられる」とだけ浩に伝えた。


「そう。じゃあ、お願いするよ」


 浩は胸ポケットに入れていたキーケースから、真鍮製の鍵を一本取り出す。それをイリヤに手渡すと、彼は優しい声色で言った。


の鍵が使えないはずがない。大丈夫」


 その言葉を耳にしたイリヤは微かに頬を緩ませ、

「任せて。『神様』にできないことはない」


 それにしても随分きれいに取っておいてあるんだね、とイリヤは感心した様子で言い、ブレード部を鍵穴に挿入した。


 イリヤ、と浩がその名を呼ぶ。

「この扉が開いたら、何でもいいからとにかく走って。多分玄関はだめだ。途中に窓のある廊下があったろう。あそこがいい。あそこからだと、最短距離で車がある場所まで行ける」

Ладноオーケー.」


 浩がきちんと荷物を持ったことを確認した上で、イリヤはスケルトンキーを回す。


 ――かちり、と錠が動く音がした。

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