第4話 少年の過去
東岾正美は根室で六人家族の長男として生を受けた。父は漁師で、自分の下には三人の弟がいた。母は父が獲ってきた魚をよく料理して子供たちに振舞っていた。
6歳の頃、当時の日本が連合国に対して宣戦を布告し、戦争が始まった。第二次世界大戦にいよいよ日本が参戦した。やがて漁師だった父も徴兵されて戦地に発った。
海軍に徴兵された父に関しては、終戦直前に戦死通知が家に届いた。戦死通知を手にした母が、自分たちを抱いて泣く姿を今でも鮮明に思い出せる。
それから間もなくして戦争は終わった。直接的な影響が大してなかったから、日本は戦争をしていたと言う実感さえ余り感じなかった。地方の隅の片田舎に暮らしている分、余計にそう感じられたのかもしれない。父の死以外は。
しかし戦争の新たな荒波は、すぐに自分たち家族の周囲に押し寄せた。ソ連が講和直後の日本に対して宣戦を布告し、樺太や満州、千島列島に侵攻を開始した。
そして樺太や千島列島を占領したソ連軍は、遂に北海道に上陸を仕掛けた。
根室はソ連軍の上陸地点となり、島の方角から押し寄せるようにソ連軍の大軍がやって来た。
北海道の半分がたちまちソ連軍の手に落ちた。
気が付けば、自分たちの住む土地は日本人民共和国という国になっていた。人々が平等に、幸福に暮らせる国だと教えられた。
新たに配布された教科書にも、ソ連が帝国主義に苦しむ人民を解放させたと言う正当性と、建国に貢献した党を讃えるような描写が誇り高そうに記されていた。
上陸したソ連軍を、帝国主義に苦しんでいた多くの労働者が歓迎した――
同志スターリン閣下は、親愛なる党首様の共和国建国に全面的に協力した――
祖国や盟邦ソビエトの正義、そして戦前からの日本の帝国主義を批判する内容。
その中身を、教科書から頭に叩きつけられるように教わる。
そんな中、東岾は前の日本とどう違うのか疑問に思ったことがあった。そんな東岾に、党員でもあった学校の先生が言い聞かすように教えた。個人の人権を無視し徴兵した帝国とは違う、と。
父はそんな横暴な意思で徴兵されたのだろうか。
徴兵される直前の父の顔を思い出す。
仕方ない、と言うような、しかし諦めてはいない表情。
父はその時、何かを言っていた気がする。
家族がどうのとか、守るとか何とか――
当時の自分には、少し難しくてわかっていなかったかもしれない。
それに幼くもあったから、あまり覚えていないのも無理はなかった。
ただ、今もまだ幼いと言えた東岾にはよくわからなかった。
更に、学校では、新国家に対しての理想的な教授を受けさせられた。
貧富の差もない、差別もない平等な社会。幸福に満ちた生活。
共和国は“北の楽園”である。
多くの子供たちが、声高に言う大人たちの言うことを信じ、疑う者はほとんどいなかった。
周りが同じことを繰り返して言う、そんな環境で、ただ一人東岾正美は釈然としないままに中学生になった。
15歳になって間もなく、南北日本の間で戦争が始まった。徴兵年齢も徐々に下げられ、遂に東岾の下にも徴兵令が届いた。
父を徴兵した国とは違うんじゃなかったのか、と憤りを少し感じたが、既に新聞やラジオ、更に学校までが、全人民が武器を手に戦おうと言う風潮が蔓延していたので、一方では納得してしまう部分も否めなかった。
打倒帝国主義。
日本解放。
声高にスローガンを掲げ、意気揚々と戦地に旅立つ人々の中に、東岾も入れられた。
母から貰った御守りを肌身離さず持ち歩き、上官の厳しい体罰や怒号に耐えながら、軍隊生活をおくった。
厳しく辛い軍隊生活をおくっている内に、様々な感覚が麻痺しているような気がした。
まるで人から機械に改造されているみたいだ。
ある時、冗談のように笑って言った仲間の言葉を聞いて、東岾は心の中で同意するばかりだった。
実際そうだった。人を殺す訓練をしていれば、少なくとも普段の人格は徐々に変えられてしまう。調整、と言った方が正しいか。厭わず人を殺す。そのためには、人を殺す行為に躊躇わない人格に調整しなければならない。何せ、殺すのは一人ではないのだ。
やがて人を殺す訓練にも、その行為にも、疑問を持たなくなる。
人民軍の快進撃が続くと、遂に前線に送られることになった。広い平地での戦いを得意とするソ連軍に鍛えられた人民軍は、その北海道の平地を活かした戦術を基に南日本軍を追い詰めていった。山間部での戦いも然り。
更にはソ連から与えられた最新鋭兵器を駆使し、留萌~釧路以北に限られていた領土は着々と拡大していった。
その中で、東岾正美も初めて人を殺した。前線の補給基地にトラックで向かっていた時、敵の待ち伏せに遭遇。何人かの仲間を殺されたが、敵の撃退には成功した。その時、東岾もまた敵兵を撃ち殺していた。
人はアドレナリンの高揚に身を任せることで、ほとんどの神経を遮断する。自分の身を守ること以外は考えられなくなり、それに応じた動きを身体が勝手に行う。全てが終わった後に、やっと自分が初めて人間を殺した事実に気付くのだ。
しかし既に心は出征前とは大きく変わっていた。母が知る自分は、既にそこにはいなかった。
何も考えず、とにかく生きるために戦い、耐えてきた日々。それ以外に必要な感情を持ち合わせることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます