第3話 少年と少女

 「……………………ッ」

 歪んだ世界が徐々に輪郭を取り戻し、意識が完全に覚醒へと至る。

 何時間、寝ていただろう。

 目を覚ました東岾は身体を起こした。ずっと遠くからは戦場の音が聞こえるが、周囲は暗く、近くに人の気配はなかった。

 ビルの下、瓦礫の陰。さっきのビルとは違う場所だった。

 「(何があったんだっけ………確か……)」

 敵に追われていたソビエト兵を助けるために、無我夢中に敵と戦って――

 そして自分も撃たれて、意識を失って――

 「あ……」

 ハッと気付いて見てみると、撃たれた右腕には丁寧に包帯が巻かれていた。

 一体誰が処置を――と思った時、意識を失う寸前に見たソビエト兵の顔を思い出す。

 「……Как дела?」

 「――!!」

 突然の声に、東岾は跳ね上がるように驚いた。東岾が視線を向けると、そこには意識を失う前に見た、あのソビエト兵の女の子がいた。

 東洋人とは異なる肌と瞳の色。クセのある白い髪が目立つ、華奢な少女だった。

 年は同じか下ぐらいに見える。着用している赤軍の服が、彼女がソビエト兵であることを示していた。

 思わず、生唾を飲み込む。

 彼女が治療してくれたのだろうか。あの時は遠くからで見えなかったけど、こんな小さな女の子だとは思いもしなかった。

 人民軍にも国民から徴用された少年兵がいるが、女性兵士は極端に少ない。ましてやここまで小さな女性兵士は一人もいない。

 ソビエトにも女性兵士は存在すると聞いたが、ここまで小さな女の子の兵士がいるとは想像もしていなかった。

 「……………」

 「……?」

 少女はジッと東岾の顔を見詰めると、伸ばした手でそっと東岾の頬を触った。

 何も言わないが、淡い海のような色の瞳が語りかけている。

 「心配してくれているのか……?」

 「………………」

 さわさわと頬を触れる彼女の手を、東岾は優しく重ねるように触れる。そして微笑むように言ってみる。

 「ありがとう、もう大丈夫だ」

 「………………」

 もしかしたら日本語がわからないのかもしれない。ソビエトには色々な民族がいると聞く。どちらにせよ、自分はロシア語は勿論、外国語なんてこれっぽちも出来ない。

 しかし気持ちは伝わったようで、東岾の顔を見た少女は微かに安堵するような仕草を見せた。そして東岾の頬を触っていた手を静かに離した。

 「………アリが、トウ……」

 「!」

 自分を助けにあそこまで来てくれた事を、少女は知っていたのだろう。

 たどたどしい日本語で、少女は東岾にお礼の言葉を並べた。

 少し気恥ずかしくなって、東岾は笑う。

 「逆に助けられもしたけど……とにかく良かったよ、無事で」

 何とかお互いに命は助かって、本当に良かったと思う。

 東岾の思いが伝わったのか、少女も微かに微笑んでいるように見えた。




 少女もまた所属する部隊とはぐれていた。一人でさ迷っている所を、さっきの敵に見つかったらしい。必死に逃げた先で、東岾と出会ったわけだ。

 少女の名前はクーニャ。クーニャはソビエト義勇軍の兵士で、年は13か14だろうと東岾は想像した。狙撃用のライフルを見て、彼女が狙撃兵であると知って更に驚いた。

 お互いに言葉を満足に交わす事は出来ないが、最低限の意思疎通は出来た。

 「俺は東岾正美」

 「トーヤマ・マサミ……?」

 「そう」

 「マサミ……」

 「この国では女の子みたいな名前だから、下の名前で呼ばれるのは好きじゃないんだけど……」

 「マサミ、マサミ……」

 名前を繰り返すように呟き、クーニャはジッと東岾をその丸い瞳で見詰めた。東岾はその淡い海の色に、吸い込まれそうな錯覚を覚える。

 「……マサミ!」

 理解したように、クーニャは嬉しそうに笑って言った。

 「……まっ、いいか」

 クーニャの初めて見る無邪気な笑顔を見て、東岾は胸がほっと暖かくなるのを感じた。




 手入れをしながら、東岾は思った。三八式は北日本軍――特に東岾のような少年兵の間では評判の良い銃だった。命中精度が高く、軍事教練においても銃に不慣れだった少年兵たちはその高い命中率に随分と助けられていた。東岾たち少年兵にとっては兄弟のようなもので、東岾個人にとってもこれだけが戦場で唯一の信頼できる相棒だった。特に部隊とはぐれてしまった今となっては。


 ぐうううう。


 音が鳴った方に、東岾は視線を向けた。その視線の先には、お腹をおさえて顔を真っ赤にしたクーニャの姿があった。

 どうやらクーニャの腹から音が鳴ったらしい。東岾はクーニャの可愛らしさを見て、微笑ましくなった。

 「そう言えば俺も腹減ったな。 飯、食おうか」

 「……………」

 三八式を脇に置いて、東岾は戦闘糧食を取り出した。

 人民軍の戦闘糧食は米飯とおかずの組み合わせだ。戦闘糧食の内容は南北日本共通であり、日本人らしい特徴がよく表れている。

 クーニャもいそいそと戦闘糧食の缶詰を取り出した。

 それぞれの戦闘糧食が顔を出し、二人の口に運ばれる。

 この状況下での食事は、兵士にとっては唯一の楽しみだ。

 いつ死ぬかわからない極限状態の中で味わう食事は、生きる喜びを教えてくれる。

 どんなに不味くても、食べると言う行為自体が幸福だった。

 人民軍では兵士の戦意高揚のために、戦闘糧食は粗末にしないで改良の道を模索し続けていた。米は日本人にとっての魂であり、それに見合うおかずの選定も大事な事だ。

 クーニャも小さな口をもくもくと動かしながら、缶詰の中身を食べている。

 腹が減っては戦が出来ない。

 その言葉通り、空腹では満足に戦う事も出来ない。

 腹を落ち着かせたら、東岾は交代で周囲の見張りを行う事を提案した。

 もう夜になる。以後は仮眠を取りつつ、交代で見張りをしよう。

 東岾は身ぶり手ぶりでその意思を伝えると、クーニャは理解したように頷いた。



 夜はやけに静かだった。昼間はあんなに爆音と銃声、人の悲鳴で騒がしかったのに、それがまるで嘘のようだ。

 戦闘は終わったのだろうか。だとしたら、どちらが勝利を手にしたのだろう。

 勿論味方が敵を撃退してもらわなければ困るが、今の状況では知る術がない。

 東岾は暗闇に支配された周囲に目を光らせながら、嘆息を吐いた。

 すぐそばから、少女の規則正しい寝息が聞こえる。東岾はクーニャの寝顔を見た。

 「……まさか、こんな場所で女の子と二人きりになるなんてなぁ」

 眠っているクーニャを見詰め、その小さくて華奢な身体を見て、守らなければ、という意思が芽生えた。

 このような状況だからこそ、目の前にいる女の子を自分が守ってやらないといけない。

 自分も子供だが、戦場では子供という甘えは通用しない。

 この戦争は、自分よりずっと年下の子まで戦っている。そして今正に、自分より小さい女の子が銃を抱えている。

 南北に分断した日本が、互いに統一するために始めた戦争。

 一つの国に戻るために。

 かつては国を挙げて、一億人の日本人が世界を敵に回して戦った。しかし今は、日本人同士が殺し合っている。

 日本って何だろう。

 日本人って何だろう。

 国って何だろう。

 戦争って何だろう。

 ふと、そんな疑問が沸いてくる。

 「……駄目だ、考えちゃ」

 雑念を振り払うように、頭を横に振る。自分たちは祖国や党のために、日本の全人民のために戦わなければいけない。

 いつか全ての日本人民が、米帝を始めとした国々から解放されるため。

 党は、政府はそう言っている。

 上官からも教えられた。戦争を深く考えていけない。考えてしまったら、覚悟が薄れて死んでしまうから。

 だけど―――やはり、どうしても考えてしまう。

 こんな小さな女の子を、日本人同士の争いに関係ないはずの異国の女の子まで巻き込んで――

 この戦争に、何の意味があるのか。

 「――!」

 いきなり肩を掴まれて、東岾はびくりと驚く。

 「あ……」

 「……………」

 すぐそばに、クーニャの驚いた顔があった。こっちが驚かせてしまったようだ。

 「ごめん、ぼーっとしてた」

 「……………」

 相変わらず言葉は通じない。東岾はクーニャの驚いた顔を見て、申し訳ない気持ちになった。

 「交代か。 じゃあ、後はお願い」

 「……………」

 コクリと頷いたクーニャと見張りを交代し、東岾は陰になる所に腰を下ろして、目を伏せた。

 銃を手にしたクーニャが見張りに入る姿を確認すると、不意にクーニャと目が合った。

 目が合うと、クーニャは眠りに入る直前の東岾に向かって、優しく微笑んだ。

 「Спокойной ночи」

 彼女の唇から紡がれた旋律の良いロシア語を、東岾は意識が闇に沈む間際に聞いた。



 「マサミ、マサミ……」

 分を呼ぶ声と、揺さぶられる感覚に目を覚ます。既に周囲は明るかった。

 「どうした、クーニャ……」

 少し寝ぼけた目でクーニャに顔を向けると、不安そうな色を顔に染めたクーニャがそこにいた。

 その不安そうなクーニャの表情を見て、東岾は戦慄を覚える。

 「何かあったのか」

 「……………」

 クーニャがじっと黙る仕草に気付いて、東岾も耳を澄ませてみる。その時、遠くから何かの音が聞こえた。

 「これは……」

 キャタピラの音。戦車が走る音だった。

 それが徐々にこちらに近付いているのがわかった。敵か味方か。東岾は音の聞こえる方に視線を向けた。

 朝日に反射し、きらりと輝いた装甲が見えた。それが味方のT-34である事を知って、東岾は歓喜した。

 「T-34だ! 味方だッ!」

 やっと味方と出会えた事に、東岾は喜びを隠せなかった。

 しかしそんな東岾の袖を、クーニャが引っ張った。

 「何だよ? クーニャ」

 「……! ……!」

 くいくいと袖を引っ張りながら、クーニャが反対方向を指差す。視線を向けると、そこには敵の新型戦車が姿を見せていた。

 「敵ッ!?」

 聞いたキャタピラの音は、同時に近付いてくる敵味方双方の戦車のものだったのだ。ゆっくりと対面するように、両軍の戦車が徐々に近付いていく。

 しかも敵は見たことのない新型戦車だ。

 その後方からは、歩兵も歩いている。

 迂闊には出られなかった。このままでは、敵と味方が衝突する。

 T-34はソ連から供与された新鋭の戦車で、第二次世界大戦の欧州戦線ではドイツ軍の戦車を屠った最強の座を持つ。その圧倒的な威力で敵をことごとく駆逐してきた。いくら敵が新型の戦車を出してこようと、人民軍最強の戦車が負けるはずがないと東岾は信じて疑わなかった。 

 しかし、東岾の希望はあっけなく崩された。

 ドイツ軍を恐れさせたT-34の85ミリ砲が火を噴いた。しかしその砲弾は敵の新型戦車の装甲を貫く事なく弾かれた。

 その光景が信じられなかった。85ミリ砲の砲弾を弾いた敵の新型戦車は、お返しと言わんばかりにその砲から火を噴きだした。

 それはT-34より正確で、強い威力だった。敵の新型戦車が放った砲弾はT-34の装甲を貫通し、その命をあっという間に燃やし尽くした。装甲に穴を開けたT-34は動かなくなり、やがて火を吐いて朽ち果てた。

 「嘘だ……」

 あれだけの威力を見せていた自分たちの切り札が、あっけなく破られた事実に東岾は呆然となった。敵はやられてばかりではなかった。敵は対処法を練って帰ってきた。敵の新型戦車が復讐とばかりに、悠々と前進を続ける。

 敵がどんどん自分たちのいる方へ近付いてくる。このままでは接敵するのは目に見えている。

 こちらは二人。しかし逃げる事もできない。

 「……マサミ」

 自分を呼んだクーニャの方に視線を向けると、クーニャはスコープ付きのAK-47を構えていた。

 その表情はさっきの不安の色とは打って変わって、覚悟を決めたような引き締まった表情だった。

 あの小さなクーニャが、こんな顔をするなんて――

 いや、この顔を東岾は一度見たことがある。

 それは、ビルの中で敵と戦った、クーニャと初めて出会った時。

 敵に撃たれ、意識を失う前に見たクーニャの顔。

 自分を助けるため、敵の頭を撃ち抜いたクーニャ。

 あの時と同じだった。

 「……わかった、やろう」

 東岾も覚悟を決め、三八式を抱える。

 あの時撃たれた、クーニャに包帯を巻いてもらった右腕の傷が疼いた。

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