第2話 戦場での邂逅
北海道の中心を境に、日本が南北に分断された事で、後に日本はドイツ同様に分断国家となった。
国際社会からは、二つの日本を区別するようにこう呼称された。
北海道の北半分を実効支配する方を、北日本――North Japan.
以南の日本列島を国土とする元来の日本でもある方を、南日本――South Japan.
お互いが、自身こそが正統な日本であると叫ぶ。
南北に分けて名を呼ばれる屈辱を、どちらとも決して認めなかった。
対立の火種は、日に日に燻り、そして遂に爆発した――
札幌中心部は戦場と化していた。北日本軍の新鋭戦車T-34の前に南日本軍は歯が立たず、北日本軍の札幌侵攻は着々と進んでいた。中心部の各所から爆音が鳴り響き、南北双方区別がつかない悲鳴や怒号が聞こえる。戦場の荒れ地と化した中心部の道路を、北日本軍のT-34が悠然と進んでくる。
更に車両に搭載されたカチューシャロケットが火を吹く。車両から放たれたロケットランチャーが火の雨となって南日本の兵士たちを粉々に吹き飛ばした。
ソ連から供与された二つの新兵器は圧倒的な火力を以て南日本軍を追いつめていた。
札幌侵攻開始から3日後、司令部は陥落。北日本は札幌の完全占領を宣言した。
南日本軍は道南地方へ敗走。札幌を陥落した北日本は、日本全土解放の第一段階として北海道解放を目指した。
しかし向こうもただやられているばかりではなかった。
本州にある南日本軍の基地から発進した米軍のボーイングB-29やB-50大型爆撃機が、北日本軍が占領した千歳空港などを空襲。7月には国連安保理の決議に基づき、米軍25万人を中心とする国連軍が参戦した。
多国籍軍により構成された国連軍が参戦してからも南側の苦戦は続いたが、国連軍は戦局打開の一手として石狩湾上陸作戦を敢行。札幌の奪還を目指し、札幌市内は再び市街戦の嵐に呑まれていった。
それに対し、ソビエト義勇軍(実態は正規軍)が北日本軍の本格的支援のために駆け付けた。札幌市街戦は両軍入り交じる死闘と化した。
元々ソ連の後押しを受けて侵攻を始めた北日本軍は、ソビエト義勇軍と連携して南日本軍および国連軍に反攻した。札幌はたちまちお互いの最新鋭兵器がぶつかり合う戦場となり、1度目の市街戦より熾烈さを極めていた。
東岾上級兵士はどこからともなく鳴り響く爆音や轟音を横に駆け抜けながら、瓦礫が散乱する市街地の中に一人居た。焼けただれたビルの中に身を潜めると、腰に下げた水筒を手に取った。
「………もう残り少ない」
既に半分以下まで減った水筒から、東岾は慎重に中の水を舌に滑らせた。口に触れるだけで水分の補給を終わらせ、貴重な水を温存する。
東岾は三八式の弾倉を確認しつつ、周囲を注意深く見渡しながら神経を尖らせた。今、東岾は部隊からはぐれて孤立している。もしここで敵に見つかれば一貫の終わりだ。
はぐれる要因になった敵の攻撃。目の前で容赦無く仲間が敵に撃ち殺される光景を何度も見た東岾は、敵に見つかれば即、死に繋がると信じて疑わなかった。上官に教えられた通り、南の連中は容赦が無い。手を上げた者に対しても、彼らは躊躇無く射殺した。あれを見て以来、降伏は万が一にも絶対にあり得ないと東岾の中では結論付けていた。
突如侵攻した敵に対し、北日本軍は必死の反撃を行ったが、札幌は最早激戦地となっている。どちらが勝っているのかさえわからない。しかも味方とはぐれてしまった以上、状況はほとんど掴めない。自分の部隊がどうなったのかさえ。
「北海道から出ていけ、アカ共めッ!」
「露助の犬は死んで詫びろッ!」
聞こえてきた怒号に、東岾は咄嗟に頭を下げる。
そして声がした方へ、慎重に覗いてみた。
向こう側には、三人ほどの北日本の兵士たちが慌てて何から逃げるように走る姿が見られた。しかし東岾が見た時、あっという間に北日本の兵士たちは次々と射殺されていった。そして後に現れたのが、五人の南日本の兵士たちだった。
二人が倒れた北日本の兵士たちの遺体を確かめると、その内の一人が恨めしそうに銃剣で何度も遺体を刺していた。その光景が見ていられなかった事と、他の南日本の兵士たちが周囲を見渡していた事から、東岾は慌てて身を隠した。
東岾はもう一度、陰から敵のいる方へと覗いてみた。敵は気付いていない。しばらく様子を伺っていると、彼らはその場を後にした。そこには三つの遺体が無造作に転がっているだけだった。
「……………」
高鳴る鼓動を落ち着かせるために、深呼吸する。
戦場は狂気だ。東岾はこの世界で唯一信じられる三八式を胸に抱きかかえた。
そしてまたしばらく時間が経つと、また何かが聞こえてきた。近い。高鳴る鼓動を抑えながら、ゆっくりと覗いてみる。
そこには一人の人間がいた。格好から、ソビエト兵だとわかる。たった一人だけと見て、同じクチかと思えた。
しかしそっちは更に状況が切羽詰まっていた。ソビエト兵の後ろを、車両に乗った敵が追いかけているではないか。
敵は車両から、逃げるソビエト兵に向かって発砲するが、必死に逃げるソビエト兵には当たっていない。ソビエト兵は近くのビルの中に逃げ込むと、そのビルの前に車両が停まる。車両から三人の敵兵が降りて、ビルの中へと入っていった。
危ない。助けなければ。思考がそう働き、行動に出ようとした時、東岾は自分の足の震えを自覚した。
怖い。そんなのとっくの昔から知っている。
しかし、本当の恐怖が目前に迫っている事を本能が警告する。
今度こそ死ぬかもしれない。
自分なんかが助けに行っても、本当に助けられるかわからない。それどころか自分の命さえ無事では済まないかもしれない。
だけど――
考えている内に、足が勝手に動いていた。震えなんて知った事ではない。ただ走るのみだった。
ビルの中はすっかり廃墟だった。火事があったように焼けただれ黒ずんでおり、うっすらと暗闇が降りている。
東岾が慎重に足を踏み入れた瞬間、銃声と怒号が聞こえた。
その時、またしても足が動き出していた。
階段を駆け上がると、いきなり敵と遭遇した。敵もいきなり現れた東岾に驚いたようで、ぎょっとする反応を見せた。東岾は勢いのままに敵と衝突し、払いのけた。敵はバランスを崩して、階段の下へと転がり落ちる。見てみると、首の骨を折ったのか知らないが、転げ落ちた敵はぴくりとも動かなかった。
「何だ今のはッ!?」
再び敵。今度はこちらの方が気付くのが一寸早かった。その隙に、持っていた三八式の銃床を敵の頭部に殴り付けた。
「ぐがッ!」
ヘルメットが多少へこんだだけだが、怯ませるには十分だった。傾いた背中に足を蹴りこみ、銃弾をその背中にお見舞いした。
背中に銃弾を撃ち込まれた敵は血を吐いて倒れた。だが、東岾は近くにいる敵の気配を瞬時に感じ取り、すぐにその位置から離れた。
残り一人。
東岾のすぐそばにあった壁に穴が開いた。敵の射撃だ。東岾は身を転がすと、敵の位置を確かめた。
敵は少しばかり離れた部屋の窓の向こうにいた。M系の銃口が光る。東岾は陰になる隅に小さな身を転がした。
こういう時、己の子供の身体は便利である。
しかしこのままでは埒が明かない。
逃げていたソビエト兵はどうなったのだろう。まだ生きているだろうか。
東岾は懐を漁った。そして手に当たったものを掴み取る。松ぼっくりのようなボールを手に握った。
「――!」
銃撃が止んだ一瞬の隙に、ピンを抜いた手榴弾を投げ込む。
次の瞬間、爆発音が響き渡り、硝煙が巻き上がる。静かになった事を確認すると、東岾は陰から飛び出した。
だが――
「……ッ!!」
鼓膜に何かがブツッと切れるような音が聞こえたかと思うと、右腕に熱が帯びた。火のように焼ける熱さが広がる。右腕に穴が開いた事はすぐにわかった。
東岾はその場に崩れるように転がった。火のように熱い腕からは、次に刺すような激痛が起こり、赤い血が流れているのが視界に入った。倒れた拍子に手放した三八式に向かって左手を伸ばすが届かない。
先程まで撃ってきた敵が姿を見せる。殺し損ねていたようだ。倒れているのが少年だと知っても、敵は表情を変えない。
敵も北日本の少年兵の存在を嫌と言う程思い知らされていた。民間の女子供が死んでいくのも何度も見てきた。東岾より年下の少年兵が降伏を拒み、抵抗して殺されるのも目の前で見た。最早子供すら、ここでは敵に変わりないのだ。
「……すまん」
しかし敵は、謝った。激痛に呑まれる意識の中で、東岾は敵の哀れむような瞳を一瞬、目撃した。
銃口が向けられる。ああ、ここで死ぬのかと、東岾はぼんやりと思った。
敵の指先が、引き金を絞るように触れる瞬間――
耳に刺さるような、銃声が響いた。
しかし撃たれたのは東岾ではなかった。代わりに、敵の頭部が半分割れていた。
東岾の顔に、ベチャリと生温かい液体が浴びせられた。
「……………」
新たに現れた気配。淀む意識の中で見上げた先には、不思議な外見をしたAK-47を手に携えたさっきのソビエト兵がいた。
「(女の子……?)」
自分より細くて小さな顔立ちが映り、東岾は歪んだ視界を闇に落として、意識を沈ませた。
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