第9話 桜守りの運命
『どうして、あの人が』
ミヨの為を思って、納得して離れてくれたんじゃないの?
折角、ミヨが成長してくれたというのに、もう少しで完全に役目を明け渡せたのに。
たった3年しか我慢できないなんて。
これだから人間は。
彼女はミヨ達の近くに行くと丞に声を掛けた。
『丞さん、何をしに来たのですか?』
ミヨの肩を抱きかけていた丞は、その手を止めて彼女に顔を向ける。
『お母様、すみません、僕…』
彼女は丞の言葉を遮って話した。
『私、言いましたよね?二度とミヨの前に現れないで、と。それはミヨの命がかかっているからと。どうして、守れないんです?』
彼女の声に、丞は一瞬肩をビクッと震わせた。
3年経っているとはいえ、彼女の声の印象があまりにも違ったのだ。
以前は透き通った鈴がなるような綺麗な声だったのに、今は、男か女なのか判別がつかないような恐ろしい声になっている。
『せっかく、ミヨがやっと自覚を持って育ってきたのに。あなたは全てを台無しにする気ですか?』
彼女の声に、一瞬、尻込みしたように見えたが、丞はぐっと拳に力を籠めると、彼女に向き直った。
『聞いてくださいお母様。僕気づいたんです。離れていた間、僕は一日もミヨさんの事を忘れた日はありません。毎日、ミヨさんの事を考えていました。それで、思ったんです。ミヨさんの気持ちはどうなんだろうと。僕はミヨさんと全く話さずに距離を置いてしまいました。確かにミヨさんの命の為に僕は近づくべきではないと思います。一度は僕もそれで納得しました。でも、何もかも知ったうえで、ミヨさんがどうしたいのか、それをはっきりと聞きたくなりました。ミヨさんの人生はミヨさんのものです。僕は、自分の命が短くなるとしても、ミヨさんと一緒にいたいと思いました。もしも、…もしも、ミヨさんが僕と同じ気持ちだとしたら、離れた僕は間違っていたと思うんです。』
『それで丞さん自身がミヨを殺すという意味でもですか?』
彼女の言葉に丞は言葉につまる。
あんな事を言いいながらも、彼にもまだ迷いがあったのだろう、しかしその迷いをミヨが断ち切ってしまった。
『私、私は、たとえ自分が消えることになっても丞さんと一緒に居たいです』
『ミヨ』
ミヨの言葉に、丞は愛おしそうにミヨに目線を戻す。
『丞さんが来なくなってから、毎日が本当に辛くて、なんのために存在しているのか分からなくなっていました。前は、体が成長する度、役に立っているんだと嬉しかったけど、今は体が成長したってなにも嬉しくない。心にぽっかり穴が開いたようで、何をしてもその穴が埋まらないの。でも、今日、…今日、丞さんに会えて、やっと穴がふさがった気がする』
『ミヨ…』
丞はミヨを見つめると、決心したように彼女に告げたそうだ。
『お母さま、僕がミヨさんのお役目をお手伝いすることはできないんでしょうか?』
『あなたが?』
『はい、それでミヨさんと一緒に居られる時間が少しでも伸びるなら、僕はなんでもやります』
丞は何も理解していない。
なんて、浅はかで愚かな人間なのだろう。
『丞さん、あなたの気持ちは嬉しいけど、それでミヨの命が延びることはないわ。むしろ、あなたが手伝うことによって、ミヨの役目を奪うことになるから、やはりミヨの消滅につながるわ』
『そんな…』
彼女と丞のやりとりを、ミヨは不安な面持ちで聞いていたそうだ
『丞さん、あなたが関わってミヨに良い事なんてひとつもないんです。私だって、もういつ消滅するか分からないのに』
『えっ?』
彼女のその言葉に、ミヨは今初めて、彼女が近いうちにいなくなる可能性を自覚したようで、さらに青ざめながら彼女を見上げた。
『どうして?あなたは、私よりもずっと使命にひたむきで・・・』
『ミヨ、私があなたを生んだという事はそういう事なのです。だから今まで以上に使命に前向きに取り組んで欲しい』
彼女なりに自分がいなくなるという事はそれまでもミヨに伝えてきていたつもりだったようだが、ミヨは楽観的に捉えすぎていて、本当に、しかも近い将来起こるということは理解できていなかったようだ。
『いや、いやよ、そんなの嫌!』
ミヨはそう叫ぶと、顔を手で覆い泣き崩れてしまった。
『私一人で存在するなんて嫌!あなたも丞もいないなんて耐えられない!しかも、私はここから動けないのにただ使命だけを全うするなんて、無理よ』
『ミヨなんてことを!!』
ミヨが口にした言葉は、自分たちの存在意義そのものを否定するものだった。
その瞬間ミヨの体は強い光に包まれた。
彼女はミヨが順調に育ってきていると思っていた。
ミヨの体が光に包まれたまま、みるみるうちに姿が幼くなっていく。
ミヨは、丞に出会ってしまった事で、人間に心を奪われ、昔は何も考えずに受け入れられていた自分の存在意義に疑問を持ち、その意味を否定してしまった。
それは彼女たちにとって、自殺を意味している。
自分たちはあくまでもここの桜並木を守る為だけに存在している。
彼女自身は、それに不満も疑問も持ったことはなかったそうだ。
むしろ桜が満開に咲きほこれば、とても幸せな気持ちに包まれたし、木々が傷つけば胸が張り裂けそうな程、心が痛んだ。
時に、彼女に興味を持つ人間が現れても、彼女が心を揺さぶられることはなかった。
その人間が、桜並木にとって、良い人なのか、仇名すものなのか、彼女にとっての人間はその2種類でしかなかった。
ミヨを育てて愛情という感情は彼女も実感した。
昔はそういう感情があるということは知っていたが、ミヨに出会うまで感じたことは一度もなかったそうだ。つまり、彼女にはそれを人間に感じる可能性すら考えられなかった。
自分にとっては何よりも桜並木が大事だったから。
だから丞とミヨが仲良くしていてもそっと見守っていた。
それが間違えだった。
丞が離れたことによって、一時期は丞よりも桜並木の方を大事にする気持ちが大きくはなっていたのだろう。
だからまた成長できていたのだろうが、再び丞が来てしまったことによって、今まで以上に丞への気持ちがあふれてしまった。
しかも、このタイミングで、もうすぐ彼女がいなくなるという事を知ったミヨの感情はそれに拍車をかけてしまったのかもしれない。
『ミヨ、おちついて』
彼女はミヨをなだめようとミヨを抱きしめ必死に訴えるが、ミヨには届かない。
『いや、私だけなんて絶対に嫌!丞さんと一緒にいたい!あなたもいなくなるなんて、もうここにいたくない!!』
『ミヨ!そんな事言ってはいけません!』
『ミ・ミヨ』
丞も予想外の展開に、動くことができず、絞り出すような声でミヨの名前を呼ぶだけで精一杯といった感じだ。
『無理よ!私には無理!!』
『ミヨ、お願いだから、一度ちゃんと話しを聞いて!このままだとあなたが消滅してしまう』
彼女の言葉に一瞬ミヨの叫びは止まるが、ミヨ自身に起きている事がさらにミヨを興奮させてしまい、すぐにまた叫びだしてしまう。
『あなたも、丞もいなくなって、こんな所にずっといなくてはならないなら、いっそう消えてしまった方がましだわ!』
『ミヨ!!そんな事言ったら消滅が近くなってしまう。お願いだから使命に前向きになって』
抱きしめているミヨがどんどん小さくなっていく。
ふと見ると、ミヨの姿はすでに幼稚園児くらいにまでなってしまっていた。
『ミヨ、あなた!』
するとミヨは泣きながら彼女の顔に手をあて、一度丞を見ると、再び彼女に視線を戻し『ごめんね』と声にならない声を発するとそのままさらに強い光に包まれた。
それが、ミヨの最後の言葉だったという。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます