第3話 神田公輝Ⅰ

彼女の近くまで来た俺は、桜の上に何があるのかと探してみる。


うーん、特に変わった様子は無い気がするけど。


ドキドキしながらも彼女の方を見てみると、彼女は大きな瞳をこちらに向けて微笑みながら俺の様子を伺っているようだ。


近くで見てもやっぱり綺麗だ。

彼女との距離が近づき心臓の音はさらに速度を上げる。


「な、なにが見えるの?」


彼女に問いかけるも彼女は少し目線を下にそらした後、また俺に目線を戻すと何も語らず笑みを返すだけだった。


もう一度、桜を確認するが、やはり変わったところは見られない。


「桜が綺麗だから見ていたの?」


ただ当たり前の事しか思いつかずにそのまま彼女に聞くが、彼女はこくっと頷いた。


「ちょっと散り始めてきちゃったけど、桜吹雪も綺麗だよね」


どうにか彼女から情報を聞き出すところまでもっていきたくて、とりあえず無難に話しかけ続ける。


すると彼女はまたもやこくっと頷く。


彼女も結構シャイなのだろうか?

まだ一度も会話はしてくれない。

微笑んでるし、リアクションはしてくれているから、嫌ということではないとは思うけど。


つ・次は何て話しかければ…。


「今年はあとどれくらい咲いてるかな?」


桜を見上げながらちらっと彼女を横目に見る。


すると彼女はやはり何も答えないが、少し悲しそうにうつむいた。


あれっ、俺なにかまずい事言った?


無難な事を言ったつもりだったのに、彼女の顔が曇り心配になる。


「で・でも毎年本当綺麗に咲くよね、ここの桜!」


ここの桜を見るようになってまだ2年目だけど慌てて取り繕う。


でも今度の言葉は彼女に届かなかったのか、彼女の表情は暗いままだった。


「君は、毎年ここの桜を見に来るの?」


内心あせり続けながら必死に話しかける俺に、彼女はハッとしたように俺をみて困ったように微笑んだ。


やっぱり彼女にとって、この桜は何か特別なんだろうな。

なんとなくそんな事が頭によぎる。


「よかったら、ここの桜が咲いている間、俺も一緒に見に来て良い?」


すると彼女は嬉しそうに微笑んで頷き、俺を見つめると、ちょっと悩むような顔をしたあと、俺を指さして首を傾けた。


「俺?」


彼女が何を言いたいのか分からず、俺も自分を指さしてみる。


そんな俺を見て、またちょっと悩んだ顔をした後に、口をパクパクと動かした。

何か言ってるようだけど、声が小さいのか、なんて言っているのかは聞こえない。


彼女の口元をジッと見て何を言ってるのか一生懸命読み取る。

彼女も俺のそんな様子に何度か繰り返してくれる。


どうやら3文字のようだ。


「な・ま・え?」


俺がそう言うと、彼女の顔がぱっと明るくなった。


「もしかして俺の名前?」


するとまたこくっと頷く。


嘘だろ!?

彼女が俺の名前を聞いてくれるなんて!

どうにか、俺も彼女の名前を聞き出そうとは思っていたけど、まさか彼女の方から聞いてくれるなんて!

信じられない!

奇跡だ!

今日は人生で一番良い日だ!!


大げさかもしれないけど、今まで女子と無縁の日々を過ごしてきた俺にとっては、この日を人生最高と言わずにいつ言うんだ!!


「お・俺は神田公輝!」


嬉しすぎてちょっと声が裏がえってしまう。


しかし彼女は俺の声が裏返ったことなんて気にする様子もなく、また声は聞こえないが、パクパクと口を動かしている。

それをまたじっと見つめる。


『こうき』


お・俺の名前!

確かに彼女はこうきと言った!

あぁ、女子が俺の名前を言ってくれる日が来るなんて!

しかもそれが、こんなにかわいい子だなんて!


今まで一度も女子から下の名前で呼ばれた事なんてなかったけど、そんな事がどうでも良いくらい嬉しい。


いや、むしろ彼女が初めてでよかった!


「き・君の名前も聞いていい?」


俺の名前を聞くぐらいだから、彼女に聞いても大丈夫だろう。

今度は声が裏返らないように注意しながら、相変わらず高鳴る心臓を抑えて彼女に問いかける。


でも、彼女は困った顔をして、またうつむいてしまった。


あれ、もしかして。


彼女の様子に俺はハッとした。


さっきのやり取りといい、もしかして彼女は声が出せないのだろうか?


「あっ、ごめん、もしかして声が?」


彼女に悪いかなと思いながらも、おずおずと聞いてみる。


彼女はその言葉にまた、困ったように微笑んだ。


そっか、だから今までジェスチャーだけで。。

言葉を返してくれなかったのは、しゃべりたくてもしゃべれなかったのか。

知らなかったとはいえ、なんか悪いことをした気持ちになる。


そうだ、なら書いてもらおう!

俺は自転車を止めると鞄の中からノートとペンを取り出し彼女に差し出す。


「よかったら、名前書いてよ」


彼女はまた優しく微笑むと、そっと受け取りサラサラと書いてくれた。

彼女の名前がついに分かる!

彼女が書き込むノートをはやる気持ちで覗き込む。


『水城 結子』


「みずき ゆうこさん?」


彼女からノートを受け取り読み方を確認する。


彼女はちょっと照れくさそうに微笑み頷いた。


結子さんか、可愛い名前だ。

字も可愛いし、もう何を見ても可愛く感じる。


「水城さん、これから宜しく」


俺はニコニコと彼女に手を差し出す。

すると水城さんも照れくさそうにモジモジした後にそっと手を出して握ってくれた。


あぁ、これが女子の手!

幼稚園の頃、遠足に行くときに隣に並んだ女子と手を繋いで歩いた事はあるが、小学校以来、初めて女子と手を繋いでるきがする。


が、その感動には一瞬しか浸れなかった。


彼女と手をついないだその瞬間あたりがぐにゃっと歪んでいく。。


えっ、何が起きてるんだ?


理解できない現象に、せっかくの感動がかき消される。


俺の手と、それを握っている水城さんの姿ははっきりと俺の目に映っているが、

今まで綺麗に咲き誇っていた桜の木も、立っている芝生も、周りの風景の何もかもが歪んでいく。


なんだこれ!?


歪んでいくと同時に、つい先ほどまで太陽が出ていて明るかった景色も、まるで高速で夜になったかの様にどんどん暗くなっていく。


今何が起きてるんだ?


と、頭にずきっと痛みが走り、男とも女とも言えない、両方の声が重なったかのような声が頭に響いてきた。


「神田くん、話しかけてきてくれてありがとう。本当にうれしかったわ。あなたみたいに話しかけてくれる人をずっと待っていたの」


なんだこの声。


あまりの痛みに空いている手で頭を押さえる。


頭の痛みも止まらなければ、周りの歪みも益々ひどくなっていく。


すると水城さんが俺の手をぐっと強く引いて耳元に顔を近づけてきた。


「声は出るのよ。でも、こんな声じゃ、話してもあなた逃げちゃうでしょ?だから話さなかったの」


まさか、この気持ち悪い声は水城さんの声なのか!?

声出なかったんじゃ。

わけが分からない。


「さぁ、私と変わってもらうわね。今度はあなたが頑張って。神田公輝くん」


言い終わると水城さんは俺の手を放し、後ろへ突き放した。


さっきまで、あんなに幸せな気分だったのに。

今日は最高の日だと思ったのに。


何が起きたのか全く理解ができないまま、その言葉を最後に俺の意識は闇の中へと落ちていく。

倒れながら最後に見えたのは、立ったまま不適な笑みを浮かべて俺を見る水城さんだった。

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