4.


 俺は自宅の居間で、畳とは全く合わない明るい茶髪に金色の瞳でオレンジの魔女のような服を着た女性と、カジュアル炬燵の直角に交わる二つの辺と向かい合うように座っていた。

 俺のすぐ真後ろでは、未だ彼女に警戒を解いていない、頭から黒い布を被った子供が立ったままだった。


 つい先ほどこの女性が放った、「私の名前はシィエーヴ・コンスタンタン。こことは違う世界から来た魔女よ。そしてこの子は、私が作ったの」というあまりに現実離れした言葉に、俺は完全に混乱の坩堝に陥ってしまった。

 まずは一度落ち着いて話そうと、彼女と共に炬燵の前に座った。


「ええと……コンスタンタンさん、」

「あ、シィエーヴでいいのよ?」


 彼女はそう言って、にっこりと笑う。見た目では俺より年上だと思ったが、声と喋り方は幼い印象を与える。

 ただ、女性に年齢を尋ねるのも気が引けるので、相手の言葉に合わせることにして、日本人には少々発音しにくいその名前を口にする。


「では、シィエーヴさん、先ほど言っていた、異世界から来たと……」

「ねえ、質問する前に、あなたの自己紹介の方が先じゃないの?」


 俺の言葉は途中で遮られてしまったが、それももっともなので、改めてこちらも名乗った。


「俺は安來三春。西咲製菓のサラリーマンだ」

「サラリーマン……ああ、給与をもらって働く人の事ね」


 彼女は一瞬辞書をめくっているような顔で俯いて、探していた言葉を見つけたのか納得した様子で頷いていた。

 今まで流暢な日本語をしゃべり、膝上スカートでも畳の上に正座しているのを見ていると、本当に異世界から来たのかどうか不審に思っていたが、この反応ではどうやら「サラリーマン」という言葉を知らなかったかのようでもある。


「本当に、異世界から来たみたいだな……」

「ええ。私は、この世界から遠く離れた、全く別の世界から魔法を使ってやってきたの」


 シィエーヴはそう言って、お茶目に笑いかける。


「日本語も魔法を使って覚えたのか?」

「覚えたというよりも、無理矢理日本語や日本の知識を頭に詰め込んだっていう感じね」


 右手の人差し指で頭を叩きながら、彼女が説明してくれて、俺はなるほどと思った。

 このような魔法があるとは、便利な世界だ。しかし、これがこっちの世界に広まってしまえば、日本語教師をしている俺の母親の仕事が無くなってしまう。


 話が脱線してしまうので、そう考えたことは口に出さず、シィエーヴの言葉の中からもう一つ気になる点を挙げてみる。


「あと、この子供の事を、『私が作った』と言っていたが、それはどういう意味なんだ?」

「それはね……少しややこしんだけど……。とりあえず、三春君はこの子が普通の子供じゃない事は、もう十分に分かっているよね?」


 そう問い返されて、俺は話題の中心なのに蚊帳の外にいるような、背後に立つ子供を振り返った。

 子供は不思議そうに、黒い布を被った顔をこちらに向けた。それらしい根拠は言えないが、今ではシィエーヴに対する警戒の緩め、少しリラックスいているように感じられた。


「ああ、もちろん」


 街中でも、自称霊感のある者たちにも姿が見えず、黒い布の中を決して見ることが出来ない、しかし嘴に似た箇所を動かして食事をするし呼吸もする、この奇妙な子供の事は、最初に会った時からずっと気にかかっていた。

 だが、いざ一番知りたかったこの疑問が解けるとなると、妙な緊張が体を固まらせて、聞くのが突然恐ろしくなってくる。

 それでも、好奇心は抑えきれず、説明の言葉を探すシィエーヴの沈黙に耳を澄ませていた。


「……私のいた世界は、科学の代わりに魔法が発達した世界なの。だから、ここでいう機械とかロボットとかの代わりに、魔法で作られた魔法生物が人間たちのお手伝いをしてくれているの。漫画とかアニメで言う、使い魔とか式神みたいなものね」

「なるほど」


 最後の例だけは、アニメなどをあまり見なかった俺にとってはぴんと来ないものだったが、機械やロボットだと言われると、理解できる。


「魔法生物は、生きているかのように動けるし、人間の言葉を理解できるほどの知能も備わっている。仕事内容によっては、豊かな感情を持っていることもあるわ。見た目も実際の生物に近付けることもできるけれど、あくまで作られた存在で、三大欲求や繁殖機能は持ちえないの」

「その魔法生物っていうのは、どうやって作るんだ?」

「もとになる材料に、魔力を込めて加工すれば、魔法生物を作ることが出来るわ。例えば、木に魔力を込めれば、木の魔法生物が、鉄に魔力を込めれば、鉄の魔法生物が。……そして、インクに魔力を込めて絵を掛ければ、その絵は生命を吹き込められたかのように、紙の上を走り回る……」


 シィエーヴはインクの所で、突然目線を子供の方に向けた。

 その瞬間、俺は閃いた。頭によぎったのは、子供が家に来た最初の日、風呂場で水から逃げようとした姿だった。


「水を嫌がるのは、インクの体が消えてしまうと思ったから……?」

「あら、思ったより察しがいいのね」


 俺の独り言に目を丸くシィエーヴを見て、確信に近付いていることが分かった。

 しかし、まだ腑に落ちない部分がある。


「子供が、元々インクで描かれた絵だとしたら、どうして今は紙から抜け出て、この世界にいるのか?」

「それはね、全て私の責任よ」


 シィエーヴは申し訳なさそうに項垂れたまま、この経緯を語りだした。


「私は異世界で、発明家のような仕事をしているの。ほぼ一日中アトリエにこもって、新しい魔法陣や呪文を開発していた。小さい頃から絵を描くのが好きだったから、息抜きに落書きをして。そうして生まれた魔法生物たちのいる紙は、壁に貼ってよく眺めていた。……今から一カ月以上前に、別世界に通じる魔法陣を作ろうと、アトリエの真ん中で試行錯誤していたら突然暴走しちゃって、天井に届くくらいの竜巻が起きて、家の中をかき乱したわ。幸い屋根を吹き飛ばすほどの風力じゃなかったけれど、家の中のいくつかの本屋魔法陣を書いた紙とかは、この中に吸い込まれて行ってしまった」

「その紙に、この子供のいる紙があったのか」

「そう。世界の狭間を通り抜ける時に、殆どの紙は燃え尽きてしまった。けれど、魔法生物は、魔力で何とか持ちこたえて、この世界に流れ着いたようね」


 そう説明されて、俺はもう一度子供を見た。

 俺と出会う前に、そのような危機的状況を切り抜けたとは思えないほどのんきな様子で、俺の事をじっと見つめている。


「世界のはざまを通って、あなたたちの世界に流れ着いた反動でしょうね、体は立体化して、色も付き、大きさも普通の子供と同じようになったみたい。ただ、インクと魔力が混ざった状態だったから、魔力を持たない普通の人には、全く見えなかったようね」

「その点が最初から疑問だったんだが……どうして、ここは魔法のない世界なのに、俺には子供の姿が見えたんだ?」

「あ、ごめんなさい、説明不足だったわ。確かにあなたの世界は科学が発達した世界だけど、魔法が全くないという訳じゃないの」

「うん? どういうことだ?」


 首を捻った俺に対して、シィエーヴは「簡単に言うとね」と右手の人差し指で空中を混ぜるような動きをした。


「魔力の存在の仕方が、私たちの世界とこことで異なっているの。私たちの世界は、魔力は空気と同じように漂っているものだから、呪文や魔法陣を使えば、誰でも魔法を使うことが出来る。だけど、あなたたちの世界の魔力は、遺伝して伝わっていくものだから、特定の人々にしか持ちえない。……あなたからは、本当に僅かだけど、魔力を感じるわ」

「そ、そうだったんだな……」

「もしかして、家系の中に魔女や魔術師がいたんじゃないの? 心当たりはある?」


 自分自身に思いもよらない力が、ほとんど使えないようだが、あると知って、それだけでもたじろいでいるのに、彼女は間髪入れずに質問を重ねてくる。

 しかし、それに俺は答えることが出来なかった。


「申し訳ないが、俺は祖先どころか、祖父母がどういう人物なのかも知らない」

「えっ? どういうこと?」

「母親はシングルマザーで、父親とは結婚せずに俺を生んだ。父がどんな人だったのか、一度も聞いたことはない」

「でも、母方の家族は……」

「そちらとも会ったことが無い。母は、詳しくは教えてくれなかったが、どこかの田舎の出身で、広い世界を見たい! と高校卒業と同時に家を飛び出して、それ以来連絡を一切取っていないそうだ」

「想像以上にすごい話ね……。自分のルーツとか、気にならなかったの?」

「いや、全く」


 俺はまっさらな気持ちで答えた。シィエーヴは絶句してしまっている。

 彼女から魔力の説明を受けて、やっと自分の生い立ちに興味が沸いてきたが、子供の頃は母一人子一人の生活が当たり前になっていて、変わっているとか可笑しいとか思ったことが無かった。


「俺自身の事は、もうお袋に訊いてみるしかないな。話を戻すが、シィエーヴがここに来たのは、子供を連れ戻したかったからなのか?」

「端的に言うと、そうよ。別世界の者がこちらの世界に定着しちゃうと、色々と問題があるからね。ただ、ここの世界で過ごすうちに、この子は自分の魔力を使っちゃったみたいで、一度補充する必要があったの」

「魔力を使った? 特に魔法らしきものを見せたことはなかったと思うが」

「魔法生物にとっての魔力は、存在するために必要なものなの。ただその場で立っているだけでも、少しずつ魔力を消費してしまうのよ。今のままの魔力じゃあ、この子が世界のはざまを通り抜ける前に消えるかもしれないから、インクで補充しようとしたんだけど、すごく嫌がって逃げちゃって……。確かに、紙の上にいた時から、万年筆から逃げようとしていたからね」


 シィエーヴの苦労話を聞いて、俺はやっと納得できた。

 家に帰ってきた時に俺が見た二人の姿は、思い返してみれば予防接種をしようとする医者とそれを嫌がる子供のようだった。

 彼女の話は信じてはいたが、最初に見た時は子供に危害を加えているように見えたので、これまでも完全に信頼した訳ではなかった。しかし、今の話で懸念は消え去っていた。


「じゃあ、子供に魔力を補充したら、二人は一緒に帰るのか?」


 寂しく感じられるが、それは仕方のない事だ。こんな狭い団地の一室よりも、自分の元いた世界でのびのび暮らすのが一番良い。

 密かに感傷に浸りながら、子供を送り出す心の準備をしていた俺だったが、シィエーヴの表情が暗い事に気が付いた。


「もちろん、そのつもりだったんだけど……、少し落ち着いてこの子を見ていたら、あることに気付いてね……」


 俯いて歯切れの悪い言葉を発していたシィエーヴが、不意に顔を上げて、俺の目を射抜くように見た。


「この子は、人間になろうとしているの」

「へっ?」


 それは予想もしていなかった言葉で、俺の思考は完全に停止してしまった。

 シィエーヴは俺の事など全く意に介さずに、子供の黒い布の裾を指差した。


「この子の布を、よーく見て」

「……うん?」


 体を半回転させて、子供と向かい合う。そうして、彼女の言う通り、裾に違和感を抱いた。

 確か、最初に会った時は脛までの長さだったはずの裾が、膝を隠すまでの長さに変っている。


「短くなってるな。切ったり折り曲げたりしているのは見ていないが……」

「自然に短くなってきているのよ」


 シィエーヴはそう説明したが、俺にはうまく呑み込めない。


「それ以外にも、この子にできることが増えていたり、貴方の言葉に反応したりしていない?」

「ああ、ここ数日、そういう変化が見られたな。さっき、魔法生物に必要ないと言っていた、食事も積極的に摂っていて、俺の言葉に頷くこともある」

「あとは、何か情報を欲しがることは?」

「テレビが好きで、よく見たがっているな」


 顔だけ彼女の方にむけると、苦虫をつぶしたような顔で何度も頷いている。


「元々、この子は紙の上で生まれたから出来る動きは、立つ・顔を動かす・歩く・走る・跳ねるくらいだったはずよ。持ち合わせている五感も、視覚と聴覚だけ。それが、この世界に来て、様々なものに見て、聞いて、触れて、人間に対する関心が強くなってきたみたい。そうして、自然と、自分も人間と同じようになりたいと、変化を求めるようになった」

「それは、別にまずい事ではないんじゃないのか? もちろん、人間の生活にも様々な苦労があるが、今の魔法生物の体のままでは、できないこともできるようになると思う」

「いいえ、そんな単純な事じゃないわ」


 悲しそうな顔をして、シィエーヴは首を横に振った。その表情には、悔しさも滲ませている。


「魔法生物が人間になることは可能だけれど、それにはたくさんの魔力が必要になるの。だけど、この子が今持っている魔力では足りなくて、魔力を使い果たして、消えてしまうわ」

「消える……」


 まるで自分の事のように、息が詰まるように思えた。

 子供が消えてしまうのではないかということは、何としてでも止めたかった。


「正確には、この世界に存在を保っていられなくなって、世界のはざまに行ってしまうのだけれどね。そこでも、あまり長い時間は保てないわ」

「それなら、魔力補充の間、俺が抑えておこうか?」

「いえ、きっと、この万年筆の魔力だけじゃあ、人間になれるまでの魔力は補えないと思うわ。ま、これは一度私が家に戻って、もっと強力な魔力を送れる道具を持ってくれば、問題ないんだけど……」


 深い溜息を吐いて、シィエーヴは子供の方に目を向けると、悲しそうな笑顔を作った。


「そうやって人間になれても、この子はきっと、私と一緒に帰ってくれないでしょうね。私の事、全く懐いていないみたい」


 悲しそうに呟いた彼女は、突然俺を真剣に見据えた。


「だから、あなたにお願いしたいの。この子が人間になるのを手伝って、そしてこの子の父親になってほしい」


 ごくりと、俺が生唾を飲み込む音が、静かな部屋に響いた。

 最近テレビをつけっぱなしだったから、こんなに静かなのは久しぶりだなと、頭の片隅では今とは関係ない事を考えていた。


 シィエーヴの言葉をかみ砕いて理解し時、俺のうちに様々な疑問が浮かび上がってきた。

 魔法の使えない俺は、子供が人間になるために何が出来るだろうか。

 父親ということは、戸籍上なのか、DNAのことなのか。

 会社やお袋には、突然子供が出来たことをどう思うのか。いや、何と説明すればいいのか。

 養育費は、貯金で何とかなるのかもしれないが、この先も大丈夫なのだろうか。

 ……疑問の種類は、現実的なことから殆ど現実離れなことまであったが、それをシィエーヴに尋ねることはしなかった。


 必要なのは、たった一つの覚悟だ。

 人間となったこの子供と、これからも一緒に過ごしていくということ。

 形の定まらない不安は、確かに目の前に広がっている。その根本にあるのは、人を愛したことのない俺が、子供を一人育てきれるかどうかということに尽きる。


 それでも俺は、子供に芽生えた愛情を、子供がここを去ると思った時に感じた寂しさを、最後まで信じてみたいと思った。

 自然と俯いていた顔を上げて、俺もシィエーヴを見詰め返す。


「分かった。俺が、この子の父親になろう」

「……本当に、ありがとう」


 シィエーヴは、今にも泣きだしそうな顔でも、無理矢理笑いかけた。


「けれど、本当に良かったのか? シィエーヴも、この子が好きなんだろ?」

「もちろんそうよ。でも、こんなに拒絶されちゃったら、もう仕方ないわね」


 最初からずっと、彼女が子供の事を、「この子」と呼んでいたことは分かっていた。

 それでもシィエーヴは、諦めて清々しささえ感じさせる顔でそう言い切った。


 彼女は立ち上がり、俺に両手を差し出した。

 俺はその手を握ると、さらに強く握り返された。そして、決心を固めた目で、俺を見詰める。


「カラスちゃんの事、よろしくね」

「……カラスちゃん?」


 突然現れた単語に、俺は眉を顰めて反射的に聞き返した。

 はっと気付いたシィエーヴは、恥ずかしそうに赤くなりながら説明する。


「あ、私、ずっとこの子の事、心の中で『カラスちゃん』って呼んでいたのよ。烏みたいな人間をイメージして描いていたから……」

「嘴が黄色いから、どちらかというと九官鳥じゃないのか?」


 俺は烏の姿を思い出すが、その嘴は確か黒かったはずだ。色が黒くて、嘴が黄色い鳥というと、九官鳥ではないのだろうか。

 シィエーヴは間違いを指摘されたのが恥ずかしかったのか、俺の手を乱暴に振りほどいた。


「それはもういいのよ! ……私はそろそろ帰るわ」


 そう言って、いそいそと懐から取り出した紙を、今まで座っていた座布団の上に広げる。それは円の中に六角形や別の大きさの円を描いて、見たことのない文字が図形の間に書き加えられた、彼女の指すところの魔法陣だった。

 俺は慌てて、彼女を引き留める。


「ちょっと待ってくれ、子供に魔力補充するための道具は?」

「この魔法陣を広げたままにしておいたら、これを通して道具を贈るわ。この子とあなたが暮らしやすくなる道具も一緒にね」


 シィエーヴは俺とその後ろの子供に向かって、お茶目にウィンクして見せた。

 しかし、俺は最後まで結局彼女の年齢は分からなかったと思い、子供は立ち上がったシィエーヴを怖がって俺の真後ろに隠れたままだった。


 彼女は魔法陣の真上に乗った。そして、小声でぶつぶつと何か唱え始める。

 聞いたことのない言語による呪文が紡がれると、陣を中心に金色の光る粉が混ざった風が巻き起こり、居間の紙などを舞い上がらせた。


 子供は、この現象に怯えて、がたがたと震えているのが伝わってきた。

 立ち上がった俺は、子供の後ろに移動して、その小さな背中を優しく抱きしめる。


 シィエーヴは呪文を唱え終えると、こちらを見て、穏やかに微笑んだ。


「それじゃあ、また会う機会があったら」

「ああ、この子の事は、任せてくれ」


 俺の言葉に安心したように頷いた彼女を、眩しい光が包み込み、それが消えると彼女の姿も無くなっていた。

 風も吹き止み、周りには様々なものが散乱している。


 子供は、魔法の事が分かっていないのか、居間を見回してシィエーヴの事を探しているようだった。

 彼女と話しているだけで、一時間半は経っていた。カーテンが開いたままの窓の外は、もう真っ暗になっていた。


 突然の異世界からの訪問客に、子供の真実を知らされて、今現在も信じられない気持ちが残っている。

 現実離れした話を聞き、脳が疲れている上、腹も酷く減っていた。

 しかし、食事の前に一度、この散らかってしまった今を片付けなければならない。


「帰る前に、片づけを手伝ってくれと頼めばよかったな」


 深い溜息の後に、子供を見ると、相手もこちらを見上げていた。こうして、この子を見るのは、随分久しぶりな気もする。


「お前は、この世界が好きなんだな」


 「この子は人間になろうとしている」―――シィエーヴの言葉を思い出しながら、子供のシーツに包まれた頭を撫でた。

 普通のシーツと同じ触り心地だが、この中でこの子はずっと変化を求めていた。


 正直俺は、この世界にある者は美しく、素晴らしいものばかりではないと思っていた。俺自身、人付き合いよりも紙の上で数式と向き合っている方が好きだった。

 しかし、この子は、俺が見つけたことがきっかけで、積極的人間を知ろうとし、人間に近付きたいと願った。自分の大切な魔力を削ってでも、生まれ変わろうとした。

 こうなってしまったのには、俺にも責任があるのだろう。


 出来ることは限られているが、この子が人間になるための手助けを惜しまない。

 そして、この子が人間に変わったら、俺は父親として子供を大切に育てよう。そう心に誓った。

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