「全て、憶測でしか有りませんね」

 時は流れて、アルゴメイサ壊滅から約一か月。


 雲一つない青空の下の、マストリヒシアン、第一滑走路。普段は資材搬入のための航空機を迎え入れているそこで、玲は膨大なリソースを投入して建造した超大口径レールガン【サウロポーダ】を眺めていた。


「完成形は、思ってた以上にスゲェもんだな」


 砲身長1.1km。砲身重量20万トン。超高層ビルをそのまま横にしたような上向きの巨大砲は、生半可な雲より広い影を地面に落としていた。当然威力も凄まじく、300トンの砲弾を10km/sもの初速で毎分20発発射できる。地形どころか局所的な気候変動さえ起こせる性能だ。その上、エーテル吸収鋼の弾芯を採用した大質量の徹甲弾は、一般的な機動城塞が防御に使用する複合エーテル障壁に対して絶大な効果を発揮する。さすがに列強の機動城塞をこれ一門でどうにかはできないが、それ以外の相手なら割とどうにかなるだろう。


「どうです、すごいもんでしょう!」

「本当にすごいな! 静ちゃんは天才だ!」

「そうですか? そうですか?」


 玉姫の賞賛が本当に嬉しいのか、静はてれてれとした表情で顔を押さえていた。


「しかし本当に一か月で完成するとはな。……正直、もう少し長引くかと思ってた」


 静を侮っていたわけではないが、規模が規模。小さなトラブルでも全体に与える影響がバカにならない。スケジュールが割とカツカルだったこともあって、全て順調に行くとは予想できなかったのだ。


「完全浄水と液体記憶アメジストが特異性を失ってしまって、そっちにリソースを割く必要がなくなりましたからね。不幸中の幸いってやつですよ」


 禁断領域から回収した特異物は、最初に予想したよりは長くもったものの、それでも一週間程度で特異性を失った。正直痛いが、途中で方針を切り替えたおかげで八十二キログラムのプラチナを手に入れる事が出来た。最低限、無駄にはならなかったことを喜ぶべきなのだろう。


「ぶっちゃけちょっとジャスミンちゃんに手伝ってもらったから早く出来たってのもありますけどね」


 てへりんこ、と頭をコツンと叩く静は全く悪びれていなかった。


「お前マジかよ嘘だろ」


 それなりの機密を、捕らえているとはいえ敵に見せるかよ、と玲は驚き呆れた。罰したりとかは、特にない。玲の甘さも極まれりだった。


「あれだけの人材を無為に軟禁してる方が嘘だろ、ですよ。ていうか団長はジャスミンちゃんを嫌い過ぎです! あの子は頭も良いし、いい人ですよ? 偏見はよくないと思います!」

「偏見もクソもねぇだろ。俺は事実に基づいて、あの死にぞこないに敵意と殺意を持ってるんだよ」


 ジャスミンに対する負の感情は一か月経とうと微塵も薄まらない。フィールハイトが考え直してくれるなら今すぐにでも殺したい。


「つーかマジで自重してくれよ。ゴミと付き合うとゴミが伝染るぞ」

「ジャスミンちゃんはゴミじゃないですー! そんなこと言う団長の方がよっぽどゴミですー!」


 口をとがらせて反論する静。それとは対照的に、玉姫は何も言わず、少しだけ悲しそうにうつむいた。


 さすがに一月も行動を共にしているとよく分かる。元気がよく天真爛漫な玉姫は、他人の感情の機微には非常に敏感だ。だからなのか、こういうデリケートな問題については発言にかなり気を使っているきらいがある。言いたいことはなんでもはっきり言うタイプの静とフィールハイト、そもそも自分の意見がほとんどないパノラマとばかり接してきた玲としては、少々、調子が狂う。


「……いやまぁ、誰が誰の友達になろうと、そいつの勝手っちゃ勝手だがな」


 何も言わずにただ我慢している相手の前で好き勝手なことを言うというのはさすがにアレすぎるため、玲の強硬な態度も表面上は軟化するのだった。


「おおー! あの団長がこの手の話題でまさかの譲歩!? もしかして、玉姫ちゃんの魅力にメロメロなんですか!?」

「……ま、友達だからな」


 静の冗談を玲はさらりと流した。元来、誰かに対する好意を隠すような男ではない。


「……ありがとう」


 玉姫も玲の親愛を素直に受け取る。静は何とも言えなさそうな顔をした。


「……マジかよその反応って感じですね……もう少し照れたりとかそういうの欲しかったです……ていうか団長! 私にもそんな感じで配慮してくださいよ!」

「お前は気配りを要求するほど繊細じゃねぇだろ」

「言ったなー!」


 ともあれ。


「そりゃじゃあ、恒例のアレやるか」

「おおー! 恒例のアレですね」

「恒例のアレ?」

「すぐに分かりますよ」


 首を傾げた玉姫に、静はお姉さんっぽくそう言った。


「……あー、ダイナソア団長、黒峰玲だ」


 玲はPDAをマストリヒシアンの城内放送システムに接続し、全団員へと呼びかける。


「知っている団員も多いと思うが、以前から開発していた大口径レールガン【サウロポーダ】が完成した。これを祝して、今から二十四時間の間、マストリヒシアン内の娯楽施設、飲食施設、その他需要がありそうな施設を無料開放したいと思う。好きなだけ楽しめ。以上だ」


 ダイナソアでは、何かめでたいことがあると時折こうやって施設を無料開放し、団員を慰安するのである。


「ダイナソアってこういうトコ気前良いですよねー」

「団員のおかげで稼げた金だ。ちゃんと団員に還元しねぇとな」


 アルゴメイサ領の接収で、税収は格段に増えている。プラチナも安定資産だ。この程度の出費は痛くもかゆくもなかった。


「れーくんれーくん! 志衛も食べ放題になるのか!?」

「そうだな」

「やったぁ!」


 最近自分にかかる経費を気にし始めた玉姫は、無邪気に喜んでいた。


「そうとわかればうかうかしていられないな! 志衛へ行ってくる!」

「そんなに急がなくっても大丈夫ですよ、玉姫ちゃん。いつもの通りならまず衣装販売所とかに人が集中しますから」

「静ちゃん! 志衛を舐めたらダメだぞ! 志衛は本当にすごいんだ!」


 もはや信者だ。




 ダイナソアの内部はおもちゃ箱をひっくり返したような騒ぎになっていた。フィールハイトに話は通していたから、店舗側は前もって対応の準備をしていた筈なのだが、それ以上に団員が大騒ぎしている。廊下に座り込んで酒を飲んでいる者までいる始末だ。


「待ってろ志衛!」


 その祭りに参加する者がまた一人。玉姫はマストリヒシアンを雷鳴のように疾走していた。クルセイドに追いすがる身体能力を十全に発揮してはいないが、それでも野生の獣より遥かに速い。残像が見えそうだった。


「嘘、でしょ! 玉姫、ちゃん、超、足、速い!」


 息を切らせて後を追いながら静は驚愕していた。その様子を横で眺める玲も玉姫を見失わないようにするだけでやっとだ。生物としての根本的な性能差を思い知らされる。


「席はまだ空いてるか!?」


 のれんを風圧ではためかせ、玉姫は志衛へと突入した。なんとか振りきられずに済んだ二人も後に続く。


「玉姫氏www来ると思っていましたぞwww」


 玉姫の声に反応し、どんちゃん騒ぎの中から答えたのは中佐だった。空のジョッキがテーブルにこれでもかと置かれているが一体いつから飲んでいるのか。


「席なら奥に確保してありますぞ! どうぞこちらへ!」

「すごい! ありがとう!」

「アハハ! たまっきーも乾杯しよー? ビールなら余ってるからさ!」


 酒が回った赤い顔で、楽しいこと好きの女性団員が、サービスワゴンの上に大量に置かれたギネスビールの大ジョッキを玉姫へと差し出した。あまりの盛況ぶりに給仕が飲料の給仕を半ば諦めたらしい。


「飲ませるなバカ」


 玲は眉をひそめていさめる。道徳がどうこう言うつもりはないが、玉姫のような娘のアルコール摂取はいささか悪影響が強い……かもしれないので、止めておく。


「えーケチー」


 と言いながら、女性団員は玲にビールを渡した。


「団長! 乾杯!」


 そしてぶつかる大ジョッキ。玲は礼儀としてジョッキを一気に煽った。


「良い飲みっぷりですな!」


 横の中佐は心底楽しげに笑った。ちなみにダイナソアは言葉づかいにはあまり厳しくない。勿論限度はあるし人によっては馴れ馴れしい態度を嫌うが、玲は特に何も気にしないタイプだ。


「もう酔ってんのかよ中佐」

「今酔わずにいつ酔うんですかなwww玉姫氏も乾杯!」


 玉姫は烏龍茶入りのコップを渡され、その場の団員とコップをぶつけあった。


「かんぱーい!」


 その後、乾杯や軽い雑談をその場の全員を交わし、玲がやっとテーブルに座れたのは十分後だった


「ふへー。日中なのにみんなテンション高過ぎー」


 静は若干疲弊した顔をしながら、カツオのタタキをフォークに突き刺して口に運んだ。

 玉姫はまだ戻ってきていない。


「ベレンゲル・コンツェルンが開発したナノマシンVRはネ申としか言いようがありませんな。脳に入り込んだマシンが五感を刺激して、場所を選ばず、大掛かりな装置も使わず、現実より現実らしい仮想空間が楽しめると評判でござる」

「夢の広がる話だな!」

「わけのわかんないスパイウェアいっぱい入ってるらしいけどねー。ほとんどナノマシン・ウェポン?」

「だがそれさえどうにかしてしまえば玉姫氏の言う通り夢が広がりんぐでござるよ。……ツテを辿ればいくつか手に入るかもしれませんな。玉姫氏も欲しいですかな?」

「是非お願いするぞ!」


 ……といった感じで、玉姫は中佐のグループとガジェット談義に花を咲かせている。戻ってくるのはしばらく先だろう。それにしても玉姫がダイナソアの面々にすっかり受け入れられているようで何よりだった。


「やはりここに居ましたね」


 玉姫の代わりにやってきたのはフィールハイト。サービスワゴンの上に置かれたグラスへ丸氷を突っ込み、十八年もののダルモアを流し込んで、ついでにチェイサーも確保してから玲たちのテーブルに加わる。


「お疲れ様でーす副団長。乾杯!」


 静はアイスコーヒーの入ったグラスをフィールハイトのグラスと合わせた。


「お疲れ様です。乾杯。それと、サウロポーダ完成おめでとうございます」

「えへへ」

「よぉフィー。仕事は全部片付けたのか?」


 フィールハイトはウィスキーにちびりと口をつけて、片眼を閉じた。


「本日の分は、どうにかようやく、ですね。いやはやまったく、ユーア人共も暇なものです」

「あいつらまだまだ元気だもんなぁ」

「ええ。飽きもせず自爆テロを起こしていますよ。軽く千は殺処理したはずなのですが」


 口調は軽いが、その声には隠しきれない強い怒りが滲んでいた。まぁ、自爆テロに使われるのはもっぱら子供。子供好きなフィールハイトにとってこれほど腹立たしい敵もないだろう。


「ゴキブリみたいな連中だな。仲間をバリエーション豊かに殺されて、よく戦意が萎えねぇもんだ」


 敵の戦意をくじくため、ダイナソアはあえて極めて残虐な殺害方法を実践していた。『子供以外は』何をされるかわからない殲滅戦。八つ裂きにされたアルゴメイサ残党の死体は、敵でなくとも震えあがるような拷問の傷にまみれている。


 にもかかわらず、攻撃が止まない。昨日など六件の自爆テロで八十八人が死んだ。死者の合計が四ケタに到達するのも時間の問題だ。


「ラグナレクルあたりがまた支援してると思うか?」


 玲は鶏むね肉のから揚げを口に運びながら尋ねた。アルゴメイサの壊滅によってラグナレクルは東亜から撤退したという話はあちこちから報告されているが、こうもうまくやられると疑いたくもなる。


「奴が、ラグナレクルやそれに匹敵する勢力の傀儡である可能性は、否定しません。しかし支援に頼ってはいないでしょう。アルゴメイサ残党の攻撃は、潤沢な資金や有能な人材を必要としないものばかりです」

「……バックに何かがいるとしても、戦果自体はウィル・ターナーの独力か。厄介だな」


 玲はハイボールでから揚げの油を流しながら、険しい顔をした。


 ウィル・ターナー抹殺のため、ダイナソアはかなりの戦力をビルマに投入している。効果は大きく、敵とその拠点に甚大な損害を与えているものの、肝心のウィル・ターナーは殺せないどころか痕跡さえ掴めない。禁断領域の何某と違い、明確に行動し続けているにも関わらず、だ。


 ラグナレクルの支援が相手の健闘に一役買っているなら、ここで支援潰しに注力するという選択肢を選べるのだが……そうではないとすると、ウィル・ターナーを殺せないことにはどうにもならない。


「戦力を増強したところで結果が出るとは思えねぇしなぁ……」


 と、そこで静が机を叩いた。


「もー! 何こんなときに仕事の話してるんですか二人ともっ! 折角のお祭り騒ぎなんですから楽しまないと損、損ですよ! 副団長も座って何か頼んだらどうです? このカツオのタタキとかめちゃウマですよ」


 フィールハイトは首を振った。


「折角ですが、遠慮します。すぐに戻らなければいけないのですよ」

「えーマジですかつまんなーい! どーしてですかー!」

「娘を待たせているのです」


 ぶーたれていた静だったが、その一言で真顔に戻った。


「あー……ジャス、じゃゃなかった、ソーミンちゃんが待ってるのなら仕方ないですね。よろしく言っといてください」


 ソーミンとはジャスミンの偽名。玲や静などの最高幹部しかジャスミンの生存を知らないので、こういった場では偽名で呼ぶようにしているのであった。


「……お前らあの女と慣れ合い過ぎだろ……敵だぞ」


 玲は苦虫を百万匹噛み潰したような顔をした。寝首をかかれる恐怖とかはないのだろうか。


「もう敵じゃないですよー! 友達!」

「そして私の娘です。……それでは、また」

「絶対に後悔するからな……」


 去っていくフィールハイトへ玲が負け惜しみのように言った、その数秒後。玲のPDAにメールの着信があった。


 用件を一目見て、玲は椅子から立ち上がる。


「悪い、ちょい用事入った。少し抜ける」

「ええーっ、団長もですかー!?」

「消えるわけじゃねぇよ。三十分以内に戻ってくる」


 玲がそう言った直後、中佐席の玉姫が静に向けて手を振った。


「静ちゃん! BC製の網膜投影ディスプレイについてちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかー!」

「……絶妙なタイミングですね。では、また三十分後に」





 玲が第一会議室に入ると、パノラマが律儀に立って待っていた。


「悪いなパノラマ。こんな時にまで仕事させちまって」

「お気遣い痛み入ります。ですが、ご心配には及びません。貴方の命令に従ってさえいれば、ボクは幸福なのですから」

「ハ、お前らしいな」


 玲はパノラマへ座るように促し、自身も椅子に腰かける。


「ところで、なんだその猫」


 玲は指を指して尋ねる。パノラマは懐の中に子猫を抱えていたのだ。


「道すがら拾った迷い猫です。少し体が冷えているようだったので、暖めています」


 そう言って、パノラマは懐ですやすやと眠る子猫を撫でた。猫は泥で少し汚れていたが、パノラマに気にした様子はなかった。


「動物には優しいよなお前」

「ボクが責任を持てるのは、動物の世話くらいですから」


 パノラマは自嘲気味に笑んでから、ビジネスバッグを開いて、クリップで纏められた紙の束を取り出した。


「こちらが、ドイ・インタノン遺跡侵入実験の最終報告書です」

「あいよ」


 玲は報告書を受け取った。


 この一か月、玲はパノラマにアルゴメイサの捕虜を使った実験を任せていた。禁断領域への侵入者に対し、サクリファイスがどう反応するのか、そもそも出現するのか確かめるためだ。


 一か月間絶え間なく、合計で七百人近くをドイ・インタノンの遺跡へ送り込んだ実験の最終報告に、玲はざっと目を通していく。


 侵入させた被験者は、その全員がうまい具合にサクリファイスによって殺されていた。進んだ距離も性別も年齢も関係ない、無差別な殺戮だ。唯一傾向が出ているのは、侵入してからの時間。侵入して三、四十分経つと殺される確率が跳ね上がっている。ドイ・インタノンの遺跡に侵入して一時間以上生存できた被験者はたったの二人。その二人も侵入後二時間以内に殺されている。


 ひとしきりデータを読んだ玲は、小さく頷く。


「よし、これならプランAでどうにかなるか」


 用意していた作戦がうまく機能しそうで、玲はひとまず安心した。この実験により、有線であれば禁断領域‐地上間の通信が可能だと判明したのも大きな収穫だ。


「うまくやってくれてありがとうな」

「恐悦至極です。玲様」


 玲は資料をテーブルの隅に避けて、足を組んだ。


「……さて、早速次の仕事の話で悪いが……前もって予告しておいた通り、ビルマで暴れてるクソ共の対応をお前に一任したい」


 ダイナソアの『正攻法』では埒が明かない。そこで玲はウィル・ターナー殺害のための次なる一手を、パノラマへ任せることにしていた。


 こと水面下での殴り合いなら、パノラマより優れた団員はダイナソアに存在しない。女性の籠絡から拷問・脅迫まで、ありとあらゆる手段を用いて確実に目的を遂行する。伝説的なスパイにも引けを取らないその才覚は、パノラマをひどく嫌っているフィールハイトでさえ認めざるを得ないほどだ。


「プランは考えてあるな?」

「ええ。お望みとあらば今すぐにでも実行いたしますが」

「さすがだな」

「玲様の奴隷として当然のことをしたまでです」

「だからそれはやめろって」


 玲は苦笑してから、パノラマの顔を真っ直ぐ見据えた。


「手段は問わん。武器もカネもいくらでもやる。何万人殺そうと構わねぇ。ウィル・ターナーと奴率いるアルゴメイサ残党を殲滅しろ」


「御心のままに」


 大仰に頭を下げたパノラマに、玲は頷いてから、ふっと表情を崩した。


「……仕事の話はこれくらいでいいだろ。折角の祭りだ。お前も楽しんでこいよ。……なんならこっち来るか? そういや玉姫と話したことなかっただろお前」


 フィールハイトもいないのでそう提案した玲だったが、パノラマは珍しく、困ったような顔をした。


「いえ、ボクは……」


 数秒、逡巡するように視線を彷徨わせてから、パノラマは意を決したように顔を上げた


「玲様。おそれながら、一言、申し上げたいことがございます」

「珍しいな、なんだ?」


 パノラマはひどく言い辛そうに、言葉を紡いだ。


「あの玉姫という娘には、気を付けた方がよろしいかと」

「そりゃどういう意味だ?」


 玲は純粋に不思議だった。


 やっかみや私怨で玲を困らせる男ではない。それ以前にそもそも自分から意見を言うような男ではない。かつてベレンゲル・コンツェルン傘下のコングロマリットで、理不尽に責任を押し付けられ破滅したパノラマは、あらゆる責任を厭い、嫌う。そのパノラマがこんなことを言うなど、今までなかったことだ。


「彼女を好意的に見ていない団員は、ダイナソアにボク一人です。この城塞において彼女は完全肯定されています。……あまりにも不自然ではないでしょうか」

「不自然?」


 言っている意味がよく分からず、玲はおうむ返しに訊き返す。パノラマは首肯し、話を続けた。


「幼くも美しい容姿に愛くるしい声。悪徳を憎むものの加害者の言い分を認める度量の深さを持ち、また快活でありながら無神経ではなく、他者を不快にさせない細やかな配慮もできる。……それだけならばただの『良い人』でしょうが、彼女は強い好奇心で他者の趣味嗜好に興味を持ち、その話題を起点に友好的な関係を築くことができます。この一か月、彼女はそうやって支持を広げました。あのジャスミンさえ、例外ではありませんでした。

 ……違和感しか覚えません。非の打ち所がまるでない。『そう造られ』でもしない限り、こんな性格にはなり得ないでしょう」


「…………なるほどな。お前の言い分は分かった」


 玲はパノラマの意見を聞いて静かに頷いた。


「まぁ確かに人当たりは良すぎるな。お前が警戒するのもわからんでもない。しかしその辺は、記憶喪失が関係してるんだろ」


 記憶がない、まっさらな状態であることが、対人関係の構築に良い影響を与えているのではないか。玲はそう考えた。


「ですが……」


 パノラマはなおも食い下がろうとして何かを言いかけたが、結局何も言わずにゆるゆると首を振った。


「……いえ……全て、憶測でしか有りませんね。大変、申し訳ありませんでした」

「いや、感謝する。あいつ自身に悪意があるとは思わねぇが、禁断領域が関わると何が起こるかわかんねぇからな」


 何事にも、不測の事態は起こり得る。しかも今回はリスク管理に優れるパノラマからの忠告だ。一応警戒しておいて損はないだろう。

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