「まさか」

 ジャスミンへの事情聴取をあらかた済ませたフィールハイトが彼女と雑談をし始めたので、玲は、マストリヒシアン下層部工業区域第一種兵装製造所へと足を運ぶことにした。


 超大口径レールガンの材料が搬入され始めたことで、やや慌ただしく団員が動いている中、玲は二日ぶりにその尻尾を見つけた。


「何してんだ?」

「あ、れーくん」


 搬入作業を眺めていた玉姫は、玲に後ろから話しかけられ振り向いた。


「今からでっかいレールガンを作るっていうから、見学してたんだ」


 そう言う玉姫の顔は明るいが、どこか無理をしているようにも思えた。左右に振れる尻尾の動きもどことなくわざとらしい。


「静は?」

「あっちで、作業員のみんなとお話してるぞ」


 見ればなるほど、静は搬入されたばかりの資材の横で、何やら真剣な表情で話し込んでいる。玉姫をほっぽっていたことに文句の一つでも言ってやろうと思っていたが、真面目に仕事をしているのなら何も言えない。


「それにしても、とんでもない大きさのレールガンを作るんだな。あんなもので撃たれたら玉姫もひとたまりもなさそうだ」

「耐えられたら立つ瀬がねぇよ」


 何千億円もかけて建造する必殺兵器が、見た目十歳程度の女の子一人満足に殺せないともなれば、さすがにダイナソアの沽券に係わる。


「しかし……あんなレールガンが必要になるなんて、れーくんたちは一体何と戦ってるんだ?」


 クレーンで吊るされた五十メートル近い砲塔の部品を見上げて、玉姫は呟いた。


「色々だ」

「色々…………それじゃあ玉姫は、今日は、その色々について聞きたい」

「そうかい。じゃあ、そうしようか」


 そうと決まれば長居は無用。玲は玉姫を連れて非常口から製造所を抜け出した。


「ところで、静はなにか迷惑かけたりしなかったか?」


 玲は中層部に繋がる廊下をのぼりながら、玉姫に尋ねた。

 静のことは信頼しているのだが、玲やフィールハイトとはまた違うベクトルでネジが外れた人間であるのも事実。なんとなく玉姫の元気が上辺だけに見えることもあって、地味に不安だ。


「迷惑なんてかけられていないぞ。テストは楽しかったし、冒険は楽しかった」

「冒険?」

「この城塞……マストリヒシアンを静ちゃんと一緒に冒険したんだ。友達も増えたぞ」

「そうなのか」


 玲は少し嫌な予感がしたが、杞憂だろうと思うことにした。いくら静でもそんな滅茶苦茶なことはさすがにしないだろう。多分。


「そういや飯は食ったか?」

「みんなで一緒に志衛で和風カレーを食べた。オホーツク産毛ガニの豊かな甘味とガラムマサラの複雑な辛味が、底が見えないほど奥深い香りと渾然一体になって、わけがわからないほどおいしかったぞっ」


 すっかり志衛を気に入っている玉姫なのであった。





「今の世界情勢を理解するためには、まずユーア人について知る必要がある」


 第四会議室。上生菓子を満載した机の前で足を組み、玲は切り出した。


「ユーア人? ユダヤ人じゃなくてか?」

「全く違う。ユダヤは民族だが、ユーアは人種だ。もっとも、置かれてる状況に共通点はあるがな」あと名前も若干似ているが、そんなことはどうでもいいだろう。「ユーア人ってのは、2003年のヤン=オリオール=上川=アンダーソン文書……頭文字をとってユーア文書と呼ばれてる論文によって提唱された、新たな人種の概念だ」


 個人的には人種というより進化だとも思うが、これもまたどうでもいい。


「ユーア文書には、今後百年以内に既存人類より各種能力が強化された人間が出現し、いずれ人種として定着すると記されていた。四半世紀後、はたしてユーア文書の予言は現実になった。身体能力頭脳共にこれまでの人間を凌駕するユーア人は、偶然と権力者の欲望が積み重なったことで爆発的に数を増やし……案の定、凄まじい反発が起こった。第一次ユーア・ホロコーストだ」


 スターリンのような虐殺者が指示をしたわけではなく、草の根運動だったらしい。平凡な主婦やサラリーマンが、自らの居場所を守るため、何の罪もないユーア人を殺して回ったのだ。


「そこで大人しく絶滅してたら話もこじれなかったんだろうが、ユーア人の利用価値を知っていた時の権力者は連中の絶滅を許さなかった。あの頃は世界にも人権意識がかろうじて残ってたしな。

 迫害されながらも存続したユーア人は二次大戦後のユダヤ人と同じように建国を望んだが、イスラエルの破滅がまだ記憶に新しかった国際社会はそれを許さなかった。だから連中は、国家という枠組みを無視して共同体を作りあげ、何百年かをかけていくつかの地域を制圧した。今現在、ほとんどの国家が形骸化しちまってるが、それはこれが原因だ」


 なお、凋落までに国家群は何度も敗北を重ねているが、その最大の原因は【英雄理論】の軽視だとされている。強い兵士を上へ引き上げるシステムがなかったため、敗北に歯止めがかからなかったのだ。


「現在におけるユーア人勢力の筆頭は、ユーア人至上主義を掲げる【グレート・ステイツ】。指導者がユーア人で多数のユーア人団員を抱えてる【ラグナレクル】と【アトランティス】もこれに含まれる。

 一方、反ユーア主義の筆頭は、史上最強のクルセイドプレイヤーが率いる【北欧連合】。数年前に黒人勢力と合流したこともあって列強の中でも規模は最大だ。既存宗教を表舞台から駆逐したマジキチカルト集団の【螺旋教団】もユーアに敵対的だ。

 世界経済を完全に握る大財閥【ベレンゲル・コンツェルン】と史上最大の軍産複合体の【WWアサルト】は、ユーア人問題についてのポジションを持ってない。まぁ日和見だろうな」


「ふむぅ……【北欧連合】、【グレート・ステイツ】、【ラグナレクル】、【螺旋教団】、【ベレンゲル・コンツェルン】、【WWアサルト】、【アトランティス】……この七つが、今の地球を支配する七大勢力というわけなんだな」

「定義によっちゃアトランティスを抜いて六大勢力って呼ぶこともあるがな」


 ちなみに、ダイナソアはユーア人問題についてのポジションは持っていない。こんなアホみたいな民族紛争で団員を死なせたくはないのだった。


「れーくんはユーア人なのか?」

「まさか。俺は単なるデザインアーミーだよ。ユーア人なら左右の目の色が違う」


 玲は黒髪黒目の日本人だ。


「でも、れーくんはとても優秀だぞ?」

「ユーア人が出現した当初は、旧人類なんて煽られるのもわかるくらいにはユーア人と非ユーア人……ネイティブには差があったがな。二百年以上をかけた選別交配と遺伝子操作で、ネイティブとユーア人との差はかなり縮まってるんだよ。クルセイドプレイヤーとして抜擢される人材にもなると、ユーアとかネイティブとかほとんど関係なくなってくる。ユーアへ対抗するために推奨された優生学的繁殖の賜物だな」


「ユーア人は遺伝子改良とかしなかったのか?」

「曰く、優生学は『劣等種に許された品種改良』なんだそうだ。選民思想だな」


 選別交配や遺伝子操作を行っている者もごく少数いるらしいが、基本は『遺伝子組み換えではない』だ。……歴史にイフはないものの、もし彼らが躊躇いなく優生学を取り入れていたのなら、世界は今頃ユーア人に征服されていたかもしれない。


「中々、根が深そうな話だな……」

「憎悪が憎悪を呼んでもうわけわかんねぇ状態だしな。どっちかが絶滅するしかないんじゃねぇかとも思う」


 二百年を超える憎しみの連鎖は、もはや絆だ。切ろうとして切れるものではすでになくなっている。


「……れーくんは、ユーア人嫌い?」

「どうだろうな。少なくとも好きじゃねぇが」


 つい先ほど自爆テロを起こしたばかりの相手だ。好意的になどなれなかった。


「……れーくんは、ユーア人が嫌いだから……まだ、ジャスミンを殺そうとしているじゃないのか?」


 玉姫が悲しそうに目を伏せて呟いたその一言に、玲の表情は凍り付いた。


「……誰に聞いた」


 声には、余計なことを言ってくれた誰かに対する強い怒気。


「ジャスミンから直接聞いた。怖いから守ってって、言われた」


 対する玉姫はすっかり気落ちしていた。なんとなく元気が嘘っぽかったのはどうやらこれが原因らしい。


「……あのアマ……」


 静め、余計な真似をしてくれる。仲間に対して寛大な玲も、さすがに今回は怒りが勝った。そしてジャスミン。もう、ただただ、心底、殺してやりたかった。


 玲は頭痛を伴う苛立ちを溜息と共に吐き出して、腕を組んだ。


「……別に、あいつがユーア人だから殺そうとしてるってわけじゃねぇ」

「じゃあ、どうして?」

「……あいつに限らず、敵が怖いんだよ」


 玉姫の悲しげな目からきまり悪そうに視線を逸らし、玲は吐露する。


「俺から何もかも奪おうとする連中が、生きてるって事実に途方もない恐怖を感じる。だから殺す。敵は、一人も残さず」


 玉姫は、何かを言おうとして、やめて、また何かを言おうとして、口を噤んで。


「……みんなみんな殺して、それで平和が来ると、思う?」


 ようやく、その一言だけを絞り出した。


「少なくとも、生かしてるよりは平和だ。死人は武器を持てねぇんだからな」

「…………」


 玉姫は暗い顔で押し黙った。


「お前が何考えてるのかはなんとなくわかる。よく言われるよ、『ここまで徹底的に殺し尽くす必要はない』ってな。だがどうしても無理だ。敵は絶滅させねぇと、頭がおかしくなりそうになる」


 どれだけの安全策を講じても不安がぬぐいきれない。信じられる敵は死んだ敵だけ。死の沈黙だけが玲に安堵をもたらす。


 腹が破れた妊婦。地面に転がる赤子――あんな絶望は、もうごめんなのだ。


 時計の音だけが規則的に耳朶を叩く沈黙。壁掛け時計の秒針が一周したところで、玉姫は口を開いた。


「……無責任なことは言わない。でも、一つだけ、一つだけ聞かせてくれ。……れーくんは、人を殺すの、好きなのか?」


「まさか」


 すがるように見つめた玉姫に、玲は即答した。


「殺しは手段だ。そこに好きも嫌いもねぇ」


 躊躇いはないが好んでもいない。害虫に殺虫剤を吹きかけるようなものだ。


「だが、戦闘を伴う殺しは明確に嫌いだな。100%勝てる戦いなんかねぇ。常に何かを喪失する可能性がついて回る」


 甘い感傷など微塵も抱かず、極めて合理的な見地から、玲は戦いを忌避していた。


「……よかった」


 玉姫は胸に手を当てて、安堵したように表情を緩めた。


「俺の感情になんかクソほどの意味もないけどな。何をどうやっても殺し合いの舞台から降りれねぇんだから」


 呟いたその声は、玲自身も驚くほどに、憔悴の色が強かった。


「覇権に最も近いのは、史上最悪のホロコーストを現在進行形で実行してる【北欧連合】。そのトップに立つシルヴァレット・フォーゲルクロウは単独で一千万人を殺害した怪物だ。ここと戦争やってる【グレート・ステイツ】は王族貴族が富を吸い上げ、下級国民は餓死し、被差別民が遊び感覚で殺される分かりやすい悪の帝国。【ラグナレクル】は世界統一後に地上から文明を一掃するつもりだし、【螺旋教団】は大真面目に生贄をささげるようなカルト宗教。残りの列強も似たようなゴミさ加減。それ以外の勢力もお察しだ。殺し合いから降りればその瞬間にハラワタまで喰い尽くされる」


 大東亜生存圏を確立すれば、今よりはずっと戦いの頻度を減らせるだろうが、それでも平和にはほど遠い。列強と対立し、牽制しあい、少なからぬ血が流れるのだろう。


「……クソッタレなこの世界で、それでも殺し合いから降りようと思うなら……自殺するか、世界征服でもするしかねぇんだろうな」


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