「……42?」

 ダイナソアは、二日かけてアルゴメイサの主要な幹部を殲滅した。あらかじめ用意してあった掃討プランと、パノラマによって齎された正確な情報あっての戦果だった。


 ヤンゴンに電飾のように吊るされた、千を超える負け犬の死体は、アルゴメイサの終焉をビルマの住民に知らしめてくれるだろう。


 そして今、フィールハイトが搭乗するクルセイド・ミステイクは、負け犬の最後の一人を吊るそうとしていた。


「い、嫌だ! 殺さないでくれ」


 首に縄をかけられ、今まさにマンションから吊り下げられようとしている男は、涙を流しながら命乞いをした。死にたくて死ぬ奴はいねぇよ、と思いながら、玲は事の推移を見守る。


「聞けない相談ですね。……貴方がどれだけの子供を闇へ売り払ったのか、知らないとでも思っているのですか?」


 フィールハイトに文字通り命を握られている男は、ダン・ルイスとかいうアルゴメイサの元高級幹部だ。残党をかき集めて地下シェルターへ逃げ込もうとしていたところを、待ち構えていたダイナソアのクルセイド部隊に襲撃され、94%という驚異的な損耗率を叩き出すも本人は運悪く生き残り、今に至る。


 ダイナソアの計画通りに動いてくれたので玲としては特に恨みもないのだが、子供を売買したことがフィールハイトの逆鱗に触れている。残念ながら嬲り殺しだ。


「あ、あれは、ジャスミンの指示で! あ! ……が、かっ……! やめ、あ!」


 ミステイクの手に力が込められ、男は哀れな悲鳴をあげた。肋骨は小枝のようにへし折れていることだろう。


「大人が子供に責任を押し付けて恥ずかしくないのですか」


 ジャスミンが子供であることは誰にも知られていなかったのだからそんなことを言っても仕方ないのだが、もはやフィーは何を言っても止まらない。


 たっぷり三分。蛇の生殺しが如く、握りつぶす寸前の絶妙な力加減で男に苦痛を加えてから、フィールハイトは唐突に力を緩めた。


「しかし、まぁ。私も鬼ではありません。次の質問に回答できれば、あるいは見逃しても構いませんよ」


 絶対に嘘だったが、死の淵にある人間とはどんな些細な希望にもすがるもの。


「やりますか?」


 男は鼻血を流しながらも必死に頷いた。


「さて、それでは……生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答えはなんでしょうか?」


 フィールハイトがよく口にする、古いSF作品のジョーク。その答えは確か……。


「……42?」

「……面白くない人ですね」


 まさか答えられると思っていなかったのか、フィールハイトは露骨に不機嫌な声を出した。


「やはり死刑です。さよなライオン」


 ミステイクの手が男を離す。たちまち、荒縄が男の首を締め上げる。気道を塞ぎ動脈を塞がないように結ばれた縄は、犠牲者に速やかな死を許さない。首を絞めつける縄から逃れるため、男は必死で首と縄の間に指を挟もうと虚しくもがき……一分ほどで力尽き、動かなくなった。


「みなさん!」フィールハイトはミステイクを後ろに振り向かせた。そして、遠巻きに見守っていた群衆へ向けて大声で呼びかける。「ご覧ください! ついに圧制者は滅びました! 貴方がたは理不尽な暴力や恐ろしい飢餓から永久に解放されたのです!」


 一拍遅れて、歓声が上がる。やはりアルゴメイサの統治は相当不味かったらしい。しかし、アルゴメイサの面々がビルに吊るされ風に揺られているのは、統治を失敗したからでも、人身売買に関わったからでもない。ただ戦争に負けたからだ。


 明日は我が身。こんな惨めな最後を迎えないためにも、やれることはすべてやらなければ。


「……ん?」


 そこで玲は、熱狂する大人の中に、足取りが不確かな少年を見つけた。


 左右の目の色が違うその幼い少年は、不自然に膨れたコートを着て、きょろきょろと周囲を気にしていた。コカインでも吸わされているのかその目はうつろで、しかし何かを恐れているのか歯はガチガチと鳴っている。


 それが何を意味するのかは、嫌になるほど知っていた。


「チ、自爆テロかよッ!」

「ユ……ユーア万歳! 旧人類に死を!」


 玲が看破するとほぼ同時、子供は涙と鼻水を流しながらフィールハイトのミステイクへ駆け寄ろうとした。玲は躊躇いなくサウザントの銃口を向け――。


「撃つな!」


 フィールハイトがスナイパーライフルを槍のように使い、サウザントを上に跳ね上げる。拡散率を極限まで絞ったエーテル弾は空の彼方へ飛んで行った。


「ひっ!」


 しかし相手はただの子供。銃がぶつかった音だけで身をすくませ……おそらくは反射的に、爆弾のスイッチを押してしまった。


 吹き上がる爆炎。


 発生した爆風と破片は群衆へと猛烈に襲い掛かり、何十人かを一瞬で無残な死体に変えた。


 悲鳴と怒号が響きわたり、ヤンゴンは一転して狂乱の巷になる。爆心地には、手足が吹き飛び、黒焦げになった小さな死体がぽつんと落ちていた


「フィー! このアホ! あんなもん助けられるわけねぇだろうが!」


 玲は惨状については全く気にせず、友のためを思って声を荒げた。


 少年兵が身に付けていた爆弾は、おそらく【WWA-LG7 ブラックカラメル】。吸着手榴弾の一種で、もっぱら四脚戦車への攻撃に用いられる。クルセイドへの攻撃へ使うには完全に力不足であるものの、全身へ大量に括りつけた状態で、体当たり攻撃をかませば……ミステイクのように、非常に装甲が薄いクルセイドなら、当たり所によっては損傷しかねないのだ。


「ですが……ですが!」


 コクピットの中から、フィールハイトは泣きそうな声を出した。


「なぜ……未来ある子供が、大人の都合で無残に死ななければならないのですか!」


 フィールハイトはそれきり黙り込む。姿は見えないが、うちひしがれているようだった。


 玲はしばらく相棒をそっとしておくことにして、今しがた起こった出来事について分析する。


 状況から見て、主犯は恐らく、ユーア過激派に属するアルゴメイサの残党。アルゴメイサ掃討を推進するダイナソアへの挑発行為だろう。

 主要な幹部を今しがた殺し尽くし、ようやく本当に情勢が安定すると思った矢先にこの有様。小さな靴を履いた黒焦げの足を眺めながら、玲は燃えるような怒りを目に宿した。


 上等だ。生まれてきたことを後悔させてやる。






 上層部居住区画第十八客室。玉姫の泊まる客室とは違い、やや狭くビジネスホテル然としていながらも上質な家具を揃えた、品の良い部屋だった。


 病室を出たジャスミンは、現在、ここに軟禁中である。


「あ、お父様~」


 木製の椅子に座って古い少女漫画を読んでいたジャスミンは、待ち望んでいたのだろう来訪者を見て、にへらと相好を崩した。


「ジャスミン、体に不調はありませんか?」


 部屋へと入ったフィールハイトは、座る場所がないのでベッドに腰掛けた。つい先ほどまでカビが生えそうなほどに鬱々としていたのだが、今は見かけ上は平静そのものだ。おそらく『娘』に余計な心配をかけないように表情を取り繕っているのだろう。まったく、健気というか、なんというか。


「問題ありません~。お父様の愛を一身に受ける私は無敵です~」


 わけのわからないことを言うジャスミン。ガンドッグを撃破された際に大怪我を負っていた筈だが、治療が行われたからか特に気にしている様子はない。もう少しどうにか痛めつけてやれなかったかと、別室にこもりPDAから十八客室の様子を監視している玲は、わずかに後悔した。


「ご不便をおかけして申し訳ありません。もう少し、辛抱してください。必ず、貴女を自由をしてみせますから」


 絶対に自由になんてさせねぇがな、と玲は内心で思った。生かしているだけでもかなりのストレスなのだ。


「いえいえそんなお気にならさず~。ぶっちゃけ私~お父様と毎日会えるだけでもう満足ですし~」建前のような台詞だが、表情からにじみ出る幸福っぷりを見るにどうも本音らしい。「それに~生まれて初めてお友達もできましたし~もう順風満帆です~」

「それはよかった。ちなみに、どなたですか?」


 ジャスミンはいたずらっぽく微笑んだ。


「ごめんなさい、お父様にも内緒です~。この話をすると、怒る人がいるので~」


 ジャスミンは、監視カメラを隠してある部屋の角へ視線を向けた。当然のように気付かれているらしい。


「まったく~。年頃の少女を監視しようなんて、とんだ変態もいたものですよ~。私、これでも嫁入り前なんですけどね~?」


 明らかに玲へ向けた嫌味だった。殺してやろうか。


「静、あまり玲を刺激しないでください。あれは未だに貴女の命を狙っています」


 玲の怒りを察してかフィールハイトが窘める。ジャスミンは心配して貰えることが嬉しいのかまた微笑む。


「冗談です~。普段の監視は女性団員さんがやってくれてるって説明、してくれましたもんね~」


 ダイナソアにおけるアルゴメイサ捕虜の待遇は、死人が続出する程度に苛烈だが、フィールハイトの娘になってしまったジャスミンだけはかなりの配慮を受けている。薄汚れた独房で死を待つアルゴメイサの元兵士がこの現実を知れば何を思うのか。


「ちなみに~、男の人でも、お父様の監視ならバッチコイって感じです~。もちろん、見る以上のこともオッケーですよ~?」


 ジャスミンはフィールハイトの隣に移動すると、誘惑するように細い体を密着させた。自身の美貌が異性へどのような効果をもたらすか、よく理解しているのだろう。


「ジャスミン、そういうふしだらな態度は感心しませんよ」


 だがフィールハイトは顔をしかめた。過去に色々な虐待を受けたことから、フィールハイトは肉欲を嫌い貞潔を貴ぶ。もしもキリスト教がこの世に残っていたのなら、あるいは神父になっていたのかもしれないほどだ。


「心配しなくてもお父様以外にこんなこと言いません~。私、これでも操を守るタイプの女ですから~」


 色仕掛けが逆効果だと気付いたのか、ジャスミンはすんなり離れた。若干名残惜しそうではあったが。


「それにしても、監視責任者の静さん、いい子ですよね~。お父様に色目を使わないところも個人的にポイント高いです~」


 それから、フィールハイトと静は他愛もない雑談を楽しんだ。


「ところでお父様~。本題はなんでしょうか~? おおかた、アルゴメイサの残党が何かやらかしたんだと思いますけど~」


 眺める玲の苛立ちがピークに近付き始めた頃、ジャスミンの方がフィールハイトの目的について質問した。


「さすがはジャスミン、お見通しですか」

「お父様の愛娘ですからね~」

「そう言っていただけるのは光栄ですね。……さて」


 フィールハイトは真面目な顔をして、弛緩した空気を引き締めた。


「……ダン・ルイス、ラ・ラ・リィ、クワェン・ドング・ブライエン、ヘンリー・フランシス、ジョン・マチェット・アーロン……貴女を除く、主だったアルゴメイサ幹部の生き残りを殺処理したにも関わらず、つい先ほど、アルゴメイサ残党によるものと思われる攻撃を受けました。彼らを率いているゴミに、何か心当たりはありませんか?」


 ジャスミンは唇に人差し指を当てて考えた。


「う~ん、思い当たるのは~ウィル・ターナーくらいですかね~」

「ウィル・ターナー?」

「ご存じありませんか~?」

「いえ、全く」


 玲にも聞き覚えはなかった。


「……認めるのは癪ですけど~、もしかしたら彼は私よりやり手なのかもしれませんね~……」


 ジャスミンはやや不快気に独り言を呟いてから、話を続ける。


「ウィル・ターナーは~、アルゴメイサが二か月前に取り込んだ雑多な中小勢力の一員です~。最初はパッとしなかったんですけど~、アルゴメイサ傘下に入ってからメキメキと頭角を現して~、私と権力争いをするまでに至りました~」

「そんな人物がいたのですか……」


「正直なところ、私が手勢を率いてドイ・インタノンへ侵攻したのも、権力争いで焦ってたからっていうのが大きいんですよね~」と、ジャスミン。アルゴメイサは、ダイナソアの初期のもくろみ通りに内部分裂を起こしていたわけだ。……今となっては厄介なだけだが。


「……アルゴメイサはユーア人勢力をも取り込んでいたのですか?」

「ユーア人?」


 きょとんとしたジャスミンに、フィールハイトは先程の顛末を説明する。


「……あのクズめ」


 軽蔑を込めた声で吐き捨てたジャスミンは、フィールハイトの前であることを思い出したのか、すました顔をすぐさま取り繕った。


「ユーア人うんぬんについては、私も初耳です~。というか分かってたら迎え入れたりなんてしませんよ~。さすがの私も、【銀狼】と【帽子の男】が率いる北欧連合を敵に回して生きていられる自信はないですからね~」


 たはは~、とジャスミンは苦笑した。まぁ当然の考えだろう。北欧連合のユーア人絶滅政策ほど徹底的という言葉が似合うものはない。ユーア人の幼児たった一人を匿った人口三千人の町が、雨のように落とされた放射能爆弾によってすり潰されたこともある。利益や効率や経済性や合理性を度外視し、ただただ極限の憎悪によって殺戮の限りを尽くす北欧連合は、ユーア人でなくとも絶対に敵へ回したくない存在だ。


「……つまり、そのウィル・ターナーは、自らの身元も明かさないまま短期間でアルゴメイサ内での地位を確立し、プロキオン破壊時にも生き残り、ダイナソアの掃討作戦を余裕でかいくぐって、あまつさえ挑発をしてみせたと、そういうことですか」


 偶然、ではないだろう。プロキオン破壊だけならともかく、掃討作戦からも逃れきるなど、ダイナソアの動きを察知していたとしか思えない。


 どこで情報が漏れたのか、どこまで展開を読んでいたのか。一瞬、サクリファイスの名前が頭をよぎるが、すぐに打ち消す。予想されるウィル・ターナーの能力は常軌を逸しているが、列強指導者クラスの実力をもっているならば、不可能ではない。なんでもかんでも超常現象と絡めるのは思考停止だ。


 ……なんにせよ、頭の痛い話であることには変わりないが。

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