「勉強会?」
会議を終わらせた玲は中層部にあるポピュラー・ミュージック・ルームへと足を運んだ。古今東西の様々な音楽を、体感音響装置の重厚なサウンドで楽しむことができる空間である。
福利厚生の一つなので利用は自由。外部では入手の難しい音楽データも残っているので強い人気がある施設だったが、音楽に全く興味がない玲はほとんど利用したことがなかった。
そんな玲がなぜここを訪れたのかといえば、玉姫を待たせていたからだ。
部屋の右隅に並ぶマッサージチェアとヘアスチーマーを融合させたような体感音響装置。それを使って今まさに音楽を聴いている玉姫は、目を閉じて足でトントンとリズムをとっていた。ノリノリだ。
「あ、れーくん!」
歩み寄った玲の気配に気付いた玉姫は、手元のリモコンで音楽を止めると、頭を覆っていた音響装置を上にあげた。
「何聴いてたんだ?」
「ジャズを聴いてた!」
玉姫は勢いをつけて立ち上がり、キラキラした目で今しがた味わった感動を語る。
「すっごく楽しい気分になれるな! 特に【シング・シング・シング】! てっ、てっ、てーれれってところがとても良い!」
シング・シング・シング……確か、スウィング・ジャズを代表する名曲。ジャズ好きのパノラマが何とか言っていたのを覚えている。
「しかしなんでも楽しむよな、お前」
「楽しいのは良いことだ!」
「それは確かに」
趣味が少ない玲だが、そのことを利点に思ったことは一度もないのだ。
「ところで玉姫、体の調子を崩したりとかはしてねぇか?」
特異物がその特異性を喪失しつつあるという話を思いだし、玲は玉姫に問うた。
「うーん……別になんともないと思うぞ。体は普通に動くし、気分も悪くない」
何を思ったか手をグーパーと開閉しながら見つめ、玉姫は答えた。
「そうか。ならいいんだが、ちょっとでも気分悪かったりしたらすぐ言えよ?」
「うん」
玉姫と玲は連れだって、ポピュラー・ミュージック・ルームを退出し、廊下に出た。
「会議では何を決めたんだ?」
「一か月後に禁断領域へ進出することにした。同時にサクリファイスも討伐する予定だ」
「そうか」
玉姫は特に何も言わなかった。
「つーわけで向こう一か月は暇だ」ダイナソアとしてはまったく暇ではないが、運営をフィールハイトに任せた以上玲の出る幕はあまりない。「そこで提案なんだが、勉強会でもしねぇか?」
「勉強会?」
「名前の通りだ。聞きたいこと聞いて、聞かれたことを答える会。お互いまだわからないことだらけだ。ここで疑問を解消しておきたいだろ?」
「なるほど! それは名案だな!」
玉姫の賛同が得られたので、さっそく用意することにする。
玲は、縞目が美しいエボニーのテーブルに山盛りの菓子と熱いコーヒーを置き、革製の上質なソファに腰を預けた。
マストリヒシアン、中層部、第三応接室。ベティのような刺客でない、真っ当な来客がまず通されるのがこの部屋だ。実は鹵獲兵器であるマストリヒシアンの中で、鹵獲される前の姿をほとんど残している数少ない場所でもある。
「すごくわくわくする!」
玲の対面に座る玉姫はオレンジジュースをちびちびと飲みながら笑顔だ。
玲は持ってきた真新しいノートにボールペンで日付を書いた。覚えようと思ったことについては忘れることはほぼないのだが、まぁ雰囲気作りだ。
「そっちからどうぞ」
玉姫がノートに名前を書き終わったところで、玲は質問を促した。
「それじゃ、ずっと気になってたことを」
玉姫はオレンジージュースを置いて、一つ目の質問を口にした。
「なんでダイナソアではれーくんたちが前線に出るんだ? ふつう、偉い人は戦いに出ないんじゃないのか? 玉姫も無駄が多いと思うぞ」
最初はもっと単純な質問が来るかと思っていたが、子供らしからぬ着眼点だった。
「理由は一つ。その方が結果的に勝てるからだ」
玲は端的に答えてから、具体的にどういうことか説明する。
「2096年に提唱された【英雄理論】ってのがあってな。簡単に言うと、『組織における最強の兵士が指導者になり、前線に立ち続けた場合、様々な面で多大なリスクを負うことになるが、最終的にメリットが上回る』っつー理論だ。当初は眉唾のトンデモ理論だと思われてたが、提唱者はその身をもって己が理論の正しさを証明した。第一次ユーア戦争で、戦力的には同等だったはずの敵軍を完膚なきまでに潰してみせたんだ」
ちなみに、今は第四次ユーア戦争が絶賛開催中だ。と玲は付け足した。
「うーん、どうして最強の兵士が指導者になると戦争で勝てるようになるんだ? さっぱりわからない……」
玉姫は首をひねった。この理論によってボコボコにされた当時の権力者たちも、きっと同じような顔をしていたのだろう。
「まず士気が上がる。物凄く上がる。高い士気は兵士を勇敢にして、最高のパフォーマンスを引き出す。そしてそれ以上に重要なのが相手側の士気の低下だ。英雄ってのは得てして敵から恐れられるもんだが、これが指導者になると存在するだけで恐慌を引き起こすまでになる。どうにも、そのシチュエーションが精神的に打撃を与えるらしい。厳密には違うが、ジャンヌ・ダルクのイメージがわかりやすいか」
「なるほど! わかりやすいな」
玉姫は、ノートにすらすらとメモを取っていく。女の子らしい、丸い字だった。
「敵の英雄的指導者による士気の壊滅的な低下を防ぐ方法は、自軍も最強の兵士を頭に据えることだけだ」
「だからダイナソアで一番強いれーくんがリーダーをやっているんだな!」
玉姫はうんうんと頷いて、ノートに大きく『れーくんは強い!』と書いた。
「勿論問題はある。指導者が負けた時点で何もかも終わるしな。だが、このリスクを恐れて有能な兵士を上層部へ引き上げなかった勢力は、ことごとく敗北した。そういうわけで、今ある勢力は残らず【英雄理論】を忠実に実行してるんだよ」
「……でも、よく考えたら強い兵士が有能な指導者になるとは限らないんじゃないのか?」
玉姫は至極真っ当な質問を口にした。
「確かに昔はそうだった。だが今はそうでもない。少なくとも、楽しいインパール遠足をおっぱじめるような面白おじさんは出てこなくなってる」
玲は第二次世界大戦でもっともイギリスに貢献した日本人を揶揄した。
「なんで?」
「色々あって文武両道な人間が増えたってのもあるが……一番の理由は、脳波接続型クルセイドの登場だ」
玲は自分の頭を人差し指でとんとんと叩いた。
「脳波接続型クルセイドは操縦に従うだけじゃなく、脳波を検出する際に動作制御演算の一部をプレイヤーに行わせる。クルセイドの動作を最適化するためだ」
なお、思考リソースを制御に割かれることにより、人によっては感情が表に出やすくなることもある。玲が戦闘中に荒ぶるのはその典型例だ。
「クルセイド制御の演算は、プレイヤーの知能指数が高ければ高いほど高速になる。演算が早いとクルセイドの動きが良くなるから、当たり前だがより強くなる。つまり今のクルセイドプレイヤーには、戦闘センスの他に知能指数が必要とされてるわけだ。だから現在、クルセイドプレイヤーとして多大な戦果をあげられる時点で、極端な無能ではないことになる」
「つまりれーくんは頭いいんだな! すごいな!」
玉姫は妙な部分で感心していた。
「学校とか通ってねぇから期待してると拍子抜けするぞ」
苦笑しながらそう返してから、ぼそりと呟く。
「……本当は、上層部全部を最高戦力で固める必要はねぇんだが……弱い奴を引き上げると反発がやばいからなぁ……」
兵士に渦巻く英雄信仰はもはや呪いの域だ。風潮や常識にとらわれず合理的な思考をする玲が、英雄信仰に従う方が無難だと判断するくらいには、兵士、そして人々の理想にへばりついている。おそらく、このことで悩んでいない勢力は存在しないだろう。
「さて、俺たちが前線に出てる理由についてはこれくらいでいいか?」
「よくわかったぞ! ありがとうな!」
玉姫はノートの右上になぜか花丸を書いた。
「次は玉姫が答える番だ! なんでも聞いてくれ!」
訊きたいことはたくさんあったが、最初にする質問は決めていた。
「嘲笑するサクリファイスについて、知ってること全部……つっても答えにくいか。じゃあとりあえず、戦闘能力について教えてくれるか」
「戦闘能力だな。
知ってると思うけど、サクリファイスは、ものすごく強い。その強さを支えてる要素は三つある。一つ目。純粋に高い身体能力。知能があるかないかはよくわからないけど、力は強くて、足も速くて、死ににくい。身体能力だけでも禁断領域の特異物に対抗できるほどだ」
それについては、エーテル浸透装甲をいとも簡単に破壊されたことでうんざりするほど思い知っていた。
「二つ目。爆発する腫瘍。サクリファイスの体に沢山あるできものは、物凄い爆発を引き起こす上に五分ほどで再生する。あいつはこれを手榴弾みたいに使うことが多いけど、別にちぎらなくても起爆はできる」
「……二つ目でもう嫌になってくるんだが」
極めて高い身体能力と、全身にまとう爆発物。ディノニクスをもってしても近接戦闘では分が悪い。サウザントをメインに据えた中距離戦闘で対処したいところだが……。
「三つめ、空間転移」サクリファイスはそれを許さない。「あいつを禁断領域で最強たらしめる力だ。呪文の詠唱を必要とするけど、詠唱後の発動タイミングは任意。つまり一回目の空間転移は絶対に察知できない。その上どこにでも飛べる。行ったことない場所はさすがに行けないみたいだけど、距離や障害によって制限されることはない。非常に強力な魔法だ」
「デタラメだな……」
分かってはいたが、強すぎる。北欧の悪夢【銀狼】シルヴァレット・フォーゲルクロウは無理にしても、それ以外の列強指導者とは存外いい勝負をするのではないだろうか。
「……つーか前から気になってたんだが、そもそも魔法ってなんだ?」
話をぶった切って申し訳なかったが、玲はどうしても気になった。なんとなくはわかるが、なんとなくで分かった気になるのは危険だ
「魔法は……説明が難しいな…………うーん、ところてん?」
さすがに意味不明だ。いぶかしげな顔をした玲に、玉姫は手でわちゃわちゃとわけのわからないボディランゲージをしながら、どうにか伝えようとする。
「えーと……天突きの中に、寒天を入れて押し込むと、ところてんが出来るだろ? それと同じ感じっていうのも変だけど、詠唱とか触媒とかで造った型の中にエーテルを流し込むと、魔法になって出てく」
「……ちょっと待て。ちょっと待ってくれ! ……お前、今、エーテルっつったか?」
玉姫の、当然のような一言に、玲はここ一か月で最大の衝撃を受けていた。
玲の剣幕に玉姫は若干押され気味になりながらも、頷いて肯定する。
「う、うんエーテル。クルセイドの動力と同じだぞ」
「……………………」
もはや、絶句するしかない。
よりにもよって、二十三世紀の戦争を根底から支えているエーテルが、魔法の原動力だったとは……。
いくら便利な性質を持っているといっても、所詮は科学的に生成可能なエネルギー。それが、ファンタジーの代名詞である魔力のポジションに収まっているとは、考えても見なかった。
「そ、そんなにびっくりすることか? というか、てっきり気付いてるものかと思ってたんだけど」
「…………気付けねぇよ…………」
原始人が、ドライヤーを見て、その動力に気付けるか、という話。稲妻で雷を見ていても、つなげて考えはしないだろう。
玲は、深く、息を吐き、残ったコーヒーを一分かけて飲み干した。
「よし、落ち着いた」玲はカップを置いて落ち着いた声で言った。遺跡が出現してから既に一か月。さすがに、切り替えるのも早くなっていた。「少し、魔法についての質問していいか?」
「どうぞ!」
「完全浄水とか液体記憶アメジストとかが持つ特異性も、お前が言う魔法と同じってことでいいのか」
「いや、禁断領域で魔法……というかエーテルを使うのは玉姫とサクリファイスだけだ。それ以外は、また違う力か法則を使う。よくわかんないけどな」
「……統一しててくれりゃ楽なもんを……」
エーテルによる現象なら既存の対策がある程度流用できるというのに、なぜこうも一々面倒くさいのか。
「わかった。次の質問だ。魔法の発動には触媒とか詠唱を使うって話だが、完全浄水のところで雷落としたときはどうしたんだ?」
あの時の玉姫は、何かを使ったり、呟いたりはしていなかったように見えたが。
「本当は詠唱しなくちゃいけないんだけど、あのときは悠長に構えていられなかったから、手順をすっ飛ばして見た目だけ整えたんだ。いわばハリボテだな」
「なるほど」
それっぽく仕立て上げることは不可能ではないものの、十全な機能は期待できないというわけか。
「……ところで、魔法は、科学的に再現が出来ると思うか?」
玲の、戦争屋としての期待に、しかし玉姫は難しい顔をした。
「不可能だとは言わないけど、あんまり現実的じゃないと思う。なんていうか、魔法は割と……観念的で、才能に近いものがあるから」
「人間は大人しく殺人兵器使っとけってことか」
魔法の源がエーテルであるという事実は、当面、トリビアくらいにしか使えなさそうだ。
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