「完全無敵に私の王子様」

 地平線より登った太陽がマストリヒシアンを赤く照らす朝。


「さて、どうやってフィールハイトを出し抜いてジャスミンを殺そうか」


 執務室へと戻った玲は、パノラマと共にさっそく謀略を練っていた。なお、フィールハイトはジャスミンを連れてマストリヒシアン内の病室へと消えた。玉姫は船をこいでいたので既に部屋へ戻している。


「毒殺、狙撃、爆殺……ありきたりな手段は、すべて対策されるでしょうね。副団長は抜け目がありません」

「特に保護したばっかの今は警戒してるだろうな」


 完全浄水があれば暗殺も容易だろうが……玉姫からもらったごく少量を液体記憶アメジストで増やしているものの、まだ人間一人を消すほどの量は用意できていない。かといって小道具を認識できなくしたくらいで出しぬけるかといえばそれもまた怪しい。


「だが、うかうかしてると孤児院に連れていかれて余計に手が出し辛くなる」


 フィールハイトにとって孤児院はいわば聖域だ。三年前、何をとち狂ったのか彼の孤児院を襲撃した誘拐ビジネス業者がいたが、五分後には全身に杭を突きさされ見事サボテンの仲間入りを果たしていた。いかな玲でも下手なことをすれば火傷では済まない。


「きついが、短期決戦を仕掛けるしかねぇ。孤児院へ入る前に始末できれば、フィーの怒りも一時的なものにとどまる。……最悪、俺が強襲する」


 フィールハイトと殴り合う事態も覚悟しねぇといけねぇかもな……と、玲がつぶやいたその時。


「失礼します」


 フィールハイトが、ノックもせず、返事もまたずに入ってきた


「フィー。どうした、釘でも刺しに来たか? 分かってると思うが無駄だぞ」


 入るや否や玲は言った。さすがにその声は刺々しかった。


「わかっていますよ。ええ、よくわかっています」

「じゃあ何の用件だ?」

「一つ、ご報告に」


 そしてフィールハイトは、玲たちの謀略を根底から否定する一言を放った。


「私は、彼女……ジャスミン・クローバーを養子として引き取ることにしました」


「……は?」


 一瞬、思考が止まり。


「……はあああああッ!?」


 玲は、思わず叫んだ。


 お互いの主義主張がかみ合わず、やり合うことは多々あったが……ここまでの滅茶苦茶をやられたことは、今まで一度もなかったのだ。


「ずっと前から思っていたのですよ。いつか貴方の殺意を一身に受ける子供が現れたときには、こうしようと」


 唖然とする玲に、フィールハイトは堂々と宣言する。


「今この瞬間から、あの子を害することは私の一人娘を手にかけることと同義です。レイ・クロミネ。さすがの貴方も、まさか私の家族を殺したりはしないでしょう?」


 お互いに信念がある。


 時には相手の意にそぐわないこともする。


 それについて抗議したり妨害したりはするものの、お互いの信念を知っているため仲違いはしない。……だが、超えてはいけない一線は存在する。

 幼い頃、母親に売り飛ばされ、他の子供たちと共に凄惨な扱いを受けた持つフィールハイトは、子供を愛し、親に責任を求める。そんな彼が、養父になるという。


 それがどれほどの覚悟か。推し量れないほど浅い付き合いではない。


「…………ぎ」


 ――腹が破れた妊婦。地面に転がる赤子。


 玲は一瞬、脳髄を焼き切るような憤怒と、それさえも押し潰す暗く深い絶望を思い出した。ダイナソアに属さない何もかもを殺し尽くしたいと心の底から思った。そんな破滅的な衝動を歯を食いしばって抑え込む。そんな玲に、フィールハイトは少しだけ、心苦しそうな表情を浮かべた。


「貴方が敵を許せる人間でないことはよく知っています。かつての私のように、窮地の貴方を救ったりでもすれば話は別ですが、あまりにも現実的ではありません。だから、矛を収めろとはあえて言いませんよ。貴方が諦めるまで、あるいは諦めずとも、守り抜くだけです」


 言うだけ言ってから、フィールハイトは身をひるがえして部屋から出ていった。


「どういたしましょうか?」

「……どうすりゃいいんだろうな」


 玲は天井を見上げた。


 敵は皆殺し。敵は皆殺し。敵は皆殺し。敵を皆殺しにして仲間の生命と生活を守る。それが玲の基本理念。今のところ例外はフィールハイトだけ。それも、危険を顧みず己の命を救ってくれたからだ。


「なぁパノラマ、お前が俺の立場ならどうする?」

「諦めます」あまりにも簡潔にパノラマは言った。「詰んでいますし……副団長はジャスミン・クローバーより遥かに上手です。出し抜かれることは、まずないかと」


 その声からは揺るぎない確信が感じられた。フィールハイトに蛇蝎の如く嫌われていながらも、パノラマはフィールハイトを極めて高く評価し尊敬しているのだった。


「……」


 冷静に考えれば、そうなのだろう。七年前、あれだけ殺そうと思っても殺せなかった男だ。死にかけの小娘に寝首をかかれるほど間抜けだとは思わない。


 だが荒ぶる感情が冷静な判断を許さなかった。敵に死の沈黙を与えなければ安心できない。敵は皆殺し。敵は皆殺し。敵は皆殺し。強迫観念にも似た衝動が、理性との間で激しくせめぎ合う。


 ああ、吐きたいくらいに気分が悪い。


「今、ジャスミン・クローバーの暗殺を試みれば、副団長の致命的な敵対を招きます。機を、うかがうしかないと思いますが」


 嫌になるほどの現実的な言葉が理性を後押しする。


「……わかってる……」


 玲は疲れ切ったように肩を落とし、目頭を押さえた。





 それから二時間後。仮眠をとった玲は、とりあえず朝食を食べることにした。いくら考えても殺意がつのって気が滅入るだけ。とりあえず気分を切り替える。


「玉姫、起きてるか?」


 玉姫の部屋をノックする。「ちょっと待ってくれ!」と大声が聞こえた後、バタバタと駆けまわる音。ややあって、ぴょこんと寝癖が残る玉姫が部屋から出てきた。


「おはようれーくん」

「ああ、おはようさん」

「昨日は色々とごめんな、わがままを言って」


 玉姫はきまり悪そうに誤った。ジャスミンを巡るあれこれについてかなり気にしているようだ。


「気にするなよ。意見が対立するくらいよくある。俺もフィーとよくケンカしてるしな」


 玲は軽く笑いかけた。


「お前は思ったことを言やぁいい。俺が素直に聞くとも限らねぇが、それはお互い様だ。誰にだって曲げられない信念はある。それが別の人間の信念と衝突することだってある。だが、例え喧嘩になっても、相手に敬意さえ持ってれば、自然と元の鞘に納まるもんだ」


 それが、フィールハイトと玲がたびたび衝突しながらも良好な関係を築けている理由だった。


「れーくんのその考え方、なんだか気持ちがいいな!」

「好き好んで陰気な考え方する趣味はねぇんでな。んで、何食いたい? 希望に沿うぞ。一応、昨日みたいなビッフェもあるが」

「じゃあそれ! 色んなものを食べられるのは良いことだ!」


 玲は、ダイナソアに数十ある食事施設の一つ、【ベリーガーデン】へ玉姫を連れていく。


 ダイナソアは、玲たち幹部があんな感じなので、階級に関係なく全ての施設を使用することができる。にもかかわらずベリーガーデンは実質的に士官食堂として機能していた。理由は単純。やたらと値が張るからだ。無料で食事をとれる施設すらあるダイナソアで、ベリーガーデンを選ぶ団員は悲しいことに少ないのだった。……もっとも、その落ち着いた雰囲気が好まれている節もあるので、現状のままでいいのかもしれないが。


「こうやって美味しい食べ物をいっぱい食べられるのはとても幸せなことだな!」


 玉姫は昨日あれほど食べたにもかかわらず皿に食べ物を盛りに盛りまくる。ちんちくりんな体のどこに栄養が向かっているのだろうか。


「これは、なんだかぐちゃぐちゃのタマゴだな! 失敗したのか?」


 長方形の白い陶器に入ったスクランブルエッグを見て、玉姫は耳をピコピコと動かした。あんまりな言い方だ。


「スクランブルエッグっつー料理だよ。知らねぇのか?」

「ああ、これがスクランブルエッグなのか! 見たことがないからわからなかった」


 玉姫はしきりに頷いた。


「いただきまー……」


 いざ食べ始めようとしたところで、玉姫は慌ててスプーンとフォークを手に取った。


「危ない危ない。気を抜いたらすぐに手で食べようとしてしまう。あっちには食器がなかったからな……」

「しかし、その割にコップとかテーブルとかはあったが、なんでだ?」

「あれは【日用品の樹】に実ってたのを持ってきたんだ。あ、小屋だけは玉姫の手作りだぞ!」


 言いながら、玉姫はスプーンでスクランブルエッグをすくい、口に運んだ。


「れーくん! このぐちゃぐちゃのスクランブルエッグ、とってもおいしい!」


 玉姫は、満面の笑みで二度三度四度五度とスクランブルエッグをすくって食べる。本当に嬉しそうに物を食べる少女だった。


「つーかお前、お前、禁断領域では何食べてたんだ?」


 玉姫はスクランブルエッグを食べ終えて、スプーンを置いてから答える。


「鉱山猪とか、灼熱赤鶏とか、サラダリザードとか、まぁ色々だ。……でも、どれもこれも食材としては一級品なんだけど、とにかく調味料が全然なくてな……」


 貧相な食事を思い出したのか、玉姫は顔を曇らせる。食事大好き玉姫には堪えていたのだろう。


「俺たちがいずれ禁断領域に進出した時には、そっちの食材も上手く料理させるから楽しみにしとけ」


 無邪気に喜ぶと思っていた。


「なぁれーくん」

 だが、玉姫は無表情でうつむいた。


「れーくんは、殺し合いの道具を集めるために、禁断領域へ行くつもりなのか?」


「否定はしねぇ」


「…………」


 玉姫は食事の手を止めて、複雑そうな表情を浮かべた。嫌なのだろうが、玲の事情を汲んで何も言えなくなっているのだろう。利発で聡明。フィールハイトや玲よりよほど感情をコントロールできている。


「……うん。まずは、地球で何が起こっているのか知らないと、何の意見も言えないな」


 しばらく考え込んでいた玉姫は、そう結論を出して、玲の顔を見た。


「れーくん。玉姫は、もっともっと地球のことを知りたい。協力してくれるか?」

「んなことでいいんなら、いくらでも」

「……ありがとう」


 玉姫はかすかに憂いの混じった笑顔を浮かべた。その顔は、普段よりずっとずっと大人びて見えた。




『玲様』


 玲が自分の食事を終えたところで、玲のPDAに、パノラマからの連絡が入った。


「どうした?」

『ジャスミン・クローバーが目を覚ましたようです』


 指向性を持った音波は、玲の耳にだけ届く。横の玉姫はきょとんとした顔でもぐもぐしていた。


「分かった。監視カメラの映像こっちに回せ」

『かしこまりました』


 ごくんと口の中の食べ物を飲みこんでから、玉姫は玲の袖を引っ張る。


「れーくんれーくん、そういえば、玉姫はれーくんの連絡先貰ってない」

「そういやそうだな。交換しとくか」


 玲はPDAを玉姫のPDAに近付け、ワンタッチ操作で玉姫と連絡先を交換する。


「ところで、今のジャスミンの様子、お前も見るか?」

「気になるな。見せてくれ」

「わかった」


 玲は監視カメラの映像を空中に投影し、音声の指向性をオフにする。


 ベッドの上のジャスミンは上体を起こし、ぼんやりとした表情で白い壁を眺めていた。


「よかった。後遺症はないようですね」


 ノックをして、病室に入ってきたのはフィールハイト。彼のところにも連絡は入ったらしい。おそらくこちらへの牽制がてら見舞いに来たのだろう。


「ここは……?」

「マストリヒシアン内の病室です。貴女にとっては敵地でしょうが、私が責任を持って貴女を守りますから、安心してください」

「……」

「信じられませんか?」

「……いえ、信じます~。だって貴方は~、小狐の魔法使いさんが連れて来てくれた~、王子様なんですから~」


 悪名高い麻薬女王ジャスミンは、今時幼児でも言わないような台詞を吐いた。


「ああ……幸せ~。シンデレラみたい~……」


 ジャスミンはうっとりと、恋する乙女の目をして微笑む。組織が壊滅して半日も経っていないというのに、とても幸福そうだ。……結局、彼女にとってアルゴメイサとは、特に思い入れもない道具でしかなかったのだろう。


「事後承諾になってしまって申し訳ないのですが、レイの殺意を躱すため、貴女を私の養子に迎えました。嫌かも知れませんが、貴女を守るためです。しばらくの間、我慢をしてくださいね」


 夢見る恋する少女に、フィールハイトは現実を告げた。ジャスミンの恋路はいきなり阻まれたことになる。


「……お父様で王子様~……」


 少しくらいはショックを受けるかと思いきや、ジャスミンは今にも泣き出しそうなくらい喜んでいた。なんなのだこいつは、と玲は心から思った。フィールハイトも若干困っているようだった。


「さて、仕事がありますので、これで失礼します。午後にもう一度来ますね。このPDAを置いておくので、何かあれば私まで連絡をください」

「待ってください~」


 踵を返そうとしたフィールハイトを、ジャスミンは呼び止めた。


「ダイナソアは~、私があの遺跡へ赴いた理由を知りたがっているはずです~。……私は、貴方が望むのなら、貴方になら、全てを話しても、構いません」

「……それは、願ってもない話ですが……貴女にとっては、敵に塩を送る行為と同義でしょう。いいのですか?」

「私を庇うことで、貴方の立場が悪くなったら、辛いですから~」


 フィールハイトはちらりと監視カメラの方を向く。玲はくたびれたような息を吐き、病室のスピーカーを起動してからPDAに話しかけた。


「お前の管轄だ、好きにしろ」


 フィールハイトは一つ頷き、部屋の隅に置いてあった椅子を持ってきて、ジャスミンの前に座った。


「では、お聞かせいただけますか」

「はい~」


 ジャスミンはベッドに手を突き、フィールハイトへ必要以上に顔を近付けて、述懐する。


「今から一週間ほど前、プロキオン内の私の部屋に、来訪者が現れました~。その女は~、私が間髪入れずに発砲した銃弾を素手で叩き落としてから~、ドイ・インタノンに出現した遺跡と、その奥に広がる世界、そして特異性を持つ物品についての情報を、押し付けるように私へと伝えました~」


「信じたのですか?」


「勿論信じませんでした~。これの能力を目の当たりにするまではですけどね~」


 ジャスミンはおもむろに喉に指を突っ込んだ。えづき、右手の平に、唾液と胃液と

共に何かを吐き出す。


 彼女が胃の中に隠していたそれは、謎の紋章が描かれた小石だった。


「これは?」


 ジャスミンはフィールハイトに渡されたポケットティッシュで口元を拭いながら答える。


「【聖域の残骸】という道具です~。これに血を垂らして五分待つと、任意の場所に任意の物を転送することができるんですよ~。彼女はこれを私の目の前で使って、手品みたいに消えてみせたんです~」


「なるほど。貴女がドイ・インタノンへ侵入した方法もこれなのですね」


「です~。ぶっちゃけ、これ単体でもダイナソアを壊滅させられるかなぁとは思ったんですけどね~? やっぱり、黒峰玲と小原静と貴方を相手取るんだったら、やっぱりもう一つくらい切り札がいるかなと思って、あの遺跡へ向かったんです~。まぁ結果的にその判断は失敗だったわけですけど~……そのおかげで貴方に逢えたんですから、まさに塞翁が馬、ですね」


「……申し訳ないのですが、私は貴方に好かれるような人間ではありませんよ」


 基本的に自己評価が低いフィールハイトに、ジャスミンは猛然と反論する。


「そんなことありません~っ! お父様は完全無敵に私の王子様です~!」


 恋する乙女の滅茶苦茶な言い草に、どうしようもなくたじたじになってしまったフィールハイトは、露骨に話を切り替える。


「ところで、来訪者の名前は覚えていないのですか?」


「荳也蔵驍」」


「……?」


 その、あまりにも不自然で歪んだ発音に、フィールハイトはきょとんとした。


「あちらの世界における彼女の名前だそうですよ~? 本来人間には発音不可能らしいですが~、なんとか模写してみました~」


 ジャスミンはくすくすと笑って、そして、もっとも重要なことをさらりと告げた。


「こちらの言語に合わせると、サクリファイスというみたいです~」

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