「死ねド変態」

 蕩けてから固まり、軽石状になった大地に、玲はガンドッグに搭乗したまま、パノラマは降りて、それぞれ立っていた。


 パノラマから何メートルか離れて後ろ手に縛られて座らされているのは、東南アジア系の少女。ジャスミン・クローバー。瑞々しい幼さの中に、南国の花を思わせる色気がある美少女だ。


「オッドアイ……ユーア人か。情報を隠すわけだな」


 玲はジャスミンの赤い右目と青い左目を見比べて、呟いた。ユーアという特殊な人種は非常にデリケートな問題を抱えており、存在しているだけで厄介ごとを招きやすい。隠すのは当然の判断だった。


「さて、随分手こずらせてもらったが、そろそろ年貢の納め時だぜ」

「私は死にませんよ~? 必ず王子様が助けに来てくれますから~」


 眉間から流れる血で顔を濡らしながら、ジャスミンは妙な虚勢を張った。


「お前がお姫さまなんてガラかよ。鳩に目を抉られるか、焼けた靴履かされるのが似合いだぜ」


 意地悪な義姉、あるいは嫉妬深い王妃。幸せな未来は似合わないし望まれないタイプだ。


 玲はせせら笑ってから、少々悩んだ。


「さて……禁断領域について聞き出したいところだが、時間かけすぎてフィーに気付かれるのも怖い。パノラマ、三十分でどうにか情報絞り出せねぇか?」

「……拷問、凌辱、自白剤。いずれも、かのジャスミン・クローバーが相手ともなると大した効果を得られない可能性が高いですね。……ふむ」パノラマは口に拳を当てて考え込んだ。「そうだ、玲様から渡されていたアレを使ってもよろしいでしょうか?」


 玲はいぶかしげな目でパノラマを見た。


「マジかよ今か。構わねぇが、どうするんだ?」

「人体実験をしたところ判明したのですが、あれには面白い使い方があるのですよ 今からご覧にいれます」


 パノラマはアタッシュケースから取り出した小瓶を取り出す。その中には、玲が禁断領域から持ち帰った、ローズモンスターの種が入っていた。適当な敵で実験データを集めるためにパノラマへと渡していたのだ。


 歩み寄るパノラマに、ジャスミンは軽蔑しきった目を向けた。


「変態は寄らないでください~。子供殺してそんなに楽しいですか~?」


 パノラマは、清々しささえ感じさせる笑顔で答える。


「楽しいですよ。より正確に言えば、玲様の命令で子供を殺すのが楽しいです。無限の未来が待っていた筈の少年少女を、理不尽な暴力で踏み躙る。最大最悪の人権侵害です。けれど、玲様の命令に従っただけのボクには、何の罪も、何の責任もない。………これが歓びでなければ、一体何が歓びだというのですか?」

「死ねド変態」

「玲様に命じられれば死にます。玲様はボクの神ですから」

「命じねぇよ」


 俺はカルトの教祖か、と玲はぼやく。過剰な神格化についてはもはや何を言ったところでやめないので諦めていた。


「さぁ……才能に溢れ、歴史に名を遺せたかもしれない貴女が、何一つ報われず苦しんで死ぬ様を、ボクに見せてください」


 芝居がかった台詞を吐き、パノラマは非接触型ピンセットでジャスミンの首筋にローズモンスターの種を接触させる。


 種は瞬きする間に発芽し、ジャスミンの首に根を張った。ジャスミンは端正な顔を痛みに歪めた。


「離れろパノラマ。警戒するに越したことはねぇ」


 玲はガンドッグから持ってきたエーテルライフルの照準をジャスミンに向けながら言った。たった一粒とはいえ油断は禁物。相手は禁断領域の特異物だ。


「ぎ……きっ……」


 銃口の先のジャスミンは、歯を食いしばり、薔薇に抗っているようだった。しかし、一秒ごとに成長し瞬く間に花を咲かせた薔薇の支配力は増し続けているのか、ジャスミンは徐々に肉体の主導権を奪われつつあった。


「がはっ……!」


 ついに体のコントロールを奪われ、ジャスミンは顔面を勢いよく地面に叩きつけられた。端正な顔が砂埃で汚れ鼻血が滴る。一度では済まず、二度、三度。たちまち地面が血でどす黒く汚れた。


 その光景をハートフルドラマでも見ているように安らかな表情で眺めながら、パノラマは言う。


「手足を縛られている上に道具もないとなると、死ぬまでに時間がかかってしまうでしょう。どうです? 遺跡襲撃に至るまでの経緯を詳細に教えてくださるなら、すぐに撃ち殺してさしあげますよ?」


 パノラマは懐から銃を取り出し、ジャスミンへそう告げた。


「……あの……場所に、向かった理由は……」


 ジャスミンは、激しく唇を震わせながら、ぽつり、ぽつりと語り始めた。どうやら、自殺に向かうよう体を操作されているため、より死ぬ可能性が高い行動をとらされているらしい。こういう使い方ができるのか、と玲は感心した。


「あの、女に…………」


 ジャスミンは、核心へと触れ……唇を引く結び、黙り込んだ。沈黙が数秒。


「……地獄に、落ちろ。サディスト」


 血の混じった唾を吐き、ジャスミンは言い捨てた。


「ふむ……さすがにしぶとい。ではアプローチを変えてみましょうか」


 パノラマはアタッシュケースからポリエチレンの容器を取り出し、ふたを開けた。


「フッ化水素酸。恐ろしい激痛を与えることで有名な毒物です。ここに置いておくので、よろしければどうぞ。……ああ、勿論、禁断領域について喋ってくだされば、いつでも回収しますので、安心してください。死にたいときも遠慮なく仰ってくださいね。情報と引き換えに苦痛から解放して差し上げます」


 容器を置いたパノラマは、気化したガスを吸わないようにその場から少し離れる。


 うずくまるジャスミンは牙を剥き、唸った。


「……変態キチガイサイコ野郎。呪われろ……」


 飲めば最悪の苦痛を味わって死に至る毒物を前にして、ジャスミンはこれまでにない抵抗を見せた。砕けそうなほどに歯を噛み締め、大量の汗をかきながら、薔薇に反逆しどうにかフッ化水素酸から離れようとする。しかし薔薇の強制力も大したもので、ジャスミンは一進一退を繰り返しながらも少しづつフッ化水素酸の元へ近づいていく。


「……! ……っ!」


 怒りに燃えながらも恐怖に潤んだ目で、悲鳴を押さえ込むように唇を噛みながら、必死に抵抗する少女の姿は、大抵の人間に同情心を抱かせるだろう。しかしパノラマはその不幸を愉しみ、玲は特に何も思っていない。二人とも、敵にかける情けを持ち合わせていないのだ。


 奇跡でも起こらなければ助からない。


「とおおおおおおおお!」


 そして奇跡が起きた。


 ディノニクスに匹敵する高速で疾走してきた黄金の小狐が、ジャスミンのうなじで咲き誇る薔薇を引き抜いたのだ。


 玉姫は地面を派手に削りながら急停止する。ジェット機の着陸を見ているようだった。


「撃つな!」


 玲は、玉姫へ銃口を向けたパノラマを厳しい声で制止した。パノラマはいついかなる時も玲の命令遂行を最優先する。止めなければ確実に玉姫を撃っていただろう。


「…………玉姫。……どうしてここに」


 玲は呟いた。困惑しすぎてそれ以外の感情が全く浮かんでこなかった。


「特異物が使われた感じがしたから様子を見に来たんだ!」


 てくてくと歩いてディノニクスの足元まで戻ってきた玉姫は、玉姫は眉を吊り上げて怒っていた。


「何をしてるんだれーくん! 悪いことはやめろ!」


 悪いことだと決めつけるように言われたことで、玲は一転して憮然となる。


「……こいつはアルゴメイサ最高司令官ジャスミン・クローバー。ダイナソアに敵対し、俺の仲間を殺そうとする敵だ。俺は自衛のため、こいつを殺す責任と義務がある」

「そ、そうなのか。頭ごなしに否定してごめんな」


 玲の説明を受けて、意外なことに玉姫は謝った。謝罪を受けて玲も毒気を抜かれてしまう。


「…………でも、こんな風に、いじめるように殺すのはやめてほしい」


 その上で、自分の意志を伝える。現実的だがその上で優しい娘だった。


「れーくんが怒るのはもっともだと思う。誰だって、傷つけられそうになったら悲しいし腹が立つ。安易に許してあげてくれなんて言えない。それはダイナソアのみんなやれーくんを軽んじてるのと同じだ。けど、その上で玉姫はお願いする。どうか、殺さないであげてほしい。命だけは、奪わないであげてほしい。お願いします」


 見知らぬ他人の命を救うため、玉姫は小さな頭を下げた。


「…………」


 玲は弱った。弱りに弱った。一方的に非難してくれれば無視もしやすかったというのに、誠意を込めて懇願されたらもはや無下には扱えない。


「ハァー……ハァー……うぅ」

「大丈夫、大丈夫だから。もう心配しなくてもいいぞ……」


 玉姫はガタガタと震えるジャスミンを抱き締めて、あやすようにポンポンと背中を叩いた。さらにやりづらくなる。


 玲は、必要だと思えば、近しい人物の心を傷つけるような行動も実行する。だが抵抗がないわけではない。出来る限りやりたくはないし、やるとしてもバレないように実行するなど配慮はする。


 だから玲は、ジャスミンをどう殺せば玉姫が傷付かずに済むのか、ひたすらに考えていた。


 ――だが、玲の命令に従うことを目的にしている狂信者は、場の混乱を意に介さない。

 空気など関係ない、命令を遂行するのみとばかりに、ジャスミンへとベレッタを向ける。


 人の悪意に慣れていない玉姫は気づかない。玲は止めるべきか否か迷って、結局黙認する。ジャスミンは気付いて叫ぼうとしたが、傷付いているためかその行動は遅い。パノラマの発砲は誰も止められない。銃口から弾丸が飛び出る。


 そして撃ち落とされた。


「!」


 パノラマは素早く二発目を撃とうとしたが、引き金を引き切る前に拳銃の銃身がエーテル弾の直撃を受けて吹き飛んだ。パノラマは腕を抑え、顔をしかめる。腕を痛めたようだ。


「…………フィールハイト……なんでここに……」


 玲は極限の苦々しさを込めて呟く。クルセイドの索敵圏外からの超長距離精密狙撃。そんなことができるのは、玲の知る限りフィールハイトただ一人だ。


「玉姫が呼んだ。何かあったら電話してくれって、これを渡されてたんだ」


 玉姫は寝間着のポケットから取り出したPDAを玲に見せた。……さすがダイナソアのナンバーツー。抜け目がない男だ。


『次、その子供に何かしようとすれば手首ごと吹き飛ばします。賢明な判断をしてくださいね』


 ディノニクスのコクピットに空いた風穴から声が響く。所属する組織の長を恫喝するなど蛮行にもほどがあったが、生憎とダイナソアにおけるフィールハイトは団長の玲と同程度の権限を持ち、なおかつ玲は身内に甘いので、罰されるわけもない。というかそれ以前に、元々ダイナソアは玲とフィールハイトの私設武装組織。彼ら二人はルールを作る側であって守る側ではないのだ。


「副団長、それは、手首と引き換えになら殺してもよいということでしょうか?」


 そんなダイナソアにおける最高権力者の脅しを受けながらも、パノラマは顔色一つ変えず言い放った。


『……この』


 子供が絡むと途端に感情的になるフィールハイトは、普段ならさらりと流すレベルの嘲弄に、本気でキレかけていた。


「やめろ煽るなパノラマ。フィーも落ち着け、責めるなら俺を責めろ。全責任は俺にある」


 玲は剣呑な雰囲気を漂わせる二人の仲裁に入り、深いため息を吐いた。





 マルチカムの迷彩が施されたフィールハイトの狙撃特化型クルセイド【SiZ-11 ミステイク】が玲の眼前に着地する。

 フィールハイトは急いで機体から飛び下りると、すぐさまジャスミンを抱く玉姫の元へと駆け寄った。


「この子をお願いする。喋れないくらいに弱ってしまっている。玉姫の魔法は消耗までは癒せないんだ」

「任せてください」


 フィールハイトは玉姫から託されたジャスミンを抱き抱える。


「怖かったでしょう……もう大丈夫ですよ。貴女は私が守ります」


 まるで虐待されていた猫を保護したシーンのようだ。完全に玲とパノラマは悪者の立場になっている。いや、別に善人でもないのだが、なんとも釈然としない玲だった。


「理解してるとは思うが、俺はこの判断を間違ってるとは思っちゃいねぇぞ。」


 玲が鼻を鳴らしながら言うと、フィールハイトは心底申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「でしょうね。言い訳の一つも思いつきません。ひどいエゴで、わがままですよ」

「…………だが、お前はそのエゴを押し通すためにダイナソアにいるんだもんな。わかってるよ」


 玲は表情をわずかに崩した。


 玲の子供に対する暴力を抑えながら、一人でも多くの子供を救う。それがフィールハイトの行動理念だ。


 彼が戦場に立つ理由は、戦禍に巻かれる子供を一人でも多く救済するため。そして子供を虐待する親や、不幸な子供を増やす人間や、チャイルドマレスターなどを悪意を持って嬲り殺すため。それが大前提。時には玲に刃向ってでも押し通す信念。玲も――生まれつき良心が欠けているためよくわかっていないものの――彼の信念を尊重したいとは思っていた。


 ……それはそれとして、ジャスミンの殺害は微塵も諦めていないのだが。


「まぁいいさ。とりあえずこの場の目標は達成した」


 玲はプロキオンのごく小さな欠片をつま先で蹴り飛ばした。


「アルゴメイサは壊滅だ」

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