「似合ってるよ」
迷宮を進むこと数十分。ついに見覚えがある道へと出た。
「ここまでくりゃあ、とりあえずは一安心だな」
戦闘によってあちこち抉れた通路を進みながら、玲は安堵の息を漏らした。完全に安全だとはまだいえないが、少なくとも知らない道よりはまだ安心感がある。
「参考程度に聞きてぇんだが、あの翡翠みたいな球、割ってたらどれくらいの毒ガスが出てたんだ?」
「一個でさっきの空間くらいは軽く埋め尽くすぞ!」
「アホみてぇな量だな」
敵対勢力への攻撃に化学兵器を何度か使い、また使われたこともあるがある玲にはわかるが、毒ガスはそこまで万能な兵器ではない。毒ガスを散布する方法は、空から航空機で撒くか、陸路で輸送して撒くかのどちらかだが、前者は制空権の確保が必要になるし、後者も大量の毒ガスを秘密裏に敵地へ輸送する手段を考えなければならない。この問題を解決してなんとか散布しても、風で散ったり予期しないところへ飛ばされたりする可能性があるし、撒いている間に逃げられたり防護服を着られないとも限らない。
悪名高さの割に、安定性に欠ける兵器。民間人の数を適当に減らしたいときは便利だが、一線級とは言えない殺し方。それが毒ガスだ。
しかし小さな玉で超エベレスト級の体積を一瞬で放出できるなら話は変わる。小さいため、敵地へ運び込むのも容易いし、勢いよく広がるため風の影響も比較的受けにくく抵抗の暇も与えない。その上爆発的な放出で単純に爆弾としても扱える。超お手軽戦略兵器だ。
「厄介なのはそれだけじゃないぞ。万物溶解性があるから大抵の障壁だって貫通するし、毒性だって、大抵の生き物がほんの少し吸うだけで即死するレベルだ。まぁ、三分で消えてなくなるから、汚染とかの心配はあんまりないけどな」
「そうなのか」
そりゃいいことを聞いた――と、翡翠の球をディノニクスの手に握らせたまま、玲は口の端を歪めた。
「見えた」
ディノニクスのカメラが、ドイ・インタノンに繋がる門を捉えた。玲はブースターに出力を思い切り回し、一息に非日常の境界を飛び越えて、日常に帰還する。
舞い戻ったドイ・インタノンの風景は、腹立たしさを覚えるほどに変わっていなかった。
「……あー、お前ら。心配かけたな」
ディノニクスを空中で静止させ、出た瞬間に復旧した通信機能で、遺跡を取り囲む百数十の友軍機に呼びかける。
『レイ! このバカ! 遺跡には入るなと言ったでしょう!』
真っ先に飛んできたのはフィールハイトの罵声。
『もー! 不安にさせないでよだんちょー! しかもなんかボロボロになってるしー!』
「悪ぃ」
『もう少しで拙者の責任問題になるところでしたぞwww反省汁!』
「マジで悪かった」
玲は苦笑しながら謝った。団員の安堵の声がいくつも聞こえる。ありがたかったがちょっとうるさかった。
「ところでフィールハイト。ジャスミン・クローバーはここを出てきたか?」
『いえ、確認していませんが』
「……逃げられたな」
フィールハイトは戸惑ったように反論する。
『逃げた? 考えられません、この包囲の中を……』
「それができるから、あの女は敵地に突っ込む選択をしたんだよ」
どれだけの追手がかかっていても、完全浄水を一定量確保してしまえば逃げるのは容易い。リスクはあるが、完全浄水を手に入れるメリットはそれを補って余りある。
どうやってドイ・インタノンまで察知されずに入り込んだのか、何故完全浄水の存在を知っていたのかはいまだ謎だが……今考えても分かるわけがないので、情報が集まるまで考えないことにする。
「そんなまさか……」
フィールハイトは絶句する。それが普通の反応だろう。
「いい。ブラックスワンだ、対応できる方がおかしい。それより……」
玲はアルゴメイサの殺し方を脳内で組み立てながら、スピーカーを興味深そうに見つめる玉姫をちらりと見た。
「全部の声が耳元からまとめて出てくるのか……不思議な感じだな!」
玉姫の声が聞こえたのだろう。ダイナソアの面々にわずかなどよめきが起こった。
『レイ、その子が?』
「ああ」
フィールハイトが代表して聞き、玲は頷く。
「こいつを盛大に歓迎したい。パーティの準備をしてくれ」
「団長! お疲れ様です!」
ガレージにディノニクスを停め、コクピットから降りると、整備兵たちからねぎらいの言葉がかけられた。
「お疲れさん。心配かけたな」
「ふおおおお! なんだかすごい感じだな!」
玲に手を引かれてコクピットから降りた玉姫は、殺風景でだだっ広いガレージをその丸い瞳で見渡した。
「こういうの好きか?」
玉姫は何度も頷いた。
「好きかも知れない!」
「じゃあ、しばらく見学してていいぞ。俺は野暮用だけ済ませてくる」
玲は目を輝かせる玉姫をその場において、こちらのガレージへやってきていた静の方に歩み寄る。
「随分派手にやられましたねぇ。ていうか、コクピットを貫いてるこの傷、貴方にも当たってる軌道ですよね」
ディノニクスに開いた風穴を見ながら、静は呟いた。
「死ぬかと思ったよ」
「普通死んでます」
実際、普通じゃないことが起こらなかったら死んでいるところだ。
「んで、修復までにはどれくらいかかる」
「二日は欲しいですね。破損した基幹パーツを交換すると、どうしても動作確認に時間が……」
「どうにか、今日の24時までに修復できねぇか?」
静の眉が跳ねた。
「む、無茶言わないでくださいよ! 動いてたのが奇跡のレベルですよ!? それを日付が変わるまでになんて」
玲は、抗弁する静の耳元に口を寄せて、悪魔のささやきを口にする。
「……レールガンの建造予算、無制限にしていいぞ」
静は思い切りたじろいだ。
「! ま、ま、マジですか? 無制限ってあれですよ? 天井なしってことですよ? いいんですか!? 威力マシマシにして連射可能にしてその上イルミネーション機能まで付けちゃいますよ!?」
「イルミネーションはいらねぇし、さすがに借金までされると困るが……そうだな、アルゴメイサ対策費用の半分までは持ってって良い」
玲のその言葉に、静は上がっていたテンションを一瞬で抑え込み、ダイナソア幹部としての顔を見せる。
「…………つまり、ディノニクスを今日中に修理できた場合、アルゴメイサに壊滅的なダメージを与える算段がある。そういうことですか?」
「俺は、連中に明日の朝日を拝ませるつもりはない。……できるな?」
静は優雅に微笑んだ。
「予算。覚悟しておいてくださいね?」
場所は変わって上層部の衣装販売所。
大型ファッションブランド店を彷彿とさせるそこは、要塞暮らしでお洒落を楽しめないダイナソアの女性団員のために作られた、服を格安で販売する施設だ。ハイブランドからファストファッションブランドまで手広く取りそろえ、さらに取り寄せも可能であるため、大抵のファッションはここだけでどうにかなる。ちなみに、ここでは半年に一回、福利厚生として好きな服を好きなだけ無料でプレゼントするキャンペーンを行っているのだが、その時は女性団員の間で戦場さながらの奪い合いが勃発するため一部の団員からは恐れられている。トラウマを植え付けられた男性の団員もいるほどだ。
「こんな感じでどうでしょう?」
衣装室内にある更衣室のカーテンがシャァと開くと、衣装販売所の担当によってすっかり着替えさせられた玉姫が現れた。
「なんだか落ち着かないな!」
スマートカジュアルな赤のワンピースのすそをつまんで、玉姫は困ったようにはにかんだ。
「カジュアルな会だが、それでも一応パーティだ。いつも通りの格好ってのも寂しいだろ」
「そんなものなのか」
玉姫はふわりと一回転した。花が開くようにスカートが柔らかく広がった。
「どうだ?」
「似合ってるよ」
「よかった!」
玉姫は手を後ろに組んではにかんだ。煌めく黄金の毛並みと上質な紅い生地のコントラストによって、幼く愛らしい容姿がいっそう引き立つ。十年後は物凄い美人になるのだろう。
「失礼します」
と、そこでやってきたのは、同性でも思わず見惚れるほどの色男。フィールハイトだった。
「よぉフィー。どうした?」
「玉姫さんにご挨拶を、と思いまして」
「玉姫に?」
「ええ」
フィールハイトは玉姫の元へ歩み寄った。
「フィールハイト・ドラギアと申します」
柔和な笑顔を浮かべ、フィールハイトは名乗る。コードネームだが、とっくの昔に本名を捨てているので実質的に本名のようなものなのだった。
「今後ともよろしくお願いいたしますね、玉姫さん」
長身のフィールハイトは、屈んで玉姫と高さを合わせてから握手を求めた。
「よろしくな、フィーさん!」
玉姫はぷにぷにの手でそれに応じた。二人はがっちりと握手をする。
「レイから聞きました。貴女は、あの遺跡から近隣住民を守っていたそうですね」フィールハイトは玉姫の目を見すえて言う。「貴女に守られた人々に代わってお礼を言わせてください。本当にありがとうございます」
フィーは、なんだかんだいって一般人の被害とかを気にするタイプ。アルゴメイサ支持の町を焼くときも、極力人的被害が出ないように気を配っていた。人的被害が最大になるよう努めていた玲とは正反対だ。
「そんなに大したことじゃないぞ! 玉姫にできることをやっていただけだ!」
「素晴らしい」
フィールハイトは微笑んで頷いた。清廉潔白な人間を好み子供を好むフィールハイトは玉姫をいたく気に入っているようだった。
「そうだフィーさん! フィーさんがれーくんに貸したライトウィングを読んだぞ!」
フィールハイトが貸したという話を覚えていたらしい玉姫は、フィールハイトに礼を言った。
「どうでしたか?」
「面白かった! なんだかすごく疾走感があった!」
フィールハイトは満足そうに相好を崩す。
「それはよかった。『刹那で忘れちゃった。まぁいいかあんなマンガ』と言われたらどうしようかと。最高(ファンタスティック)だったなら何よりです」
「ここぞとばかりにマンガのネタをぶち込むな……」
ぶっちゃけあまり漫画の内容は覚えていない玲だったが、特徴的なセリフ回しだけはやけに印象に残っていた。
「『LIGHT WINGl』の作者が描いた別のマンガもオススメです。布教用をたくさん買い込んでいますので、よろしければ差し上げますよ」
「いいのか?」
「ええ。より多くの人に神海英雄ワールドの素晴らしさを知ってもらうことが、私の喜びの一つですから。それでは明日にでも持ってきますね」
「お前は宣教師か」
列強・螺旋教団の台頭によりすっかり衰退したキリスト教の信者を見ているような気分の玲だった。
「同じようなことを恐竜図鑑でやっている貴方が言うのですか」
「お前ほど情熱的にはやってねぇよ。コミックの再現までしやがって」
当然だが、二十三世紀の現在二十一世紀のコミックスは一部を除いて絶版になっている。
だが、フィールハイトは書籍のデータを元に当時の漫画本を再現。失われたコミックスを現在へと呼び戻していたのだ。
「別にコミックの再現は『LIGHT WINGl』に限った話ではありませんよ。最初にコミックを再現したのは『イカ娘』ですしね」
「出たよイカ娘。そういや一時期お前クルセイドにイカ娘のノーズアート描いてたよな」
「イカちゃんは勝利の女神ですから」
「あれどうしてやめたんだ?」
「戦闘でボロボロになるのが嫌だったのですよ」
「なるほどなぁ」
玉姫を蚊帳の外に置いてしまっていることに気が付いていた二人は、ここで玉姫が会話に混ざれるように沈黙を作った。
「それにしても、れーくんとフィーさんは仲が良いな!」
「まぁ、付き合いも長いしな」
「そうですね」
玉姫の発言に二人そろって頷く。主義主張や信念が違い過ぎるため何かと対立することが多かったりもする二人だが、根本的に仲が良く、相手をリスペクトしているためここまで破局せずにやってこれているのだ。
「よし! それじゃみんなでパーティに行こう!」
元気よく飛び出していこうとした玉姫を、衣装販売所の担当が呼び止める。
「あ、待ってください玉姫さま。折角ですから髪型も少し変えてみませんか?」
「わかった! 悪いけどもう少し待っててくれ!」
玉姫はそう言って、再びカーテンを閉める。
「……それで、彼女から何か情報は得られましたか?」
フィールハイトは真顔に戻り、玲に尋ねた。
「得られたといえば得られたし、得られてないといえば得られてない」
「なんですかそれは」
玲は事情を簡潔に説明する。
「なるほど……遺跡の深部、禁断領域についての知識はあるものの、遺跡の出現とそれに伴う異常についてはよくわからない、と」
「落ち着かねぇ話だよ。だが、一つはっきりしてることがある」
「それは?」
「禁断領域は戦争を変える。そして俺たちは禁断領域に最も近い位置にいる」
「二つじゃないですか」
「言ってから気付いたんだよ」
玲は鼻を鳴らして、腕を組み、壁に背を預ける。
「……【銀狼】、【帽子の男】、【ニズヘッグ】、【大君主】、【オルトロス】、【聖螺旋】、【戦争代行者】、【コールドゴールド】……地上を支配する列強の主にして、最強クラスのクルセイドプレイヤー。どいつもこいつも超戦略級。ぶっちゃけまともに戦って勝てる相手じゃねぇが……禁断領域の恩恵を受けりゃ、あるいは、奴らを退けて、大東亜生存圏を確立できるかもしれねぇ」
大東亜生存圏。東南アジアを制覇し、ダイナソアの支配地域のみであらゆる軍事・経済活動を完結させ、列強の脅威に対抗する、という構想。ダイナソアの最終的な目的だ。
「這い出てくるバケモノというリスクを負う価値は十分にあると言うことですか」
「そのためにも、まずは玉姫だ。あいつをなし崩し的に抱き込んじまえば、知識の面で絶大なアドバンテージが得られる」
「だからいきなりパーティを開いたのですか」
「礼も兼ねてるけどな」
玲の本心的にはむしろ礼の意味合いの方が強かったりする。
「まぁ、悪いようにはしねぇよ。俺はあいつを気に入ってる。とりあえず食うもんには困らせねぇし、情報源以上の利用をするつもりもねぇ」
彼女が申し訳なさを覚えるくらいにもてなすつもりだ。
「……敬意を持って接しているのは確かなようですね。安心しました」
フィールハイトの言い草に玲は眉をひそめた。
「なんだそりゃ。いじめてるとでも思ってたのか」
「一応の確認ですよ。貴方は本っ当に子供への容赦がありませんから」
「人を児童虐待マンみてぇにいうなよ。俺は平等なだけだ」つまり、等しく無価値ということ。「つーか、子供を大喜びで殺すのはウチでもパノラマくらいだろ」
玲がそう言うと、フィールハイトは嫌悪と軽蔑をこれでもかと顔に浮かべた。
「あのクソ野郎本当に死にませんかね」
「殺すなよ。俺の直属だ」
「殺しはしませんよ。自然死を祈ります」
一体どれだけ嫌いなのだ。
「ところでフィー。パーティは出るのか?」
この話題を続けても罵詈雑言しか出てこないと察したので、玲は話を切り替えた。
「出るつもりですが、一回目はパスですね。孤児院に顔を出したい」
マストリヒシアンの乗員は一万人を軽く超える。当然全員が集まれるような場所はないし、無理に集まっても色々と問題が出るので、何回かに分けて行うのが通例であった。
「日付が変わるまでには戻ってくるつもりですが、何かあったらいつも通り連絡をください」
「いやいや、今日くらいはゆっくりして来いよ」
「そうもいきません。禁断領域の物品……特異物が戦況に影響を与えることはまず間違いないのですから。忙しくなります」
「それならなおさら今のうちにやりたいことやっとけ。さっきもデータ送ったが、ジャスミン・クローバーの乗機はほとんどスクラップ状態だ。すぐには動けん」
ジャスミンはアルゴメイサの最高戦力。彼女が身動きできない状態でアルゴメイサが大規模な攻撃を仕掛けてくる可能性はほぼないし、万が一仕掛けて来たとしてもジャスミン不在ならば確実に勝てる。優秀なクルセイドプレイヤーは戦局を左右するのだ。
「後から嫌でも忙しくなるんだ。忙しさを先取りする必要はないと思うぜ」
フィールハイトは黙して考え込んでいたが、やがて、ふっ、と相好を崩した。
「……それもそうですね。お言葉に甘えて、子供たちとモーニングを楽しんでから帰ってくることにします」
「羽を伸ばしてこい」
「ええ。それでは」
手を振るフィールハイトを見送って……玲は冷めた表情を浮かべた。
「……これで、フィールハイトは誤魔化せるな」
パーティを開いた理由は四つほどある。玉姫への礼、玉姫の懐柔、アルゴメイサの油断を誘うブラフ、そして……暗躍をフィールハイトに勘付かれないためのカモフラージュ。
「正直申し訳ねぇが、あいつがいると話こじれそうだからな……」
声の感じからいって、ジャスミン・クローバーはかなりの確率で十代前半だ。フィールハイトがまず間違いなく庇う年齢。だから玲は、わざとフィールハイトに声のデータを送らなかった。幸いなことにジャスミンはかなりの秘密主義。言わなければバレないだろう。
「れーくん! どうだ?」
カーテンを開けて、髪にふんわりとパーマがかかった玉姫が姿を現す。
玲はお決まりの台詞を口にした。
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