「……生きてるか?」
玲は遺跡に侵入したジャスミン機へと一瞬で追いついた。
二機は迷路のようなさびれた遺跡の非常に急な下り坂を激しく交戦しながら進む。……フィールハイトとの約束を破ってしまったことは心苦しかったし、狐の娘を戦闘に巻き込んで話を聞けなくなってしまうのは怖かったが、さりとて目の前に現れた敵の親玉を放置するわけにはいかない。せめて早く決着をつけるため、玲は苛烈にジャスミン機を攻めたてる。
『随分~過激な~ラブコール~ですね~! 私のタイプは~困った時に助けてくれる白馬の王子様なんですけど~!』
しかしジャスミンは中々墜ちない。
正確無比なライフルでの迎撃とジャミングによる妨害もあるが、それだけでここまでの生存を許すほど玲とディノニクスは甘くなかった。
「速度特化……かなりピーキーなチューニングしてやがるな」
『どうも~!』
戦場に応じたカスタマイズも自在。ガンドッグとは、まさに名機と呼ぶにふさわしいクルセイドだ。
「……?」
どこをどう進んだのか常人ならば覚えていられなくなるほどの道のりを殺し合いながら進む二人が、その場所に辿り着いたのはおよそ五分後だった。
一面の赤。
生き血を吸ったような赤が眩しい大輪の薔薇が、地を壁を天井を埋め尽くしている。それは、どれだけの財を尽くしたとしても人には生み出せないだろう、神々しさすら覚える薔薇園だった。
奇妙な遺跡に相応しい、常識外れの事象だった。戦時であっても目を奪われるほどの光景だった。しかし玲はあくまでも殺しのことしか考えない。
――先に繋がる道はない。行き止まりだ。開けた場所なのは好都合。ここで決める。
玲はブースターにエーテルを限界まで注ぎ込む。吐き出される光量が爆発的に増加し、ディノニクスは超加速。獲物を襲う猛禽のように、右脚部の鉤爪でジャスミン機の左腕を捕らえた。
薔薇園を抉るように墜落。引き裂かれた薔薇の花弁が、鮮血のように舞い上がる。
玲は止めを刺そうと、薔薇に埋もれるジャスミン機のコクピットへ片喰の切先を突き立て――ようとしたところで敵機が左腕部をパージ。すんでのところで逃げられる。
「大人しく死んどきゃあいいもんを!」
追撃し発砲する。避けられ発砲される。これを躱しまた発砲。約束組み手のように噛み合った殺し合い。
実力も機体性能も玲の方が上だった。しかしジャスミンは驚くべきしぶとさで食い下がる。とはいえここは行き止まりで出口は一つきり。逃がさなければ勝つのは玲だ。
カメラに迫りきたエーテル弾を斬り裂いた玲は、そこでふと、薔薇のざわめきに気が付いた。クルセイドの戦闘による突風が原因にしては奇妙な動きだった。
ざわめきは拡大し、薔薇は動き出す。溜息が出るほど美しい薔薇が、腐肉に群がる蛆のように寄り集まって寄り重なって、二つの像を作り出す。
……それは、薔薇で出来た大猿だった。
「案の定起こりがったな面白ハプニングめ」
玲は牙を剥いて笑った。
全長十メートルを超える薔薇の大猿は、交戦中の玲とジャスミンにそれぞれ襲いかかる。
「別にお呼びじゃねぇんだよ!」
叫ぶが早いか玲はジャスミンとの戦闘を中断。剣を振りかざし敵の元へと突っ込んだ。膂力と速度によって威力を引き出された黒い刃が薔薇猿の首を一撃のもとに両断する。玲は畳みかけるようにサウザントを連続発砲。非エーテル系の装甲ならば三十メートルの厚みがあっても貫通できるほどの散弾が、薔薇の塊を容赦なく襲う。
何もさせない。させるわけがない。
わずか一秒足らずで、薔薇の怪物は容赦ない暴力にすり潰され、足首の部分しか残らなかった。
邪魔者を土へと返し、決着をつけようと振り向いた玲は、突然真下から現れた薔薇の拳に殴り飛ばされた。
「ぐあっ!?」
吹き飛ばされたディノニクスに、間髪入れず薔薇の茎が天井から槍のように落ちる。こちらはなんとかギリギリ躱し、玲はディスプレイに表示されたダメージを確認する。……脚部装甲強度八パーセントダウン。さらに打ち所が悪かったのか酸素供給システムが損傷した。
密集する薔薇が嘲笑うかのように蠢く。……薔薇園自体が悪意を持って玲たちを殺しに来ていた。
一方で、もう片方の薔薇の猿を倒していたジャスミンは、玲から逃れる好機と見たのか薔薇園の出口へと猛烈な勢いで向かった。瞬間、退路が茨で幾重にも幾重にも覆い隠され見えなくなる。ジャスミンはひるまずライフルを発砲して茨の破壊を試みるが、孔が開く傍から塞がれる。終いには茨が鞭のように攻撃してきたため、ジャスミンは扉から離れざるを得なくなった。
攻めあぐねる玲とジャスミンの前に、再び薔薇の大猿が姿を現しはじめた。しかも、今度は二体だけではない。三体、四体、五体……まだ増える。当然だろう。材料である薔薇はまだ、それこそ無数にあるのだから。
「やべぇな」
四方どころか上下左右を敵に囲まれて、進むことも戻ることもできない状況について、玲は一言で纏めた。
『あらら、どうしよ~』
彼女も玲と同意見であるらしかった。
「…………なぁ、おい。ジャスミン・クローバー」
三本の薔薇の槍を片喰で纏めて斬り払い、玲は彼女に声をかけた。
「クソ気に喰わねぇが呉越同舟だ。利害が一致してる間は、協働しねぇか」
ほんの十数秒前まで殺し合ってきた相手に言う台詞ではなかったが、極めて合理的な判断ではある。お互いどうしようもなく敵対しているが、このキリングゾーンから脱出したいのは同じなのだ。
ジャスミンは答えない。
そのとき、壁際に生える薔薇が棘を破片式手榴弾のように撒き散らし、ジャスミン機の装甲に針のような棘が突き立った。ジャスミンは反撃のライフル銃撃を行い、攻撃してきたエリアの薔薇は薙ぎ払ったが、今度はまた別の薔薇群が棘を放つ。
『……仕方ないですね~』
棘を躱したジャスミンは、しぶしぶと承知した。それほどまでに敵の物量は圧倒的で、こちらの選択肢は少なかった。
「そうかい、助かるよ。それじゃあ」
そして玲は。
「死ね」
サウザントの銃口をジャスミン機に向け、発砲した。
目にもとまらぬファストドロウ。ジャスミンは躱しきれず右肩部に被弾。大きなダメージを受け、ジャミングアンテナも喪失した。
『ぃ、ぐぅっ、何をッ!』
ジャスミン機がバランスを崩し、本心がまるで見えなかった声に明らかな怒気が混じる。
「見て分かるだろ。撃った」
対する玲は、一瞬で裏切っておいて、悪びれもしない。
まことに残念ながら、呉越同舟なんて概念は玲の脳細胞に存在していないのだ。
『この大馬鹿! このままじゃ共倒れ!』
隙と見たのか向かってきた薔薇の猿の群れにエーテルライフルで風穴を開けながら、ジャスミンは叫んだ。
彼女は正しい。例え最初から裏切るつもりだったとしても、この状況を打破してから裏切るべきであったのは明白だ。
だが。
「先に裏切った方が勝つなら、手を組んだ瞬間に裏切るのが無難だろ。それにな」
ジャミングの影響が消失したことを確認しながら、玲は呟く。
「生憎と、敵と一時的にでも協力するような寛大さは持ってねぇんだ。敵は皆殺し。皆殺しなんだよ」
エーテル吸収限界まで残り55パーセント。
ある攻撃のために、片喰へジェネレータが出力するエーテルの何パーセントかを割く玲は、まずジャスミンを殺すことにした。
片腕をパージしジャミングアンテナも喪失したジャスミン機のパフォーマンスは、大目に見積もっても平時の六割。今後のことを考えると是が非でもこの機会に殺しておきたかった。
見境のない薔薇と無理矢理セルフ協同し、飽和攻撃を仕掛けて墜とす。玲はそう決めた。
向かってきた大猿の胴体を銃撃で吹き飛ばし、飛んできた薔薇の茎を蹴り落としてから、玲はジャスミン機に向かった。すかさずジャミンググレネードが投擲される。しかし玲は突っ込んだ。乱れるディスプレイ。機能しないセンサ。しかしそれは、『先ほどまでのニュートラル』でしかない。要するに玲は慣れていた。
間合いに入り、すかさず刺突。躱される。右腕の下からサウザントを突き出し発砲。躱される。左回転し回し蹴り。これも躱され――ディノニクスが飛びのき、残されたガンドッグを襲う棘の嵐。高速の三連撃を無理矢理回避したせいで余裕がなくなっていたジャスミンは、それをまともに受けた。
『っ、のっ!』
ジャスミンは体勢を崩しながらもライフルでエーテル弾を玲へ放つ。しかし今までの精密さは欠片もない。その一方で、薔薇たちは俄然勢いづき始めていた。
大猿が暴れ棘が弾け茎が飛び、何やら花びらも舞い散って、何がどんな攻撃なのかさえ分からなくなりつつあったが、玲とディノニクスはその全てを躱し防ぎいなし迎撃し全く寄せ付けない。それも当然。大抵の弾丸より高速で動けるディノニクスが防御に徹した場合、傷を負わせるのは至難だ。
しかしクルセイドの機動性でディノニクスに劣り、なおかつ玲によって傷を負わされたジャスミンはそうもいかない。時間経過に比例して彼女の機体には損傷が増えていく。追い詰められつつある彼女をさらに追い込むため、玲は薔薇の攻撃をジャスミンへ誘導。悪意の後押しによってジャスミン機の戦況は悪化の一途をたどる。
エーテル吸収限界まで残り21パーセント。
ジャスミン機の背中に花びらが触れた。途端花びらは溶けて溶解液となり、ジャスミン機の装甲をどろりと融かした。
『ち!』
溶解液が何かしらの制御用パーツまで達したのか、ジャスミン機の動きが思い切り悪くなる。
百人以上のクルセイドプレイヤーを殺害してきた玲が、それを見逃すわけがなかった。
「いい加減死ね」
投げるように放たれたサウザントの散弾がジャスミン機の左側面に直撃する。距離があったためノックバックを引き起こす程度の威力しかなかったが、ジャスミンにとっては都合の悪いことに――そして玲にとっては予定通りに――殺到する大猿の群れへ、無防備な姿をさらした。
『ひっ……きゃあああああああああ!』
掴まれ、囲まれ、薔薇に押し潰される。
メギャメギャメギャメギャメギャリ。クルセイドがスクラップにされる耳障りな音。だが、その死を確認している暇はない。
エーテル吸収限界まで残り0.00パーセント――片喰のキャパシティが限界を迎えた。刀身が、強いオレンジの光を纏い始める。
片喰には、エーテルの過剰吸収による自壊を防ぐため、ある機構が組み込まれている。
【強制排輝】。エーテル吸収鋼の性質を一時的に反転させ、エーテルを激しく押しのけることで排出する機能。
「そ、こ、を、退きやがれええええ!」
ディノニクスが片喰を縦一文字に振るう。刃からエーテルが解放され、オレンジに輝く三日月形の光刃が発生する。
大気をつんざき、光刃が薔薇園へと落ちる。汎用性無視のスーパーサブウェポンを抜きにすれば、クルセイドが可能な攻撃の中でも最強クラスの威力を持つ片喰の強制排輝。薔薇が耐えられるはずもなく、圧力と高熱によって蒸発するように消滅した。
だが、強制排輝の攻撃範囲は斬撃の延長。つまり線。深く鋭い一撃は、全方位に広がる薔薇園の破壊には全く向いていない。実際、光刃が過ぎ去った後は、片喰の延長線上にいた薔薇こそ消滅していたが、ほとんどの薔薇は健在だった。
だが問題はない。そもそも狙いはそこではない。
玲は最大速で通路へと向かった。通路を塞いでいた茨は、光の斬撃の直撃を喰らい、中央から真っ二つに裂かれて力なく垂れていた。
広域殲滅兵器どころか重火器の一つも持っていないディノニクスが、広い空間で雑草なみに繁栄している薔薇を殲滅するなど土台無理……とまでは言わないにしても時間がかかり過ぎるし無駄が多すぎる。だから玲は最初から逃げる気だった。幸いなことに相手は敵というより危険地帯。ここさえ抜けてしまえば大した危険はない。もし大猿が地上へ這い出てくるなどしても、後日焼きに来ればいいだけの話だ。
茨の再生速度よりも遥かに速く通路へと向かう玲。それより先に通路へ入り込んだ影が一つ。ジャスミンの駆るガンドッグだった。見るも無残な半壊状態だったが、空中分解することもなく見事に動作している。
『……次会ったら~、必ず殺しますんで~、震えててくださいね~』
その声は、成人女性のそれから、幼ささえ感じさせるものに変わっていた。どうやら今までボイスチェンジャーを使って声を偽っていたらしい。大した用心深さだ。
「チ、生きてやがったか!」
遺跡の出口は今頃フィールハイトたちが完全に封鎖しているだろうとはいえ、手負いの敵をみすみす逃すほど玲は優しくない。追撃し、きっちり地獄に送る。玲はジャスミンの後を追うように通路へと進み――。
「は……?」
言葉を失う。
場面が切り替わったかのようだった。
そこに、通った道は既になく、ジャスミンの姿も掻き消えていた。
代わりにあったのはタイ最高峰であるドイ・インタノンとそこに広がる大森林が、ゆるやかな丘と小さな草むらに思えるほどの、圧倒的に広大な山脈。そして、ダイナソア領のそれに酷似した、巨大な遺跡の数々だった。
その規模、その面積は、ディノニクスの測定限界をはるかに超えていた。どう小さく見積もっても島国レベル。下手をすれば大陸レベルだ。
呆気にとられる玲の上で、太陽のような三つの星がそれぞれさんさんと輝き、捻じれた木々に光合成を促していた。その光を浴びながら、昆虫と蝙蝠が混ざったような怪物が群れを成して空を飛んでいる。
「ハ、ハ……ここが遺跡の奥かよ」
青い空、白い雲。正直キャパオーバーだった。どうせなら恐竜に会いたかった。
現実逃避気味にフィールハイトへ連絡を試みる。通信はつながらない。まぁ、当たり前。通信可能ならあちらから先に連絡が来るに決まって
目の前に異形が立っていた。
それは、全身が痣のような紫に染まった、巨人のようなモノ。大きさも不揃いな手足は、子供が弄んだソフトビニール人形のように異常な向きで胴体にくっついている。胴体は奇怪にねじれており、心臓に似た腫瘍が無数に浮き出ている。頭部はないものの、無数の眼球がこぶになった部分が頭部のように見える。醜悪そのものの造形は、まるで精神疾患者の描いた絵画のようだ。
何の前触れもない。突然極まる出現だった。それでも玲は反射的にディノニクスを動かした。その回避よりも早く、異形の巨人はディノニクスに薔薇の槍を突き刺した。
狙いは当然のようにコクピット。尖った薔薇の茎が尋常ならざる力でディノニクスの装甲を砕き、玲を貫く。
「ぐ、ぁあああああああ!!!」
右の脇腹が大きく抉られ、赤黒い血液が茎を染めあげ、棘を伝ってボタボタと落ちる。凄まじい衝撃に、直撃していない臓器まで損傷していた。
異形の巨人は薔薇の槍を乱暴に引き抜き、飽きたように投げ捨てて、獣のように飛び去る。反撃の機会さえ与えられなかった。
薔薇を引き抜かれたことによって傷口はさらに広がっていた。砲弾で撃ち抜かれたような孔からは原型を失った臓器が覗き、止めどなく血が溢れて止まらない。
メディカル・システムがけたたましい警告音を発してエーテルによる圧迫止血を行い、続けて治療を行ったが、何事にも限度というものがある。そして玲の傷は限度を超えていた。
常人なら即死しているほどの重体。玲が『特別性』の人間だと言っても、この損傷では数分も持たない。もしここがダイナソアの集中治療室だとしてもまず助からないだろう。
玲は、死ぬ前に何かしようと思い……やめた。いまさら何をしたとしても中途半端に終わることは間違いない。ここでおとなしく朽ち果てるのが無難だ。自分を探しに来るだろうダイナソアの面々には、申し訳なかったが。
「……ハ、しかし、ゴホ、気の利いた台詞ってのは、中々思いつかねぇもんだな」
脱力し、口の端から血をこぼしながら、自分に苦笑する。何か格好良い辞世の句でも残せればよかったが、その辺りのセンスは持ち合わせていなかったようだ。
肺がいかれたせいか息苦しい。せめて新鮮な空気を吸いたい気分だったが、酸素供給システムが死んだ弊害で空気循環が止まっていた。今更大気組成やらを警戒する必要もなかったので、コクピットハッチを開ける。それはただの気まぐれだった。
森の適度に潤った風が血臭で濁ったコクピット内に爽快に吹き込む。
……まぁ、人間としての形を保てている分だけマシな死にざまだろう。
玲は目を閉じる。死後の世界など信じてはいなかった。あるにしても落ちる先は地獄。どうせ逢いたい人には逢えない…………と、ぼんやりとした末期の思考を妨害する感触。毛束のような何かが顔をくすぐっていた。
重い瞼をわずかに開くと、顔のすぐ前で揺れていたのは長い金色の髪の毛。
見上げる。
「……生きてるか?」
遺跡の住人である子ぎつねの少女が、心配そうな顔で、コクピットハッチの上から覗き込んでいた。
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