第121話 狼の名を与えられた男

話は地下闘技場での戦いが始まる数日前へと戻る。

マードック医院で療養中だったフィーベルトの元を訪れたクロードはその手に持っていた包みを彼の前で開いて見せた。

そこに入っていたのは狼の上顎から頭頂部までを模した銀色の仮面と、装飾品にしては少し大きい黒鉄のフレームに金で装飾が施された十字架だった。


「これは何ですか?」


包みの中に入ったものを見てもそれが何に使う道具なのかいまいちピンとこなかったフィーベルトが窺いを立てながらクロードへと視線を戻す。


「今後アンタがこの街で生きていく為には必要になるだろうと思ってな。俺の師匠に頼んで特別に用意してもらった道具だ」


足を汲みながらそう答えたクロードは包みの中から狼の半面を取り上げて、フィーベルトの方へ投げて寄越す。咄嗟にそれを受け取ったフィーベルトは手に持った仮面に視線を落とす。

一見何の変哲もない仮面に見えたそれを裏返してみると、裏面には何やら魔術式の様な物が刻まれていた。


「魔術式?という事は何かの魔法道具?」

「そうだ。アンタの素性を隠す為に必要になるだろうと思ってな」


そう言うとクロードは左手の人差し指をフィーベルの鼻先へと突き付ける。


「寝てる間に調べさせてもらったが、アンタの素顔はアーデナス教が発行している手配書に載っているらしいな。向こうと行き来している商人に確認したが向こうじゃかなりの有名人という話だそうだ」

「貴方に比べれば大した事はないかと」


自嘲気味た笑みを浮かべクロードに対する皮肉を零すフィーベルトを、クロードは軽く鼻で笑い飛ばすと話を続ける。


「幸いこのレミエステス共和国はアーデナス教の勢力圏の外で距離もかなりある。だからしつこくて有名な教会の猟犬共もお前1人を捜しにここまで足を延ばしては来ない。とはいえ絶対に見つからないという保証がある訳ではない。向こうと国交はなくとも商人や旅人といった人の行き来自体はあるからな。そこから情報が漏れ伝わる事もある」

「だから”顔”と”名前”を変える必要があるという事ですか」

「そうだ。そしてその為にそいつが必要になる」


クロードはフィーベルトの手の中に握られた狼を象った仮面を指差す。


「その仮面の裏側には見ての通り特別な術式が刻んである。それが皮膚に触れると同化して一体となる仕掛けだ。もし無理に剥がそうとすると面の皮ごと持っていかれる上に、仮面に組み込まれた術式が血液を溶解液に変質させて顔全体が焼け爛れるおまけ付きだ」

「それはまたなんとも・・・」


それは下手したらそのまま死ぬのではなかろうかと思いながらフィーベルトはもう一度手の中の仮面に視線を落とす。

正体1つ隠す為にそこまでしなくてはならないのかと思わないでもないが、自分がこれから飛び込むのはきっとそこまでしないと渡っていけないそういう世界なのだろう。

中身だけでなく外見までも含めて今までの自分は捨てさらなくてはきっとこの先を生き残っていく事は出来ない。


「分かっているとは思うが、もう後戻りは出来ない」

「ええ、大丈夫です。その程度の覚悟なら貴方に負けた時から出来ています」


もちろん自分の顔と名を捨てる事に心残りがない訳ではない。

両親が授けてくれたこの体と、父祖から受け継いだアルカインの家名と王から貰った名は自分に残った最後の誇りだ。

もしかしたらこの手に残った最後の誇り胸に抱いてこのまま死んだ方がいいのかもしれない。そんな思いも確かにある。

それが貴族の家に生まれ、騎士として生きて来た自分が最後に果たすべき責務だと。

それでも、その最後の誇りを捨て、騎士の道を外れてもフィーベルトは自分の前に現れた新しい可能性を信じると決めた。


「清廉で正しくあるべき、そう教えられ、そうあろうと進んできた我が騎士道でしたが、まさかこの様な形で終わり迎えるとは思いませんでした」

「気にするな。人生なんて大体そんなものだ」

「そうですね。とはいえこの先うまくやっていけるのか・・・」

「心配しなくてもアンタは自分で思ってるよりずっと我儘でマフィア向きの性格をしている」

「それはまたなんとも嬉しくない褒め言葉ですね」

「気にするな。その内最高の褒め言葉に聞こえるようになる」

「その言葉、アテにしますよ」


フィーベルトはそこまで言ってフッとクロードに笑い掛けると、手に持っていた仮面をゆっくりと自身の顔にあてがう。

最初に冷たい金属の感触が鼻先から額に掛けて広がった後、じんわりと熱が広がっていく。

顔の皮膚が仮面と同化していく感覚はあるのだが痛みはまるでない。それは実に不思議な感覚だった。

やがてゆっくりと熱が引いた頃にはまるで最初から仮面を付けていたかのように違和感なく馴染んでいた。

皮膚に定着した仮面からフィーベルトが手を放したのを見計らってクロードが尋ねる。


「どうだ生まれ変わった気分は?」

「そうですね。思っていたより呆気なかったですね」


軽く肩を竦めて見せるフィーベルトにクロードは少し呆れた様な顔をする。


「なら激痛にのた打ち回る方が良かったか?」

「いえ、それは丁重に遠慮させて頂きますよ」


ブンブンと顔を左右に振って否定したフィーベルトは、取り繕うように話題を変える。


「それで、今日から私はこれからどうすればよいのですか我が主?」

「・・・誰が主だと」


主と呼ばれた途端に不機嫌そうに表情を歪ませたクロードに、フィーベルトは不思議そうに首を傾げる。


「お気に召しませんか?」

「ああ、大いに不服だ。俺はどこぞの領主にも君主にもなった覚えはない」


余程気に障ったらしく、目に見えて立腹した様子のクロードにフィーベルトはやや困ったような声で返す。


「それは失礼しました。ですがそれだと何とお呼びすれば?」

「そんな事は自分で考えろ、そもそもアンタはもう騎士じゃないんだから主はおかしいだろう」

「それは確かに」

「もっとも今はまだマフィアでもないから街のゴロツキと大差ないんだがな」

「それはどういう事ですか?」


クロードはフィーベルトに現在の彼の置かれている状況について説明してやる。


「今のアンタは俺がスカウトしただけの身元預かりの状態で、まだ本採用じゃない」

「首領の息子のスカウトならそのまま採用ではないのですか?」

「馬鹿な事を言うなよ。身内贔屓なんて手ぬるい事をやっていたら組織は呆気ない程簡単に内部から腐敗する。それはアンタも過去の経験で知っているだろ」

「・・・まあ、そうですね」


世襲制で身内贔屓を繰り返した挙句、小さな嫉妬から自分のいた国まで滅ぼした愚かな貴族達の記憶がフィーベルトの脳裏を過ぎる。


「そういう訳でウチのファミリーでは新たに人材を加える時は、本来かなり面倒な手順を踏み、幹部数名の承認を得て最後に首領の許可を得る必要がある」

「随分と時間が掛かりそうですね」

「そうだな。だが、今回に限りそれを省略出来る手がある」


クロードはここで幹部会当日の流れについてフィーベルトに説明した。

自分の幹部昇進話に合わせて直談判でフィーベルトの推薦を捻じ込む事。

手順を省略する代わりにそこで実力を披露すべく試練に挑む事など。


「道筋は俺がつけてやる。だから後は自力でなんとかしろ」

「そこからが私にとって最初の試練と言う事ですか」

「そうだな。ここを突破できれば晴れてマフィアの仲間入りだ」


随分簡単そうに言うが、多勢相手に少数で戦を挑んだ事なら何度かあるが、300人にもなる敵を単騎で相手にした事などこれまで一度もない。

だが、やらなければ未来は手に入らないのだからやるしかない。


「最善を尽くしましょう」

「それでいい」


フィーベルトの返事にニヤリと笑ったクロードは、残った十字架の方をフィーベルトの前に突き出す。


「幹部会に際してアンタの為に用意してもらった得物だ。持ってみろ」

「これが武器ですか?」


クロードの手から十字架を受け取ったフィーベルトはそれを軽く握ってみる。

確かに握った感覚は剣の柄の様で意外と手に馴染む。


「先日の戦いで俺が使った聖光刃剣の改良型だ」

「改良型?」

「そうだ。聖光刃剣はその名の通り魔力で刃を生成して剣とする武器だが、この改良型は4種の武器形態をとる事が可能になっているらしい。もっとも、その分内部の術式機構が複雑になって扱いが難しくなり並みの者には扱えないんだがな」

「私ならそれを扱えると?」

「さあな。ただ出来なければ死ぬだけだ」


魔法武器を扱には魔力の操作だけでなく、武器を扱う技量も必要となってくる。

それに加え実戦では状況に適応した武器の形態を選択し、特性を活かした運用をするには経験も重要だ。

その点を考えた場合、この男は戦場をしっている上、数多の武術を修めた天賦の才もある。

この武器を扱わせるにはこれ以上の人材はいないと言っていい。


「こいつを使いこなしてその名を知らしめろ『ウォルフレッド・ベルカイン』」

「ウォルフレッド?」

「ああ、それがアンタが今日から名乗る新しい名前だが、不服か?」

「いえ、ただ元の名と近い響きだったので・・・・」


もっと元の原形を留めていない様な名前を付けられると思っていた。

その方が正体を隠すと言う点においても確実だったはずだ。

理由を尋ねる様に視線を向けてくるウォルフレッドに、クロードは眉根を寄せる。


「俺は他人の名前を考えるなんていうのは不得手でな。いい名が思いつかなかったから取り敢えずアンタの精霊や通り名に因んで名には”ウルフ”を、そして姓にはアンタの元の名と姓からそれぞれ字を貰う事にした」

「そう・・・でしたか」


何気ない風に口にしたその言葉がどこまで真実でどこまで嘘なのかは分からない。

それでも家の名と王より授かった名をこの人は自分に残してくれた。

たったそれだけの事と人は笑うかもしれないが、ウォルフレッドにとってはクロードを自分の新たな主人として仕える理由としては十分だった。

ウォルフレッドはベッドの上で服装を正すと、クロードに向けて頭を下げる。


「クロード殿、改めてここで礼を言わせてください」

「突然どうした?まだ礼を言うには早いだろう」

「いえ、早くなどありませんよ。このウォルフレッド、必ずやこの度の恩情に報いる働きをしてみせると貴方より頂いたこの名に懸けて誓います」


ベッドの上に頭が突きそうな程低く頭を下げるウォルフレッド。

昔、テレビの時代劇で見た様な忠臣の様に仰々しいその姿に思わずクロードは苦笑う。


「そのセリフは正式にファミリーに加わった時にでももう1度聞かせてくれ」

「ハッ!必ず」


この時よりフィーベルト・アルカインという元騎士の消息は完全に途絶え、それと入れ替わりにウォルフレッド・ベルカインという1匹の魔狼が世に放たれる事になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る