第122話 塵芥の命を踏み台に
引き絞った弦から指が離れると同時に弓の前方に向かって何かが放たれる。
姿形はなくとも確かな威力を伴い放たれた"ソレ"は放たれてすぐに空中で分散、細かな針の雨となって眼下にいる有象無象の上へと降り注ぐ。
「なんだ不発か?」
「なら落ちてきたところを全員で囲んでボコボコにしてやる」
目に見えない攻撃ゆえ、ほとんどの者が自分たちの頭上で何が起こっているか気づいていない。
場数を踏んできた者や、勘のいい数名だけが警戒して防御態勢をとる程度。
そんな中、頭上を見上げる者達の中で一番背の高い牡牛の亜人の顔に何かが触れる。
直後、バチンッという音を立てて顔の表面で何かが弾けて男の顔の皮膚を破り、肉を抉る。
「へっ?」
顔に走った鋭い痛みに何が起こったか分からず、男は慌てて自分の顔に手を伸ばす。
その手が傷口に届くよりも早く頭上から降り注いだ無数の針が男の全身に突き刺さり、爆ぜる。
「ぐひぇっ!」
体の外側を隙間なく覆う衝撃と痛みに男の脳は一瞬で限界を迎えて意識を手放す。
その周囲では同じように攻撃を浴びた者達が全身で起こる同時多発的な小規模爆発に眼を潰され、耳を千切られ、鼻を消し飛ばされて次々に倒れていく。
迂闊にも口を開けていた者などは口の中で起こった爆発に口の中が悲惨な事になっていた。
彼らを襲ったのはこの日のためにウォルフレッドが生み出した精霊術。
高密度にまで圧縮した空気を薄い空気膜で覆った針を相手に撃ち込み、物質に触れて形状が変化すると破裂して内部から空気が一気に噴出する仕掛けになっている。
一見単純だが小さな針の1本1本が超小型爆弾の様なものであり、人間の小指程度なら簡単に吹き飛ばす威力を持つ。
そんなものを全身に浴びればどうなるかは攻撃を受けた者達を見れば一目瞭然。
「あっぎゃあああああああああ!」
「げぇえええ足がぁあああっ!」
体の表面を削り取っていく様な痛苦に襲われた者達から絶叫が上がる。
しかも彼らを襲うのは真上から降り注ぐ不可視の針だけではない。
不可視の針は接触したものが何であろうと爆ぜる。
それは彼らの持つ武器や身に着けた防具、地面であろうと例外ではない。
針に撃たれて壊れた武器や防具の破片、足元の砂利さえが弾け飛び、凶器となって彼らを襲う。
上からだけでなく四方八方から襲い来る攻撃に逃げ場などない。
容赦ない攻撃に身を晒された男たちは次々と倒れ、かろうじて生き残った者も地面の上をのた打ち回る。
それはまさに阿鼻叫喚の地獄絵図と呼ぶに相応しい光景だった。
「いでぇええええ。いでぇえええええええ」
「誰かぁああ助けてくれぇええ」
眼下に広がる地獄を見下ろしながらウォルフレッドは空中で身を捻ると体を別方向へと向ける。
そして初撃の攻撃範囲に入りきれなかった一団に体を向けると、手にした弓の弦をもう一度引き絞る。
「
ウォルフレッドの手の中から再び放たれる無慈悲の一撃に男達は戦慄する。
ある者は防御姿勢をとり、ある者はその場から逃げ出そうと背を向ける。
だが見えない攻撃故にどう防御をとれば防ぎきれるか分からなければ、どこまで逃げればいいかも分からない。
結果として硬質な皮膚を持つ亜人や全身を覆える防御の魔法が使える者以外は攻撃に晒される事となる。
そうして2度にわたる斉射を終えたウォルフレッドが地面に降り立った時には、辺り一帯には血の混じった土埃が舞い、その向こうから苦痛に満ちた無数の悪党共の呻き声が木霊していた。
砂埃の舞う中、全身から血濡れになって這いずる男達を見てウォルフレッドが小さく零す。
「ふむ、こんなものか」
目の前の惨状にどことなく不満そうな声を漏らすウォルフレッド。
今の攻撃で相手に相当な被害を出したのは確かだが、範囲内で死んだ者が半分程度だったのが彼には不満だった。
「もう少し倒せていると思ったが」
視認がほぼ不可能な上に広大な攻撃範囲を持つ有効な攻撃ではあるが、その反面一撃の殺傷能力が低くなってしまったようだ。
とはいえ空弾降雨を実戦で使うのは今回が初めて。今後改良していけばよいかと考え直す。
「針に込める空気の圧をもっと上げるか、しかしそれだと外膜の強度が・・・」
顎に手をやり、次回以降の実戦での運用について思案を巡らせるウォルフレッド。
そんな時、彼の背後から術の被害を免れた者が土埃の中を走り抜けてくる。
「ヒャッハーッ!隙ありだぜこの野郎!」
土埃の中から飛び出してきた
が、そんな相手の動きなどウォルフレッドは既に見通していた。
慌てることなく相手の方へと振り返ると、手にしていた十字架の先を相手に向ける。
「武形変化、
呆れた様に口の中で小さくそう呟いたウォルフレッドは右手の中で十字架が光の刃を形成し、目の前に迫っていた
斧を握っていた自分の腕が真上に頭上に舞い上がる様を目で追いかける
ウォルフレッドはそんな
「ぶべっ!」
視界不良の土埃の中に蹴り戻された
その場には
ウォルフレッドは足元に突き立った斧を空いた方の手で拾い上げると、ゴブリンが転がっていった方に目を向ける。
「忘れ物ですよ」
そう呟くと
数秒後、砂埃の向こうから返事の代わりに短い悲鳴とトマトが潰れる様な生々しい音が返ってくる。
「さて、残りは・・・」
周囲を見渡そうと首を捻ったとき、目の前の砂埃が割れて人影が飛び出してくる。
前方に向かって突き出された鋭い槍の一撃。
それを咄嗟に剣の腹で受けて横へいなすと、槍の上をなぞる様に刃を走らせ相手の首を撥ねる。
上下に別たれた相手の首が落ちるより早く、砂埃の向こうからウォルフレッドの足元目掛けて地面スレスレを大剣が滑る。
「その足もらったぁあああ!」
砂埃の向こうから現れた虎の亜人が雄叫びを上げる中、ウォルフレッドは冷静に動く。
手にした剣を素早く逆手に持ち替えると、首を跳ねた死体の背中に向かって刃を斜めに突き立てる。
そこからさらに足で地面を蹴ると突き立てた剣を支えに逆上がりでもするようにて体を持ち上げ、大剣の刃を飛び越える。
「なんだと!」
まったく予想外の方法で斬撃を躱された虎の亜人の顔が驚きに染まるのを逆さまに見ながら、ウォルフレッドは手の中の十字架の剣形態を解除して引き抜き、虎の亜人の方へと向ける。
直後、ウォルフレッドの手の中から真っ直ぐに伸びた十字の刃が亜人の額を穿つ。
「あっ・・・・がぁっ・・・・」
己の額に突き立った刃に表情を強張らせる虎の亜人の前で、槍を引き抜いたウォルフレッドはクルリと一回転して地面に立つと相手の額に突き立った槍を無造作に引き抜く。
額に穴を穿たれた虎の亜人は白目を剥いてゆっくりと前のめりに倒れる。
「もうお終いですか?」
手にした槍を肩に掛けて振り返るウォルフレッド。
その言葉に砂埃の向こうに見える人影が怯んだ様に揺らめく。
「どっ、どうすんだよ!」
「そんなの俺が知るかよ!」
未だ傷一つ負わないウォルフレッドを前に、周囲の敵の間に動揺が広がる。
彼らも裏社会で生きてきた男達。多少なりと腕に覚えがあると言ってもこうも一方的な状況が続くと流石に相手との実力差に気付かざれる。
それに加えて周囲の惨状、あちこちから聞こえてくる重傷者の呻き声が彼らの不安を煽り、戦意を奪っていく。
向かっていっても勝ち目があるとは思えない。だからと言って後ろに下がってもこの闘技場の中には逃げ隠れできる場所などない。
そもそも自分達をここへ連れてきた男の話ではビルモントファミリーと敵対した彼らがここから解放される唯一の方法はあの男を倒す事。
それ以外に生きて再び外に出る方法はないという話だった。
「クソッ、どうすれば・・・」
戸惑っている間にも徐々に自分達の身を隠してくれている砂埃が薄くなっていく。
最早、思考時間さえ残されていない。
決断を迫られた男達の多くが破れかぶれの特攻に打って出る。
「うわぁあああああああ!」
「ド畜生がぁああああああああ!」
半分涙目になって向かってくる男達を前に、ウォルフレッドは憐れむような視線を向ける。
「自分達の行ってきた所業の結果とはいえ、少しだけ同情しますよ」
誰にともなく呟いたウォルフレッドは手にした十文字槍を元の十字架に戻すと、押し寄せる敵の一団に向かって半歩引いてから十字架を大きく振りかぶる。
「せめてもの慈悲に一撃で葬って差し上げましょう。武形変化、
ウォルフレッドの声に呼応するように十字架が伸び、身の丈より大きな片刃の大斧へと姿を変える。
一撃の破壊力は全形態の中で最大だが、その分重量があり細かい取り回しが難しい形態。
力ではなく技で武器を扱うウォルフレッドにとっては不向きな武装だが、今のように相手の方から向かってきてくれるなら話は別だ。
「オォオオオオオオオオッ!」
雄叫びと共に敵勢に向かって踏み込んだウォルフレッドは体を横に捻りながら大斧を真横にフルスイングする。
これだけの大振りとなれば当然相手も防御しようと身構えるが、その時には全てが手遅れだった。
最初の敵の盾に刃が食い込んだかと思うと、そのまま盾もろとも相手を上下で真っ二つにする。
それだけでは刃は止まらず2人、3人と次々と横薙ぎにして計12人の体をまとめて斬り裂いた。
「なぁっ!」
「ヒィッ!」
目の前で仲間の命が呆気なく散る様を見て後続の男達の間から悲鳴が上がる。
決めたはずの覚悟が揺らぎ、前へと進む足が鈍る。
その怯みをウォルフレッドは見逃しはしない。
振り抜いた斧の刃を返してもう一度相手の方に向けると、もう一歩踏み込む。
だが、魔術刻印で人間離れした怪力を引き出す事のできるクロードと違いウォルフレッドの力はそこまで強くない。
己1人の膂力だけではここからもう一度先ほどのような威力のある攻撃を繰り出すのは難しい。
しかし、悲観する事はない。自分は自分のやり方をすればいい。
だから自身に扱う事のできる"空圧"の力を最大限に利用する。
「力で振れなくとも押し出す事は出来る」
斧を持つ指先から放った圧縮した空気弾を片刃の反対側で破裂させる。
発破によって押し出された斧の刃は急加速してモタつく敵勢力に襲い掛かる。
「おーおー、派手だねぇ」
ウォルフレッドの一撃を受けてバラバラになり吹き飛ぶ者達を見ながらカロッソが可笑しそうに笑う。
「あの細腕にしては大した威力よね」
「しかもあの妙な得物の特性をよく理解し、戦局に応じて使いこなしている」
「あの男、大したタマやな」
リゲイラやベイカー達がウォルフレッドの健闘ぶりに感心した様子を見せる。
闘技場内を見渡せば既に戦える状態の者は3割を切っている。
このまま順当にいけば敵を全滅させるのも時間の問題だろう。
「ですがまだまだ序盤。この試練の本当に厳しいのはここから」
「はい。分かっています」
チャールズの口にした言葉にクロードは頷き返す。
今日ここに集められた500人の内、大半が街のゴロツキ程度の雑魚ばかり。
しかしながら全員が同じ程度の実力の者しかいないわけではない。
500人もいればその中に何人か紛れ込むのだ。腕利きと呼ばれる者達が。
実際、戦いが始まってからこれまで戦闘に参加せず、遠巻きに戦況を観察している人物がチラホラ見える。
「案の定紛れ込んでいるな。厄介そうなのが」
「毎回思うけどよくあんなの捕まえたわよねカロッソちゃん」
「別に大した事はしてませんよ。ちょっと食事に一服盛っただけで」
「いや、あんなん相手にどうやって一服盛れる状況に持ち込んだんか聞いてるんやが」
リッキードの問いにカロッソはニコやかな笑みを浮かべると口元に人差し指を立てる。
その仕草を見て他の幹部達は呆れとも苦笑ともつかぬ乾いた笑を漏らす。
「ともあれだ。あの男が奴等とどこまでやれるか見物だな」
アシモフの言葉に隣に座るシェザンが然りと頷く。
「腕は立つようだがヤツの技は些か小綺麗すぎる。普通の立ち合いならまだしもこういった乱戦で奴等相手に正攻法だけでは勝てまい」
真剣に見入っていた為か今日初めてマフィアの幹部としてではなく武芸者としての意見を述べるシェザン。
そんな彼の言い分についてクロードも同じように考えている。
だからこそ今回、クロードは彼を敢えてこの試練へと挑ませた。
「ええ、ですからあの男にはこの戦いの中で学んで貰います。裏社会の戦い方というのを」
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