番外編 ルティアと大魔術師の邂逅 前編

ダリオがクロードの家を訪れた日の翌朝。

洗面所にてルティア・ディ・フィンモールは緊張の面持ちで鏡の前に立っていた。

彼女が緊張している理由、それは今日はこれからクロードの師である大魔術師ブルーノ・ラグランジュ氏と面談があるからだ。


「ねえアルマ。私変じゃないかな?」


鏡の前で落ち着きなくしきりに身嗜みを確かめるルティアの問いに、小型化して彼女の背仮名にしがみ付いていたパートナー精霊のアルマが鏡越しに応える。


「ルティアに変な所などあるはずがない。今日も完璧だ。我が保証する」

「そっ。そう?ありがとうねアルマ」

「礼には及ばん。我と其方の仲だ」


当然だと言わんばかりに胸を張るアルマにルティアは思わず苦笑を浮かべる。

どうもアルマは自分に対しての評価が悉く甘い気がする。

聞く相手を間違えたかなと思い、誰か身嗜みを確認してくれる人はいないかなと振り返った所へ丁度洗濯物を抱えたアイラが通りかかる。


(アイラさんならちゃんとしてるし公平な判断をしてくれるはず)


そう思って声を掛けようとしたルティアの脳裏に昨晩ダリオの前でアイラが言っていた言葉がフラッシュバックする。


"ルティアさんが旦那様にとって災いになりそうなら、そうなる前に私達で処分しますから"


あの時の事を思い出したルティアの動きがピタリと止まり表情が強張る。

恐怖で喉元まで出かかった声が喉の奥へと引っ込み、声を掛けるべきかどうか迷う。


(どっ、どうしよう。声掛けても大丈夫・・・だよね?)


アイラに対する信頼と不安の間で板挟みになり、混乱するルティア。

そうこうしている間にアイラの方がルティアに気付く。


「おはようございますルティアさん」

「あっ、おはようございます。・・・アイラさん」


物腰柔らかな笑顔で挨拶をしてくるアイラにぎこちなく応じる。

まるで昨日の事が嘘だったのではないかと思える穏かな笑みに、ルティアの中にあった緊張感が解きほぐされる。

昨日の事は自分が見た夢か幻だったのではないか、そんな気持ちになるルティア。

だが、そんな少女の淡い期待は次のアイラの一言で無残に打ち砕かれる。


「そういえば昨日もお話したと思いますがルティアさん。貴女個人の問題に口を挟むつもりはありませんが、くれぐれも旦那様に迷惑が掛からない様にして下さいね。でないと私何をするか分かりませんから」

「・・・はい」


先程までとまるで変わらない笑顔のまま恐ろしい事を口走るアイラによって急に現実に引き戻されたルティアは蒼い顔をして頷く。

どうやら昨晩の話は夢や幻でもなければルティアの聞き間違いでもなかったらしい。

今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られるルティアにアイラが尋ねる。


「それはそうとルティアさん。今日はブルーノさんの所に面接に行くと仰ってましたが支度はもう出来ましたか?」

「はい。大丈夫だと・・・思います」

「そうですか。ではもうすぐ迎えの方がいらっしゃる頃なので表で待っていてください」

「分かりました」


ルティアはアイラの言葉に相槌を返すと再び鏡の方を向く。

そんな彼女の背後でその場を離れようと踏み出したアイラが足を止める。


「それと髪の後ろが少し撥ねてますから直した方がいいですよ」

「えっ!」


アイラの言葉に慌てて首を左右に振って髪の毛を確認すると、確かにポニーテールの根元からやや下の辺りの髪の毛が少し乱れていた。


「ほんとだ!」


ルティアは慌てて後ろに結んだ髪を解くと、もう一度髪を結い直し始める。


「その程度、ルティアの魅力を損なうものではなかろう」

「そういう問題じゃないよ~!」


頼りにならない相棒パートナーに苦情を述べつつ、ルティアは迎えが来る直前まで髪をセットしていた。

その後、なんとか身嗜みを整えたルティアは迎えの馬車に乗り大魔術師ブルーノ・ラグランジュの工房へと向かう。

その道中、馬車の中でブルーノ氏の世話をしている者から話を聞く事になった。

といっても別に皆それぞれに抱えている仕事があるので世話係は持ち回りで行っている内の1人というだけらしい。


「と、いう訳でオレちゃんがビルモントファミリーの相談役であるブルーノ大先生の7人いるお世話担当の1人ジャグ・マーティン先輩。よろしくね~カワイ子ちゃん」

「はい、よろしくお願いしますマーティンさん」


大袈裟に頭を下げるルティアにジャグと名乗った軽薄そうな山猫族の亜人はチッチッチと舌を鳴らし右手の人差し指を左右に振る。


「ノンノンノン。もっとラフな感じでいいよ~・・・えっと・・・」

「私はルティア・ディ・フィンモールと申します」

「そうそうルっちゃんね。じゃあ俺を呼ぶときは名前で呼んでおくれよ。もちろんたっぷりの親しみを込めてね~」

「・・・分かりましたジャグ先輩」


自分で呼ばせておいてジャグは何かに感極まった様に自分の体を抱えて身を震わせる。


「アア~ッ!イイねコレ。なんかこうグッとくるよ!」

「はぁ・・・そうですか」

「大丈夫かコイツ?」


困惑するルティアの膝の上で頭を撫でられていたアルマはジャグに訝し気な視線を向ける。

クロードの部下にバーニィという顔はイイが軽薄そうな男がいたが、彼よりもさらに軽そうというかハッキリ言うと頭空っぽそうなのに、その上ちょっと気持ち悪い。

正直ちょっと友達にはなりたくないタイプの相手だが、この程度の事で怯んではいられない。


(クロードさんに御恩を返す為にも頑張らないと!)


気合を入れ直したルティアは真っ直ぐ前を向くとジャグに仕事の話題を振る。


「ジャグ先輩!ブルーノ先生のお世話について教えてもらってもいいですか!」

「おっ!早速やる気じゃ~ん。オッケ~オッケ~!オレちゃんに何でも聞いちゃってよ~」


真剣なルティアに軽いノリで答えたジャグは仕事について話を始める。


「それじゃ~仕事に就いてだけど大先生は一週間ぐらい放っておいてもギリギリ死なな~い」

「・・・・はい?」


一瞬何を言っているのか分からなかった。

冗談か何かだろうかと思ったが、どうもそういった風には見えない。

混乱するルティアにジャグは更に話を続ける。


「食事は食べ物に特にこだわりはないんだけ~ど~、まあ辛い物は食べないね~。あと超重要なのが~部屋の本勝手に動かすとマジで怒るから気を付けてね~」

「はぁ」


変わらぬ調子で益体もない事をペラペラと喋り続けるジャグに、ルティアはどうリアクションをとっていいか分からない。

そもそもこれを仕事についての話と言ってよいのだろうか。

どうでも良さそうな事ばかり話すジャグにルティアは意を決して質問をぶつける。


「あの~すいません。もっと具体的な話を聞きたいんですけど」

「具体的な話?ん~・・・特にないかな~」

「えっ?」


ジャグの語った言葉にルティアの目が点になる。

流石にそんなはずはないだろうと喉元まで出かかった言葉をジャグが遮る。


「大先生ってさ~基本的に研究以外あんま興味ない人だからさ~。放っておいてもそんなに問題ない大先生なんだよね~」

「そうなんですか?」

「そそっ、だから気楽にやってちゃえばい~んじゃない系?」

「そう・・・ですか」


家を出る時あれだけ緊張したというのになんだか拍子抜けもいい所である。

手の掛からない楽な職場という事なのだろう。だが正直それでは困る。

それではクロードへの恩返しにならない。


(こんな事でいいのかな?でもクロードさんには"助手"を頼むって言われたし)


複雑な思いを抱いたままルティアを乗せた馬車は工房のある丘陵地帯へと向かう。

馬車に揺られる事1時間と少しで目的地である工房の入り口である小屋の前へと到着した。

車窓から見ると小屋の前には白いローブを纏った1人の老人が立っていた。

老人と言っても背筋は全く曲がっておらずむしろしゃんと真っ直ぐに伸びており、年相応に白く染まった長髪と鬚もみすぼらしくは見えず、むしろ威厳に満ちている様に見える。


「あの方が・・・」

「そうそう。あの御方こそがオレちゃん達が尊敬してやまない組織の重鎮。ブルーノ大先生だ~よ」


オーバーアクションなジャグの言葉の後、馬車がブルーノの前で停まる。

馬車の扉を開けて地面に降り立つとブルーノが少女を出迎える。


「よく来たな精霊術師のお嬢さん。私がクロードの師、ブルーノ・ラグランジュだ」


目の前に立ってみると存在感から実際よりもその体が大きく見える。

これが"大魔術師"と呼ばれる者の威厳なのだろうか。

そんな事を考えながらルティアはローブの両端を持ち上げて一礼する。


「はじめましてブルーノ様。私はルティア・ディ・フィンモールと申します」

「ふむ、聞いた通り礼儀正しいお嬢さんの様だな。確か火竜と契約をしていると聞いたが・・・」

「はいっ!そうです!」


ルティアは背中にしがみ付いていたアルマを両手に抱えてブルーノの方へ差し出す。


「アルマ。ご挨拶を!」


老人の前に突き出された火竜は相手を一瞥すると不遜な態度で鼻息を鳴らす。


「我は火竜サラマンダーのアルマである。尊び敬えるがいい人間よ」


その瞬間、火精霊アルマの放った一言で場が凍り付いた。

まるで空気を読まない傍若無人な物言いにルティアの顔が青褪める。


「アルマーーーーーーーーッ!」


両手に抱いた火竜の口元を左右から抑えつけてガクガクと揺すりながら絶叫する少女。

機嫌を取り損ねたのではないかとすぐにブルーノの顔色を窺うが、2人のコントの様なやりとりを見せられても老人の顔色は何一つ変わっていない。

だが、その表情の変化の無さが返って不気味であり少女の不安を掻き立てる。


「スイマセン。スイマセン。失礼な事を言って本当にスイマセン」


面接もまだだというのにのっけから出鼻を挫かれたルティアは涙目になって謝罪する。

首がもげそうなぐらい何度も頭を下げて必死に謝罪する少女にブルーノは全く表情を変えずに答える。


「大丈夫だ気にしていない。精霊とは大体の個体が厚顔不遜なものだ。その中でも上位個体となれば私の方が敬意を示すのが筋というものだろう」

「でも・・・こんなんじゃとても採用なんて・・・」

「それについても問題ない。この場に来た時点で採用はほぼ確実だ」

「そうなんですか?」


大魔術師と言われるぐらいだからもっと気難しい人物だと思っていたが、意外にも寛大なブルーノの言葉にルティアはその理由について尋ねる。


「例えどんな者が来ても、そこにいる私の世話を忘れて一週間放置し殺しかけた馬鹿者に比べれば遥かにマシだと思っている」

「・・・へ?」


ブルーノが答えと共に指差した方角に目を向けると締まりのない笑顔を浮かべ、特に悪びれる様子もなく頭を掻くジャグの姿。


「アハハハッ、嫌だな~その件は謝ったじゃな~いですか~大先生」

「分かっている。自分にも落ち度があったから特に咎めもしなかっただろう」

「そ~すよね~」


反省の色などまるで見せないジャグにブルーノは初めて溜息を漏らす。

どうやら大魔術師もこのジャグという男の軽さは苦手らしい。


「まあ、ここで立ち話もなんだ。一度中に入って話をしようかルティア・ディ・フィンモールくん」

「あっ、はい」


ブルーノに促されたルティアは小屋の中へと入り、地下の工房へと降りる。

この日クロード・ビルモントという男を通じて2人の術師は運命の出会いを果たした。

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