第56話 冷たい同行者
ラビから報告を受けたリットンと役人の密会予定日まであと2日に迫った日の朝。
いつもの黒スーツとロングコートに身を包んだクロードは、頭に黒の中折れ帽子を被り手には少し大きめの旅行鞄を持って歩いていた。
目的地を前に、ふと足を止めたクロードは目深に被った帽子を僅かに持ち上げる。
帽子の下、視線を上げたクロードの目に映ったのは周囲の建物と比べ一際大きな建物。
レミエステス共和国が運営する国営鉄道、その鉄道間を繋ぐ国内に46か所ある駅の一つ。
駅の名は「レアドヘイヴン
赤レンガ造りの駅舎は昔テレビの旅番組で見たアムステルダム中央駅によく似ており、国内でも5本の指に入る人気の駅だ。
周辺にはそんな駅舎を一目見ようと他区画からやってきた観光客や、自分の手で絵に残そうと筆をとる絵描き達の姿がチラホラと見える。
「ここに来るのも久しぶりだね」
「・・・そうだな」
人通りの中、立ち止まったクロードの肩の上で一緒に駅舎を見上げるアジール。
相変わらず表情は分からないが、その声はどこか楽しそうだ。
何せ今日は久しぶりに蒸気機関車に乗れるという事で機嫌がいい。
一方のクロードの方はと言うと相棒とは対照的にどこか暗いというか不機嫌そうに見える。
実際のところ機嫌はそんなに良くはない。
もちろんその理由については自分でも分かっている。
「はぁ」
小さく溜息を吐いた後、クロードは駅舎に向けていた視線を自身の右手側へと移動させる。
そこには小さな鞄を背負い、露店で買ったコロッケを頬張るヒサメの姿があった。
「・・・ん?」
クロードの視線に気づいたヒサメがクロードを見上げ僅かに首を傾ける。
それから少し考える様な仕草をした後、何を思いついたのか手に持った食べかけのコロッケをクロードの方へと差し出す。
「美味しい・・・クロも・・・食べる?」
「いや、結構だ」
「そう・・・残念」
クロードに断られた事に少しだけ残念そうに呟いたヒサメは、コロッケを引っ込めて再び自分の口元に運ぶ。
どことなく木の実を食べるリスを連想させるヒサメの姿を横目に見つつ、クロードは被った帽子を抑えて再び溜息を吐く。
(当初の予定では1人旅のはずだったが、どうしてこうなった)
少なくとも2日前、家に帰る迄はまさかこんな事になるとは思っていなかった。
一体何が悪かったのか、クロードは2日前の記憶を遡る。
第八区画へ行く事を決めたあの日、ザハナーテの所で買い物を済ませたクロードは他にも幾つか向こうで必要になりそうな物を買い揃えて家に帰った。
そして全員が揃った夕食の席でアイラ達に第八区画へ行く事を伝えた。
「そういう訳だ。しばらく家を空ける」
「畏まりました旦那様。家の事は私にお任せください」
「ああ、頼む」
日頃から家の事はアイラに任せてあるのでさほど心配していない。
それ以外の同居人についても一緒に棲んでいるとはいえ、皆それぞれに自立した大人。
余程の事がない限り自分の事ぐらい自分で何とかするだろう。
「ダーリン。向こうにはどれぐらい居るの?」
「そうだな。一応、第八区画の視察という事だから一週間は向こうに滞在する予定だ」
「随分長いのね」
「そればかりは仕方がない」
いくら視察が第八区画に行く為の建前とはいえ、それらしく振舞う必要はある。
だから目的だけ達成してすぐに帰ってくるという訳にはいかない。
「まあいいわ。お土産よろしくねクロード」
「アタシの分もよろしく。ダーリン」
「分かっている。お前達、何か欲しい物はあるか?」
酒の入ったグラスを片手に尋ねるクロードに、女達が口々に希望を述べる。
「お酒とタバコ。もちろん高いヤツね」
「食べ物がいい。お肉とか」
「私は旦那様のお気持ちにお任せします」
「・・・・・」
次々に意見が出る中、自分も希望を述べていいのか判断できずにいるルティア。
そんな彼女の気持ちを察してかクロードがルティアに水を向ける。
「ルティア嬢も何か欲しい物があるなら遠慮なく言って構わない」
「本当にいいんですか?」
「当然だ。
「いえ、そこまでの物では・・・」
そう言って少し考え込んだ後、ルティアは遠慮がちに希望を口にする。
「じゃあ、その・・・甘いお菓子を」
「フッ、分かった」
実に若い女の子らしい希望に思わず口元を緩めたクロードは彼女の希望を聞き届ける。
これで後は希望を聞いていないのはヒサメだけになった。
そのヒサメだが、先程から何も言わずにボウッと天井の一点を見詰めている。
元々変わった性格の娘だが今日はいつにも増して様子がおかしい。
クロードと同じく彼女の異変に気付いた他の面々もヒサメの様子を窺う。
「どうしたのヒサメ?」
「ヒサメさん?」
「ヒサメっち。どこか具合でも悪い?」
周囲からの問い掛けにハッと我に返ったらしいヒサメがフルフルと首を左右に振る。
「クロに・・・ついて行く」
『・・・は?』
ヒサメが口走った言葉に、その場にいた全員がポカンと口を開けたまま一時思考停止する。
彼女の言っている事の意味が分からずにクロードは思わず聞き返す。
「よく聞き取れなかった。もう一度いいか?」
「クロの仕事・・・一緒に・・・ついて行く」
「却下だ」
ヒサメが言い終わると同時に間髪入れずに申し出を却下する。
何を考えているのかと思えばまさかそんな事を考えていたとは思わなかった。
それについてはアイラ達も同じらしく呆れた様な表情をしている。
「俺は別に遊びに行く訳じゃない」
「知って・・・る。でも・・・行く」
普段からあまり強く主張する事のないヒサメにしては珍しく譲る気配はない。
だからと言ってクロードも彼女を連れて行く訳にはいかない。
別に彼女の身を案じてとか危険だからとかそういった理由ではない。
正直、クロード以外の者でヒサメに勝てる様な者が早々居るとは思えない。
「何故行きたいか理由を聞いてもいいか?」
「秘・・・密?」
「何故、疑問形?」
相変わらずヒサメの性格は掴み所がない上、よく分からない。
普段通りふざけている様に見えるが、だからと言っていつもの冗談という訳でもなさそうだ。
「まあいい。何を言おうとこちらも答えを変えるつもりはない」
「うん。だから・・・勝手に・・・ついてく」
「・・・オイ」
冗談だろうと言いたい所だが、他の者達ならともかくこの娘なら本気でやり兼ねない。
なんとか阻止せねばと考えた時、ふとある疑問が頭の中に浮かぶ。
「ちょっと待て。勝手についていくと言ったがどうやって第八区画まで行くつもりだ。言っておくが俺はお前の分の旅費を出す気はないからな」
この家の財布はアイラが管理しており、その支出は家計簿を通じてクロードも把握している。
その記録に間違いがなければ余計な出費などはなかったはずだ。
なのでグロリア達の様に働いていない限り自由にできる金を得る事は出来ない。
クロードの知る限りヒサメは働いていないので収入はないはずだ。
「大丈夫・・・お小遣い・・・溜めてる」
「小遣いだと?」
ヒサメの言葉にアイラの方をチラリと見るが、アイラは首をブンブンと左右に振って否定する。
どうやら彼女ではないらしい。では一体誰が彼女に小遣いを与えているというのか?
「たまに・・・畑仕事・・・手伝ってる」
「畑仕事?」
ヒサメの言葉に今度は全員が顔を見合わせる。クロードの家に畑はない。
せいぜいアイラが趣味でやっている小さな家庭菜園程度だ。
「隣の・・・ジジババ」
「・・・ああ、ご近所のご夫妻の事ですか」
アイラの言葉でクロードもようやく合点がいく。
恐らくヒサメが言っているのはクロードの家から5km程離れた所に棲んでいる老夫婦の事だ。
その夫妻がクロードの家から割と近いところに大きな畑を持っている。
クロードもたまに事務所に出勤する際に農作業をしている姿を見掛けたりする。
もっともクロードは会っても軽く会釈する程度で、特に会話らしい会話をした事はない。
(ヒサメのヤツ。いつの間にそんな人達と交友関係を築いたんだ)
思わぬ形でヒサメのコミュ力の高さを知る事になり、その場にいた全員が驚かされた。
正直、日頃から不思議ちゃん全開のヒサメには外で人付き合いが出来るとは思っていなかった。
「だから・・・お金は・・・大丈夫」
そう言って無表情のまま余裕のピースサインを決めるヒサメ。
こうなっては最早クロードにヒサメを止める術はない。
結婚していたり、恋愛関係にあるならまだ彼女の行動に口出しも出来るだろうが2人はあくまでも同居人。
それが今の2人の関係性であり、クロードとヒサメの現状だ。
彼女の稼いだ金で彼女が何をしようとも、クロードにそれを止める権利はない。
その事が分かっているからか、ルティアを除く他の面々の表情はどこか悔しそうに見える。
いや、実際悔しがっているのだろう。
アイラ達にとってヒサメのピースサインはある意味勝利宣言に近い。
何せ今までアイラとグロリア以外とは国外に出た事はないし、2人に関しても一緒に第七区画の外に出たのはかなり前の話になる。
きっと彼女達も本当ならクロードと一緒に遠出したいと思っているはずだ。
だがグロリアには仕事、シャティはバイトの予定が既に入っている。
アイラは働いてこそいないが先程家を預かると言った手前、言い出す事が出来ない。
「もういい。好きにしろ」
「うん・・・好きにする」
「ただし、この家に置く時に交わした約束は守れ」
クロードの言葉にヒサメはコクリと小さく頷く。
随分前に交わした約束だが、彼女の方もちゃんと覚えていたらしい。
それさえ守るというのならクロードにもう言う事はない。
こうして1人と1羽の旅に予定外の同行者が加わる事となり今に至る。
「今更だが本気でついてくる気か?」
「もち・・・ろん」
「そうか」
ヒサメの意思はどうやら今も変わっていないらしい。
その意思を確認したクロードの方も、もう止めるつもりはない。
むしろ何が彼女にそこまでさせるのか興味が湧いた。
彼女と一緒に居ればその理由についても知る事が出来るだろう。
そんな事を考えながらクロードはヒサメと共に人ごみを掻き分け切符入り場に向かう。
切符売り場には人が列をなしており、2人は列の最後尾に並ぶ。
「人・・・・多い」
「我慢しろ」
「クロ」
「なんだ?」
「手・・・繋いで」
潤んだ瞳で上目づかいにお願いしてくるヒサメにクロードはやれやれと肩を竦める。
一体どこでこんな手口を覚えて来るのか不思議で仕方ない。
クロード以外の男なら恐らく今のおねだりだけで恋に落ちていた事だろう。
日頃から慣れているクロードは流石にそうはならなかったが、代りに差し出された手の方はしっかりと握り返す。
「今だけだぞ」
「・・・うん」
「アイラ達には絶対言うなよ。後が恐い」
「・・・うん」
返事と共にクロードに喜色満面の笑顔を見せるヒサメ。
常日頃、表情の変化に乏しいヒサメの笑顔に少しだけ得した様な気分になる。
(たまにはこういうのも悪くはないか)
ひんやりとしたヒサメの手の感触を左手の中に感じながらクロードは売り場までの列が終わるまで時間を過ごすのだった。
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