第59話 深き霧の街

第八区画に着いて早々に駅前で騒ぎを起こしたクロードとヒサメは騒然となる駅前から離れ人通りの少ない路地を歩いていた。


「ここまで来れば問題ないか」


通りの真ん中で足を止め、自分が歩いてきた方を振り返るクロード。

振り返った所で以前視界は深い霧に覆われており何も見えないが、駅前の方が騒がしくなっているのはここまで伝わってくる。


「やり・・・すぎた?」


クロードを見上げ、少しだけ心配そうに尋ねてくるヒサメにクロードは首を左右に振って応える。


「そうでもない。むしろ好都合だ」

「好・・・都合?」


クロードの返答の意味が分からずヒサメは不思議そうに首を傾げる。

ヒサメの疑問にクロードは軽く笑顔を向けると、ポケットからタバコを1本取り出す。


「気にするな。こっちの話だ」

「???」


ますます分からないといった顔をするヒサメを余所に、クロードは静かにタバコの先端に火を点ける。

確かに駅前でのトラブルはクロードにとっても想定外の出来事だった。

しかしそれが必ずしも悪い方向に転がるとは限らない。


(これでガルネーザファミリーの連中も俺の到着に気付いただろう)


ここ数日クロードにに纏わりついていた尾行から、クロードが第八区画に来る事は事前にガルネーザファミリーに伝わっている筈だ。

それでも分かるのは日付だけで何時に到着するかまでは分からない。

2つの区画間を1日に走る汽車の本数はそう多くないが、駅でチケットを買って汽車に乗るまでは何時のどの便に乗ってくるかは知りようがない。

電話があると言っても公衆電話はまだないから電話で知らせる事も困難だ。

なのでガルネーザファミリーは恐らくクロードが到着したらそれを報せる為に駅の近くに組織の人間を何人か配置して見張らせていただろう。

本当はその見張り達がクロードを発見してくれるのが理想的だったが、先程の駅前の濃霧を見る限り余程至近距離まで近付かない限り目視でクロードの存在を確認するのはまず不可能。

あのまま何もなければ見張り達を素通りして気付かれなかったかもしれない。

しかしそれではクロードの計画的にも困る。彼等にはなるべく早い段階でこちら見つけてもらわなくてはならない。

だからといってこちらから出向いたり、変に目立つ行動を取ってはどうしても違和感が残り、要らぬ警戒心を相手に抱かせかねない。

そうなった場合、リットン暗殺までの間にドルバックに接触するどころか、最悪厳重な監視下に置かれて一週間身動きが取れなくなる可能性すらある。

以上の作戦の性質上、あくまでガルネーザファミリーがクロードを見つけたという体裁が必要になる。

そういった点を踏まえて考えた時、先程の騒動は実に都合がいい。

人の関心を集める事が出来て、騒ぎの理由を問われても言い訳の必要がない。


(今頃は駅前を中心にガルネーザファミリーの連中が俺の事を探し回っているだろう)


そんな事を考えながらクロードは余裕の笑みを浮かべタバコの煙を吐き出す。


「それにしても凄い霧だね。右を向いても左を向いても霧以外何も見えないや」


クロードの吐き出した煙が霧の中に吸い込まれるのを見ながらアジールが呟く。

確かにアジールの言う様に前も後ろも僅か先の道しか見えず、気を抜けば自分がどちらの方角から来たかも分からなくなりそうだ。

下手すると自分達が降りた駅に戻る事さえも難しいかもしれない。


「やはり事前に地図を買っておいて正解だったな」


クロードは旅行鞄を一度地面に置いて中から分厚い1冊の本を取り出す。

それは第八区画の出版社が発行している第八区画の地図。

こちらに来る事を決めた日の内に買っておいた道具の一つだ。

クロードの手に持った本を見てヒサメが小さく拍手する。


「クロ・・・用意・・・周到」

「この程度は旅の基本だと思うが?」


ただでさえ土地勘のない場所で行動する以上、備えておくに越した事はない。

クロードは手に持った地図を開くとペラペラとめくり始める。

買った日の内に一度目は通して行動予定範囲には付箋を貼っておいた。

当然、駅周辺は行きと帰りで利用するのでチェック済みである。

すぐに目的の駅周辺のページを開いたクロードは、自分の肩の上にいる相棒に見える様に地図を持ち上げる。


「始めて来る土地だが問題ないな」

「もちろん。だって精霊だもの」


クロードの問いに当然と言わんばかりの態度で応じるアジール。

アジールに関わらず精霊全般に言える事だが、彼らの空間認識能力は人間とは比べ物にならない。

別に目が非常に良いとか耳が遠くの物音まで聞き取るとかそういう話ではない。

そもそも精霊にとって実体化した肉体の持つ視覚や聴覚といった感覚器官は左程重要なものではない。

精霊にとっての肉体は己が戦う為の武器、自身の身を守る為の鎧、あるいはその身を彩る為の装飾品であって、実体化した肉体の機能事態はおまけみたいなもの。

彼等が自己や周囲の生物、無機物を認識、識別するのに使うのは内包する魔力。

内包する魔力を使って周囲の空間を漂う魔力に干渉し、状況を把握する事が出来る。

把握可能な範囲は精霊の力によって異なっており、上位の精霊ほど知覚範囲が広い。

ちなみにアジールがその気になれば、霧に包まれたこの街の全てを認識する事も可能だ。


「なら頼りにしているぞアジール」

「そう言われるといい所見せたくなっちゃうね」


フフンと鼻を鳴らしたアジールはクロードの持っている地図をジッと見つめる。

5秒程の間、黙って地図を凝視し続けたアジールは目の前の地図と自身の中に浮かび上がったこの街のイメージをトレースし、やがて嘴を動かしてある一点を差す。


「今僕たちがいるのはココだね」

「分かった」


アジールが差した地図上の一点を見て、ここが先程の駅前から東に大体2km程離れた路地だという事を確認したクロードはタバコの煙を吐き出す。


「これ以上は駅から離れない方がよさそうだな」


先程の騒ぎの後であまり駅に近い場所に居ても不審感が残るが、だからと言って離れすぎるとその分向こうがこちらを見つかるのに時間が掛かる可能性がある。


「この辺りで適当な喫茶店でも探して時間を潰すか」

「・・・うん」


クロードの提案に頷いたヒサメはタバコを持っているのとは逆の方の手を握る。


「・・・どういうつもりだ?」

「はぐれ・・・たら・・・大変」


そういってひんやりと冷たい手に握力を込めてくるヒサメにクロードは溜息を漏らす。

単に手を握りたいだけじゃないかと言いたくなったが、その言葉はグッと喉の奥に飲み込む。

ヒサメは精霊術師であり、従えている精霊も上位精霊。

例えはぐれたとしてもそこまで遠くで無ければ問題なく合流できるだろう。

しかし、その場合ヒサメは自身の精霊を召喚する必要がある。

それは非常にマズイ。いや、大問題だ。

ヒサメの精霊は召喚するだけで周囲に影響を及ぼす程の力を有しており、間違って一般人の居る場所で召喚されたりすればそれだけで何人か死人が出るレベルだ。


(流石に迷子なんて下らない理由で死人を出したりしたら親父に顔向けできんな)


正直、敵地のど真ん中で仲睦まじく手を繋いでいるというのもどうかと思うが、万一はぐれた時の事を考えるとそうも言っていられない。

幸いというべきか濃霧で視界が悪く人通りも少ない。


「はぁ、店に入るまでだぞ」

「分かっ・・・てる」


コクコクと何度も頷くヒサメにクロードはもう一度溜息を吐くと、タバコを捨てて旅行鞄を拾い上げる。


(早く店を見つけないとなマズイな)


流石にこんな所をガルネーザファミリーの人間に見られては格好がつかない。

早く店を見つけるべく急いで歩き出すクロードに併せてヒサメも歩き出す。

そんな2人を見ていたアジールがクロードの耳元でクスクスと笑う。


「随分楽しそうだな」

「そりゃあ楽しいさ。日頃から隙の少ないキミが振り回される姿を見るのは特にね」

「・・・・・」


我が相棒ながら実にいい性格をしている。

アジールは荒事に関してはこれ以上ない程に心強い味方だが、プライベートな面においてまで味方であるとは限らない。

そういえばこいつはこういうヤツだったと非協力的な相棒に早々に見切りをつけたクロードは、とにかくこの状況を早く終わらせようと店を探す。

だが、真っ白な霧の中で店を探すというのは中々難しく。

頼みの相棒が非協力的だったこともあり、ようやくそれらしい店を見つけたのは15分程経ってからだった。


「・・・いらっしゃい」


無愛想なマスターの不機嫌な声に迎えられ入店するクロードとヒサメ。

ちなみにアジールは店に入る前にクロードのコートの影へと身を潜めた。

店内に入った2人をチラリと見た後、店主はすぐに興味を無くした様に視線を外す。

どうやらまともに接客する気はないらしい。

ならばこちらも勝手にさせてもらおうと手頃な席を探して店内を見渡すクロード。

店主の愛想がないからか、それとも外の霧が濃いからか客は少ない。

その客の内の何人かがこちらの視線に気づいて顔を上げる。


「なんだあの男は?」

「この辺りじゃ見ねえ顔だな」

「ケッ、全身黒づくめなんて気取った恰好しやがって」

「結構いい女連れてるのが尚更ムカつくぜ」


クロードの姿を見て店内のあちこちから鋭い視線が飛び、中傷の言葉が行き交う。

一見相手にこの扱い。どうやらこの店は店主の愛想だけでなく客層まで悪いらしい。


「客質良くないね。店変える?」

「そう・・・だね」


入って2分も経たない内に店を出る事で意見が一致するアジールとヒサメ。

だが、クロードは2人の言葉を無視して店の奥に向かって歩きだす。


「・・・アジール。どうやら俺は当たりを引いたらしい」

「当たり?」


言葉の意図するところが分からずにいるアジールに直に分かるとだけ言ってクロードは店の一番奥、4人掛けのテーブル席へと移動する。

その時、クロードを睨み付けていた客の1人が"あっ"と小さな声を上げる。


「どうしたよ急に」

「エライ事に気付いた」

「なんだよ。エライ事って?」

「あの黒づくめ野郎、アイツもしかして例の男じゃないか」

「例の男?」

「ガルネーザファミリーの旦那方が言ってた"第七区画の烏"って野郎だよ」

「・・・っ!!」


1人の客の口にした呼称に店の中にいた客の何人かの顔色が変わり、全員がクロードの方へと視線を向ける。

実はクロード達が何気なく入ったこの店、ガルネーザファミリーの関係者がよく溜まり場として利用している喫茶店。

敵の周囲の視線を一身に集めるクロード本人はと言うと、周り視線が自分に向いている事を知りながらもメニュー表を長め気付いていないフリをする。


「そう言えば聞いてた風貌と同じ」

「オイオイ、もしそうならヤベエじゃねえかよ」

「"第七区画の烏"っていえば向こうで今一番勢いのあるヤツじゃないか」

「・・・・・」

「誰か急いで外にいる旦那方を呼んで来い」

「わっ分かった」


誰かの言葉に客の1人が弾かれる様に立ち上がると小走りに店の外に駆け出していく。

それを見届けたクロードは持っていたメニュー表をテーブルの上に置く。


「なるほど。これで見つかるのを待つ必要はなくなった訳だね」

「そういう事だ」


ここにいればさっき店を出て行った男がガルネーザファミリーの人間を連れてくるはずだ。

クロード達はそれまでここでコーヒーを飲みながらを待っていればいい。


「相手はどう出るだろうね?」

「さあな。そいつは迎えが来てからのお楽しみだ」


そう言ったクロードの顔には自然と不敵な笑みを浮かぶ。

決して余裕がある訳じゃない。今の自分に失敗は許されない。

それでも今はこれから挑む戦いに胸が高鳴る。


(レミエステスの裏社会に君臨する9大勢力の一つ"ガルネーザファミリー"。喰い破ってやる!)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る