第60話 敵からの招待

喫茶店の中、眉間に皺を寄せた店主がクロード達のいる最奥のテーブルへと近付く。

手に持ったトレイに2人分の飲み物を乗せてクロード達のいる最奥のテーブルの脇に立った店主は、不愛想にフンッと不機嫌そうに鼻を鳴らすと運んできたグラスとコーヒーカップを乱暴にテーブルの上に置く。

ガチャンッと音を立てて置かれたコーヒーカップの淵からコーヒーが撥ねて僅かにテーブルの上を汚す。


「・・・チッ!」


テーブルの上に零れたコーヒーを見て舌打ちをした店主は、それを拭うでもなく放置したままクロードとヒサメを交互に見る。


「これ飲んでとっとと出て行け。余所者」


とても客商売とは思えない台詞を残した店主はカウンターの方へと戻っていく。

そのあまりにも横柄な店主の態度にクロードは小さく溜息を漏らす。


「まったく、もう少し愛想よく出来ないのか」

「凄く・・・態度・・・悪い」


去っていく店主の背中に不満たっぷりの視線を向けるヒサメが不機嫌そうに頬を膨らませる。

別にお客様は神様などという事を言うつもり等は毛頭ないが流石に今のは酷すぎる。


(クレームの一つでも言ってやりたい所だが・・・)


第七区画であれば普通に文句の一つでも言う所だが、生憎ここは第八区画。

しかも今は些細な揉め事も起こす訳にはいかない状態。

敵対勢力の息の掛かった店で僅かでも火種になる様な行為は慎まねばならない。


(歯痒いところだが仕方ないな)


どの道この店に長居するつもりはないのだからここは我慢一択。

2度と来る事もない店だ。この際、多少の無礼には目を瞑る事にしてクロードはテーブルの上のカップを手に取りコーヒーを一口啜る。

瞬間、口の中に広がったコーヒーの味に思わず眉を顰める。


(マズイ)


焙煎が中途半端で風味は雑、淹れ方も適当で味も悪く何より温い。

行き付けにしている第七区画レアドヘイヴンの喫茶店とは比べるべくもない。

流石にそれ以上を口にする気は起こらずにコーヒーカップをソーサ―の上へと戻す。

ふと視線を上げると対面に座るヒサメがグラスの中のオレンジジュースをチビチビと飲んでいる姿が視界に入る。


「うまいか?」

「普通。・・・市販の・・・安物の味」

「そうなのか?」


先程見たメニュー表では随分と割高な値段が設定してあったと思い、カウンターの方に目をやるとカウンターの上に隠す事無く堂々と置かれた市販されている大容量のオレンジジュースの瓶が目につく。


「・・・オイオイ」


まさかとは思ったが市販品をグラスに移しただけとは恐れ入った。

原価から考えたら50倍以上の値が付いている完全なボッタクリだ。


(ウチのシマのキャバレーだってもう少しマシな値段設定だぞ。他の客はこの値段設定に不満はないのか)


気になったので他の客のテーブルへと視線を移したクロードはふとある事に気付く。

クロードとヒサメのいるテーブルにはメニュー表が1つしかないが、他のテーブルの上にはメニュー表が2つ置いてある。

このテーブルだけメニュー表が足りないのかとも思ったがそうではない。

人の座っていないテーブルにはメニュー表は1つしか置かれていない。

よく見ると2つのメニュー表の装丁は異なっており、片方はクロードのいるテーブルにあるものと同じシンプルな茶革製、もう一方は黒い本革製の装丁になっている。


(なるほど。そういう事か)


2つのメニュー表の意味を理解したクロードが小さく頷く。

恐らくこの店ではガルネーザファミリー用に別のメニュー表を用意してあるのだ。

一般客はテーブルに備え付けの割高な料金設定がされたメニュー表で注文させて高い金額を支払わせて、ガルネーザファミリーの関係者には安い値段の書かれたメニュー表を渡して注文させているのだろう。


(なんとも小賢しい商売をしているな)


ガルネーザファミリーとはこんな小狡い商売のやり方をするのかと思わず呆れてしまう。

少なくともビルモントファミリーの考え方とは合わない。


(こういう所も含めてウチとガルネーザは長年反りが合わないんだろうな)


そもそも両組織は成り立ちからして違うのだから考え方が合わないのは当然だ。

ビルモントファミリーはレミエステス共和国が建国するより以前、今の第七区画の中心街で組織された自警団が母体となっているのだが、ガルネーザファミリーは同時期にこの辺りで活動していた窃盗団が母体となっている。

今は共にマフィアと呼ばれ一括りにされている2つの組織だが、街の守護者であったビルモントファミリーと略奪者であるガルネーザファミリーとでは根幹となる思想が違う。

この2つが手を結ぶにはどちらかが譲歩するか考え方を変える以外にないのだが、それは今の両組織のトップが変わらない限り絶対にないと言っていいだろう。


(ガルネーザファミリーを潰せれば一番手っ取り早いんだがな)


勢力としてはビルモントファミリーの方が大きいのでそれ自体は不可能ではない。

だが、それをしないのは12年前にレミエステス共和国の9区画を治めるマフィアのトップが全員集まって開かれた会議の場にて結ばれた協定で互いを潰し合う事を禁じた為だ。

その時の取り決めで協定を破った場合、他の全ての勢力から一斉に攻撃を受ける事になる事が定められている。

故に各組織は互いに表立って手を出す事が出来なくなった。

なので裏で多少の小競り合いはあっても、この12年の間で9大組織同士で大きな争いに発展した事はない。

だがその協定もいつまで続くかは分かった物ではない。

所詮は数年前に取り交わされた約束事。

そんなものをいつまでも後生大事に守る程、行儀の良いマフィアなどいない。

今こうしている間も各組織で他勢力を潰すべく裏で暗躍しており、この9勢力が均衡した現状を覆す事を目論んでいる。


(いずれこの状況が動いた時の為にも俺は出来る事をやらないとな)


自分の暮らす街を、仲間を、家族を守る為にも今回の策は必ず成功させる。

そう考えながらクロードは店内のあちこちに視線を向ける。

一通り店内を見渡してメニュー表が2つあるテーブルの確認は出来た。

結果として飲み物代をボッタクられる事にはなったが、おかげで店内にいる客の誰がガルネーザファミリーの関係者が誰なのかは判別は容易だった。


(この店にいるの客は俺達以外全員ガルネーザファミリーの関係者か)


店内を確認した結果に安堵するクロード。

これならば何かトラブルが起きても一般人を巻き込む事なく済ませられそうだ。

とはいえあまりこの場に長居したいとは思わない。

経験上、こういう複数の敵に周りを囲まれた状況はあまり良い事はない。

人間の心理として1人で敵わない相手と分かっていても、数の力に頼ればどうにかできると考えてしまうものだ。

実際、先程から何人かがこちらをチラチラと見ており、良くない兆候が窺える。

勿論ここにいる連中程度どれだけ束になってかかって来たところでクロードにとってはなんの脅威にもなりはしないが、それでも今はこちらから手を出せない状況。

いくらクロードが強くても手が出せないなら相手を黙らせるのも楽じゃない。


(流石にこの程度の連中相手に"アレ"を使う気にはならんしな)


この人数を手を出さずに無力化する手段がない訳ではない。

だからといって簡単にその方法に頼る気にもならない。

クロードがそんな事を考えている間にも周囲の悪党共がよからぬ事を考え始める。


「なあ、もしかしてこれってチャンスじゃないのか?」

「何がだよ」

「もし、ここであの野郎をやっちまえば俺達ガルネーザファミリーに取り立ててもらえるんじゃないか?」

『っ!?』


誰かが口走った一言に電流が走ったかのように全員がハッとした顔をする。

互いの顔を見合った後、クロードの方へと一斉に首を回す。

そんな騒がしくなる周囲の気配を察知したクロードは辟易した表情を浮かべる。


(ああ、やはりこうなるのか)


クロードの悪い予感が的中し、良からぬ事を考える輩が現れ始める。

このままだと向こうが仕掛けてくるのも時間の問題だ。


(さて、どう対処するか)


どうやって争わずにこの場を切り抜けるかとクロードが考えていた時、店の入り口が開いて先程店を飛び出していった男が5人の黒スーツの男達を連れて戻ってくる。


「あそこです。奥テーブル」

「確かに報告にあった外見の特徴に合致するな」


黒服の1人が手に持ったメモとクロードを交互に見て確認する。

そんな中、黒服達の到着と同時に店内に満ちていた殺気がフッと霧散する。

どうやら待っていた迎えが間に合ったらしい。

余計な手を出さなくて済んだと内心胸を撫で下ろしたクロードは、何食わぬ顔で黒服達が自分の近くに来るのを待つ。

出入り口を塞ぐように2人を残し、3人の黒服がクロードとヒサメの居るテーブルの脇に立つ。


「ビルモントファミリーのクロード・ビルモントさんですね」

「その通りだが、アナタ方は?」

「私達はガルネーザファミリーからの使いの者でございます」

「使い?ガルネーザファミリーの方と会う約束はないが?」


あらかじめ用意していた台詞をもっともな雰囲気で口にするクロード。

自分の口から出たあまりに白々しい嘘に思わず内心で笑ってしまう。


「確かにお約束はありませんがビルモントファミリーの次期幹部候補であるクロードさんがお越しという事でしたので、第八区画を仕切る我々としては是非一度ご挨拶をさせて頂きたいと考えておりまして、ご同行頂けますか?」

「そういう事でしたか」


そう言ってクロードは考え込むような仕草をする。

ここまでのやりとりは想定通り。

だが、ここですんなり招きに応じたりはしない。


「ご招待は素直にありがたいのですが、今回の私はあくまで仕事でこちらに伺っているボルネーズ商会の一社員に過ぎません。ファミリーの許可なくガルネーザファミリーさんに伺う訳には・・・」


結果だけを考えればいつ招きに応じても同じ様に思えるが、今回の作戦においてはこの過程こそが重要なのだ。

こちらにとってガルネーザファミリーからの接触が予定外であり、招かれる事が本意でないという印象を相手に与える必要がある。

その為には相手からより強引な口実を引き出し、こちらが止むを得ず招きに応じるという状況を作ってもらう必要がある。


(さあ、次はどう出る?)


クロードからの断りの言葉に男達は一度顔を見わせた後、僅かに不快そうな表情をする。

自分達の招きに応じないというクロードが気に入らないらしい。

気持ちは分からないではないがそれを表情に出しては使いとしては三流だ。


「我々の招待に応じられないと?」

「非常に難しい所ですが、やはりこちらも表の仕事で来てますので」


あくまで断る姿勢を崩さないクロードに、三人の表情が益々険しくなる。

これは争いになるかもしれないという雰囲気を感じ取った周囲の関係者がいつ戦いになっても対処できるように身構える。


「それはウチの首領ドンナレッキオ・ガルネーザからの招きであってもですか?」


黒服の1人が口に出した思わぬ大物の名前に周囲の客が騒然となる。

これには流石のクロードも少し驚いていた。

それはそうだ。まさかまだ幹部にもなっていない一構成員をまさか組織のトップ自らが招くとは思っていなかった。


(てっきり幹部の誰かの名前が出てくると思っていたが、予想外の大物が釣れたな)


他の幹部相手ならまだしも組織のトップからの招きとあっては流石のクロードもこれ以上断る訳にはいかない。

断ればそれだけで首領の顔を潰されたという理由で全面戦争にさえ発展しかねない。

本来であればもう少し粘ってから応じたかったが、こうなっては仕方ない。


首領ドンから直々の招待です。もちろん応じて頂けますね?」


従わなければどうなるか分かっているだろうなと訴えかけてくる相手にクロードは椅子から立ち上がって深々と一礼する。


首領ドンナレッキオ自らのご指名とあっては私如きに断る理由はございません。ご招待、応じさせて頂きます」


平身低頭といった様子のクロードに黒服達は満足そうに頷く。

恐らく内心で自分達の首領の威光の前にクロードが屈したとでも思っているのだろう。

もちろんそんな事は全くない。むしろ全く別の事を考えていた。


(いい機会だ。ガルネーザファミリーの首領ドンがどれ程のものか見せてもらうとしよう)


内心の思惑を隠したまま、クロードは黒服達と共に店を出る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る