第58話 氷の華は誰が為に咲く

時刻は午後1時を少し回った頃、クロードとヒサメを乗せた汽車は第八区画内にある駅の一つ「イプシロス区庁舎前駅」で停車した。

停車と同時に各車両のドアが一斉に開き、車内から溢れ出した人でホーム内があっという間に人でごった返す。

そんな大勢の人の中に混じってクロードとヒサメの2人もホームへと降り立つ。


「とう・・・ちゃ~く」


時間にして3時間弱の汽車の旅を終えて、ようやく外の空気に触れたヒサメは解放感からそのまま人目も憚らずに大きく伸びをする。

ググッと大きく背中を逸らす彼女の背中を呆れた様子で見つめるクロードの姿。


「何をやっているんだ」

「到着の・・・儀式?」


肩越しにクロードの方を振り返ったヒサメはそう言って僅かに首を傾げる。


「何でもいいが自分の荷物ぐらいは自分で持て」


そう言ったクロードの両手には自身の旅行鞄とヒサメのリュック。それともう1人分の荷物で埋まっていた。

クロードの傍らには車内で知り合った老婆の姿。


「なんか悪いねえ。荷物持ってもろうて」

「いえ、私のツレがお世話になりましたのでこのぐらいは」


老婆の言葉にクロードは手に持った手を荷物を軽く浮かせて愛想笑いで返す。

暗黒街で悪党友から恐れられるている男のそんな姿に、ヒサメが思わず呟く。


「クロは・・・外面が・・・いい」

「ウルサイ。ちょっと黙ってろ」


ヒサメの余計な一言にクロードは作り笑顔のまま、こめかみに青筋を浮かべる。

言われなくても自分が似合わない事をしているのは百も承知だ。

それでもクロードにはこうせざる負えない理由があった。


(俺とした事が、失態だった)


駅に辿り着くまでの2時間あまりの間、老婆と同席したクロード達。

話し相手になるという事で同席したが、実際は老婆の話を2人が聞くだけというもの。

ただ、この局面においてヒサメはクロードが知らなかった特異な才能を発揮した。

老婆の身の上話の合間合間、的確なタイミングで相槌を打ち、相手が何かコメントを欲しがっていると思われるタイミングでコメントを投入する。

カウンセラーか、でなければ熟練のホステスレベルの聞き上手。

その見事な聞きっぷりに上機嫌で話し続ける老婆は、次々に自分のカバンの中から蜜柑を取り出してヒサメに与えていった。

結果、気が付けば老婆の鞄の中に入っていた蜜柑の半分以上がヒサメの腹の中に納まっていた。

そうなる前にクロードが止められれば良かったのだが、予想外のヒサメの才能に感心していていて気付くのが遅れた。

以上の様な経緯があり、クロードは荷物持ちを買って出る事にした。


「この荷物、どちらまで運べば?」

「駅の外まででええよ。息子が迎えに来とるはずやし」

「そうですか。分かりました」

「クロ・・・がんばれ」

「お前は早く自分の荷物を持て」


指先に引っ掛けていたリュックをヒサメの方へと突き出すが、ヒサメは気付かないフリをしてそのまま前の方に向かって歩いていく。

奔放なヒサメの姿に溜息を吐くと、クロードは3人分の荷物を持ちなおしてその後に続く。


「元気なお嬢さんやね」

「ここまで奔放な姿を見るのは俺も初めてです」

「そうなん?ならきっとあんちゃんと旅が出来て浮かれゆうんよ」

「・・・・・そういうもんですかね?」

「きっとそうやよ」


妙に自信満々に語る老婆にクロードは怪訝な顔を浮かべながら外に向かう。

年寄りが一緒なので人ごみの飲まれない様に最後尾に並ぶクロード。

そこからさらに20分程時間を掛けてようやく出口へと辿り着く。


「ここが第八区画"イプシロス"か」


クロードの眼前に広がるのは昼だというのに一面深い霧に包まれた街並み。

それこそ昔テレビの旅番組で見た霧深いロンドンの街並みを思い出す。


「霧・・・濃い」

「時間によって濃霧が凄いとは聞いていたが、ほとんど何も見えないな」


あまりに真っ白すぎて10m先も見通せそうにない。

これほどの濃霧だと馬車や車で移動するのは大変そうだ。

そんな事を考えていると隣を歩いていた老婆がクロードを見上げる。


「あんちゃん、荷物ありがと。ここでええよ」

「いいんですか?この濃霧ですから息子さんとの待ち合わせ場所まで持ちますが」

「大丈夫。ここに来るのも初めてじゃないきに」


そういう事ならとクロードは左手に持っていた荷物を老婆へと手渡す。

荷を受け取った老婆は会った時と同じ朗らかな笑みを浮かべる。


「2人のおかげで楽しい時間が過ごせたき、ありがとうね」

「いえ、こちらこそありがとうございました」

「蜜柑・・・ありがと」

「それじゃあねぇ」

「また・・・ね」


挨拶を交わし、クロードとヒサメは老婆と別れる。

荷物を抱えた老婆の姿が徐々に霧の向こうへと消えていく。

その背を2人が静かに見送っていた時、クロードの肩に乗っていたアジールが顔を上げる。


「クロード。誰か来るよ」


アジールの言葉で瞬時に警戒態勢に入ったクロードは周囲に意識を向ける。

その時、霧の向こうから人影が飛び出したかと思えばクロードの持つ旅行鞄に向かって手を伸ばす。


「頂きだぜ!」


突如現れた男はクロードの手から旅行鞄を奪い取ろうと鞄の取っ手を掴む。

瞬間、男の顔面を凄まじい衝撃が襲い真っ白な霧に覆われていた視界が一面深紅に染まる。

男が何が自分に起こったか理解する前に、遅れてやってきた痛みが男の顔面を襲う。


「うげぇえああああああああああああああっ」

「うるさい。静かにしろ」


自身のすぐ近くで悲鳴を上げる男を一瞥すると、クロードは男の顔面を打った握り拳を開くと2本指を立てて男の喉を突き黙らせる。


「っ~~~~~!!!!!!」


悲鳴を上げる事さえ出来なくなった男はその場に倒れ込み、激痛が広がる顔と喉を抑えて地面の上をのた打ち回る。


「来て早々にひったくりに遭うなんて。大した治安の悪さだね」


そう言って足下で丘に打ち上げられた魚の様にのた打つ男を見下ろすアジール。

クロードとヒサメはというと興味無さげに足下に転がった男から視線を外す。

彼等にとってこの程度の出来事はトラブルの内にも入らない。


「クロ・・・まだ・・・いる」

「分かっている」


足下で転がる男の他に霧の中を素早く移動する複数の気配。

事態を察してかこちらを避ける様に動いた気配は目標を変えて今度はクロード達と別れたばかりの老婆に向かって襲い掛かる。


「その荷物を寄越せババア!」

「ヒィッ!」


大声と共に霧の中から突如現れた男は、振りかぶったナイフを老婆へと振り下ろす。

老婆は何もできずに短い悲鳴を上げる。

目を閉じて自らを襲うであろう衝撃に身を竦ませる老婆。

だが、老婆の思いとは裏腹に想像した痛みはいつまで経っても襲ってこない。

不思議に思って顔を上げた老婆は閉じた目をゆっくりと開く。


「ああっ!」


自身の両目に映ったものを見て老婆は思わず声を上げる。

そこには飛び掛かった時の姿勢のまま顔以外の全身を氷の柱に封じられた男の姿。


「えっ?ええっ!一体、なにがどうなって・・・・」


訳も分からず唯一動く首だけを僅かに動かして辺りをキョロキョロと見渡す男。

そうしている間に全身を包んだ氷が全身から体温を奪い去っていく。


「何だよこれ。寒い!動けない!誰か助けてくれえっ」


混乱の中、自分の身に起こっている出来事に恐怖し情けない悲鳴を上げる男。

その姿を見て霧の中に潜んでいた男の仲間と思しき者達の動きが止まる。

誰も人間が突然氷の中に閉じ込められるとは思っていなかったのだから無理もない。

その様子を霧の向こうから眺めていた少女が小さく声を呟く。


「婆ちゃんに・・・手を・・・出すな」


少し低い声でそう言ったヒサメの周囲を冷たい風が吹き荒れる。

その隣に立つクロードは頭に被った帽子を押さえながら薄く笑う。


「あまりやり過ぎるなよ」

「少し・・・加減する」


無表情にクロードの言葉に答えたヒサメが真上に向かって己の右手をかざす。

直後にヒサメを中心に吹き荒れる冷気。

身の危険を感じ取った霧の向こうの人影が慌てて逃げ出す様な動きを見せるがもう遅い。


「咲け・・・雪柱華」


ヒサメの声が小さく響くと同時に周囲の冷気がまるで意思をもった生き物の様に動き出し、霧に潜んでいた者達に向かって襲い掛かる。

動きを封じる様に足下が一瞬で凍り付き、体に纏わりついた冷気が足元から頭の方に向かって一気に吹き上げる。

1秒にも満たない僅かな時間で周辺の霧が氷になり、呼吸器のある顔を残して全身が氷の柱の中に封じ込められる。

それはまるで天に向かって咲く美しい氷の華の様だった。


「うわぁああああああ!」

「冷たい!動けない!」

「助けておがぁちゃああああああんっ!」


霧の中、あちこちから上がるひったくり犯とその仲間達の悲鳴。

それを聞きつけて周囲に人が集まり始める。

俄かに周囲が騒然となる中、ヒサメは落ち着いた様子で隣に立つクロードを見上げる。


「約束・・・守れた?」

「・・・・・」


問いかけてくるヒサメにクロードはかつて彼女と交わした1つの約束を思いだす。

それは共に暮らすと決めた日にクロードがヒサメに課した戒め。


 ≪自身の命がおびやかされない限り、人をあやめてはならない≫


その約束を交わした日から『血染め雪』と呼ばれて恐れられた伝説の暗殺者は消え、少女は己の手を血で染める事をやめた。


(あの時はヒサメに普通の生活をさせたくて交わした約束だったが、思ったより効果があったな)


自身も時に人の命を奪う仕事をしているので言葉に説得力がないのは理解している。

それでもヒサメがクロードとの約束を守るなら、きっと彼女は普通に生きる事が出来る。

そう思ったあの時の自分の判断は間違いではなかった。


「そうだな」

「ヒサメ・・・偉い?」

「かもしれん」


そう言って肩を竦めて見せるクロードにヒサメは少しだけ表情を緩める。

以前の彼女なら容赦なく内臓まで一瞬で氷漬けにしていた事だろう。

そのことから考えれば随分な進歩だと思う。

なんとなく褒めてやりたい衝動に駆られたクロードはヒサメの頭の上に手をやって軽く撫でる。

突然の事に少し驚いた顔をしたヒサメだったが、すぐに心地よさから猫の様に目を細めてクロードの体にすり寄ってくる。


(しかし、このまま放置したらどの道こいつ等は死ぬな)


ヒサメの頭を撫でながらクロードは霧の向こうに立てられた氷柱に目を向ける。

呼吸が出来る様にしているとはいえ、このままだと低体温症や心臓麻痺を起こしかねない。

老人に問答無用で襲い掛かる様なクズ連中なので別に死んだところでなんとも思わないが、余所のファミリーが治める土地でいきなり殺しをしては色々と問題になる。

何よりこの者達を死なせてはヒサメが自分との約束を守ろうとした努力の意味がなくなるみたいで気分が悪い。


(不本意だが命だけは助けてやるか)


そう決めるとクロードは周囲に人の気配がない事を確認し、右手に自身の星神器アストライオスである魔銃リンドヴルムを召喚する。

それと同時に左手でポケットの中に入っている鉄鉱石の欠片を握り締めて魔弾の生成者バレットメイカーを発動。

弾丸の完成にあわせて振り出したシリンダーに素早く弾を込めると銃口を氷柱の一つに向ける。


「ヒサメ。少し耳を塞いでいろ」

「分かっ・・・た」


何の疑問を持つ事もなく言われるがまま耳を塞ぐヒサメ。

彼女が両耳を手で塞いだのを確認したクロードは氷柱の根元に向かって引き金を引く。

バァンッとけたたましく鳴り響く発砲音に周囲が騒然となる。


「うわぁあああああっ!」

「何の音だ!」

「とにかく離れろ!巻き添えを食うぞ!」


周囲の一般人が悲鳴や逃げ惑う声を無視して引き金を引き続けるクロード。

撃ちだされた弾丸は着弾と同時に根元から氷柱を構成する魔法を崩壊させる。

5回の発砲で全ての氷柱を砕き終えたクロードはリンドヴルムを天へと帰す。


「終わっ・・・た?」

「ああ」


これでひったくり犯共がヒサメの魔法で死ぬ事はないだろう。

しかし銃声で騒然となった駅前、騒ぎを聞きつけた人が集まりだした。

これでこの街の憲兵やマフィア達が集まってくるのは間違いないだろう。

クロードは足下に置いていたヒサメと自分の荷物を持ち上げる。


「見つかって事情を説明するのは面倒だ。行くぞ」

「・・・うん」


クロードの言葉に頷いたヒサメは一度だけ老婆の居た方向に目を向ける。

少しだけ晴れた霧の中、丁度オロオロと辺りを見渡していた老婆とヒサメの視線が交わる。

老婆が口を動かして何か言っている様だが、周囲の声に紛れてヒサメの元には届かない。

だからヒサメは微かな笑顔と仕草で答える。


「・・・バイバイ」


ヒサメは小声でそう言うと、老婆に向かって小さく手を振りその場を後にした。

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