第4章 策謀交錯の暗殺行

第57話 雪女と蜜柑

一面緑以外は本当に何もない草原の中を2つに割る様に引かれた一本のライン。

盛り固められた土と等間隔に置かれた枕木、その上に引かれた2本のレールが途切れる事なく草原の端から端に向かって伸びている。

その上を黒く大きな蒸気機関車が大量の煙を吐き出しながら西から東に向かって力強く前へ前へと進んでいく。


「ウェスタン・クイーン二世号」


貨物車4両、客車8両の計12両編成されており、客車は3段階に等級付けが為されている。

等級の内訳は一等客車が一部の富裕層向けの個室になっており、切符もそれに合わせて高額となっている。

二等客車は一般大衆向けで個室ではないが座席があり。値段は少し高い程度。

ただし、混雑具合によっては見知らぬ人間との相席になる。

三等客車は座席も窓も廃した造りになっており、長時間乗車をするのはかなりキツイ。

ただ値段が安いので主に出稼ぎの商人からは人気があり利用する客も多い。

ちなみに今回クロード達が乗っているのは前から6両目の二等客車両になる。


「ほらほら見なよクロード。景色が物凄いスピードで流れていくよ」

「ああ、そうだな」


ひじ掛けの上に乗り、落ち着きなく窓の外を流れる景色を眺めるアジール。

いつになく楽しげなその姿に、思わずクロードも苦笑が漏れる。

レアドヘイヴン中央駅を出発してからもうかれこれ1時間程経つがずっとこの調子だ。

汽車に乗るのも別に今回が初めてという訳ではないのによく飽きもせずにはしゃいでいられるものだ。


「他の客もいる。あまりはしゃぎ過ぎるなよ」

「そんなの言われなくても分かってるよ~」


すぐに返事を返すアジールだが、どう見ても意識は窓の外の景色にしか向いていない。

こういった時のアジールには何を言っても無駄だ。


(まったく我が相棒には困ったものだな)


ともあれ汽車で遠出するのも滅多にない事。気の済むまで好きにさせてやるとしよう。

そう決めて窓の外に夢中になっている相棒の事は一旦思考の外へ追い出し、自分の対面の座席に置き物の様に腰掛けているヒサメの方へと視線を移す。

ヒサメはというと朝、家を出る時にアイラに持たされた弁当箱の包みを膝の上に乗せたままジッと眺めていた。


「お腹・・・空いた」

「昼食にはまだ早くないか?」

「でも・・・お腹・・・空いた」


そう言った直後にヒサメの方からグルルルとまるで獣が唸るような音が漏れ聞こえる。


「・・・・・」

「・・・・・」


耳に届いた慎みや遠慮など一切ない音に流石のクロードも言葉を失う。

2人の間に何とも言えない微妙な空気が流れると同時に訪れる沈黙。

とはいえ、いつまでも黙っている訳にもいかないので仕方なくクロードの方から話を振る。


「俺の記憶に間違いがなければ出発前にコロッケを食っていた気がするんだが?」

「育ち・・・盛り?」


問い掛けに対し、いつもの調子でよく分からない事を言って首を傾げるヒサメ。

育ち盛りだとしても流石に空腹になるのが早すぎはしないだろうか。

そもそもクロードの記憶では確かヒサメは現在19歳だったはず。

流石に20歳を目の前にして育ち盛りと言うのは些か無理がある気がしてならない。

もっとも種族によって成人となる年齢の基準は異なるので一概に違うとも言い難い。


(ヒサメの種族だと20歳はまだ成人ではないのかもしれん)


クロード個人としては興味深い話ではあるが、今この場においてはどうでもいい話だ。


「目的地までまだ2時間は掛かる。今アイラの弁当を食べるとこの後食べる物がなくなるんだが」

「うん・・・・分かってる」


そう言って頷くヒサメだが、腹の虫は一向に鳴り止む気配はない。

むしろ少しずつ音のボリュームが上がってる気さえする。

口数が少なくて大人しいヒサメ本人と違って随分と自己主張の強い腹の虫である。


「もう少し我慢できないのか?」

「無理・・・食欲・・・旺盛・・・ノーブレーキ」

「お前なぁ」


いくら揺れる汽車の中が騒音に溢れているとはいえ、近くで鳴る腹の音を掻き消してくれる程とは言えない。

クロード1人なら多少うるさくても問題はないのだが、車内には他の客もいる。

加えて通路を挟んで反対側の座席には母親の腕の中で気持ちよさそうに寝ている赤ん坊の姿。

別に善人を気取るつもりはないが、連れの腹の虫のせいで起こしてしまうのはどうにも気が引ける。


(とはいえ一体どうしたものか)


今アイラの弁当に手を付けたとしてもその後で同じ状況になったらもう食べ物がない。一等客車の方に食堂車はあるが、あそこは一等客車の客しか使えない。

三等客車の方に行けば食料を持っている商人が乗っている可能性があるからそこで何か買ってくるのが一番手っ取り早く確実かもしれない。


(こんな事なら駅の売店で何か買っておけばよかったな)


今更考えた所で栓なき事だと知っていても考えずにいられないのが人間というもの。

気持ちを切り替えて三等車へ向かおうと椅子から腰を浮かせる。

その時、誰かの手が横からスッと伸びたかと思うと、ヒサメの前に何かを差し出す。

それは窓から入り込む光を浴びて瑞々しく輝くオレンジ色の果実。


「・・・・蜜柑?」


思わず声に出して呟いたクロードが手の伸びてきた先に目を向けると、真っ白な髪に皺だらけの顔をした老婆が朗らかな笑みを浮かべていた。


「お嬢ちゃんお腹空いてるならこれ食べるかえ?」

「いい・・・・の?」

「ええよ。バアは沢山持っとるき」


そう言って老婆は皺だらけの顔をより皺くちゃにして自分の鞄の中身を指さす。

確かに鞄の中にはまだまだオレンジ色の果実が入っているのが見える。

ヒサメは差し出された果物と老婆の顔を交互に見た後、意見を求める様にクロードの方へと視線を向けてくる。

ヒサメの視線を受けたクロードは黙ったまま少しだけ思考を巡らせる。


(追手や刺客の類という訳ではなさそうだな)


急に話しかけてきたので少し驚きはしたが、特に悪意や害意といったものは感じない。

そういった感情を向けてくる相手が近づいて来たらヒサメもクロードも感覚で分かる。

何よりアジールがこの距離まで近づいて尚、何の反応も示していない。

例えどれ程気配を断つ事に長けたプロの殺し屋や一流の魔術師であったとしてもアジールまでは欺けはしない。


(なら問題はないだろう)


クロードの目から見てもどこにでもいる普通の老婆。

暗黒街を生きる者達が持つ独特の凄みなどは一切感じない。

万が一、この老婆の持つ果物に細工が施されていて毒物などが仕込んでいたとしても問題にはならない。

この世界に生きる雪女と呼ばれる魔族は体内に入った異物を凍結させる固有能力を持っている。なのでヒサメに毒の類は一切効かない。

以上の事から問題なしと結論づけたクロードは小さく頷く。

それを見たヒサメは老婆の手からオレンジを受け取り小さく頭を下げる。


「あり・・・・がと」

「どういたしまして」


老婆に礼を言ってからヒサメは受け取った蜜柑を手の上に乗せたてジッと見つめる。

そのまま一向に食べようとしないヒサメをクロードが訝しんでいると、その視線が蜜柑越しにクロードの方を向く。


「・・・クロ」

「どうした?」

「食べ方・・・知ってる?」


手に持った蜜柑を持ち上げて尋ねてくるヒサメ。

一瞬何かの冗談かと思ってヒサメの顔を伺うが、そういった様子は見られない。

むしろ早く食べたすぎて我慢できずに口元からは涎が垂れている。

どうやら本当に蜜柑の食べ方が分からないらしい。

確かに彼女の生まれ育った場所は植物もろくに育たぬような極寒の地なので、この国にくる前なら食べ方が分からないというのも頷ける話ではある。


(しかし妙だな。家の食卓に並んだ事も何度かあったはずだが)


一緒の家に暮らし始めてもう4、5年になる。

その間に何度も食べる機会はあったはずだ。

なのに食べ方が分からないというヒサメに疑問を抱きつつ、彼女の手から蜜柑を受け取ったクロードは手慣れた手つきで蜜柑の皮を剥く。


(そういえば自分の手で蜜柑の皮を剥くのなんて随分久しぶり・・・)


そこでようやく先程のヒサメの反応に合点がいく。

いつもクロードの家の食卓に並ぶ果物はアイラが食べやす様に下処理をしており、皮を剥いた物が皿の上に盛り付けられた状態で提供される。

だからヒサメは自分で手で蜜柑の皮を事がないのだろう。


「ほら、出来たぞ」

「・・・おお」


皮を剥いた蜜柑を見て目をキラキラさせながら感嘆の声を上げるヒサメ。


「白いの・・・付いてる」

「そういえばアイラはいつも取ってたな」


確かアルベドとかいう名前の中果皮で豊富な栄養が含まれているという話だった。


「食べ・・・られる?」

「そうだな」

「じゃあ・・・食べ・・・させて」


そう言って口をアーンと開けて身を乗り出してくるヒサメ。


「甘えるな」


これ以上甘やかすとますますつけあがる。

そう結論付けたクロードは蜜柑をヒサメの方へと返す。

そんな2人のやり取りを見ていた老婆が可笑しそうに笑う。


「ほんに兄弟仲がええね」


どうやらこの老婆の目には2人は仲のいい兄弟に見えたらしい。

外見的にそこまで似ている要素はないと思うが、別に不快だとは思わない。


(もっとも、メリッサが聞いたら怒り狂いそうだな)


そんな事を考えている間に、ヒサメが老婆の言葉に首を振って否定する。


「兄弟・・・じゃない」

「そうなんけ?」


老婆の問い掛けに自信満々に頷くヒサメ。なにか凄く嫌な予感がする。


「肉・・・どムグッ」


案の定とんでもない事を口走ろうとしたヒサメの口に物凄いスピードで蜜柑を押し込んでその口を塞ぐ。

突然の事に目を丸くして固まっている老婆に、精いっぱいの作り笑顔で答える。


「従姉妹です」

「ほぉ、そうなんけ」

「はい」


もちろん今言った内容は嘘だがヒサメが言おうとした内容に比べれば遥かにマシだ。

ヒサメには本当に困ったものだと思うクロードを余所に、当の本人は顔色一つ変えずに口一杯に蜜柑を頬張っている。


「あんちゃんも蜜柑食べるかえ?」

「いえ、結構です。それよりも蜜柑のお代を・・・」


そう言って懐から財布を取り出そうとするクロードを老婆は手を振って制す。


「蜜柑1個ぐらい気にせんでええよ」

「いえ、それではこちらの気がすみません。何かお礼を・・・」


マフィアとは悪意に悪意を、暴力には暴力をもって応じる生き物。

それと同じく受けた恩には相応の礼をもって報いるのがビルモントファミリーのマフィアであり、アルバートやフリンジの教えだ。


「そうやねえ。じゃあ相席ええかえ?」

「相席ですか?」


予想外の老婆からの申し出にクロードは思わず聞き返してしまう。

ヒサメと一緒したいというのならまだ分からなくはないが、顔を見ただけで多くの人間が目を逸らす様な凶悪な顔をした自分と一緒したいというのは正直驚きだ。


「第八区画に住んでる息子夫婦のところまで行くんやけど1人旅はどうにも味気のうてね。丁度話し相手を探しとったんよ」

「そういう事ですか」


事情を聴いて頷いたクロードは少し思案を巡らせる。

普通に相席するだけならば何の問題もないのだが、今は時期が悪い。

常にトラブルの可能性を抱えているクロード達と一緒にいると、要らぬトラブルに巻き込んでしまう可能性がある。

だからといって、ここで老婆の提案を断ってしまっては恩に報いる事が出来ない。


「都合悪いかえ?」

「いえ、大丈夫です」


考えた末、一つの方法を思いついたクロードは老婆の提案を受け入れる。

クロードの言葉に老婆はおおらかな笑顔を浮かべるとヒサメの隣に腰を下ろす。


「それじゃしばしご一緒させてもらおうかえ」

「ええ、よろしくお願いします」

「よろ・・・しく」


こうして第八区画に辿り着くまでの道中を見知らぬ老婆と一緒する事になった。

とは言ってもその時間のほとんどはヒサメと老婆のやりとりを眺めるだけ。

それでもその数時間の間にクロードはヒサメの意外なコミュ力の高さを知る事になる。

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