番外編 ルティアのとある1日 上
世界で五番目の中立国であるレミエステス共和国。
国土を9つに区切って作った都市の1つ、第七区画レアドヘイヴン。
その中心にある街から少し離れた所に建つ1件の家の庭先にその少女は居た。
「はぁ、またやってしまいました」
庭で洗濯物を手に持たまま少し俯き、溜息を吐く亜麻色の髪をしたポニーテルの少女。
彼女の名はルティア・ディ・フィンモール。
少し前までレグンニーズ王国という人間の国で魔術師団に所属していた精霊術師。
もっともそれも過去の話であり、今はこの家の家主であるクロード・ビルモントに受けた恩を返す為、そして生活の為、クロードが仕事を持ってくるのを待っている身である。
とりあえずそれまではクロードの家で家事手伝いをすると決めた彼女だったのだが・・・。
「まさか、2日も続けて寝坊をしてしまうなんて」
そう言ってもう一度重たい溜息を吐くルティア。
まさか昨日に引き続き今日も家の中で一番目覚めるのが遅くなるとは自分自身まったく予想していなかった。
(王国で働いていた当時でも、ここまで寝過ごす様な事は一度だってなかったのに)
どういう訳かこの家にきて寝泊まりすると寝すぎてしまう。
陽だまりの中にいる様な居心地の良さとでもいうのだろうか、心が安らぐ。
おかげで思った以上に熟睡しすぎてしまい、今日こそは朝から家事を手伝おうと思っていたのに、起きた時には朝食の支度は全て終わっており、しかもクロードは既に仕事に出た後だった。
朝の事を想いだして自分の不甲斐なさにすっかり気落ちするルティア。
「こんなはずじゃなかったのにぃ」
「そんなに落ち込むな。ルティアよ」
涙目になって落ち込むルティアの右肩の上で人の頭程の大きさになった火竜が小さな前足でポンポンと彼女の肩を叩く。
昨夜の戦いの時とは随分大きさが違うが、間違いなくルティアの契約精霊アルマだ。
「生活環境が変わってまだ慣れておらんのだ。仕方あるまい」
「だけどアルマァ~」
ぬいぐるみの様に可愛らしい姿になった相棒に泣き言を零すルティア。
そんな彼女にアルマは年長者らしく慰めの言葉を掛ける。
「別にあの男の召使いになった訳でもないのだ、そこまで気にする必要もなかろう」
「だけど、クロードさんには助けてもらったから、少しでも恩返しがしたいです」
自身の思いを告げるルティアの言葉に、アルマは考え込むように上を向く。
「ふむぅ、だがなルティアよ。あの男にそこまで恩義を感じる必要があるのか?」
「どういう意味ですか?」
「我は、彼奴がルティアを何かに利用する気なのではないかと思っておる」
「そんな・・・。どうしてそんな風に思うんですか?」
相棒の言葉に悲し気な表情をするルティア。
そんな彼女にアルマは自信の考えを伝えるべく口を開く。
「ルティア、考えてもみよ。一国の王でもない人間が単独で周りにこれだけの精霊術師の女子を囲っている等お主は聞いた事があるか?ないはずだ。我の700年に及ぶ精霊生涯においてでさえ見た事も聞いた事もありはせぬ。どう考えても異常である」
そう言ってアルマは主のいない家の方へと睨む様な視線を向ける。
「あの男、ルティアを自分の手元に置いて何かに利用する気なのではないのか?」
「そんな事ないよ。だってお金のない私のお願い聞いてくれましたし、今もこうして行く当てのない私を家に置いてくれてるんだよ?」
「まさにそれよ。ルティアのその考えに付け込んできているに違いないわ」
きっとそうに違いないと1人で頷き納得するアルマ。
ルティアはそんな彼を抱き上げて、自分と向き合う様に持ち上げる。
「アルマは助けてもらった相手をどうしてそんな風に疑うの?」
「確かにあの男には我が身を救ってもらった大きな借りがある」
「だったらどうして?」
「それとこれとは話が別だからよ。我はあの男がどうにも好かん」
言ってアルマは忌々し気に吐き捨てる。
「アレは相当な悪党ぞ。とても信用など出来るものか」
「クロードさんはそんなに悪い人じゃないと思う」
「また裏切られるのがオチよ。人間等信用できるものか」
はっきりと言い放つアルマの言葉にルティアは胸を強く締め付けられる。
今回の一件でアルマが人間に対して強い不信感を持った事をルティアは理解した。
邪霊に憑りつかれた時に逃げるための囮にされ、ルティア共々見捨てられた事を彼は今も怒っていて、その事で人間全体を恨んでいるという事を。
「ごめんね。アルマ」
「何故謝る?ルティアが謝る様な事ではないだろう?」
「ううん。だって私も人間だもん」
その言葉に、アルマはハッとなって顔を上げる。
目の前の少女が浮かべた悲しげな表情に、怒りに任せて放った自分の言葉が大切な彼女を傷つけたと知る。
「違うぞルティアよ。主は他の俗物共とは違う」
「違わないよ。私も人間、同じ・・・人間だよ」
ますます落ち込む少女の姿にアルマがオロオロと慌てる。
こんな風に彼女を落ち込ませるつもりはなかったのにと今更ながら後悔するアルマ。
困り果てるアルマ達の近くを丁度残りの洗濯物を運んできたアイラが通りがかる。
「おお、そこの女。丁度いい所に来た。少しルティアを宥めるのを手伝え」
相手への礼儀など一切なく命令口調の無礼な精霊に、アイラは少しだけ不機嫌そうに眉を寄せながらも2人の方へと近づいてくる。
「なんですか?ルティアさんがどうかしたんですか?」
「うむ。我が人間を信用できないと言ってしまってルティアを悲しませてしまった」
「はあ?なんでそんな事を言ったんですか?」
「それは・・・」
それからアルマはアイラに対してこうなるまでの経緯を包み隠さずに説明する。
一通り事情を聴いたアイラは呆れたと言わんばかりに大きく溜息を吐く。
「アルマ様。アナタは私等よりも長い時を生きる大精霊なのに阿呆でございますね」
「なっ!」
開口一番、罵声を浴びせてくるアイラにアルマは目を丸くして固まる。
一応精霊相手なので敬称をつけてはいるが、そこに敬意は一切感じられない。
アルマを見るその目はゴミを見るような侮蔑の色に満ちている。
「何故、我があの烏男の召使いであるお主如きにそこまで言われねばならんのだ」
「その発言が既に阿呆の極みでございます」
不満を漏らすアルマにすぐさまアイラが追い打ちの言葉を掛ける。
クロードに接する時とはまるで違うキツイ性格を覗かせる彼女に、こっちが彼女の本性なのではないだろうかとアルマは思う。
「アルマ様に伺いますが、精霊は皆同じ能力、同じ力を持っていますか?」
「そんな訳が無かろう。我の様に超強力で偉大な存在は2つとおらぬわ」
自信満々に言い放つアルマを冷たい目で見たまま、アイラは言葉を続ける。
「それは人間も同じです。精霊に色んな力を持つ者が居て、能力もそれぞれ違う様に人もそれぞれ力も考え方も違う。だから貴方達精霊も契約を結ぶ時に相手を選ぶ。そんな当たり前の事も忘れたのですか?」
「むぐぅ・・・」
アイラの言葉が正論過ぎて何も言い返す事が出来ないアルマ。
「それなのに少し人間から酷い仕打ちを受けたぐらいでへそを曲げて契約者に当たるなんて、上位精霊が聞いて呆れますね」
「う、うるさいわ」
「その上、恩人である旦那様の事を悪く言うなど言語道断です。恥を知らないのですか?」
「よく知りもしない癖に偉そうに・・・」
ブツブツと納得いかない様子で愚痴るアルマに、アイラは胸を張って答える。
「ええ、知りませんよ。知りませんが、私にも貴方達と似た様な経験ぐらいはあります。だけど私は人間すべてを嫌いになったりしませんでした」
堂々と断言するアイラ。何故そんな事を言い切れるのか気になったアルマは思わず問い返す。
「何故だ。何故そう思えた?」
「それは、旦那様に出会えたからです」
「あの男に?」
「ええ」
訝しむアルマに、アイラは何かを慈しむ様な穏やかな目を向ける。
「あの方に出会えたから私は、人が外見や種族ではなく心で見るべき存在であると知る事が出来ました」
「それはお主が騙されておるだけではないのか?」
「ありえません。何故ならあの人には私を騙す理由がありません」
キッパリというアイラ。だがアルマは彼女の言葉に納得できない。
人間というのは欲深い存在だ。その欲望は時に際限なく大きくなるのを彼は知っている。
「分からんぞ。精霊術師の強大な力、使い道はいくらでもある。女となれば他にも利用法などいくらでもあるだろう」
「確かに他のゲスはそう考えるでしょうが、あの方に限ってそれはないのです」
「どうしてだ。どうして断言できる?」
アイラの真意を理解できないアルマの問いに彼女は少し寂しそうな笑顔で答える。
「簡単な事です。旦那様は超常の精霊と契約を結んだ精霊術師であり、大魔術師から師事を受ける魔術師であり、さらに星神の力というこの世界でも唯一無二の力まで持っています。その気になればあの方は単独で国を落とす事も可能なはず、それだけの力があれば欲しい物をなんだって手に入れる事が出来るでしょう。だからあの方に他者の力など必要ありません」
彼は1人でなんだってできるし、何処へだっていく力がある。
だから彼はアイラ達に何かを求めたりしない。その事がアイラには少し悲しい。
アイラの言葉に、落ち込んでいたルティアが顔を上げる。
「それだけの力を持つクロードさんはどうしてこの街でマフィアをやっているのでしょうか?」
「分かりません。ただ、あの人なりの考えがあるのでしょう」
「フンッ、ますます解せぬな。だから我は自分が間違っているとは思わんぞ。だから絶対謝らぬ!」
「アルマッ!」
プイッと顔を背けるアルマをルティアは両手でユサユサと揺らすが、アルマは返事をしない。
その態度が気に入らなかったアイラの表情が引き攣る。
「あまり聞き訳がない様だとお仕置きをしますよ。アルマ様」
そう言ったアイラの背後からドス黒い気配が立ち上る。
目の前の女の穏かそうな外見からは想像もできない程、荒々しい気配。
全力の自分と同等かそれ以上の力を持つ存在を感じてアルマは焦る。
クロードとの戦いの影響で自分の能力は万全の状況からは程遠い。
こんな状態で相手をして勝てる様な相手ではない。
「うぬぅ、分かった。悪かった。謝るから許せエルフの女」
「謝るなら私にはではなくルティアさんと旦那様にです」
「うぅ、あの男には謝りたくない」
「どうして?アルマ」
「だって見るからに悪そうではないか」
「・・・精霊の発言とは思えない幼稚振りですね」
「うるさいわい!我はルティアが心配なのだ。仕方なかろう」
照れたように顔を逸らすアルマに、ルティアは苦笑する。
「アルマが私を心配してくるのは嬉しいよ」
「共に生きると誓ったのだ。当然であろう」
「うん。だから悲しいよ。私が信じてる人をアルマが信じられない事が」
「・・・ルティア」
ルティアの愁いを帯びた目を見てアルマは俯く。
大切な相手だから守りたい、大切な相手だから理解してほしい。
両者の想いが互いの心の奥底に染みていく。
「いきなりは難しいかもしれないけど、出来るなら一緒に信じて欲しい。私達の恩人を」
「・・・少し考えさせてくれ」
「分かったよ」
頷くルティアの手の中で、ぬいぐるみの様な姿の火竜が真っ赤な光の球に変わり、ルティアの胸の中に飛び込んで消える。
すぐには無理でもいつかアルマも理解してくれるだろう。
なんとなくそんな予感を感じてつつルティアは顔を上げる。
そんな彼女の様子にアイラは優しい笑みを浮かべる。
「それじゃ、ルティアさん洗濯物を干しましょうか」
「はいっ!」
快晴の下、2人は庭先に掛けた物干し竿に洗濯物を掛けていくのだった。
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