第40話 夜は更け明日が来る
夜も深まった頃、今日1日の仕事を終えて自宅へと帰り着いたクロードをアイラが玄関で出迎える。
「お帰りなさいませ旦那様」
「ああ」
いつも通りに出迎えを受けたクロードだが、玄関で立ち止まったまま動かない。
靴も脱がずに立ち尽くし、眉根を寄せて困り顔をしている。
彼がそんな表情をする原因は分かりきっている。
アイラの視線がクロードの動きを妨げる原因となっている人物へと向けられる。
「旦那様。何故グロリアが一緒なのでしょうか?」
「最後の仕事の時に一緒になった」
「そういう事よ。悪いわねアイラ」
アイラに見せつける様にクロードの腕に胸を押し付けてくるグロリア。
それを見たアイラは笑顔のまま頬をヒクつかせながらグロリアを見つめる。
「事情は大体分かりました。ところでグロリアは一体何をやっているの?」
「見て分からないかしら?」
「ええ、まったく分からないわ」
「そうなの。まあアイラみたいに春の過ぎた"おばさん"には分からないかもね」
グロリアの放った言葉にビキッと空気が音を立てて凍り付く。
外と違って暖房がある家の中なのに体感温度は外にいる時よりもずっと寒い。
「グロリア。今何か言った?あまりよく聞こえなかったのだけど」
「あらあら、耳まで遠くなって大変ね。お・ば・さ・ん」
「貴女と私は歳は大して変わらないと思うんだけど?」
「そんな訳ないでしょ。300歳超えてるのと超えてないとじゃ全然違うわよ」
挑発するグロリアの言葉に、アイラから放たれる威圧感が増す。
2人に挟まれる格好のクロードにとっては凄く居心地が悪い。
余談だが現在2人の年齢はアイラが320歳でグロリアは293歳。
どちらともクロードがこちら側に来る前に他界した彼の祖母よりも遥かに年上であり、2人の年齢差はそのままクロードの現在の年齢と同じである。
玄関で睨み合う両者にクロードは空いている左手を自身の額に当て、小さく溜息を漏らす。
この家に住んでいる者の中でもアイラとグロリアの2人とは特に付き合いが長いが、昔からこうして些細な事でよく揉めるのでいつも手を焼かされるのが彼にとっての悩みの種だ。
そんなクロードの気苦労など知らず2人の舌戦はヒートアップしていく。
「いいから離れなさいグロリア。そのままだと旦那様が家に入れないでしょう」
「そんな事ないわよ。押し付ける胸がないからって言いがかりはやめてよね」
「むっ、胸は関係ないでしょ」
「確かに。年の若いルティアちゃんやヒサメもそれなりにあるのに、あなたには"ない"わね」
そう言ってグロリアがアイラの胸元を見て鼻で笑う。
エルフという種族の悲しい宿命か、それとも単なる個人の身体的な問題か。
アイラの胸元はグロリアやシャティの様な巨乳組とは比べるまでもなく、それどころか遥かに年若いルティアやヒサメと比べるのも悲しい程に薄かった。
惚れた男の前でコンプレックスである胸の事をいじられた事と、グロリアの態度に対する怒りでアイラの心の中で羞恥と屈辱の感情が黒い炎となって燃え上がる。
「いい加減にしないと本当に怒りますよ。グロリア」
「おもしろいじゃない。いつでも相手になるわよ」
「・・・言いましたね?」
「ええ、言ったわよ」
まさに一触即発、玄関で睨み合った2人は互いに視線で火花を散らす。
もはやクロードの事は完全に蚊帳の外になっている。
睨み合う2人が右手を相手の方に向かってかざす。
「おいでなさい。グレイギン」
「格の違いを見せるわよ。マキシム」
言葉と共に2人の背後で空気が歪み、彼女らの従える精霊が実体化を始める。
そこでようやく2人のやり取りを見守っていたクロードが動く。
素早く左手だけを動かして2人の額に交互にデコピンをくらわせる。
『~~~~~っ!』
「やめろ2人共。俺の寝床がなくなる」
強烈なデコピンを喰らって額を抑え蹲る2人を見下ろしながらクロードはそれだけ言うと、今度は2人の背後で実体化しかけている2体の精霊に向かって言葉を掛ける。
「グレイギン、マキシム。お前等も契約者の馬鹿な願いにいちいち付き合うな」
「・・・ギギッ、ワカッタ」
「ふむ。ここは大君の言葉に従おう」
2体の精霊は自身の契約者でもないクロードの言葉にあっさり従い、大気中に溶ける様に姿を消す。
アイラの精霊、
2人の従えるこの2体の上位精霊が物分かりが良い奴らで助かった。
2体が実体化していればそれだけでクロードの家は半壊は免れなかっただろう。
1体でも化け物級の実力を持つ2人の契約精霊。もし2体が戦いでも始めようものなら家は全壊し、他の家族の身も無事では済まなかっただろう。
もし、この2体を制するのならクロードとアジールの全力をもって相手をしないといけない。
「まったく何をやっているんだ」
「だってグロリアが・・・」
デコピンで赤くなった額を両手で抑え、涙目になって訴えるアイラ。
そんな彼女の頭の上にクロードはそっと手を置いて軽く撫でてやる。
「確かに最初にふっかけたのグロリアだし、アイラのコンプレックスを攻めたのも悪い」
「・・・悪かったわよ」
そう言ってプイッとそっぽを向くグロリアの頭にもようやく空いた右の手を乗せる。
「だからってアイラも簡単に挑発に乗るな。この家では一番の姉貴分なんだから、じゃれてくる妹分の言葉ぐらい笑って聞き流してやれるようになれ」
「・・・はい」
実年齢差が10倍以上あるクロードの言葉に頬を染めて頷き返すアイラと恥ずかしそうに俯くグロリア。
これでは一体どちらが年長者なのか分かったものではない。
そんな3人のやり取りを洗面所の影から伺っていた人物が安堵の息を吐きながら顔を出す。
「いや~危なかったね。ダーリン」
「そう思ったなら少しはお前も止めようとしろ。シャティ」
「アハハ、無理無理。アタシのザンクレイはスピードタイプだし、パワーじゃ勝負にならないもん。戦いになったら巻き込まれないように逃げるので精一杯だよ」
ケラケラと笑いながら洗面所から出てくるシャティ。
その恰好を見た瞬間にクロードは彼女からサッと目を逸らす。
「シャティ。お前はなんで服を着ていない」
「なんでってそれはもちろんお風呂上がりだもん」
そう言って大きく実った胸を反らすシャティはパンツ一枚という格好だった。
辛うじて胸は首から掛けたタオルで隠れているが、動くたびに揺れ動くのでほとんど裸と変わらない。
「それは理由にならんだろ!」
「いいじゃん別に家の中だし、ダーリン以外の他の誰かに見せる訳じゃないし」
「そんな恰好でうろつかれると俺が落ち着かん」
「それは欲情しちゃうから?」
そう言ってニンマリと笑うシャティにクロードの傍で蹲っていた2人がゆっくりと視線を向ける。
「はしたない真似はやめて服を着なさい。シャティ」
「アイラの言う通りよ。そういう協定違反は許さないわ」
年齢、戦闘力ともに上位の2人から凄みを効かされたシャティの笑顔が引き攣る。
「わっ、分かったよアイラ姐、グロリア姐」
2人から放たれる禍々しい気配に圧倒されてシャティは急いで洗面所に隠れる。
どうやら着替えが近くにないらしく、クロードがこの場を去るまではそこに隠れているつもりのようだ。
根本的な解決には至っていないが、突っ込んでも仕方ないのでスルーする。
「ところでルティア嬢とヒサメはどうした?」
「ルティアさんは今キッチンで洗い物をしています。ヒサメは今日は夕飯を私達と食べた後、すぐに自分の部屋に戻っていきましたね」
「そうか」
アイラに言葉に頷きながらクロードは上に来ていたコートを脱いで彼女に預ける。
ふと自分の取った行動に、昔どこかで見た中流家庭の父親にでもなったような錯覚を覚える。
(俺はいつからこんな所帯染みた男になったんだ?)
まだ結婚もしていないはずなのに不思議な事もあるものだ。
自身の有様について少し考え込むクロードを置いて女達は話は進める。
「ヒサっちの事だからもう寝てるんじゃないかな?」
「でもあの娘こんなに早く寝る子だったかしら?」
「ヒサメだけはいつも何をするか行動が全然読めないのよね」
その言葉に誰もが納得したように大きく頷く。
魔族の国でも辺境にある地よりやってきた少女ヒサメ・レコルティ。
彼女の生態は一緒に暮らす者でさえ把握しきれない程謎に包まれている。
「まあいい。俺は一度自分の部屋に戻る」
「はい。お風呂はどうされますか?」
「そうだな。部屋で少し休んでから入るから後で呼びに来てくれ」
「畏まりました」
クロードのコートを胸に抱いてアイラが小さく頭を下げる。
そんな2人の横を通ってグロリアがシャティのいる方に向かって歩き出す。
「それじゃあ、私が次にお風呂入らせてもらうから」
「だったらアタシの着替え持ってきてよグロリア姐」
「嫌よ。それぐらい自分でなさい」
「ええ~、それって冷たくない?」
「さあ?とりあえずヒサメの故郷よりはあったかいんじゃない?」
「そこって極寒の僻地じゃなかったっけ!」
ショートコントを繰り広げろグロリアとシャティをしばし眺めた後、クロードは玄関傍にある階段を昇って2階の最奥にある自室へと向かう。
真っ直ぐに廊下を進んで部屋の前に立ち、ドアノブに手を触れた時だった。
「・・・冷たい」
手で触れた金属製のドアノブがやけに冷たく感じた。
確かに時期的に冬場であり建物の中にいてもかなり寒いので金属製の物はよく冷える。
だが、そういった感じの冷たさではない。これはもっと違う冷たさである。
そしてクロードはこの冷たさの正体について心当たりがある。
「ハァ、またか」
疲れた溜息を吐いてクロードは冷たくなっているドアノブを回す。
部屋の中は真っ暗で明かりもついておらず机と椅子と小さな本棚、後はベッドがあるだけで他には余分な物がほとんどないシンプルな部屋が広がっていた。
ただ、部屋の中はいつもと比べて温度が低く感じられベッドの上には不自然な膨らみが見える。
クロードは黙ってベッドに近づくと不自然な膨らみのあるベッドの上から布団をはぎ取る。
「イヤン・・・えっち?」
クロードのベッドの上で両膝を抱えて丸くなったヒサメが不思議そうな目を向けてくる。
「何をやっているヒサメ」
「クロと・・・添い寝・・・の準備?」
「なんで疑問形なんだ」
「その方が・・・萌える?」
「知らん」
そっけない返事を返してクロードは手に持っていた布団から手を放すとヒサメの隣に腰を下ろす。
「クロは・・・ヒサメと添い寝・・・嫌?」
「別に嫌とは言わんが、その為に毎度俺の部屋の結界を破るな」
クロードは部屋を開ける時はいつも自室に結界を敷いている。
家の外に常に展開しているアジールの結界を破る様な輩にクロードの魔術が通じるとは最初から思っていないが、アジールが悪戯で誰かを通す事もあるのでそのための用心として張っている。
その術を家の女達はたまに破ってくる。目的は主に夜這いの為の待ち伏せをする為に。
「今日は・・・クロと一緒に・・・・寝たい」
「アイラ達との協定はいいのか?」
「協定は・・・破る為に・・・ある?」
「だから何故疑問形なんだ」
「クロは・・・ヒサメを・・・・好きにしていい」
「その前に質問に答えろ」
やれやれと溜息を漏らすクロード。
その時、部屋の入り口の方から足音が聞こえたかと思うと、恐い顔をしたアイラがクロードの部屋に踏み込んでくる。
「ヒサメ。また抜け駆けしようとしましたね」
「見つかっちゃ・・・た?」
「とぼけてもダメです。協定違反にはおしおきです」
「あ~・・・れ~・・・」
踏み込んできたアイラの手によって襟首を掴まれたヒサメは問答無用で部屋の外へと引き摺り出されていく。
売られていく子牛を見届ける様な目でその様子を見届けた後、1人部屋に残されたクロードは自分のベッドの上にそのまま横になる。
ベッドの上はまだヒサメの体温で少しだけひんやりとしており、彼女の残り香か微かに漂う。
「いつもより少しだけ寝心地いいか?」
心地よい冷たさに身を任せてクロードはそのまま目を閉じる。
一時休息を取るつもりで閉じた瞼は、そのまま次の朝を迎えるまで開く事はなかった。
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