第35話 蝶舞う庭にて恋の花は咲く

モンテス達と共にクラブ「バタフライガーデン」に訪れてから1時間程が経過した。

クロードの当初の心配が杞憂に思える程に親睦会は滞りなく進み、VIPルームはかなりの盛り上がりを見せていた。


「部長さんすっご~い」

「ハッハッハ、なんのなんのこの程度」


女の子達にいいところを見せようと張り切るヨーザは、先程から酒が注がれる度にグラスの中身を空にして、すっかり酔いが回り顔が赤くなっている。

その目は既に焦点が定まっておらず、さっきから微妙に体が左右に揺れている。

モンテスの方はと言うと日頃余り女性に縁がないのか女の子達からチヤホヤされ、先ほどの話し合いの席では決して見せなかった緩んだ顔をしている。


「モンテス社長は家具の会社を経営してるとお聞きしたんですけど・・・」

「よく知ってるね。最近少し名が知れ始めた所だ」

「そうなんですか。実は私今度引越しをするんですけど、部屋に遭った家具に変えようと思ってるんです」

「そうなのか。だったらウチでオーダーメイドの家具を新調してプレゼントしよう」

「本当ですか~嬉しいです~」

「ええ~ズルい~。私にもオーダーメイドしてくださいよ~」

「ハハハ、仕方ないなぁ」


女の子達から甘ったるい声で囁かれたモンテスは、紅潮させた顔で精一杯の見栄を張る。

しかし、どんな見栄を張ろうともその緩み切った顔では威厳も何もあったものではない。

流石のやり手社長も百戦錬磨の女達の前では赤子も同然。いい様に弄ばれている。

完全に店の女の子達の手の平の上で踊らされている2人を遠巻きに見ながら、クロードは部屋の隅の方で1人静かに琥珀色の液体の入ったグラスを煽る。


「少し酒の飲みすぎが心配ではあるが、ひとまず大きな問題は無い様だな」

「ええ、そうみたいね」


独り言のつもりで呟いたはずの言葉に隣にいたグロリアが相槌を返す。

しばしの沈黙の後、クロードがゆっくりと隣に視線を向けると何故かグロリアが座っており、クロードの体に寄り添う様に身を寄せていた。


「・・・なんで俺の隣にいるんだ?」

「いいじゃない。クロードのお客さんの相手は他の娘達がやってくれるんだし」


そう言ってグロリアは体を密着させるとクロードの顔を下から覗き込む。


「それとも、私が一緒じゃ嫌なのかしら?」

「別にそうは言っていないだろ」


妖艶な笑みを浮かべるグロリアから目を逸らすクロード。

その頬は心なしか紅潮しているように見える。

冷静なふりをしていてもクロードも男だ、女性に対する欲求がない訳ではない。

色っぽい仕草に心臓の鼓動が一段階早くなる。

そんなクロードの心の内を知ってか知らずかグロリアが体を寄せてくる。


「じゃあどう思ってるのかちゃんと教えてくれる?その口で」


グロリアの細い人差し指がクロードの胸板を伝って上がっていき、唇に触れる。

息の掛かる程近くにあるグロリアの顔、そこにある2つの瞳が挑発的な光を放つ。

どうやら彼女の方はこちらを誘惑する気でいるらしい。

だが、クロードとてこのまま色香に惑わされて目的を忘れるわけにはいかない。

燃え上がりそうな欲望の炎を必死に鎮火して、自我をもって心を落ち着かせる。


「さっき言ってた俺の役に立つって話はどうしたんだ?」

「ああ~、確かにそんな事も言ったわね」


誘惑に乗ってこないクロードに少し不満そうな表情を浮かべつつ、グロリアは人差し指をクロードから放し自分の顎の下に沿える。


「それも考えたてたんだけど、今回のお客さんって小鬼族じゃない」

「そうだな」

「もしかしたら力加減間違って殺しちゃうかもしれないし、やっぱりやめておくわ」

「・・・冷静な状況判断だな」


グロリアなりに考えた上で出された結論にクロードは少しだけ安堵する。

理由はどうであれ彼女なりに自重した上での行動だったらしい。

こんな事を言っていても彼女も一応は歓楽街で働いてきた人間。

クロードが思っていたよりは自分の行動について自覚を持っている。


「それに私はクロードの隣にいる方が楽しいし」

「そういう問題なのか?」

「そういう問題よ」


結果的にはクロードに迷惑を掛けない様にという配慮の気持ちよりも、クロードの傍にいたいという自身の欲を優先した格好。だがこの際それはどうでもいい。


(下手にモンテス社長達のテーブルに混ざるよりはむしろこのままの方がいいか)


理由はともかくとして彼女がここで大人しくしてくれるなら、親睦会が終わるまでしばらく彼女の話し相手をするぐらいはなんの問題もない。

クロードとしても自分が目を離した隙にグロリアがモンテス達を半殺しにしていたなんて事があっては堪らない。そんな事になるなら最初から自分の手の届くところに居てくれた方がまだ安心できるというものだ。

自分にベッタリとくっ付いたまま離れようとしないグロリアはもうそのままにしておく事に決めて、クロードは周囲の様子を窺う。


(ラドルはモンテス社長達と一緒に呑んでいるな。ロックの奴は・・・」


モンテスとヨーザと一緒になって大ジョッキを片手に盛り上がるラドルを遠巻きに見た後、クロードはその場にいないロックの姿を探す。

部屋を見渡してみるとすぐにロックは見つかった。だがその様子がどこかおかしい。

さっきから部屋の入り口の前を近くを行ったり来たりと落ち着きなく往復しており、時折ソワソワと扉の外の様子を窺う。


「何をやっているんだあいつは?」

「あれはね。恋よ」

「・・・はぁ?」


グロリアの口をついて出た言葉にクロードは思わず間抜けな声が漏れる。


「恋だと?いきなり何を言い出すんだグロリア」

「ロックは恋をしてるの。さっきお気に入りの子が出来たみたいでね。今はその子が戻ってくるのを待ってる最中」

「そんな馬鹿な。だってアイツは・・・」


少し前に付き合っていた彼女から酷い振られ方をして傷心している。

その傷は時間が経った今もまだ癒えていなかったはずだ。

クロードがそんな事を考えていた時、部屋の扉が開いて小柄な少女が顔を出す。


「この銘柄で良かったですかロックさん?」

「はい、ありがとうございます。ミーアさん」


色白で腰まである白くて長い髪をした赤目の少女から真新しいタバコを受け取りながら照れ笑いを返すロック。

ロックの表情から、傍目に見ても一発でそうだと分かる想いが見て取れた。


「ほらねっ、言ったでしょ」

「なるほどな」


どうやら色恋の話に関しては女性であるグロリアの方が鼻が効くらしい。

それにしてもまさかこんな形でロックの新しい恋に目覚めるとは思わなかった。


「しかし、よりにもよってこの店のキャストに惚れるか・・・」


筋肉マッチョのオカマが経営者とはいえここは高級クラブである。

そう度々顔を出せる様な店でもないし、前に語った様にファミリーの人間がこの店に来るには過酷な試練を越える必要がある。


「あら、いいじゃない。恋に障害はつきものよ」

「そうは言うが、まだ相手の気持ちも分かっていない状況だぞ?」

「そうね。でもクロードが思ってる程高いハードルでもないと思うわよ」


そう言ってグロリアが指差した先、もう一度ロック達の方に視線を向けると、ロックと相手の女の子が楽しげな様子で会話をしている。

あくまでも第三者目線から見て言えば決して雰囲気は悪くない様に思える。


「この出会いをモノにできるかどうかはロック次第という事か」

「そう言う事ね。私としては知らない仲じゃないし、応援してあげたい所だけど」

「そうだな」


成功するかどうかはともかくとして、ようやく弟分が失恋を乗り越えて新しい恋に向かい始めたのだから兄貴分としては嬉しく思う。

一応、聞いた話ではこの店のキャストと客との恋愛は自由だという話。なのでファミリーの事情で付き合えないと言った事になったりはしない。

後はロックが頑張って稼いで彼女に会う機会を作っていくしかない。どうなるかは今後のロックの頑張りに掛かっている。


「兄貴分としては是非頑張ってほしい所だな」

「そうね。あの子、見た目は軽そうだけど中身は真っすぐだからきっとうまくやるわ」


隣から聞こえたグロリアの言葉にクロードは目を丸くする。

何せグロリアが他人を褒める事が滅多にない。

今まで自分か他に同居しているメンバー以外で彼女が他人を褒めるのを見た事がない。


「グロリアがロックをそこまで評価しているとは思わなかった」

「別に大した事じゃないわよ。あの子は私が惚れている男が目を掛けるている人間だもの。当然見所があるだろうと思って観察してただけよ」


恥ずかしげもなくそんな事を言うグロリアに、クロードは少し照れた様子で頬を掻く。

こういうアプローチの仕方もあるのだなと勉強になる。

流石は客商売のプロというべきか。家にいる時とは違って客を気分良くさせる言葉やポイントを心得ている。


(これは気を付けないと、その内俺までグロリアに陥落させられそうだな)


せいぜいそうならない様に気を付けようと自分に言い聞かせる。

気持ちを落ち着かせようとポケットからシガーケースを取り出した時、部屋の外で何かが壊れる様な大きな物音が聞こえる。


「何だ?」

「さあ、でもこの感じはあまりいい気はしないわね」


警戒する2人の前でVIPルームの扉が勢いよく開かれ、直後に血まみれになった店の男性従業員が転がり込んでくる。

その後に続くように頭に大きな2本の角を生やした数人の厳つい男達が部屋の中に押し入ってくる。


「やっぱり居た。ゴブリンだぜ親分」

「そうみてえだな。おい、あんちゃんよぉ。こりゃ一体どういう事だ?」


親分と呼ばれた一際体の大きな戦鬼が床に倒れた男性店員を引きずり起こす。


「なんで高い金払った俺らが並程度の扱いでゴブリンみたいなゴミがVIP待遇されてるんだよ。納得いかねえな」

「当店はお客様の種族で対応を変えたりはしません。あくまでも当店での料金設定を基にしており、それについては入店の際にきちんとご案内はしたはずです」

「うるせえっ!口答えするな!」

「うごっ!」


怒りに任せて戦鬼は男性店員を殴り倒す。意識を失った男性店員を見て室内が騒然となる。


「なっ、なんだねキミらは!無礼だぞ!」

「うるせえぞっ!」

「ヒィッ!」


勢いづいたのも束の間、戦鬼達の迫力に押されてヨーザが身を竦ませる。

それを見た1人の少女が男達の前に立ちはだかる。ロックが惚れたミーアという少女だ。


「やめて下さい!」

「なんだおまえ?ハーフか」

「雑種女が指図するんじぇねえぞ!」

「いいえ、黙りません!」


怒鳴り声を上げる戦鬼に少女は臆する事無く立ち向かう。

その姿を見てロックが彼女を守る様に男達の前に立つ。

一方、後ろでやりとりを見ていたモンテスが目の前の男達に険しい表情を向ける。


「私の事が気に喰わないのはいいが、女の子を怒鳴りつける君らの振る舞いは目に余るな」

「なんだと?」

「ゴブリン風情が俺達戦鬼族にデカイ口を叩くんじゃねえよ」

「そうだ。ゴブリンは木の陰に隠れて震えていればいいんだよ!」


浴びせられる侮辱の言葉をものともせず、モンテスは目の前の男達からクロードの方へと視線を移す。


「ビルモント専務。少しお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「なんでしょうか?」

「あなた方と取引するか考えるに当たって、あなた方が本当に信用するに足るだけの力を持っているか見せて頂きたい。今、この場で」


思いがけぬモンテスからの提案にクロードは口の端を吊り上げて笑う。


「なるほど、確かに信用頂くにはそれが一番手っ取り早いかもしれませんね」


そう言ってクロードはソファから立ち上がるとモンテスに向かって一礼する。


「承りましたモンテス社長。私共の手腕、この場にて御覧に入れましょう」


そう言ってクロードはスーツの懐から素早く黒の皮手袋を取り出して両手に装着する。

自分達を無視して話を進める2人に戦鬼達が何やら叫んでいるが、これから駆除する虫がどれだけ喚いた所で今のクロードの耳には届かない。


「ロック!ラドル!クライアントのご要望だ。3分で片を付けるぞ」

「ウッス!」

「ヘヘッ!ファミリーのシマでお痛をした連中にはきっちりケジメをつけてやらなきゃなぁ」


3人は首から下げたネクタイを取り払い、部屋に乗り込んできた戦鬼共と対峙する。

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