第31話 元ニートの歩く道

人気のない路地裏。

近くに人の気配はまったく感じられないが、念の為周囲を素早く確認しこちらを窺っている者がいないか確認した後、クロードは話を切り出す。


「それじゃあ話だが、首領ドンアルバートから伝言を預かっている」

「アルバートさんから?なんだろう。借金の事かな?」


アルバートの名を聞いてヒロシは真剣な表情になって考え始める。

何せ相手はこの第七区画レアドヘイヴンを牛耳る一大組織の長であり、この街の顔役である。

更に言えば自分と同じお尋ね者だったクロードを匿って息子にしたり、路頭に迷う寸前だったヒロシに居場所とこの店を出すきっかけを作ってくれた大恩人の1人でもある。

彼とはクロードの紹介で知り合い、以降何かと面倒を見てもらっている。

そんな人物からの話とあっては自然と背筋も伸びるというものだ。

話を聞く体制を万全に整えた様子のヒロシに苦笑しながらクロードが伝言を伝える。


「この度は借金の完済おめでとう。だそうだ」

「・・・えっ?それだけ?」

「なんだ嬉しくないのか?」

「いや、それはもちろん嬉しいんだけど・・・」


確かに嬉しいか嬉しくないかで言えば嬉しいに決まっている。

ただ、相手はこの国でもかなりの大物だけに少し拍子抜けしても仕方ないとは思う。


「これで完済か~。なんだかあまり実感湧かないもんだね」

「さあな。俺は借金した事無いからそういう気持ちは分からないが」

「いやぁ、中々プレッシャーだったよ。まあおかげで頑張ってこれたけど」


ヒロシは店を出す時にアルバートから直接多額の借金をした。

無利子無期限で借りたとはいえ返さなければ紹介したクロードに迷惑が掛かる。

そう考えて今日まで死に物狂いで頑張ってきたが、ようやくそれが報われる時が来た。

とはいえまだ借りているものを返しただけに過ぎず。

むしろようやくここからアルバートとクロードへの恩返しが出来るというのがヒロシの正直な思いだ。


「アルバートさん他には何も言ってなかったの?」

「後は店が軌道に乗ってきたからそろそろ2号店を出す気はないか。とも言ってたな」

「・・・クロード君。実はそっちが本題なんじゃないのかい?」

「恐らくそうだろうな」


シレッとそんな事をのたまうクロードに、ヒロシはジト目を向けて抗議する。

彼の事だから最初から分かっていて敢えて話を区切ったのだろう。

クロードが頭がいい男だというのは前から分かっているが、たまにこうして人を試す様な真似をするのだけは好きになれない。


「でも、これでようやくアルバートさんと君に恩返しができそうだ」

「なんだ。そんな事を気にしてたのか?」


別に同郷同士だから気にする事はないのにと少し呆れたように肩を竦めるクロード。


「別に俺の事はいい。恩返しならウチの親父相手にしてくれ」

「そうはいかないよ。君にも相当世話になったからね」


ヒロシには今日までの間にクロードから受けた数えきれない程の恩がある。


「再会した時から、考えると今こうして居られるのは君達のおかげだ」

「そう言われると、こうして店を出すまでは随分世話を焼かされた気がするな」


そう言って2人は今日までの事を思い出して互いに笑みを浮かべる。

再会した時、本田啓司は憔悴しており生きるか死ぬかの瀬戸際にあった。

脱走兵になった事で味方だったはずの者達に追われ、頼るあてもなく知らない場所をただひたすらに逃げ、彷徨い続けた結果だった。

立ち直れるか分からない程、心身共に疲弊しきっていた彼を見兼ねて、クロードは彼を自身の庇護下に置く事にした。

ヒロシとはそれより以前に面識はあったが別に親しかった訳でもない。

ただ同じ場所から来た同じ境遇の者。それぐらいの共通点しかない相手だった。

それでもこの世界では数少ない同郷の相手をクロードは見捨てられなかった。

クロードはその時取りかかっていた仕事を中断し、啓司をレミエストス共和国へ連れ帰った。

数日間、医療施設で治療を施した後でクロードは当時アイラ、グロリア、シャティ、エルテイラが暮らしていた自宅に啓司を匿う事にした。

事情を知らない彼女達も最初の内は困惑していたが、クロードの頼みとあって嫌な顔をせずヒロシの保護に協力してくれた。

アイラ達の介護の甲斐あって啓司の体は少しずつ回復していった。

ちなみにクロードの指示で名を啓司から読み違いの"ヒロシ"に変えたのは丁度この頃だ。

なんとか生活が送れる状況まで回復したヒロシだったが、逃げ続けた日々の中で負った心の傷は簡単に癒えるものではなかった。

仲間だった者達から追われた事で極度の人間不信に陥っており、外に出る事はおろかクロード以外の人間とはまともに会話もできない様な状態になっていた。

結果、こちらに来る以前のように無気力でだらしのないニートへと徐々に逆戻り。

最初の内は皆、彼の境遇を哀れんで無気力な彼を責めたりはしなかったがいつまで経っても働かず、それどころか家事も手伝わずにヒロシよりも若いクロードが稼いだ金でタダ飯を食い続けるだけの彼に徐々にアイラ達の不満が溜まっていった。

この世界の住人はいつまでも働かない者にタダ飯を食わせてやるほど優しくはない。

それが許されるのは基本的に成人するまでだ。


ある日、クロードが仕事に出た後、いつものように部屋でゴロゴロとしていたヒロシはシャティとグロリアに拘束されて無理矢理街へと連れ出された。

急に見知らぬ人間ばかりの街に連れ出され、パニックになって泣き叫び小水まで漏らすヒロシだったが、2人は容赦なくそんな状態の彼を連れ回し、彼が泣き叫ぶ気力をなくすまで市街地を歩き続けた。

その行為は数日の間繰り返され、クロードがその事を知った頃にはヒロシは家でアイラ達の家事を手伝いをする様になっていた。


「あんな酷い仕打ちを受けるぐらいなら家事を手伝った方がマシ」


それが当時青白い顔をしたヒロシがクロードに語った言葉である。

そうして家事を手伝う様になってしばらくして、彼が意外と料理上手だという事が判明した。

なんでも実家が食堂をやっていてニートになる前は家を継ごうと調理師学校に通っていたというのが理由らしい。

もっとも、そこでの人間関係がうまくいかずに中退して以来ニートになったそうだが。

過去はとうであれ、家で度々料理をする様になったヒロシはこちら側の食材で懐かしい料理をいくつも再現し皆を驚かせた。

その中でもクロードが一番驚いたのが醤油ラーメンを再現した時だった。

こちらでもパスタ等の麺料理はいくつかあったが、醤油ラーメンは見た事が無かった。

流石に行列店の味とまではいかなかったが、どこか懐かしい味の昔風の醤油ラーメンに思わず郷愁に誘われた。


丁度その頃、グロリアとシャティに街を連れまわされた事がアルバートの耳に入り、数日してからクロードは養父アルバートに呼びつけられた。

自身の過去も知っているアルバートに全ての事情を打ち明けたクロードは彼の今後の扱いについても義父に相談する事にした。

息子からの相談にしばし考え込んだアルバートは、


「ちょっとそいつに興味が湧いた。今度ここに連れてきてその"らーめん"ってのを作らせろ」


そう言ってアルバートはヒロシとの面談を申し出た。

それから数日後、緊張した様子のクロードが見守る中でヒロシはアルバートと対面。

その場で"らーめん"や"餃子"等のいくつか自信のある料理を披露した。

ヒロシが作った料理を味わった後でアルバートはクロードを部屋から追い出し、1対1での面談を行った。

そこでヒロシは正式に料理店を開く気はないかとアルバートから打診を受ける事になる。


「向こう側の世界の料理が作れて、ここまで再現できる人間も珍しい」

「店を出す金は俺が貸してやる。もちろん無利子無利息でだ」

「この味を作れるのはこの世で今、おまえしかいない。賭けてみる価値は十分にある」


アルバートからの口説き文句に嬉しくなり、すっかりその気になったヒロシはその日のうちに店を出す事を承諾する。

それからは店が開業するまでの期間をアルバートの用意した施設で過ごし、彼が連れてくる強面の男を相手に接客の訓練や、クロードの義兄を名乗る金髪イケメンから経営を学んだりした。

ちなみにクロードの友人ラドルと初めて会ったのはこの訓練の時になる。

何を隠そう最初に"ヒロシくん"と呼び始めたのは彼だ。

そうして月日は流れクロードとの再開以降、様々な出会いや試練を乗り越え成長したヒロシは無事に自分の店を持つ事になった。

店を始めたばかりの時はうまくいかない事や、他店からの妨害を受けた事もあったが、クロードやアルバートの協力もあって今日までなんとかやってくる事が出来た。

全てはアルバートと、自分を救ってくれたクロードのおかげであるとヒロシは心から感謝している。

だから今回の恩人からの申し出を彼自身に断る理由など最初からない。


「2号店の件は是非お受けしたいとアルバートさんに伝えてくれるかい?」

「ああ、別に構わない」

「後、今度結婚式のお礼に伺うって伝えておいてよ」

「分かった」


元ニートだったヒロシはこちらで真面目に仕事をしていく中で運命の相手と巡り合い、借金完済も目前となったので先月にめでたく結婚した。

いつまでもニートを続けていればこんな幸福はありえなかっただろうとヒロシ自身思っている。

これも全て目の前にいる同じ所からこの地へとやってきた友人のおかげである。

だからこそヒロしはクロードが幸せになる事を心から願っている。


「クロード君もそろそろアイラさん達と一緒になったりしないのかい?」

「・・・うるさい。余計なお世話だ」


ヒロシの言葉にみるみる不機嫌になるクロードの顔。

その反応だけであの家は相変わらずなんだなとしみじみと思うヒロシ。


「どいつもこいつも人の顔を見る度にその話をする。俺に言う事はそれしかないのか?」

「他の人は知らないけど、僕も一時的にとはいえ、あの家で暮らしてた人間だから結構気にしてるんだよ?」

「余計な気を回さなくていい。自分の家の事だけ考えてろ」

「ははっ、そうするよ」


そう言って話は終わりと店の中に戻ろうとするヒロシがふと足を止める。


「そうだ。今回は豚骨マー油を試作してみたんだけど食べていく?」

「いや、いい。今は食い物は無理だ」


さっき栄養剤を飲んだ時の不快感が抜けきっておらず。

今は何を食べても盛大にリバースする予感しかしない。

ポカポカと熱を持ち始めた胃の辺りをさすり、クロードは首を左右に振る。


「そっか、それは残念だ」

「また、食べにくる」

「分かった。ところで店内のロック君とラドル君に何か伝える事はあるかい?」

「サッサと出てこい。以上だ」

「了解。それじゃあ、また」

「ああ」


軽く挨拶を交わした後、厨房へ戻るヒロシを見送ったクロードはふぅと溜息を吐く。


「さて、最後の仕事に行くとするか」


1人呟いたクロードは寒くなり始めた路地裏を通って表の通りへ戻るのだった。

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