第30話 英雄になれなかった男
研究所からの帰り道、クロードは馬車の中でエルテイラから受け取った栄養剤の入った小瓶を栓を開ける。
栓を抜いた途端に小瓶の中から漂う独特の香り。
元いた世界で学生の時分、受験シーズンや定期テストでお世話になったリ栄養ドリンクをさらに濃くしたような強めの臭いが鼻をつく。
「これは・・・相当に効きそうだな」
これだけ臭いが濃いと逆に効きすぎて体を壊さないか心配だ。
後、気になるのは味の方。
既に現在の段階でスッキリ爽快からは程遠い気がしてならない。
その考えが浮かんだ瞬間、小瓶を口元に運ぶ手がピタリと止まる。
(・・・しまったな。何も考えず一気に飲めばよかった)
一度考え始めてしまうとどうしても躊躇いが生じてしまう。
別にエルテイラや研究所の職員達を信じていない訳ではない。
だが、どうしても動物的な感性がこの小瓶の中身を取り込む事に抵抗を示してしまう。
(何を迷うクロード・ビルモント。エル達は今まで数々の難しい研究に取り組み優秀な研究結果を残して来た。問題などあろうはずが・・・)
彼女達はファミリーが集めた各分野のエキスパート達。その腕は勿論信頼している。
しかし彼等の実験や開発の過程に失敗がないかと言われるとそれは違う。
むしろ失敗する事の方が圧倒的に多い。
依然取った統計だと研究所が行った実験の内、失敗は全体の87%だった。
それを見た時、今の世にない新しものを生み出すという行いがどれ程に難しい事なのかと深く考えさせられた。
未だ誰が成した事のない事にゼロから挑むのだから失敗が多いのも当然と言えよう。
偉大なる発明王の残した言葉にも「失敗は成功の母」というのがあるぐらいだ。
失敗を恐れず、失敗を糧にして進んだ先に新たな発見があるのだ。
それなくして技術や文明を進歩させる事は出来ない。
とはいえ、その為に自分のみを犠牲に出来るかと問われると中々首を縦に振るのは難しい。
(毒ではないと分かっていても、やはり口にするのは相当に覚悟がいるな)
出来る事ならば今すぐ戻って返却したいが、既にエルテイラには飲んで感想を伝えると約束をしており逃げ場はない。
「う~ん。今回は止めておいた方がいいんじゃない?」
「アジール。少し黙ってろ」
アジールの忠告にも耳を貸さず。クロードは小さく深呼吸をする。
自分の中にある弱腰の気持ちを息と共に吐き出したクロードは覚悟を決める。
意を決して小瓶の先に口を付けるとそのまま一気に煽る。
「グッ!」
瓶の中身が口の中に流れ込んだ液体が舌に触れた瞬間、そのあまりにも強烈な衝撃に意識が飛びそうになる。
それはまるで頭を殴りつける様な暴力的な味が口から脳に向かって駆け上がる。
栄養剤に含まれている生薬がそれぞれに持つ独特の臭いや味が口の中でぶつかり合って互いに強く主張し合う。
例えるなら栄養ドリンクと青汁と卵を混ぜて50倍ぐらい濃縮した感じとでも言えばいいのだろうか、とにかくマズイ。
体をブルブルと震わせながらクロードはゆっくりと小瓶を口から離す。
「大丈夫かいクロード?」
「ああ、だがこれは・・・・酷いな」
心配そうに様子を窺うアジールに、それだけ言ってクロードはガックリと項垂れる。
全て飲み干したはいいが、喉から胃の辺りにかけて妙な熱っぽさを感じる。
疲労を回復させるはずだったのに気付けば根こそぎ持っていかれ、全身を倦怠感が襲う。
少し時間が経てば効力を発揮して体調も良くなるかもしれないが、とりあえず今しばらくの間は何も口に入れたくない気分だ。
「大分顔色が悪いけど、効果はありそうかい?」
「効果はありそうだが、一般向けに販売するにはこれじゃ駄目だな。栄養剤として市販するには多少効果が落ちても普通に飲める様にしないと売れない」
今回クロードはある程度心の準備をしていたからなんとか耐えられたが、何も知らない一般人がこれを飲んだら意識を丸ごと刈り取られる可能性が高い。
「薄めなくても何か別の用途とかで使えそうだね。尋問用とか」
「それだと本来の使い方からは大きく掛け離れるな」
確かにこんなものを飲まされ続けるぐらいなら秘密の1つや2つなら吐いて楽になりたいと本気で思うかもしれないが、流石にそれだと制作側の意図に反するので却下だ。
ともあれ、これでエルテイラに提供する味についてのデータは取れた。
あとはこれからの体調をみて体への影響について観察するとしてよう。
クロードは今は得た情報を忘れない内に懐から手帳を取り出した手帳に書き留める。
「臭いの緩和と味は飲み易い様に要改善が必要。・・・これでいいだろう」
ひとまず一通り報告事項を書き終えた所で馬車が止まる。
「着きましたぜ。クロードの旦那」
「ああ、すまない」
御者に呼ばれ外を見ると、店先に「元祖らーめん ひろし」と書かれた暖簾の掛かったどこか懐かしさを感じる店構えをした1軒の料理店があった。
決して大きな店ではないのだが、入り口の前には昼時を過ぎているにも関わらず今も長い列ができている。
「相変わらずここは繁盛しているみたいだな」
「そりゃ~旦那。このレミエストス共和国広しといえど"ら~めん"が食えるのはここだけですからねぇ」
「確かにそうだな」
御者の言葉にクロードは外を見たまま相槌を打つ。
実際はこの国だけでなく世界中探しても食べられるのは恐らくここだけだろう。
何せこの店で出されている料理の作り方を熟知しているのはこの世界で店主ただ1人しかいないのだから。
もっともその事を知っているのはクロードとアルバート、後は数人の組織幹部しかいない。
「実は私も好きなんですよここの"ら~めん"」
「そうか。なら少し寄って行くか?」
クロードからの思いがけぬ提案に御者は少し驚いた後、苦笑交じりに首を左右に振る。
「是非そうしたいところなんですが、働かないとウチの母ちゃんに叱られちまうんで」
「すまない。困らせたな」
「いえいえ、気にせんで下さい。旦那にはいつも世話になってるんで」
御者はこちらこそ申し訳ないとペコリと頭を下げる。
「また次に機会があったら、その時にはご一緒させてくだせえ」
「分かった。その時は言ってくれ。奢らせてもらう」
「本当ですかい?そいつは楽しみだ」
御者はそう言って朗らかに笑う。なんだがんだでこの御者との付き合いもこれで7年になる。
最初の頃はロクに言葉を交わす事もなかった相手だが、今ではこうして世間話が出来るぐらいの間柄になった。
(これが時の流れの成せる業か、それとも俺が歳を取ったというべきか)
ふと頭に浮かんだそんな考えにクロードは自嘲の笑みを浮かべる。
まだ駆け出しだった20歳の頃から考えると、自分も随分と今の仕事が板についてきた。
その事に少しだけ満足しつつクロードはコートの内ポケットから財布を取り出す。
「そろそろ降りる。いくらだ?」
「それじゃ、今回はキッカリ5000カボで」
カボとはこの国に流通する通貨の値で1カボが1円相当。
つまり5000カボだとそのまま5000円程という事になる。
馬車の料金自体それ程高い物ではないが、研究所の外で待たせた分を考えると少しばかり安すぎる気がする。
「いいのか?」
「ええ、むしろ今日まで余分に頂いた分を考えるとタダでもいいぐらいなんですが」
「それは困るな。オレの格好がつかなくなる」
「ハハッ、旦那ならそういうと思ってましたよ」
見栄を張るのもまたマフィアの仕事の内。この御者はそういう事もよく心得ている。
こういうやりとりができるのも長い付き合いならではだと思いつつ、クロードは財布から取り出した紙幣を御者に支払い馬車を降りる。
「後でまたお迎えに上がりますか?」
「いや、今日はここまででいい」
「左様ですか。それではまた」
「ああ」
走り出した馬車をしばし見送った後、クロードは目的の店に向かって歩き出す。
だが正面から近付いたりはしない。
何せこの人相なので表から行くと店の前に並んでいる客が恐がって逃げて営業妨害になってしまう。
なのでここは悪党らしく店の裏手に回って裏口から目的の人物を呼び出す事にする。
なるべく人目に付かない様に細い路地を通ってクロードは店の裏手に周り勝手口から厨房の奥で皿洗いをしていた若い従業員に声を掛ける。
「すまない。ビルモントファミリーの者だが"ヒロシくん"はいるか」
「あっ、クロードさんどうも。社長なら今呼んできますんで外で待っててもらっていいですか?」
まだ少年っぽさの残る若者はそう言って厨房で鍋を振っている男の下へと走っていく。
その間、クロードは言われた通りに外で待つ事にする。
タバコを取り出そうかと思ったが、流石に厨房の傍だったので今は我慢する。
それから少しして、真っ白なコックコートに身を包んだ男が裏口から現れる。
「お~い、酒木・・・じゃなくてクロード君。お待たせ」
短い黒髪で東洋人特有の平たい顔で人の良さそうなにこやかな笑顔を向ける男。
実年齢よりも幾分若く見える彼こそが"ヒロシくん"。現在35歳である。
ちなみに本名は
クロードと似た様な事情があって今はヒロシ・ホンマを名乗っている。
「ラドル君とロック君が店に来たから、そろそろ来る頃だと思ってたよ」
「・・・そうか」
「ん?どうかしたかい」
どこか不満な様子のクロードの態度に首を傾げるヒロシくん。
まるで分かっていない彼をクロードはジロリと睨み付ける。
「会う度に俺の昔の名前呼びそうになるのいい加減直してくれないか?」
「あっ、ごめん。自分でも気を付けてるはずなんだけどね」
申し訳なさそうに頭を掻く"ヒロシくん"にクロードは険しい表情を向ける。
「この事が外に漏れたらアンタだってタダじゃ済まないんだぞ」
「もっもちろん、分かってるよ」
クロードの言葉に明らかに挙動不審になるヒロシ。
クロード程ではないにしろ彼もまたお尋ね者である。
彼はこちらに来る以前は定職にも就かず親の脛をかじるだけの日々を送る引きこもりニートだった。
ある日、何の前触れもなくいきなりこちら側に飛ばされてくる事になった彼。
流行りのラノベなら千回ぐらい主人公になっていそうな彼だが、彼が英雄となる事はなかった。
クロードと同じく強大な力を持つ星神器にも恵まれた彼だが、戦いの才は持っていなかった。
そもそも彼は血を見るのが大の苦手。初めて前線に立った時には血を見て気を失った程。
だが、彼の居た国は戦時下で1人でも多くの兵を、力を必要とし、どんなに拒んでも無理矢理に前線へと送りこまれた。
何度も戦場に送られながらもなんとか生き延びていた彼だが、度重なる戦いに精神が摩耗していくのを感じたヒロシは6年前のある日、隙を見て軍を脱走した。
逃げ出したところで金もなく頼る者もなかったヒロシだが、それでも血と死が蔓延する戦場で戦い続けるのはどうしても嫌だった。
共に戦場を駆けた者達から追われ逃げに逃げ続けた日々の中で心をすり減らし憔悴しきったヒロシが自殺を考え始めた頃、丁度国外に仕事で出て行たクロードと偶然再会した。
事情を聴いたクロードはヒロシをこの国へと連れ帰って保護した。
その様な事もありヒロシはクロードに対して強い恩義を感じている。
「君には命を助けてもらった恩がある。迷惑は掛けないよ」
「本当に頼むぞ」
そう言ってクロードはヒロシと今日の要件について話を始める。
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