第13話 ビルモント家の姫君
アルバートからの話も終わりクロードは1人で書斎から出てくる。
フリンジはもう少しアルバートと話があるという事でまだ部屋に残っている。
「俺が幹部か・・・」
もう一度、その言葉を口にしてようやくその実感が沸いてくる。
次の幹部会で承認されるかどうかはまだ分からないが、フリンジの話では既に他の幹部や古参にはある程度話は通してあるのでそのまますんなりと決まるだろうという話だった。
そうは言っても幹部の中にはクロードの事を快く思っていない者もいるので絶対とは言い切れない。
なので正式に決定が下るまでしばらくの間は幹部候補という扱いだ。
ともあれこれで一つ上のステージへの道が開かれた事になる。
後はチャンスを物にするだけの実力が自分にあるかどうかだ。
「絶対に掴み取る」
話を聞いた当初は幹部という役割の重さに最初の内は自分にはまだ早いと逃げ腰になってしまったが、今は違う。
ようやくここまで来たという喜びと巡ってきたこの好機を必ず掴むという決意に満ちている。
決意と共に力強く拳を握り締めるクロードだったが、そんな彼の元に忘れていた試練の時が訪れる。
「クロードお兄さまぁああああああああああ」
屋敷中に響くような大声が廊下の向こうから聞こえた途端、クロードの背筋を悪寒が一気に駆け上がる。さながらライオンに見つかった子鹿の様にクロードの肩がビクッと跳ねる。
ぎこちない動きで恐る恐る声のした方に目を向けると、セーラー服姿の小柄な金髪美少女が廊下の向こうからこちらに向かって猛然と駆けてくるのが見えた。
「いっ!メリッサ!」
咄嗟に口を突いて出た相手の名前で部屋に入る前にレイナーレが言っていた事を思い出す。
条件反射的に逃げ出しそうになる体を自制心の力をフルに使って必死に押さえ込み、なんとかその場に踏み留まるクロード。
直後、小柄な少女のものとは思えないラガーマン顔負けのタックルがクロードの腹に突き刺さる。
流石に体重が軽いので吹っ飛ばされたりはしないが結構な衝撃なので怪我をさせないように受け止めるのも一苦労だ。
「メリッサ。廊下は走るなって危ないだろう」
「ごめんなさい。クロードお兄様」
クロードの腕の中で恥ずかしそうに頬を赤らめるの金髪の少女。
彼女こそクロードの義妹でありビルモント家の次女、メリッサ・ビルモント。
母親譲りのセミロングの金髪と青い目が特徴的な現在14歳の女の子。
第七区画の富裕層が通う最先端の学問や魔術が学べる学校に通っている。
何故かもう1人の兄カロッソではなくクロードに対してのみ過剰なブラコン気味である。
家の使用人達やファミリーの下っ端からは"リトルプリンセス"なんて呼ばれているらしい。
「義母さんと下で待ってるはずじゃなかったのか」
「お兄様が帰っていると聞いて、居ても立ってもいられなくって」
「・・・そうか」
「エヘヘヘ」
照れた様子でモジモジと身を捩るいじらしい少女だが、クロードの腰に回した両腕はがっちりとホールドされておりまるで逃げられる気がしない。
流石に観念したクロードは空いた右手で少女の頭を優しく撫でてやる。
「その・・・なんだ・・・久しぶりだなメリッサ」
「本当ですよ。クロードお兄様ってば全然家に帰ってきて下さらないんですもの。去年の誕生日だって・・・」
プクッと頬を膨らませて抗議の意思を見せる少女にクロードはただただ謝罪の言葉を口にする。
「その件は本当にすまなかったと思っている」
「じゃあ、いつ埋め合わせして下さいますか?」
「えっと、それは・・・その・・・あれだ、近い内に」
「近い内っていつですか?」
「その内だ」
流石に決まった日時を答えるのは難しく曖昧な言葉しか出てこない。
ハッキリと答えたいが家に長い時間滞在できるほどスケジュールに空きが作れるのは夜の遅い時間しかない。
どこかで休みを取れればいいのだが悪党に決まった休日などあろうはずもない。
仕方が無いのでこの場はひとまずお茶を濁そうとするクロードだったが、それを聞いた途端にメリッサの目に大粒の涙が浮かぶ。
「そうやってまたはぐらかす気なんでしょう。お兄様酷い!お兄様はメリッサの事どうでもいいと思ってらっしゃるんだわ」
「えっ?あっ、いや・・・そんな事・・・ないぞ」
「じゃあいつにするか今ハッキリと言って下さい」
先程一瞬浮かんだと思った涙はいつの間に消え、クロードに詰め寄るメリッサ。
笑顔になったり泣き顔になったりとコロコロと変わる表情にクロードは翻弄される。
14歳の少女に手玉に取られる27歳の悪党の姿がそこにはあった。
メリッサからの追及に困り果てるクロードの下へ救いの女神が降臨する。義理の母レイナーレだ。
「メリッサ。あまり意地悪をするとクロードが困ってしまうわよ」
「でもお母様~」
納得できない様子で不満げな声を漏らす娘に母は諭すように言葉を授ける。
「メリッサ。いい女の秘訣はね。あまり我が儘を言わない事よ」
「は~い」
母の言葉にメリッサは素直に返事を返す。流石は母親、自分の娘の扱いをよく心得ている。
これで助かったと思っていたクロードの前でレイナーレはさらに言葉を続ける。
「心配しなくてもあなたの兄は今度はきっと約束を守ってくれるはずよ。そうよねクロード」
「・・・はい」
救いの女神だと思った相手はどうやらクロードの首を取りに来た死神だったらしい。
この人が出てきた以上、やっぱり調整できませんでしたはもう通用しない。
何が何でも予定を調整しないとこの人はきっとアルバートに言いつけて彼を動かすだろう。
この大事な時期にそんな事で父の手を煩わせるような事になっては堪らない。
全くなんて恐ろしい義母なのだろうと思いながら、クロードはどんな手を使ってでもスケジュールをこじ開けようと心に決めた。
「メリッサもまだ話したい事があるでしょうし、お茶の用意も出来たからリビングに行きましょう」
「はい。お母様」
ようやくクロードの腰から離れたメリッサがレイナーレと共に廊下を戻っていく。
2人が見ていない今なら開いた窓から飛び降りて逃げる事が出来る。
そんな考えが一瞬頭の中を過ぎったがすぐに思い留まる。
逃げたところで敷地内にいるアルバート直属部隊がすぐさま自分を捕まえに来るだろう。
クロードといえどこの広い敷地で戦いもせずに彼らから逃げ切るのは不可能だ。
何より喜んでくれているメリッサをまた悲しませる様な事をするのは流石に気が引けた。
「義母さん。少し事務所に連絡をするから電話を貸してくれないか」
「あなたの家なんだから電話ぐらい好きにしなさい。私達は電話が終わるまで待ってるから」
「ありがとう。すぐに済ませる」
そう言ってクロードは廊下を進み、屋敷の中にある電話の設置された部屋に入る。
まだこの世界に携帯電話の様な高度な文明の利器は誕生していないが、電話自体は存在しておりある程度程度普及し始めている。
部屋に入ったクロードは壁に掛けてある電話から受話器を取って耳に当てる。
3回程コール音が鳴った後、電話の向こうで女性の声が聞こえる。
「はい。こちら第七区画電話中継センターでございます」
「電話をつないで欲しい」
「どちらにお繋ぎしましょうか?」
「少し待ってくれ」
クロードは懐から小さなメモ帳を取り出してその中に書かれた数字の羅列を確認する。
現在のように連絡先に直接繋がるシステムではない為、電話の際はこうして一度中継局につないで連絡する相手先と登録されている番号を読み上げる必要があるのだ。
「接続先はボルネーズ商会事務所。番号は84817654だ」
「かしこまりました。少々お待ち下さいませ」
受付の言葉の後、再びコール音が数回耳元で鳴る。少しばかり長い。
若干苛つき始めたところでようやく相手先の受話器が上がり誰かが電話に出る。
「はいは~い。こちらボルネーズ商会でございま~す」
電話口から聞こえた気の抜けた声にここ数時間で溜まったストレスが頂点に達する。
クロードの口から低く冷たいしかし確実に怒りの篭った声が電話口に漏れる。
「トムソン。テメエは一体何をやっているんだ」
地獄の底から響くような声に電話の向こうでトムソンと呼ばれた男が小さく悲鳴を上げる。
「ひぇっ!その声はクロードの兄貴!」
「電話が鳴ったら最低でも5コール以内に出ろっていつも言ってんだろうが馬鹿野郎!それになんださっきの電話の態度は!まさか気を抜いてたんじゃないだろうな!」
「ヒィイイッ!兄貴お許しをぉおお!」
電話の向こうから荒波の如く押し寄せるクロードの怒声に、電話口のトムソンが身を縮こまらせる。
ボルネーズ商会の事務所には何かあった時の連絡役や電話番としていつも数人の舎弟を常駐させている。
電話番は主にこのトムソンの役目で、電話は彼の机の目の前に置いてある。
にも関わらずこれほど電話に出るのが遅いというのはどういう事なのか。
怒りで呼吸を荒げながら思わず受話器を握り潰しそうになっていたクロードは、何とか自制して冷静さを取り戻し言葉を続ける。
「まあいい。トムソン、ロックの野郎は今事務所にいるか?」
「ええ、居ますよ。たった今までロックとバーニィとドレルとオイラでカードやってましたからね」
「・・・あ?今なんて言った?」
クロードの手の中の受話器からビキビキと何かがひび割れる音が聞こえ、亀裂が走る。
電話口の向こうでは話を聞きつけたロック達がトムソンに向かって何言ってんだ馬鹿とかなんとか誤魔化せと言っている声が聞こえるが、既に手遅れである。
しばし受話器の向こうでドタバタと音がした後、電話口の声が変わる。
「お疲れ様です兄貴。ロックです。トムソンの野郎が何かおかしな事を言ったかもしれませんが何も問題ありません。気にしないで下さい」
「・・・分かった。それより俺と叔父貴は少し戻りが遅くなるからその間に頼みたい事がいくつかある」
「了解です。今メモを取るんで少々お待ちを・・・」
ロックのメモの用意が出来たのを確認した後、クロードは午後の仕事のスケジュール調整の連絡と今夜の仕事に使う道具の手配、最後に自宅にいるルティアを迎えに行くよう指示を出す。
「ルティアってお嬢さんを連れてブルーノ大先生のとこの工房に連れて行けばいいんですね」
「そうだ」
「分かりました。他には何かありますか兄貴?」
取り急ぎ伝えることは他に無いことを確認し、最後にクロードは静かに告げる。
「ああ、そうだな。さっきお前達が叔父貴と俺が居ないのをいい事に遊んでいた件についてだが、明日キッチリ話を聞かせてもらうから今そこに居る全員遅れるなよ。1人でも逃げたら殺す」
「・・・ハイ」
電話の向こうで青褪めるロックの蚊の鳴くような返事を聞いて電話を切ったクロードは、手の中でヒビ割れた受話器を見る。
電話は普及し始めているとは言えまだまだ高級品で個人で持っているのは金持ちと企業ぐらいだ。
当然、それ程の高級品ともなれば修理代だって馬鹿にならない。
そんな代物をここまで破損させてしまい、どうしようかと考えていたところへ丁度部屋の前を通りがかった使用人と目が合う。
「・・・親父には黙っといてくれないか?」
「無理です」
使用人からの即答に当然だなと想いながらクロードは大きな溜息を吐きガックリと肩を落とす。
次に父に会った時に何を言われるか考えて憂鬱な気持ちになったクロードは、義母と義妹が待つリビングに重い足を向けるのだった。
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