第8話 鴉の住み処 3

クロードの家の2階に用意された部屋、そのべッドの上でルティアは目を覚ます。

最初に視界に映ったのが見覚えのあるシミだらけの安宿の天井ではなく、シミ一つない真っ白な天井だった事に思わず戸惑いの声を漏らす。


「あれ?ここって・・・」


ぼんやりとして思考がはっきりしない中、記憶を探すように天井に向かって手を伸ばす。

その時、不意に枕元に気配を感じたのと同時に耳元で声がする。


「ようやくお目覚めかい?」

「その声は・・・アジール様?」


頭の上の方から聞こえた声を頼りに首を動かして視線を向けると、ルティアの頭の位置よりも少し上、ヘッドボードの先端に三本足の烏がチョコンと立っていた。


「おはようルティア」

「おはようございます」


互いに見合ったまま朝の挨拶を交わす1人と1羽。

そこでようやくルティアの頭の中で情報の整理が完了し、昨晩の出来事を思い出す。


「そうだ私、クロードさんの家に泊めてもらったんだ」

「眠れたかい?」

「はい。こんなに寝たのは久しぶりです」


自身の精霊が邪霊に取り憑かれてから今日まであまり寝付けなかったのだが、今日は自分でも驚くほどよく眠れていたと思う。

ルティアの反応を見てアジールは満足そうな様子で言葉を続ける。


「それは良かった。もうすぐ朝ご飯の支度ができるから迎えに来たよ」

「そうでしたか朝の支度が・・・・えっ!」


アジールの言葉を耳にしたルティアの顔から急激に血の気が引く。

まさかと思って慌てて窓の外に目を向けると日は既にある程度の高さまで上っており、日の出から随分時間が経った事を示していた。

しかも周囲にはいつしか朝食に焼いたと思われるトーストの良い匂いも漂っている。


「あわわわ・・・私ったらとんだ失礼を」


助けてもらう約束をした上に、寝床まで用意してもらいクロードの分の夜食までごちそうになった。

これだけ世話になったのだからせめて少しでも恩返しをしようと朝の支度は手伝うつもりでいた。

なのに蓋を開けてみれば何一つ手伝いもせずに眠りこけていた自分。

そんな自分のあまりの不甲斐なさにルティアは思わず泣きそうになる。


「ごめんなさい。私・・・」

「そこまで気にする必要はないよ」

「そうだ、今からでも何か」


今すぐに着替えて行けばまだ何か手伝えることがあるかもしれないとベッドから飛び起きるルティア。

そんな彼女に向かってアジールは残念なお知らせを伝える。


「残念だけど朝の支度はもう全部ウチの色ボケババアが済ませちゃったよ」

「・・・誰が色ボケババアでしょうか?」


アジールの声に続いて室内に響いた怖気がするような冷たい声に1人と1匹がゆっくりと視線を向ける。開けっ放しの扉の前に身も凍るような笑顔を称えた銀髪のエルフが立っていた。


「ゲッ!アイラいつからそこに!」

「つい今し方でございますアジール様」

「ハハッ、そうなんだ」


なんとか笑ってごまかそうとするアジールだがアイラから放たれる冷たい空気はまったくもって静まる様子はない。

むしろより一層肌に突き刺さる様な鋭さを増している気がする。


「朝食の用意ができたのでルティアさんを呼びに来たのですが、まさか私自身が思いもよらぬ発言を聞く機会になりました」

「やっぱり聞こえちゃった?」

「エルフは耳が良いものですからね」


そう言ってアイラは自信の長い耳を指差す。

表情はとても美しい笑顔なのに場の空気は心臓を握り潰されそうな圧迫感を感じる。

完全に巻き込まれる形になったルティアは正直一秒でも早くこの場から立ち去りたいが、

今彼女を不用意に刺激すればどんなとばっちりが来るか分からないので動けない。


「アジール様。あまり言葉が過ぎるようだとその嘴を縫い付けますよ」

「アハハッ、たかが300年生きた程度の小娘が大精霊たる僕をどうこうできると思ってるのかい?」


恐ろしげな気配を発するアイラの挑発を真に受けるどころか、さらにその怒りに燃料を投下するアジール。

投下された燃料はアイラの怒りの炎をより一層激しく燃え上がらせる。


「いいえ、それは難しいでしょう、ですので代わりにアジール様には相応しい鳥籠に入って頂こうかと考えております」


そう言ったアイラの背後で影が大きく揺らぐ。

恐らく彼女の精霊だと思うが姿を表す前なのにとてつもない圧を感じる。

あれは決して人が敵に回していい相手ではないとルティアの精霊術師としての経験が告げている。

同じく異変を察したのか流石のアジールの態度からも余裕が消える。


「これはいけない。ひとまず退散だ」


状況悪しと判断したアジールは素早く羽を広げると開かれた窓の外に向かってピュウッと飛び去る。


「あっ!お待ちなさい!」

「や~だよ~」


悪戯を見つかった悪ガキみたいな捨て台詞を残してアジールは遠くの方へと逃げていき、窓辺に駆け寄ったアイラは悔しそうにその姿を見送る。


「今日は逃がしてしまいましたが、いずれ必ず・・・」


絶対にこのままでは終わらない。

必ず報いを受けさせてやると胸に固く誓ったアイラは、気を取り直してルティアに向かって優しい笑顔を向ける。


「それじゃルティアさん。朝食にしましょうか」

「・・・はい」


絶対にこの人にだけは逆らわない様にしようとルティアは心の中で固く誓う。

それからルティアはすぐに身支度を整えて1階に降りる。

リビングに顔を出すと昨日皆で話し合ったテーブルには既にシャティとヒサメが座っており朝食を摂っていた。


「あ、おはよう。ルティアちゃん」

「おは・・・よう」

「おはようございますシャティさん。ヒサメさん」


2人と挨拶を交わしたルティアはアイラに促されるままにテーブルにつく。

おいしそうな匂いを漂わせている朝食を前にして思わず涎を垂らしそうになり慌てて口を抑える。

そこでようやくこの場にいない人物が2人居ることに気づく。


「あの、クロードさんとグロリアさんは?」

「旦那様はお勤め先の会合があるので部屋で出掛ける用意をされてます」

「グロリアは・・・部屋で・・・寝てる」

「しばらくはグロリア姉の部屋に近づいちゃ駄目だよ。寝てるの邪魔されるの一番キライだから」

「分かりました」


先程アイラの恐い一面を見てしまったばかりなので、シャティからの忠告も素直に聞き入れる事が出来た。

世の中にはうっかりで踏んでいい虎の尾などないのだ。

今言われた内容を心のメモ帳にしっかりと書き留めてルティアは皿の上のトーストを手にとって口に運ぶ。


「おいしいれふぅ」

「良かった。おかわりもありますからね」

「はい!」


元気よく答えるルティアをアイラ達も微笑ましく見守る。

そうしている間に外出の支度を終えたクロードがリビングに顔を出す。


「昨日はよく寝てたみたいだなルティア嬢」

「・・・おかげさまで」


クロードの言葉で先程の失態を思い出したルティアは顔中を真っ赤にして恥ずかしそうに俯く。

急に大人しくなった事を不思議がるクロードに、他の女性陣からは非難の声が上がる。


「旦那様、今はそのくらいで」

「そうだぜダーリン。可哀想だろ」

「ルティちゃんは・・・カワイイ」

「何を言ってるんだ?」


まるで状況が掴めずにいるクロードを余所に、謎の結束を深める女達。

いつの時代だろうとどんな世界だろうと男にとって女という生き物は解読不能な永遠の謎である。


「まあいい。俺はこれから会合に出てそのまま仕事に向かう。約束の件はそれが片付いてからだ」

「分かりました。それまではどうすればいいですか?」

「君の好きにすればいい。家に居てもかまわんがグロリアだけは絶対に起こすな。家が無くなる」


一瞬冗談か何かかと思ったが、クロードの口調にそんな様子はない。

確かによく考えてみれば相手は上位魔族。怒りに任せて家を吹き飛ばすなど造作も無いだろう。

となるとこの場合は恐らく言葉通りの意味と捉えるのが正しいと判断し、小さく頷く。


「お邪魔でないならこちらで過ごさせてもらいたいですがいいですか?」


上目遣いにクロードの反応を窺うが、特に表情に変化は見られない。

しばし考えを巡らせたクロードはテーブルに座る他の女性陣に水を向ける。


「お前達はどうだ?それでいいか」

「私は構いませんよ」

「アタシもいいよ。全然ウェルカム」

「バッチ・・・コーイ」


最後のヒサメの言葉の意味はいまいち分からなかったがどうやら邪魔だとは思われなかったらしい。


「決まりだな。なら準備ができたら俺の方から家に迎えを寄越す」

「お願いします」

「後は特に質問がないなら俺は行くぞ」

「えっと・・・はい。大丈夫です」

「そうか。なら行ってくる」


そう言ってクロードは黒いトレンチコートを翻しリビングを出て行く。

その背中を見送りながらシャティとヒサメが手を振る。


「いってらっしゃ~い」

「クロ・・・ガンバレ」


リビングで見送る2人とは違い、アイラだけがすぐに席を立つとクロードの後を追って玄関へ移動する。

流石はメイド服を着た古風な奥様風エルフ。わざわざ玄関まで行って見送るようだ。

案の定それから少しして玄関のドアが開く音ともに遠くでアイラの声が聞こえた。


「いってらっしゃいませ。旦那様」

「ああ」


ドアの閉まる音がしてから少しの間を置き、戻ってきたアイラがテーブルにつく。

心なしかその表情はニヤケそうになるのを必死に堪えているように見える。


「あの、何かありましたか?」

「いえ、何でもありませんよ」


ルティアの問いに優しい微笑みで返すが、その表情もどこかぎこちない。

まるで自分たちに何かを気づかれないように取り繕っている様だ。

シャティとヒサメもその事に気づいたらしく疑いの眼差しを向けている。


「凄く・・・怪しい」

「確かに、さてはダーリンと玄関で何かあったな」

「さあ、何のことです?」


誤魔化そうとしているが、根が正直なのかさっきから視線が泳ぎまくって定まっていない。

バレバレである。

シャティとヒサメからの追求をなんとか躱そうと奮戦するアイラだったが、2対1という数の振りを覆す事は敵わず最後には白状した。


「出がけに玄関でハグして頂きました」

「えっ?」


ビックリするくらい拍子抜けな答えにルティアは目を丸くする。

大の大人が、たかがハグされたぐらいの事をあんなに必死に隠そうとしていたのが驚きだった。

しかし、彼女の驚きはここで終わりでは無かった。


「なっ!なんて羨ましい」

「1人で・・・抜け駆け・・・許せない」

「ええええっ!」


さらに予想外の反応を示すシャティとヒサメに思わず驚く声が大きくなってしまう。

こちらはこちらでハグされたぐらいの事を真剣に悔しがっている2人。


「いいじゃありませんか。たまのご褒美ぐらい」

「だからって抜け駆けはないだろアイラ姉」

「クロは・・・みんなの・・・共通財産」

「とりあえず皆さん落ち着いて話し合いましょうよ~」


こうしてクロード宅にてグロリア抜きの臨時の家族会が開かれる事になり、何故か中立のポジションとして議事長としてルティアが進行を任される羽目になった。

この後、夕刻まで続くことになる不毛な会議にルティアは外出を選択しなかったことを深く後悔した。

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