第6話 鴉の住み処 1

強盗達を捕獲し、廃工場を後にしてから小1時間が経過した頃。

第七区画の郊外にある一軒の家の前にクロード・ビルモントとルティア・ディ・フィンモールは立っていた。


「ここがクロードさんのお宅ですか?」

「まあ、そうだな」


咥えたタバコの煙を燻らせながらクロードが答える。

その表情がどこか機嫌が悪そうに見えるのはきっと気のせいじゃないだろう。

当初、ルティアの事情を聴いた後、彼女を家に招くかどうかでかなり悩んでいたクロードだったが、

少女1人を悪党だらけの夜の街に置いていく危険性と、彼女を気に入ったアジールからの説得によって最終的に一晩だけ彼女に宿を提供する事にした。


「立派なお宅ですね」

「まあ、街外れの辺鄙な場所だから土地も安かったからな。その分の予算で多少造りはよくしてある」

「辺鄙な場所・・・ですか?」


言われてみると確かに周囲には建物の影は見えず。遠くまで見渡しても隣家の明かり1つ見えない。

だだっ広い草原の真中に小さな木製の柵で囲われた小綺麗な2階建ての一軒家が建っているだけだ。


「なんでこんな所に家を?」

「成り行きだ」

「成り行きですか?」


わざわざこんな所に家を建てる成り行きとはなんだろう。

詳しく聞いてみたいが、聞くと怒られそうなのでルティアはそれ以上はつっこむのをやめる。

確かに立っている場所は市からも離れているので随分と不便そうではるが、とはいえそんな場所に建てられた家の方はかなりしっかりとした造りに見える。

赤レンガ造りの2階建て一軒家、外から見る限り少なく見ても部屋数は8室はある。

ルティアの知る限りクロードと同年代の一般市民が給料でこのレベルの家を建てようと思えば仕事をいくつか掛け持ちした上で相当な節約生活をしなければ手が届かないぐらいの物件だ。


「クロードさんはお金持ちなんですね」

「・・・それは何か新手の嫌味か?」

「いえ、決してそんなことはないです。クロードさんくらいの若さでこんな立派な家を持ってるなんて純粋に凄いなと思って感心したんです」

「別にどうでもいい」


そっけない答えを返し、クロードは家の敷地内へと歩き出す。

その背中についてルティアが敷地に入ろうと足を踏み出すと同時に、ここへ来る途中いつの間にか姿を消していたアジールが夜闇の中から突如現れ、ルティアの左の肩に乗る。


「アジール様?」

「そのまま入ってはいけないよルティア」

「どうしてでしょうか?」


不思議がるルティアに、アジールは子供を諭すような口調で理由を聞かせる。


「この家の敷地には僕の能力を使って聖域化が施してあって、許可のない者が勝手に立ち入ろうとすると攻性防壁が働いてああなる」


言ってアジールが嘴の先を向けた先、クロード宅を囲む柵の外の一角にルティアは視線を向ける。

草むらの真ん中に不自然な岩のように大きく黒い塊が転がっていた。


「なんですかアレ?」

「防壁に焼かれた人間の死体」

「えっ!」


思ってもみなかった答えを聞いて、驚きのあまりその場でフリーズするルティア。

そんな彼女の反応を無視してアジールは淡々と話を続ける。


「大方クロードの留守を狙って家に忍び込もうとしたコソ泥か刺客といったところだろうね」

「まったく、何度も失敗してるってのに懲りない連中だ」


まるで家の外でネコかネズミの死骸でも見つけた時のような反応を示し、死体を一瞥したクロードはその事をまるで気にするでもなく玄関に向かって歩き出す。


「大丈夫なんですか?ご近所さんとか郵便屋さんとか・・・」

「心配しなくてもここから隣家までは相当距離があるからわざわざ来るような奴はいないし、そもそも俺を恐がってこの辺りには寄り付かない。郵便物は庭の外にポストがあるから中までは来ない」

「そうなんですか」


そういう問題なのだろうかという気もしないではないが、これ以上聞いても楽しい話ではなさそうなので掘り下げるのやめておく。

家に入る前から驚かされる場面に出くわして気後れしているルティアの肩の上で、アジールが死体を見て楽しそうな声を上げる。


「見なよクロード。今回の挑戦者は一応対策はしてきてたみたいだね。その証拠に少しだけ腕の辺りが炭化せずに焦げの色も薄いよ」

「その状態からよく分かったな」

「まあね。たぶん対魔術を施した防具とかだろうけど僕の力の前ではゴミクズ同然だね」


鼻高々といった様子でアジールは得意げに体を反らす。

夜目に慣れていないからか、ルティアにはただの真っ黒な炭の塊にしか見えない。


「そんな事よりも早く彼女を家に入れるようにしてやれ」

「分かってるよ。もう、せっかちだな~クロードは」


思ったような反応が返ってこなかった事に少しだけ拗ねた態度でアジールは答えると、ルティアの首筋を嘴で2度軽くつつく。


「ひあっ!」


急に首筋に触れた嘴の感触のこそばゆさに思わずルティアが声を上げる。

予想外に初々しい少女の反応を見てアジールが可笑しそうに笑う。


「ふふっ、ルティアは可愛いな~」

「な、何をするんですか急に?」


想定していなかった不意打ちに抗議の声を上げるルティアに、アジールは今した事の説明を始める。


「今のはクロードの家の敷地に入れるように印をつけたのさ」

「印ですか?」


言われてから首筋を触ってみるが特に跡などは残っていない。微かに魔術的な力の痕跡を感じる程度だ。


「かなり高度な魔術の代物だから形は残らないし、並の術者じゃ知覚する事も出来ないよ」

「そうなんですか」


いまいち実感は湧かないが、逆に何も感じさせないだけアジールの力が優れているのだろう。

首筋につけられた印といい、敷地内への侵入者を撃退する防壁といい、目の前の少し変わった姿の精霊はルティアが考える以上に高位の精霊なのかもしれない。

茶目っ気たっぷりのアジールの正体が気になって思わずその姿を見つめる。

視線に気づいたアジールがパッと振り返ると、クククと喉を鳴らして笑う。


「それにしてもルティア。君は首筋が敏感なんだね」

「あっ!いえ、、そういう訳では・・・」

「本当かな~?」


悪戯っ子のような口調でもう一度ルティアの首筋をつつこうとするアジールに、必死で抵抗しようと首を両腕で隠すルティア。

家の前でじゃれ合い始める1人と1羽に、先を歩いていたクロードが振り返って冷たい眼差しを向ける。


「遊んでないで早く中に入れ」

「す、すいません」


家主を待たせてしまった事に慌てて頭を下げるルティア。

アジールの方は特に気にする事もなくルティアの肩から離れる。


「それじゃ僕は、今日はこの辺で退散するよ」


それだけ言ってアジールは夜空の闇の中に溶けるように消えた。

ともあれこれでようやく家に入る準備が整った。

いつまでも待たせては悪いとルティアは敷地に向かって一歩を踏み出す。

敷地に入ると同時に自分を包む空気の質が少し変わった様に感じる。

漂っている空気がどことなく今までと違って清らかな印象。

そういえば先程アジールはこの家の敷地内は聖域化してあると言っていた。

どうやら聖域と呼ばれるこの場所は空気までもが外とは違うらしい。


「これだけの空間を作り出すなんて、アジール様って一体・・・」


アジールの正体についてますます謎が深まる中、ルティアはある事に気づく。


「あれ?そういえば家の明かりがついてますね」


他の事ばかりが気になって今の今まで気づかなかったが、2人の前方に立つ家の中からは明かりが漏れており、中からは人の気配を感じる。


「俺以外にも住んでるヤツがいるからな」


てっきり1人暮らしだと思っていたクロードの思わぬ言葉に、意外性を感じる。

それと同時にクロードと一緒に住んでいるのはどんな人物だろうと興味が湧いてくる。

クロードの後ろを歩きながら考えを巡らせたルティアはある答えを導き出す。


「もしかしてクロードさんはご結婚されてるんですか?」

「・・・はあ?」


急に何を言い出すんだコイツはと露骨な態度を見せるクロード。

だが、そう思われても仕方ない。何故なら先程から微かに家から漏れてくる声は女性の声であり、クロードの年齢を考えれば嫁がいても不思議はない。むしろそう考える方が自然だ。

なのでルティアは自分の考えを改めて口に出して尋ねてみる。


「だって、先ほどお宅から聞こえる声は女性のものですし、クロードさんぐらいの歳の人で一軒家に女性と一緒に住んでるとなると奥さん以外考えられないんですが」

「・・・なるほど。言われてみると確かにそうだな」


理由を説明されたことで合点がいったらしくクロードが少しだけ納得した様子で頷く。

どうやらクロード自身言われるまでそういう風に考えた事はなかったようだ。


「生憎と結婚はしていない」

「結婚してないとなると中にいるのはもしかして婚約者さんとかですか?すいません。私てっきり御一人暮らしだと思ってて・・・」


ルティアも抜けている所があるとはいえ、そこは恋に恋する多感なお年頃の女子だ。

好きな相手との愛の巣に自分のような見ず知らずの小娘が突然訪れたりすれば相手の女性は決していい気分はしないだろう。


「ルティア嬢が気を使うような相手じゃない」

「でもやっぱり相手の方に悪いですよ。私は大丈夫です。お庭の馬小屋を貸していただければ私はそちらで野宿しますので」


そう言ってルティアは庭にある少し大きめの馬小屋を指差す。


「そういう変な気は回さなくていい」

「でも・・・」

「本当に気にしなくていい。あと、あの馬小屋には絶対に近づくな。ウチの馬は恐ろしいほど嫉妬深いからもし知らない人間、それも女が馬小屋で寝たりなんてしたら蹴り殺されるぞ」


クロードの言った内容に思わずまさかと思いかけるが、かなり真剣な口調で言ってくるクロードの様子からその考えを引っ込める。


「・・・すいません。やっぱり玄関の隅でいいので貸してください」

「賢明な判断だ」


随分と話で時間を食ってしまったが、ようやく玄関まで辿り着いた2人。

玄関にある小さな缶の中にタバコの吸い殻を放り込み、ドアノブに手を伸ばすクロード。

そこで一瞬、クロードの動きが止まる。


「クロードさん?」

「いや、なんでもない」


訝しむルティアの前で今度こそドアノブを回し、クロードが玄関扉を開く。

開く真新しい木製扉と一緒にクロードの体がルティアに道を譲るようにドアと共に玄関の端へ移動する。

まるでの扉の影に隠れて自宅にいる誰かから身を隠すような不自然な動き。

そう思った直後、家の中から勢いよく何かが飛び出してくる。

ルティアの視界に最初に飛び込んできたのはとても大きく丸い2つの塊だった。


「ダーリンおっかえり~」

「むぎゅっ」


豊かな双丘に顔を挟まれたルティアはそのまま身動きが出来ないよう羽交い絞めにされる。

必死の抵抗を試みるが根本的な力が違うのか相手はビクともしない。

そうこうしている間にも豊満すぎる肉の塊、もとい巨乳に圧迫されて窒息しそうになるルティア。

予期せずして死の淵に立たされそうになっている少女を見てクロードが溜息を吐く。


「はぁ、その出迎え方はやめろと前に言っただろ」

「あれ?抱きついたはずのダーリンの声が何故か後ろから聞こえる不思議?」

「いいからそのくらいで解放してやれ」

「分かった」


ルティアの顔を圧迫していた巨乳が離れ、解放されたルティアと抱きしめていた巨乳の持ち主の目が合う。

ルティアの目の前にいたのは筋肉質な裸体にタンクトップブラとパンツだけという出で立ちで、狼の様な肉食の四足獣を連想させる獰猛な眼と腰まである乱れた赤い長髪が特徴的な1人の女。


「・・・誰?」

「あの・・初めまして。・・ルティア・ディ・フィンモールと・・・申します」

「ああ、これはご丁寧にどうも」


息も絶え絶えな自己紹介をするルティアに、状況を理解できていない様子の赤毛の獣女。

頭の上には無数の?マークが浮かべる彼女に向かって状況を見守っていたクロードが歩み寄る。


「シャティ、彼女は客だ。今夜ウチに泊める」

「そっか。分かった」


クロードの言葉に未聞を微塵も感じないどころか、間髪など入れる余地がない程、見事なまでに即断即決だった。


「いいんですか?」

「まあ、家主はダーリンだしな。アタシは構わなけど、ただ・・・」

「ただ?」


何か言いかけて家の方を振り返るシャティと呼ばれた女性に、釣られてルティアも玄関の奥、家の中へと視線を送る。

そこで目にしたものにルティアは言葉を失う。ルティアは結局最後まで気づかなかった。

何故、家の中から女性の声が聞こえたのか、余程の独り言好きでない限り話し相手がいなければ声を出す事などない。

そして家から聞こえていた声はずっと女の声だった。

その事実が意味するものは一つしかない。


「旦那様。おかえりなさい」

「クロ・・・おかえり」

「クロード。帰ったのね」

「・・・・ああ」


ただただ絶句するルティアの前で4人の美女に出迎えられるクロード。

"第七区画の鴉"と呼ばれる男はルティアの理解を超えた環境で暮らしていた。

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