第2話 鴉は夜を往く

冷たい風の吹きすさぶ寒空の下、舗装された石畳の道を1人歩く全身黒づくめの男。

男はふと足を止め、多くの星明りで満ちる夜空を見上げる。


「今日は少し冷えるな」


まるでそこに誰かがいるかの様に虚空に向かって声を掛ける。

そんな彼の言葉に応えるかの様に近くの街灯の上に留まっていた一羽の鴉がカァと鳴く。

鳴いた鴉の姿をしばし眺めていた男は、それ以上何も言わずに再び道を歩き出す。


男の名はクロード・ビルモント。

"レミエステス共和国"と呼ばれるこの国において恐れられるマフィアの構成員。

一口にマフィアと言ってもその規模や在り方はそれぞれに異なる。

それこそ構成員が10人にも満たない弱小から、街一つを牛耳る規模の大組織まで様々だ。

彼の所属する勢力「ビルモントファミリー」はその中でも屈指の大組織に分類される。

何故ならこのレミエステス共和国を構成する9つの区画の一つ、"第七区画レアドヘイヴン"を取り仕切っているからだ。

それ程の大組織に所属するクロードは、組織の内外から高くその実力を評価されており、その特異な容姿と併せて"第七区画の鴉"という異名で呼ばれ恐れられている。


どこかへと向かって歩くクロードはおもむろに上着のポケットに手を突っ込むと中から銀製のシガーケースと黒い金属製のオイルライターを取り出す。

シガーケースを開いたクロードは綺麗に並べられたタバコの中から適当な一本をつまみ上げると、口に咥えてライターで火を点ける。

タバコの煙を少しだけ吸い込んだ後、夜空に向かってゆっくりと吐き出す。

暗闇に向かって吐きだした煙が白く浮かび上がり、やがて夜闇の中に溶ける様に消える。

その様子を黙って見送ったクロードは、ふと自分のいる通りを見渡す。

日中は人通りも多く賑やかな通りだが、さすがに夜もかなり更けており人通りはほとんどなくとても静かだ。

たまに通行人がやってくるが、クロードの姿を見るなり怯えた様な目をしてすぐに視線を逸らす。

少しでもクロードの視界に入らない様に道の端の方を無言で通り過ぎていく。


「別に取って喰ったりはしないんだがな」


とはいえこういった反応をされる事には職業柄慣れている。

特に今更気にする気も起らずクロードはタバコの煙を燻らせながら歩き続ける。

余談だが東京都内であれば歩きタバコは罰金等の罰則があるが、生憎とこの国や街の法律に路上喫煙禁止条例やそれに類する法律はないので咎められる事はない。

もっとも、そんな法があったとしてクロードにそれを指摘できる者は早々いないだろうが。


「そういえばさっきトニーの店で襲ってきた奴等が誰の差し金か聞きだすの忘れたな」


今更ながら先程トニーの店に置いてきた3人の襲撃者の事を思い出し眉を顰める。

とはいっても襲ってきた際にカウンターを叩きこんで下顎を砕いたのでしばらくはまともに会話する事は難しいだろう。


「今月に入ってこれで何人目だったか・・・」


いつ頃からだったか、ああいった得体の知れない連中に命を狙われる事が増えた。

理由については思い当たる節がない訳ではない。むしろありすぎてどれが正解か分からない。


(新興ファミリーの薬物工場を潰した時か、はたまた人身売買組織を壊滅させた時か、他国の政治家の裏金を強奪した時か、それとも・・・・・)


試しに過去に自分が関わった案件を頭の中で思い浮かべてみるが、数が多すぎて考えるのが面倒になり途中で断念する。

分かっているのは自分が"第七区画の鴉"という大層な呼び名で呼ばれ始めた頃からそうなった風に思う。


(まったく、誰か知らんが余計な事をしてくれる)


いつ誰が最初にそう呼んだかは分からない。気が付けばその呼び名が自分の周囲で広まっていた。

おかげで顔と名前がますます知れ渡って随分と迷惑している。

とはいえその事ばかりを気にしていても仕方がない。

今は目下の仕事を片付けるのが最優先。そう考えたクロードは目的地へと向かう。



しばらく薄暗い通りを歩いた1人で歩いたクロードは、3本目のタバコを吸い終わる頃に目的の場所へと辿り着いた。

そこは第七区画の大通りから逸れて少し奥に入った所にある2年程前に廃業した金属加工の工場跡地。

そこそこ大きな建物を囲む高い塀の一角。

青白い光を放つ街灯の下、3人の男がタバコを吸いながら何やら話していた。

その内の1人。オレンジ色の短髪に紫のジャケット姿というカラフルな出で立ちの青年と目が合う。


「あっ、クロードの兄貴」


クロードの姿を見るなり主人を見つけた犬の様に駆け寄ってくる青年。

青年の名はロック・ディオーリ。

ビルモントファミリーの構成員でありクロードの舎弟の1人。


「ご苦労様です兄貴」

「ロック。声がデカイ」

「へへっ、すいません」


舌をペロッと出して頭を掻くロックにクロードは溜息を漏らす。

腕っ節も強く、別に頭も悪くはないが何度言ってもこのノリの軽さだけは治らない。

そこが彼のいい所でもあるが、もう少し時と場所を考えてほしい所だ。


「首尾の方は?」

「バッチリですよ。なあ、お前等」


そう言ってロックは後ろを振り返り、自分の後ろからついてきた2人に声を掛ける。


「ええ、表も裏もバッチリ押さえてあります。抜かりありませんよ」

「ネズミ一匹通しません」


ロックの後ろからついてきた2人の男。

黒人の様な色黒の肌に坊主頭をしたグレーのスーツ姿の男がドレル・ロットン。

茶髪のボサボサ頭、黒革のジャケットを羽織った糸目の男がバーニィ・トリスト。

この2人もロック同様にクロードの舎弟である。


「連中がここにいるってのは間違いないんだな」

「ええ、奴らを手引きした野郎をとっ捕まえて吐かせましたから間違いないかと」

「そうか」


バーニィの説明を聞いたクロードは頷くと、今朝自分の下に飛び込んできた話を思い出す。


事の始まりは昨日の夕刻。

この第七区画の隣、第八区画イプシロス内にある銀行に強盗が入った。

強盗達は銀行内にある金を奪って馬車を使い第七区画方面へ逃走。

その報告を受けたクロードはすぐさま舎弟達に命じて情報収集を開始した。

隣の区画は別のファミリーの縄張りなのでどこに強盗が入ってどれだけの金銭が奪われようと知った事ではないのだが、逃げた先が自分達の縄張りというのが問題だ。

もし強盗達が捕まらずに事が長引けば、隣の区画の連中にこちらが強盗を匿っている等という根も葉もない噂を立てられかねない。

相手のマフィアは昔からこちらを敵視しており争いの火種を欲している。

もし今回の件の解決が長引いて話がこじれる様な事になればファミリー同士の血で血を洗う抗争に発展する恐れさえある。

実際、そういった些細ないざこざで数年前に大きな組織同士が争い、片方の組織が壊滅した。

その様な事にならぬよう備えはしているが、問題が起こらないに越した事はない。

他にも対外的な理由として強盗の逃走先に選ばれる程舐められている等と思われるわけにはいかない。

何より面子を重んじるマフィアの社会。そういった小さな隙さえ付け込まれる要因となる。

僅かでもファミリーにとって害を及ぼす可能性があるなら、それらを排除するのも組織の構成員であるクロードの仕事の一つだ。


「賊を手引きした奴は今どうしてる?」

「ゼドの奴が相手してますよ。俺達がアジトを出てくる時はまだ生きてましたね」

「そうか。後始末の手筈は?」

「そっちの方も抜かりなく。いつも通り憲兵連中には話を通してあります」

「ならいい」


クロードは短くなったタバコを足元に落とし、踵で踏みつけて火を消す。


「相手の数は確か11人だったな」

「それも確認しました。間違いないです」


クロードの問いにバーニィが頷き情報が確かなものだと伝える。

その話を聞いていたロックとドレルのギラついた光を放つ。


「ウチのシマに逃げ込むとは馬鹿な連中だ」

「逃げ込んだ事を死ぬ程後悔させてやる」

「気張るのは構わんが下手を打たないようにな」

「わかってますよ兄貴」

「そうか。それじゃいくぞお前達」

「ウッス!」


勢い込んで先頭を歩き出す舎弟の後ろをクロードがゆっくりと歩き出す。

塀の内側に入った4人はだだっ広い敷地内を移動し、暗い工場内に踏み込む。

するととっくに廃業したはずの工場の奥から微かに笑い声が漏れ聞こえる。

見張りなどが居ない事を確認し、気付かれない様に声のする方へと徐々に近づく4人。


(余程自信があるのか、それともただのアホか、どちらにせよあまり頭の回るタイプの相手ではなさそうだな)


そうでなければ強盗をした人間がこんな杜撰な素人仕事をする訳がない。

これならば決着が着くのに時間はそう掛からないだろう。


(さっさと片付けてトニーの店で一杯やろう)


それだけ決めてクロードは笑い声が聞こえる奥の部屋の入り口の扉の前に立つ。

扉の前に着いてすぐに先頭のロックが思い切りドアを蹴破り中に押し入る。


「ビルモントファミリー参上だオラァッ!」


談笑していたところに突如現れた乱入者に室内にいた男達が呆気にとられる。


「なんだと!」

「えっ、えっ?」

「どうしてここが!」


なぜ居場所がバレたのか分からず。慌てふためきながら手近な武器を探す強盗達。

動揺している彼等に追い打ちをかけるように手近なテーブルの上に飛び乗ったロックが大見得を切る。


「テメエ等木っ端の考える事なんざこっちは全部お見通しなんだよ!」


フフンと得意げに鼻を鳴らして胸を張るロック。

偉そうな事を言っているがそれらの情報を調べたのはファミリーの仲間達であり、指示を出したのはクロードだ。

まるで自分の手柄のように威張るロックの後ろからクロードは落ち着いた口調で強盗達に問いかける。


「選べ。大人しく詫びを入れて俺らに従うか、死ぬほど痛い目を見て床を舐めるか」

「どの道無事じゃ終わらないんだけどな」


過分な程の威圧感の篭ったクロードの言葉と茶化すようなロックの言葉に男達の怒りが一気に沸点にまで上り詰める。


「クソッ!ふざけやがって」

「怖気づくな。相手はたったの4人だ!」

「ビビる事はねえ!やっちまえ!」


ナイフやその辺に置いてあったバールやらハンマーやらの工具を手にした強盗達は、クロード達に向かって一斉に襲い掛かる。

ロック達も懐に隠し持っていたナイフを抜いて強盗達を迎え撃つ。


「行くぞオラァッ!」


敵陣に突っ込んでいくロック達の後ろを武器も持たず散歩するように歩くクロード。

乱戦の中で懐から黒い皮手袋を取り出して両手に装着する。

そこへ奥の方から斧で武装した男が2人、クロードに向かって襲い掛かる。


「余裕ぶっこてんじゃねえぞ!」

「死ねやぁ!」


大声を張り上げて突っ込んできた2人が斧を大きく振り上げる。


「五月蠅いな」


クロードはただ一言そう告げると両拳を固く握り締める。

頭目掛けて振り下ろされた2本の斧を目で追い、僅かに身を引いて刃を躱す。

そこから反動をつけて上半身を前に倒し、相手の懐に踏み込むと同時に2人の顔面に左右交互に鋭いジャブを数発叩き込む。

至近距離から高速で放たれた拳打を浴びて男達が悶絶する。

あまりの痛みに目を閉じ動きが止まった2人にクロードの拳が容赦なく叩きこまれる。

左のボディブローで1人のアバラが内側にへし折り、体がくの字に折れ曲がり頭が低くなった所へ打ち下ろしの右ストレート。

相手のテンプルを打ち抜き意識を断ち切る。

意識がなくなった相手は糸の切れた人形の様にその場へと崩れ落ちる。

続けてもう1人に標的を移すと左右のフックを交互に顔に叩きこんで顎を粉砕する。

グラリと状態が揺らいだ所へ鼻っ柱に左ストレートを喰らわせて相手を沈める。

ものの数秒で一切武器も使わずに2人を瞬殺したクロードに強盗達の表情が固まる。


「おいおい、なんだよアレ。冗談だろ」

「あんな動き辛そうな格好してんのに・・・」


スーツ姿の上からロングコートを羽織ったままとは思えぬ機動力と俊敏さ、そして目で捉えられぬ程の拳速。

圧倒的な強さに固まる周囲の視線を余所にクロードは右肩を抑えながら腕を回す。


「イマイチだな」


あれだけの拳を放っておきながら一体何がイマイチなのか、誰も分からない。

そんな彼らを尻目にクロードは右手を前に出して指で手招きする。


「何をボ~ッと突っ立ている。時間が惜しいからさっさと掛って来い」


その言葉と共に周囲を漂っていた空気が一気に重たくなる。

この街にやってきた強盗達にとって本当の地獄はここから始まる。

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