暗黒街で鴉と呼ばれた男と精霊術師

イチコロイシコロ

第1章 暗黒街の烏

第1話 第七区画の鴉

黄昏色に染まった空が遠くの方から徐々に黒へと染まっていく。

変わっていく空の色が夜の訪れを告げ、立ち並ぶ家々の窓に1つまた1つと明かりが灯る。

まるでそれが合図であるかのように街の暗がりに身を潜めていた者達が活動を始める。

例えばそれは人通りの少ない路地裏にある古びた1軒の酒場などから。


酒の匂いが柱に沁み込む程年季の入った店の中。

仕事終わりで立ち寄ったむさ苦しい男達で溢れ返っている。

ほとんどがガテン系の職人や出稼ぎ帰りの傭兵と言った汗臭い仕事に就く者達。

そこに紛れて幾人か定職にも就かずに昼間から益体やくたいもなくクダを巻く者や街のゴロツキらしいガラの悪い連中の姿もチラホラと目に付く。

男達の話し声や金属製の酒器の立てる物音、時折混じる諍いの声や殴り合いの喧噪が大合唱となって鼓膜に突き刺さる。

長時間この場に居たら耳がどうにかなるのではないかと思う程の騒音の中でも、男達は隣にいる友人、知人、時には知らない誰かと肩を組み酒を酌み交わし談笑する。

話のネタはどこにでもあるような仕事の愚痴や家庭の悩みといった話がほとんどで、たまによからぬ悪巧みの相談が漏れ聞こえるが、それを聞き流すのがこの場のマナー。

女子供には少しばかり刺激が強い大人の社交場といった風情がそこにはあった。


混沌とした店の中、カウンターの奥に屈強そうな男の姿。

見た目から歳は大体40代、短く切りそろえた黒髪、アクション映画のスターの様に掘りの深い顔に濃いめの口髭、広い肩幅、服の上からでもわかる分厚い胸板。

店の主人マスターであるトニー・グスタフは通常営業。

まるで機械の様な無表情で淡々と手に持ったグラスに曇りがないかを入念にチェックしている。

祖父の代から続いているこの店を父から引き継いで早15年。

目の前に広がる退廃的な光景も彼にとっては最早見慣れた日常。今更思う事も特にない。


「トニーまた来るよ」


そう言って父の代からの常連が勘定を置いて席を立つ。

唯一雇っているウェイトレスのジェシーがテーブルの勘定を取りに出るのを横目に見つつトニーは店を出る客に向かって軽く手を上げ応える。

淡白な反応だが別に彼等に対する情が薄いとかそういう訳ではない。

ただ、この街で1人1人を気に掛けていると精神的に保たない事を彼は知っており、人付き合いはごく限られた範囲に留めている。

何せ彼の店が立っている場所はこの街の闇、所謂いわゆる『暗黒街』と呼ばれる場所との境界に位置する。

一度その境界を踏み越えてしまえば、人の命なんて吹けば消えるロウソクの火と大差ない。

今、店の中にいる客も明日以降二度と見なくなる客だって1人や2人じゃないだろう。

だからトニーは客とあまり親密にならないよう心掛けている。


「・・・・ん?」


ふと店内の喧噪に混じってガラスの割れる音がトニーの耳に届く。

長年この店でマスターをやってきた経験からか、どれだけ店内が騒がしくても店の中の物音を聞き分けられるようになった。


「おい、5番テーブルのヤツ。今割ったグラスの代金は会計に足しておくからな」

「うるせぇ!テメエはすっこんでろや!」


店の主人マスターであるトニーに向かって暴言で応える見るからにガラの悪い男。

身なりから察するにこの街で成り上がろうと意気込んできた出てきたばかりのどこぞのチンピラ。

こういった手合いはこの街では珍しくもない。

街のルールもロクに知らない相手にモラルなど求めても時間の無駄とトニーは思考を切り替える。

金さえ払えば相手がどこの誰でどんな人間性であろうが一向に構わない。

祖父もよく言っていた。


「金さえキッチリ払えばどんなクソッタレも上客だ。ガハハハッ」


もっとも今回の相手は客扱いするには少しばかり知恵の巡りが悪そうだ。


(アレは客と言うよりは誰彼構わず噛みつこうとする野良犬だな)


やれやれと呆れた様に首を振ったトニーはグラス磨きを再開する。

一方、注意されたチンピラの方は腹の虫が納まらないのか、トニーの方をジロリと睨み付けてブツブツと文句を呟いている。


「んだよ。ちょっとガタイがいいからってスカシやがってあの店主。よし決めた。今からちょっとあの野郎をぶっ飛してくるぜ」


物騒なことを口走ったチンピラは底の割れたグラスをテーブルの上に放り出す。

そんな彼を傍にいたモヒカン刈りに革ジャケット姿という世紀末スタイルの男が引き留める。


「おい、やめろ」

「あん?なんだよ。心配しなくてもあんな野郎は俺の拳で一発だって」


男は自身の袖をまくり上げると、いい感じに筋肉の付いた自慢の二の腕を叩いて見せる。


「そうじゃねえよ。お前知らないのか?この店はケツ持ちがヤバイんだよ」

「はぁ?こんなチンケな店のケツ持ちだぁ?」


怪訝な顔をするチンピラにモヒカン刈りの男が呆れ顔で説明する。


「いいかよく聞け。この店のケツ持ちはあのビルモントファミリーなんだよ」

「なんだよビルモントファミリーって?」


頭の上に?マークを浮かべて首を傾げるチンピラ。

一旗揚げようと田舎から出てきたばかりの彼がこの街の事情など知るはずもない。


「ビルモントファミリーを知らねえとはお前さんどこの田舎者だ」

「知るかよ。どこの金持ちだそりゃ?」


本気で分かっていないらしいチンピラの発言に、モヒカン男は軽い眩暈に見舞われる。

だが、このまま放置して問題を起こせば同席していた自分達まで巻き込まれる事になるので、仕方なく説明を続ける。


「馬鹿。貴族でも金持ちでもねえよ。もっとずっとヤベエ連中だよ」

「何がヤベエんだよ」

「ビルモントファミリーってのはこの辺を金と暴力で牛耳ってるっていうそりゃ~もうとてつもなくおっかねえマフィアだよ」

「・・・マフィア」


マフィアと聞いて酔いで赤くなっていたチンピラの顔が引き攣り、恐れで自然と体が震える。

田舎のチンピラでもそれなりの悪党で鳴らしてきたが所詮は木っ端。

そんな彼から見ればマフィアというのは悪党界のピラミッドの頂点。

悪党の中の悪党、悪党界のエリート的存在である。


「マジかよ・・・ヤッ、ヤベェじゃねえか」


マフィアと聞いて思わずチビリそうになるのを必死に我慢するチンピラ。

かつて地元でそれと知らずに喧嘩を吹っかけた相手がマフィアで手酷い目にあった記憶が脳裏をよぎる。

先程までの威勢が目に見えて失われていくチンピラに世紀末なモヒカン男はさらに言葉を続ける。


「しかもここのマスターはビルモントファミリーでもとびきりヤベエお方と懇意にしているって話だぜ」

「ヤベエ?」

「田舎者のお前さんでも"カラス"って名前ぐらいは聞き覚えがあるんじゃないのか?」

「"カラス"ってあの"カラス"かっ!?」


裏社会に片足だけでも突っ込んでいる者でカラスの名を知らぬ者はいない。

一度闘争の場に赴けば常勝して敗北はなく。

汚れた金の動く場には必ず現れて一切合切を奪い去っていく。

冷静沈着にして狡猾、大胆にして豪胆で知られる人物。

常に黒髪黒服姿であることから"第七区画の鴉"と呼ばれるようになった裏社会の雄。


「すいません。その話もっと詳しく聞かせてもらえますか?」

「しょうがねえなぁ・・・ん?」


むさくるしい男達の会話に突如割り込んできた少女の声に、男達の視線が声のした方へと集まる。

彼らの視線の先にいたのは亜麻色の長い髪を後ろ手に纏めたポニーテール、白のロングスカートのドレスの上から紺色のローブを羽織り、細腕に似つかわしくない少し大きめの木の杖を持った1人の可憐な少女が立っていた。


「お話もっと詳しく聞かせてもらっていいですか?」


好奇に満ちた目で問い掛けてくる少女に男達は困った様に顔を見合わせる。

こんな場末の酒場にはあまりにも似つかわしくない可憐な少女に、商売女以外に免疫のない男達はその純真無垢な瞳にどう答えていいか分からず困惑する。


「どうかされましたか?」


チンピラ達の心情などまるで気付くよう野内少女は可愛らしく小首を傾げる。


「お嬢ちゃん。ここは女子供が来るところじゃあねえぞ」


意外にも少女の身を心配する世紀末なモヒカン男。

外見に似合わず内面が紳士的な男からの言葉に少女はさらに首を傾げる。


「そうなんですか?」

「ああ、悪いことは言わねえからとっとと帰りな。じゃねえと酷い目に遭うぜ」

「そうだぜ。ここは危険な場所だ」


少しばかり凄みをきかせ、少女がこの場を去る様に脅しを掛ける男達。

この店に集まる者は立派な大人とは言い難い人間ばかりだが、少女を虐める様な趣味の者もいなかった。

悪党とは名ばかりの基本的には悪人になり切れないチョイ悪なおっさん達ばかりなのかもしれない。

急に親切になったオッサン達が少女に帰宅を促していたその時、店の入り口が開き1人の男が現れる。


「・・・・・・」


ややウェーブがかった黒く長い髪、猛禽を思わせる鋭い目、顔の右側には大型の獣に引き裂かれた様な痛々しい傷が三本、右目の上から右頬の下に向かって斜めに走っている。

服は白のYシャツの襟元を着崩し、上下黒のスーツは一目で高級品と分かる。

スーツの上には闇夜の様に深い黒を宿したロングコートを羽織っており、高そうな黒の革靴で揃えている。

身長は大体180cm程であり、線は細いがどこか力強さを感じる。歳は25~27歳程度といった所だろう。

周囲の客とは明らかに纏う空気の違うその男が店内に足を踏み入れただけで店内の喧噪がピタリと止む。


「・・・・・」


男は無言のまま静まり返った店内を横断し、カウンターに向かって歩いていく。

カツカツと無機質な靴音だけが静まり返った店内にやたらと大きく響く。

店内にいるの客の数人はそのを目で追い、何人かは視線を合わせないように目を逸らす。


「まったく。お前が来るといつもこうだ」

「悪いなトニー」


周囲の反応とは打って変わって男に向かって気安く声を掛ける店主のトニー。

そんな彼からの苦情に男は微かに表情を緩め謝意の言葉を口にする。


「別にいいさ。ところで今日は何の用だ?」

「少し近くを通ったからな。久しぶりに顔でも出しておこうと思っただけだ」

「だったらもう少し時間を考えてほしいもんだ」


そう言ってトニーが店内を見ろと周囲を顎でしゃくる。

長髪の男が促されるままに周囲を見渡すと、店内の男達の何人かがぎこちない作り笑顔で応じる。


「繁盛してるみたいだな」

「そいつは皮肉か?」

「割と本心のつもりだが」

「どうだかな。・・・・で、今日は何か飲んでいくのかクロード?」


自分の後ろに並んだボトルを指さすトニーに、クロードと呼ばれた男は首を左右に振る。


「いや、少し急ぎで片づける仕事がある。まだ酒を飲めそうもないな」

「そうか・・・。まあいい、なにか軽くつまんでいけ」


男の返事を待たずにトニーは適当な皿を出しチーズやソーセージといった適当なつまみ類を盛り付けていく。


「悪いな」

「何を今更。お互い気を使う様な関係でもないだろ」


トニーは盛り付けが終わった皿をクロードの前に置く。

その様子を離れたところから眺めていたチンピラがポツリと呟く。


「一体何者だあの男?」


静まり返った店内であの無愛想な店の主人と親しそうに会話するクロードと呼ばれた男。

周囲の反応を見るに只者でないのは明らか。相当に名の知れた人物だという事は分かる。

男の問いかけに世紀末モヒカンヘッドが小声で説明する。


「この街で明日も生きていたいなら覚えておけ。あの男こそがビルモントファミリーの若手で1,2を争う猛者。その名も・・・」


モヒカンがそこまで言いかけた時、店のドアを蹴破って3人の男が駆け込んでくる。


「見つけたぞ!クロードォオオッ!」

「タマとったるぁあああ!」

「死ぃねやぁああああ!」


奇声に近い雄たけびを上げて飛び込んできた3人の男達。

その手には鈍い光を放つ刃物が握られており、目は完全に血走っている。

誰が見ても到底まともな精神状態である様には見えない。

彼等はナイフを小脇に抱え、クロードと呼んだ男に向かって一直線に突っ込んでいく。


「シェェエアアアアアアア」


瞬く間に店内を駆け抜けた3人の不審者は長髪の男に向かって一斉に飛び掛かる。

周囲の客達が身動きできずに見守る中、クロードと呼ばれた長髪の男が軽く腕を持ち上げる。


「うるさい。少し静かにしろ」


男がそう言った瞬間、男達の首が真上を向いて大きく跳ね上がり、店に入ってきた時の倍の早さで入り口に向かって吹っ飛ばされる。


「ぐぎゃっ!」

「ぎげっ!」

「ぶぎゅっ!」


吹っ飛んだ3人が店の壁にぶつかって跳ね返り、そのまま白目を剥いて床に転がる。

身動きしなくなった男達を近くにいた客が恐る恐る覗き込むと、男達の顔には大きな拳の痕が刻まれており、下顎が砕けたのかだらしなく半開きになった口からはダラダラと血と涎を垂れ流している。


「騒がせたか?」

「いや、いつものことだ」

「そうか」


既に男達に興味を失った長髪の男は何事も無かったような顔でカウンターの上に出された皿の上からソーセージを一切れつまんで口の中に放り込む。


「・・・失敗した」

「どうした?まずかったか?」

「いや、酒が飲みたくなった」


子供の様に小さく舌を出して見せる長髪の男の言葉にトニーは心底呆れた様子で肩を竦める。


「なら仕事を終わらせた後でもう一度飲みに来い。今日は朝まで店は開けておく」

「ああ、そうさせてもらう」


クロードはそう言うと、皿の上のソーセージをもう一切れをつまんで口の中に放りこむ。

それから懐から黒革の財布を取り出すと中から数枚の紙幣を抜いてカウンターに置く。


「迷惑をかけた詫びだ。ここにいる全員分の勘定だ。これで足りるか?」

「十分だ」

『おおおおおおおおおおおおっ!』


突如降ってわいた幸福に店内にいた男達のボルテージが一気に上がる。

ほんの数分、ただ一連の騒動を眺めていただけなのに今夜の飲み代がタダになったのだからそれは浮かれもするだろう。

盛り上がる客達を一通り見渡した長髪の男はそれ以上何も言わずに店を出て行く。

その背中を見送りながらチンピラは隣にいる世紀末モヒカンに尋ねる。


「いい払いっぷりの兄ちゃんだったな。一体どこの誰なんだい?」

「知らないオメエに教えてやるよ。あの男こそクロード・ビルモント。この第七区画で最大のマフィアであるビルモントファミリーの若手で一番勢いがあるって言われている男さ」

「あれが!」

「噂に聞く"第七区画の鴉"」


まさか丁度話題にしていた人物とこんな所で出くわすとは思わず。

チンピラは驚きに満ちた目で去りゆく男の背中を見送る。


「もっとバケモノみたいな男だと思ってた」

「馬鹿。十分化け物だっただろ」


モヒカンの言う様に確かにクロードが3人を殴った拳はまったく見えなかった。

自分達とは住んでいる世界が違うとシミジミ思った所でチンピラはある事に気付く。


「あれ?」

「どうした?」

「いや、さっきまでそこにいたお嬢ちゃんは?」


周囲を見渡すがあの可憐な少女の姿は店内のどこにも見当たらなかった。


「まあ、一悶着あったし怖くなって帰ったんだろ」

「そうだな。そうに違いねえ」

「もしくはクロードさんを追っかけていってたりしてな」

「なんだおまえ?もうクロードさん呼びかよ。調子の良い野郎だ」


そうして笑いあう男達はすぐに少女がいたことなど忘れて酒を飲み始める。

丁度その頃、彼等が忘却の彼方に追いやった少女はというと彼らの予想に反してクロードの後を追って店を飛び出していた。


「やっと見つける事が出来た。これで・・・」


決意に満ちた目で少女は男の後を追いかけていくのだった。

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