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× × ×



高速航行中の船のデッキの風は強い。

外へ出た途端、王子が頭に巻いていた聖布が風に飛んだ。

反射的に伸ばした手で端っこを捕まえると、上等な絹はハタハタと柔らかくはためいた。


「ほら」


返してやろうと差し出したが、王子は不機嫌そうに顔を背けた。代わりにお付きが、スッと私の手から聖布を受け取った。


「ありがとうございます」

「ドウイタシマシテ」


出向前、事務所でも王子はアタシが差し出した煙草を受け取らなかったが、その時アタシの手に触れた指をゴシゴシと擦っていたいた。まるで、穢れを落とすかのように。


くだらない。


アタシは煙草を吸おうと軍パンのポケットを探ったが、そういえば血塗れになった箱は事務所の床に放り投げて来たのだということを思い出し、思わず舌打ちをした。



午後三時。日没まではまだ遠い。

ジョーイの言うとおり、ロシアがいつ仕掛けてくるかはわからないが、とはいえ青い海に青い空。おかしな影も見当たらない。早い話が、暇である。


洋上で遮るもののない太陽は、ジリジリとアタシの肌を焼いていく。


アタシが苛々と溜め息を吐く横で、王子のお付きはバサリと聖布を広げると、王子の頭に巻き始めた。

サハ教の聖布は、頭上に坐す太陽神サハへの敬意を示すもので、サハ教の信者は皆、外出時には必ず身に着ける。現代では略巻といって、正方形の布を細長く畳んだ状態で額を一周させ、左耳の後ろで結ぶのが一般的である。しかし本式は、布を広げ頭をすっぽり覆うのもので、赤道直下で日差しの強いこの国においては、合理的に根付いた文化だ。


お付きがテキパキと正巻を施していく間、王子はデッキの柵に手をかけ、ぼんやりと海の彼方を眺めていた。

自分の身支度を他人が行うことに、慣れきっているーいや、それが当然と受け入れているのだ。


「王族ってぇのは、糞した後のケツも召使いに拭かせると聞いたが、あながち冗談でもねぇんだな」


暇つぶしに絡んでみても、王子は相変わらず無視を決め込んでいる。

代わりにお付きが「あまり下世話なことを言わないでください」と眉を顰めた。


「下世話かねぇ。最初の穀物が神の糞から生まれた、なんてのは、神話としちゃポピュラーじゃないか。そのガキもサハの化身様なんだろ?稲の一房も生えてくるかもしれないぜ」


より下世話に絡んでも、やはり王子は無視の姿勢を崩さない。


「お高く留まってんじゃねぇや、いけすかねえ」


アタシはチッと舌打ちすると、ホルスターから銃を抜き、王子のコメカミに突き付けた。


「宮殿でお綺麗なおべべ着て、何人も侍従を顎で使ってよ。何様だっつーの。もともと王族なんてモンには反吐が出るが、国を追われてもなお王子気取りたぁむしろ滑稽だ。アンタ、アタシのこと汚ぇモンだと思ってんだろ。別に否定はしないがな、その汚ぇモンの手ぇ借りねえと逃げることすら出来ねえテメエは何なんだ。え?サハの化身様よ、ザマアミロ」


サハの化身、と言った途端、それまで真っ青だった王子の頬がカッと紅潮した。


「貴様・・・」


王子が憎悪を湛えた真っ赤な瞳をこちらに向けようとした瞬間。


「戯れはその辺にしていただけませんか、ミス・ワン・アイ」


王子の背後にいた侍従が、聖布を受け取ったのと同じようにスゥっと手を伸ばすと、アタシの手首を掴んだ。文官に似合わず硬い手の平は、大した力を込めているようには見えなかったが、右にも左にもどうにも動かない。


・・・こいつ


アタシが全力で力を込めているにも関わらず、アタシを見下ろす侍従の顔は涼しいままである。どうにも分が悪く、アタシは舌打ちを一つすると引鉄に掛けていた人差し指を外した。



「おいおい、何やってんだお前ら」


操舵室からノッソリと出て来たリッキーは、アタシたちの様子に、呆れたように肩を竦めた。

侍従の手が緩んだので、アタシはバッと手を振り払った。掴まれていた箇所が、微かに痺れている。


「遊んでる場合じゃねぇぞ、ジャス。お客だ」



左舷の後方を顎で示しながら、リッキーが双眼鏡を投げて寄越した。


「遅ぇよ。暇で死ぬかと思ったぜ」

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