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始まりの神は、御隠れになるその刹那、三柱の兄弟神をお創りになられました。

上から、叡知の神シェホ、理知の神グァダ、そして無知の神サハ。兄弟は、ラナブロワで仲良く平和に暮らしていました。


薄壁一枚向こうで恐ろしい音が飛び交う中、私は、幼い日に繰り返し聞いたサハの神話を思い出していた。匂い立つ花々、たわわに実る果実。鳥は囀り、蝶のひらめく、柔らかな光に包まれた楽園、ラナブロワ。


私は来月、十五歳になる。

もう神話を信じる年頃は過ぎている。

ラナブロワが楽園だなどと思っていた訳ではない。

だが、私が知る、そして愛するブラワットは、穏やかで平和な国なのだ。

こんな薄汚れた、血生臭い場所ではなく、素性も知れぬ外国人が、我物顔で銃を持ち、訳の分からない取引をするような場所ではなく、心優しき民に笑顔が絶えない、暖かい国なのだ。


「Come on, Joey. It’s over」


銃声が止み、やや暫くして、壁の向こうから眼帯の女の声がした。

ジョーイと呼ばれた眼鏡の東洋人がドアを開けると、火薬の臭いが混じった、不快な空気が流れ込んできた。


部屋には私たちを連れてきたイタリア人の姿は既になく、代わりに居たのは、二丁の大きな銃を携えた、褐色の肌の大男である。


「Holy shit, Ricky! What a great, marveluse, and so phat gunfighter you are! 」

「Do me a favor, Jazz. Have a heart. The enemy has increased」


眼帯の女と大男は、早口の英語でケンケンと言い合いをしていた。全てを聞き取れた訳ではないが、その言い合いが、気心の知れた者同士の間合いであることは見て取れた。

しかし、そんなじゃれ合いともいえる口喧嘩をしている二人の足元に転がっているモノに気が付いた時、私は再び激しい吐き気を催した。


仰向けに倒れ、ピクリとも動かない男。

一目で死んでいると分かったのは、額に開いた穴と、そこから流れ出る夥しい出血のせいだ。


「殿下」


うずくまった私の背を、侍従がさすってくれた。



ジリーン・・・と場違いに安穏とした音で、机の上の黒電話が鳴った。


「Okey okey, just a minute~」


眼鏡の東洋人が、歌うような調子で受話器を取りに行く。



「・・・何故」


何故彼らは、こんなにも平然としているのか。



思わず漏れた私の呟きが聞こえたのか、眼帯の女が大男との言い合いをやめ、こちらに近づいて来た。


「Hey, are you OK? You look pale. Smoke break?」


彼女は、しゃがんで私の顔を覗き込むと、赤い丸印の印刷された煙草の箱を差し出した。

ニコリと微笑む彼女だが、その左脇のホルスターには銃が刺さっている。

煙草を差し出す右手。その右手の指は、ついさっきまで引鉄を引いていたに違いないのだ。


「人殺し」


私は、差し出されたその手を、払い除けた。その拍子に、煙草の箱は彼女の手から抜け、放物線を描いて、血溜まりの中に落ちた。


微笑んでいた彼女の左目が、ニラリと揺れた。ここへくる間に見かけた犬たちと、まるで同じような暗い目である。

彼女は溜め息混じりに立ち上がると、血溜まりの中から箱を拾い上げ、あろうことかそれを私の前に投げて寄越した。


目の前の床が、ビチャリと血で汚れる。


「・・・人殺し、ねぇ」


彼女の口から発せられた言葉は、それまでの英語と打って変わって、流暢なブラワット語である。


「貴様、殿下に何を」

「お付きは黙ってな!」


鋭く言い放つ彼女の剣幕に、侍従が怯んだのがわかった。


「なあ、王子サマ。コイツはいったい、誰を殺しに来たんだろうね。アタシらか?アンタか?」


彼女は血溜まりの死体の頭をブーツの踵で踏みつけ、顔を私の方へ向けた。

見開いたままの光のない眼に、私が映る。


「・・・感謝をしろと言いたいのか?」


渇いた喉から絞り出すように答えると、女はケタケタと愉快そうに笑い始めた。


「馬鹿か、いらねぇよそんなもん。アンタの感謝なんて、一文の得にもならないっつーの。アタシが言いたいのはな、コレはただのビジネスだって話だ。この国にゃアンタを殺したい奴がいて、アンタを逃がしたい奴もいる。アタシらは後者のシゴトを請け負った。請け負ったからには、邪魔する奴は排除する」

「排除・・・殺すという意味か?」

「場合に拠っちゃね。今回の依頼に関しちゃ、殺しは過程に過ぎないからな。ンな怖い顔すんなよ、ベイビー。可愛いお顔が台無しだぜ?こいつらだって、銃持ってここへお話合いに来た訳じゃあないだろうよ。見てみろ、この大口径。デザートイーグルなんて、えげつない銃持ってやがる」


女は、男の右手から、彼が握ったままだった拳銃を、やはりブーツの踵でぞんざいに蹴り出した。


「なあ。今後のために、イイこと教えてやるよ、王子サマ」


血塗れの銃を拾い上げると、彼女は再び薄笑いを浮かべ、私の元へ近づいて来た。

そして、いきなり私の左肩を強かに蹴りつけると、体勢を崩した私を馬乗りに組み敷いた。


「何をー・・・」


ジャキッと銃を取り回す音がして、私は言葉を飲んだ。

恐る恐る視線を下げると、喉元に銃を突き付けられていた。

銃口を伝って、ヌルリと生暖かい液体が肌に垂れてくる。


「覚えておきな、世間知らずの王子サマ。人は誰だって、他人の屍食って生きてんだよ。アタシも、アンタもだ。それが嫌だってんなら、選ぶ道は一つ。神の住む地で、野垂れ死ぬことさ」




チン・・・と、やはり場違いな安穏とした音をたて、眼鏡の男が受話器を置いた。彼は、振り返り私たちの様子を見るなり、呆れたように眉を上げ、女を諌めた。


「what are you doing, Jazz? Play time is over. Heare we go」


彼女は素直に従い、私の上から降りると、


「持っておけ」


と件の銃を私の腹の上に投げて寄越した。そして、


「それからな」


と、やはり薄ら微笑んで付け加えた。


「そのクソみたいなブラワット語は、もう使うな。Hear is RANNABROWA. And the place you stand is not your garden anymore. Understand? Baby」



何故・・・



私はもう一度、小さく呟いた。



「殿下・・・お怪我は御座いませんか」


青い顔をした侍従が、私の腹の上から銃を取り上げ、私を助け起こした。


「良い。大事ない」


背中や肩の痛みを堪え顔を上げると、女の左目と行き会った。


「Follow me, Prince. Hurry up」


私は唇を噛みしめ、彼女の後に続いた。

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