エピローグ
エピローグ
四ストローク並列四気筒エンジンからドッドッドッドッと言う重低音を発しながら、ゆっくりと減速した大型自動二輪車YZF-R1が一軒の民家の前で停車した。その民家は豪邸と言うには程遠いが、かと言ってあばら家と言うほど貧相でもなく、コンクリートブロック製の門塀に掲げられた表札には『桑島』と書かれている。つまりそれは郊外の新興住宅地でよく見かけるような何の変哲も無い建売住宅であると同時に、千葉県某所に建てられた、健蔵と美綺の桑島兄妹の実家であった。そしてYZF-R1に乗っているのは当然ながら美綺であり、今現在の時刻は彼女と健蔵が始末屋から名刺を受け取ってからおよそ一時間が経過した、午前八時少し前である。ちなみに健蔵はバイクには乗っておらず、今頃は彼が一人暮らしをするボロアパートで爆睡しているに違いない。
民家の車庫に愛車を駐輪した美綺は合鍵を使って玄関ドアを解錠すると、ローファーを脱いで上がり框を越え、丸一日ぶりの自宅に足を踏み入れた。
「ただいま」
美綺は誰にともなく帰宅の言葉を告げたが、返事は無い。この時間、既に彼女の両親はそれぞれの職場へと出勤した後であり、無人の民家はひっそりと静まり返っている。そして勿論、普段の平日ならば美綺自身もまたこの時間には登校していなければならないのだが、幸いにも今日は試験休みなので学校は休校であった。
「さて、と」
薄暗い廊下を抜け、トントントンと言う軽快な足音と共に階段を上ると、二階の自室に足を踏み入れる美綺。この世で最もリラックス出来る自分の根城へと無事に帰還した彼女は、部屋の隅に置かれた空気清浄機のスイッチを入れてから、ずっと被りっ放しだったヘルメットを脱いだ。すると少しだけカールした艶やかな黒髪が露になり、シャンプーと汗の香りが周囲にふわりと漂う。ちなみに脱いだのはヘルメットだけで、ガスマスクは脱がない。
「ふう」
頭が少しだけ軽くなった美綺は脱いだヘルメットをベッドの支柱に吊るし、壁沿いの学習机の前に置かれた椅子に座ってから、背負っていた学校指定のスクールバッグを机の天板の上に置いた。そしてその中からハンカチで包まれた弁当箱を取り出すと、蝶々結びにされていたハンカチの結び目を解き、中の弁当箱を開ける。
「やったね♪」
嬉しそうにそう呟いて、ガスマスクの下でほくそ笑む美綺。果たして彼女の眼前の弁当箱の中に納められていたのは白米でもサンドイッチでもなく、およそ五百万円分の、一万円札の札束であった。そしてこれらの札束の出所はと言えば、昨日都内某所の喫茶店で諏訪が健蔵に向かって差し出したが、結局は始末屋が乱入したせいで有耶無耶になったあの一千万円分の札束の一部である。美綺はあの時、喫茶店の床に転がったこれらの札束を頂戴し、中身を食べ終えて空になった弁当箱の中に隠してその後の警察の聴取もまんまとやり過ごしたのだ。
「さて、このお金は何に使おうかな♪」
彼女がこの五百万円を何に使うかは、また別の物語である。
ノースモーキング・ノーライフ 大竹久和 @hisakaz
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