さきゅのお父ちゃん、現る!
なんか最近、妙な視線を感じるんだよな。
いつもじゃなくて、決まってさきゅといるとき。
例えば、公園連れていくときとか、お買いもの行くときとか。でも、だからって何か起こったのかって言われると、そうじゃないんだよな。
とりあえず、この前来たさきゅのお母ちゃんには帰ってもらったし(恋人が帰るギリギリまでねばられて、けっこうヤバかった)、ナナちゃんとマリアちゃんはちょくちょく遊びに来るけど、変わったことといえばそれくらいのはずだ。
だけど、やっぱり感じる。
ほら、いまも電信柱の影から……。
って、ええ!
年のころは、40代半ばくらい。眼鏡かけて、一見どこでもいるおっさん風。
けど、異常なのは。
「……」
上半身裸で、下半身が山羊の足(でも、器用に二足歩行)。そして、首にはなぜかネクタイ。それが、電信柱の影から俺たちを見ている(なんでみんな通報しないんだ?)。
「……なあ、理央」
「なに?」
「俺、忘れ物しちゃった。さきゅと先に帰っててくれ」
「うん。わかった」
一緒に買い物に出てた恋人は何も疑うことなく、さきゅを連れて歩き出す。
電信柱の影の怪しいおっさんが、途端に反応した。
そいつが俺の横を通り過ぎようとした瞬間、
「ちょっと」
俺は、怪しいおっさんのネクタイを遠慮会釈もなくつかんだ。
「ギャッ!?」
怪しいおっさんが、締められた鶏(実際締めたことはない。田舎なめんなよ!)みたいな声を上げる。
締められた首をさすりつつ、怪しいおっさんは言った。
「何なんですか!? あなた!」
そりゃ、こっちの台詞だよ。だから、俺は言った。
「そっちこそ、何なんですか? この間から、人ん家の子をじろじろと」
怪しいおっさん、目を白黒。で、ぽりぽり後ろ頭を掻きながら、俺に尋ねる。
「……ひょっとして、あなた、僕が見えてますか?」
見えてるも何も、見たくないもん見せられまくりだよ。
そう思いつつ、俺は言った。
「ええ」
「え? あ、そうですか。おかしいな。見えるようにはしてないはずなのに……」
口の中で何やらぶつぶつひとしきり呟いた後、怪しいおっさんは言った。
「初めまして。あ、あの娘がいつもお世話になっております。わたくし、とめの父親で、田吾作と申します」
娘、とめ、父、田吾作。
俺の脳内で単語が一つの道筋をとるまでに、ちょっと時間がかかった。
「……え?」
俺は怪しいおっさんをまじまじと見つめる。
「ええええーっ!」
俺はここが道のど真ん中であることを一時忘れて、絶叫した。
◇◆◇◆
「いや、本当すみませんねえ。すっかりごちそうになっちゃって」
いやまあ、缶コーヒーってごちそうってほどごちそうじゃないけど。
とりあえず、俺はさきゅのお父さんを近くの公園、しかも、こういうときの定番ベンチに誘った。
お父さん、プルタブをプシュッ。んで、缶コーヒーをぐいっとあおる。
「ぷはあ! 生き返る!」
酒でもあるまいし、大げさな。
「あ、あらためまして。わたくし、こういう者です」
あらたまった態度で差し出されたのは、1枚の名刺。(どっから出したんだろう?)
そこにはこう書かれてある。
株式会社 悪魔協会
インキュバス部門主任 田吾作
……あのさ、昨今の悪魔の世界って、本当どうなってんの?
あとお父さん、名前が田吾作っていつの時代のセンス? 嫁といい、娘といいさ。
「あいつの母親とは、悪魔幼稚園からの幼馴染でして」
「はあ」
悪魔幼稚園……。どんな幼稚園だろう?
「むかしのあいつは、そりゃあきれいな娘でね。100年以内にリリスはまちがいなし!
なんて近所でも評判でして」
「はあ」
つか、なんで俺は見ず知らずのおっさん悪魔の人生の1ページに触れようとしてるんだろう。
「あの通り負けず嫌いの気性ですから、将来絶対悪魔史に残るリリスになるだろうってみんなが思ってたんですよ」
確かに。相当勝気そうな人だった。
「……けど」
急に田吾作さんの背中が丸くなった。
「悪魔界は広いですな。都会にゃ、あいつより綺麗なサキュバスがたくさんいて」
だから、悪魔界の田舎ってどこ?
「やっとリリスになれて、子どもを持てるようになったってのに、子どもの父親がいつまでも
うだつの上がらないわたしみたいなひらインキュバスで」
ひら。並とか、格下とかじゃなく、ひら。
「わたしのダメさが娘にも伝わったのか、とめもとうとう十年連続ワーストワンで……。本当、ダメな親父で申し訳ない」
俺は田吾作さんの丸くなった背中をじっと見つめた。
俺の親父も、こんな風に俺のこと、いつまでも心配してんのかな。
思春期に入ってから、あんま会話しなくなったけど。そういや、親父の背中もいつごろからか、こんな風に丸くなってたな。
「でも、よかったです」
田吾作さんが、急に顔を上げて言った。
「小さくなっても、あなたたちみたいな善良な人間があの子の面倒を見てくれて」
いやいや待って、お父さん。『善良』って、まちがっても悪魔が使っていい言葉じゃない。
「これからも、あの子のこと、よろしくお願いします!!」
しかも、両手がっしり握りしめられてぶんぶん上下に振られてるし。
あのさ、俺はさきゅを嫁にもらったわけじゃないんだけど!
「あの、少ないですけど。これ」
そう言ってお父さんは、ぶ厚い封筒を俺の手に握らせた。
「ちょっと、困ります!」
俺は急いで封筒をお父さんに返そうとしたが。
「いえいえ。いいんです! ほんの気持ちですから!!」
……。
…………。
……そーお?
「あの子が元気そうで本当に良かった! それじゃ!! あっ、コーヒーありがとうございました!」
そう言うと、お父さんはぶんぶん手を振りながら飛んで(地面から2、3メートルしか浮いてないけど)行ってしまった。
「……」
俺は、手の中に残された封筒をしばし見つめ、おもむろに、それをズボンに突っ込んだ。
「ただいまー」
「お帰り。遅かったね」
俺は「うん、まあ」と呟いて、恋人を適当にごまかす。
奥の部屋で積み木で遊んでいるさきゅに、俺は
「さきゅ」
とそっと声をかけた。
「何だべ?」
「さっきさ、お前のお父さんに会ったよ」
途端にさきゅの目が丸くなった。
「お父ちゃんが?」
「うん」
台所で夕飯の準備をしている恋人に気づかれぬよう、小さな声で俺は会話を続ける。
「相変わらずハゲてたべか?」
……お前、まず確かめるとこがそこかよ。俺の基準でいくと、まだハゲってほどじゃないと思うけどな。相当、薄毛なのは認めるけど。
――というわけで。
「うん、まあ、どうかな」
俺はまた言葉を適当に濁した。
「お前のことすごく心配してたみたいだぞ。いいお父さんだな」
さきゅは再び積み木をつかみながら言った。
「いいお父さんかどうかはわからんべけど、女運の悪い男なのは確かだべ」
「まあ、そう言うなよ」
さきゅは無言で積み木で遊んでいる。でも、真っ白なほっぺたがちょっとだけ赤い。
……ひょっとして、照れてる?
娘を愛する父親も照れくさいもんだけど、案外、心配されてる娘も照れくさいのかもしれないな。
……さて、いい話はここまでだ。
真夜中。俺はむっくりと体を起こす。
恋人、寝てるな。
さきゅ、よし。これもよく眠ってる。
……そろ~。
俺はそっと布団を抜け出し、自分のズボンにつっこんだ封筒を取り出した。
そう。昼間さきゅのお父さんにもらった、分厚い例の封筒だ。
俺は、茶色でちょっとよれよれになったそれをじーっと見つめる。
ちらっ。
俺はいま一度、恋人をさきゅを確認する。
変化なし。二人ともよーく眠っております。
ほっほっほっ。よしよし。よーしよし。
俺は封筒を自分の胸におしつけ、背中を丸めながらトイレへと入った。
そして、茶封筒をちょっと開く。
どきどき、どきどき。
ちらっ。
おおっ。幸福と、ちょっとだけ薄汚れた匂いがするお札ちゃんたちよ。恥ずかしがらずに、
そのお顔をいま……!
……ん?
「……」
札束サイズのそれは、しかし、札ではなかった。
表紙らしき白い紙には、こう書いてある。
いつでも好きなときに肩たたき券 1×100
いつでも好きなときに腰もみ券 1×100
いつでも好きなときにヨイショ兼 1×100
しめて300枚フルセットをあなたにご提供!
※ちなみに、この3つはわたくし、田吾作の副業です。
真夜中のトイレの中。しかも、後ろめたい気持ちがあって、それを引き裂くことも騒ぐこともできない俺は、心の中でたったひとこと、強く思った。
いらんわ。
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